二十二ノ怪
屋敷の地下にある鬼の門をくぐり、鬼さんの大きな背中を追いかける。
わたしの生まれ育った場所に向かっているわけではないという事だから、きっとこの鬼の門は、わたしの居た場所以外にも繋がっているのね。
鬼さんが浮かべる鬼火に照らされて、岩畳が赤く光る。
用意された和柄の花模様の草履と、オレンジや朱色が合いまったような色をした浴衣。歩いて袖や赤い帯の端が揺れるたびにひらひらとして金魚みたい。
鬼さんもお祭りらしく小豆色の着物を着崩して、珍しく黒い草履を履きながら先を歩いていく。さすがに裸足だと目立つものね。
現世に行けるのは嬉しい。お祭りだというのも、とても心踊らされる。
……多少、虚しさがあることは否めないけれど。それを認めてしまえば、それに呑み込まれてしまえば。恐らくわたしは正気を保てない。
はぁと深く息を吐く。あまりマイナスな思考にばかりに耽るのは良くない。無理にでも明るい考えに向けないと常闇の気に沈んでしまうわ。
自分が心の闇にずぶずぶと沈んでいけば、恐らく浮上することは出来ないんだと思う。姿かたちは違っても、あの白い骸骨のようになって理性を失ってしまうのだろう。
何としてでも明るく前向きに。無理矢理でも上を向かないと生きていけない。しっかりしないと。
それに、これから現世のお祭りに行くのだ。落ち込むだなんてそれこそ勿体無いというものだわ。
ほどなくして空気が動く気配がした。ううん、動いたというよりは「変わった」という方が正しいかも。
常闇の冷たくて湿ったものとは違う、少し暖かい空気。そして夏の香り。
目を細めて鬼の背中の向こうを見れば、ぼんやりと月明かりが見えてきた。
いつの間にか石畳は消えて、壁も洞窟のような草や木の根が飛び出ている不安定なものに変わり、足元も似たような物になっていた。
歩いてようやく出口から足を踏み出すと、出た場所は暗く、山の斜面に空いた穴だった。辺りに草木が生い茂り、虫の鳴く声がすぐそばで聞こえてきた。
そして――遠くの方で太鼓や人々の喧噪や笑い声も。
「お祭りだ……」
鬼さんに無理を言ってお祭りに来たのだから当たり前なんだけれど、どうしてかそんな当然のことを口にしてしまった。
妖怪たちが騒ぐ様子と違って、夜だというのに妖しさも無く活気が溢れ、温かい空気が辺りに満ちているのが、離れたここにまで感じることが出来る。
そろりと穴から出ていき、音のする方へ足を進める。
木々の向こう、夜空の下に明るい光が見えて、そこに向かって足を動かせば動かすほど、明かりも人々の賑わいも大きくなっていった。
たくさん人がいる……普通の人間が。妖怪じゃない、陽の光を嫌わない人たちがあそこに……!
「おい一人で行くナ」
急いで歩き出した自分の右肩をいきなり鷲掴みにされ、忘れていた鬼さんの存在を思い出す。
そうだ。あまりはしゃぎ過ぎないように気を付けないと。鬼さんを怒らせたら常闇に強制送還される。
「あ、すいません。ちょっと嬉しすぎてしまって。だからごめんなさ……」
言いかけて固まる。
目を向けた先には鬼の姿はなく、背の高い人間の男性がわたしの肩を掴みそこにいたのだ。
「……は? え?」
あれ? 人? いや人違い?
いやわたしが違ったわけじゃなくてこの人が。あ、それも違くって。
「ン? なんだ?」
「あの、その、えっと、……お、鬼さん?」
穴が開くほど凝視し頭から足の先までジロジロと不躾に見る。
頭には角もないし、浅黒くはあるけど肌は赤くないし、いつも顔半分覆っている模様もない。わたしの肩を掴む手や草履を履いた足にも鋭い爪はない。への字に曲がった口から八重歯は見えないし、口端も裂けてない。耳も尖ってない。
そしてなにより目が紅くない!
「え、ど、どうしたんですか!? その恰好!」
思わず指をさして素っ頓狂な声を上げれば、鬼さんの眉間に皺が刻まれた。
「そのまんま出てったら大事になるダロ。人間に化けたんなら騒ぎにならンで済むカナ」
まぁ、それは確かに。鬼の格好だといくらコスプレで通ったとしても目立つものね。
……あぁでも喋り方は変わらないんだ。鬼さんの話し方って独特だから、聞いただけで鬼さんだって分るわ。
「沼の奴ンところに行くには祭りの中を途中まで歩いて行くカナ。俺から離れず着いてこいよ」
「はい」
掴んでいた肩を離し、わたしを追い越して鬼さんが歩き出す。わたしも上げていた指を下げて後に続いて歩き出した。
暗い木々に囲まれて光と喧騒が溢れる前方へ進んでいけば、突如パッと目の前が明かるくなった。
目前を行き交う人々、少し眩しいお店の裸電球の明かりや赤い提灯のほのかな光。みんな浴衣やTシャツやノースリーブを着て、楽しげにのんびりと歩いていた。
人だ! 人がいる! それも沢山!
みんなここにいる人は普通の人間なんだ! 人間を食べたり呪いをかけたりしない、普通の世界なんだ!
「はて、おかしいナァ。こんなに人間が集まっているワケが無いんダガ」
感動に思わず涙を浮かべそうになっていると、鬼さんが渋い顔をしてポリポリと頭を掻いた。
顔を見ればとても不機嫌だ。すごく嫌な顔をしている。
「そうなんですか? こんなに人がいるのは意外なんですか?」
鬼さんからしたら人が大勢で賑わっている場所は好きじゃないのかもしれない。
お祭りって言うと神様のためにする行事ってことが多いから、妖怪の鬼さんからしたら活気があると不愉快なのかも。
「だいたい三十年前はもっと小ぢんまりとして人っ気も少なかったガ」
「三十年前……」
そりゃあ三十年もすれば時代も変わるでしょう。特に交通の便が良くなれば人も行き来しやすいだろうし。
少し背伸びして辺りを見渡すと、この辺は温泉宿が多いみたい。今の時期なら夏休みで来る人もいるだろうし、きっと人が多いのはそのせいね。
「ちなみに何で三十年前に来たんですか?」
「酒をもらいにちょいとナ」
鬼さんの要件は必ずお酒関連なのね。どこまで好きなんだか。
呆れていると、鬼さんに腕を取られて思わずその強引さに体が強張った。
でも鬼さんは知ってか知らずか、固くなるわたしに構わずグングンとわたしを強く引っ張り、騒がしい通りに連れ出したのだ。
人混みに揉まれながら足を踏まれないように、また踏まないように気をつけながら歩く。
夜なのに通りは十分すぎるくらい明るい。
出店もカラフルで汗だくになってカキ氷や焼きそば、焼きトウモロコシを作っているおじさんおばさんが、通りを歩く人達に威勢良く声を掛けている。
妖怪の賑わった通りも同じような感じだけれど、やっぱりこっちのほうが安心する。
暗くないし暖かいし(今は夏だからってこともあるけど)、誰にも襲われる心配もなく歩けるんだもの。
笠で顔を隠す必要もないし、堂々と歩ける。なんて気分が良いんだろう!
不意に歩く人たちを見てみる。お祭りに来ている人はカップルや友達、親子、家族と様々だ。みんな少し窮屈そうにしながらも、楽しそうにお店を回っている。
手にはうちわやオシャレな扇子、買った食べ物や金魚にヨーヨー。みんなお祭りを満喫しているようだ。
ちらとすぐ目の前を歩く鬼さんを見る。
背中は着物を着ているせいもあってあまり変化はないけれど、鬼ならではの特徴を全部取り外して、普通の人間の見た目になった鬼さんの顔を思い出す。
鬼さんって意外とイケメンと言われる部類の人なのね。
前々からそんな感じはしていたんだけれど、見慣れたとはいえ、人間離れした顔や態度を見ていると、いくら顔がよくても怖いんだもの。
鬼さんがわたしの視線に気が付いたのか、ちらりとわたしを振り返った。それから取っていたわたしの腕を放すと、がしりと手を握ってきたのだ。
「え!?」
「こちらの方が今の状況にあっているナ」
「まぁ……そうかもしれないですね」
前触れもなく手を握ってきたから思わず驚いてしまった。
でも腕を取られてずんずん連れられていたら、私服警察に連行される万引き犯みたいだし。あ、でも、私服警察は着物なんて着ないか。
大きな手に握りこまれてお祭りの中を二人して歩いていると、何だか変な感じがする。
隣を見上げれば、背の高い鬼さんは歩く人達の頭一つ分くらい高くて、黒い髪が明かりに透かされるとちょっと赤く見える。
こうして手を繋いで鬼さんを見上げていると、なんだか昔、お父さんに手をひかれてお祭りに行ったのを思い出すわ。小さい頃に戻ったみたい。
お父さん元気にしているかな。
今も仕事忙しいのかな。昔から夜遅く帰ってきて、出張とかばかりしていたからあまり話しなんて出来なくて。こうやって手を繋いだのも数えるくらいしかなかったなぁ……
無意識に手を握り返していたみたいで、ハッとして顔を上げると、鬼さんが目だけでわたしを見た。
その眼は少し紅みを帯びていて、思わず反射的にぎくりと体が強張った。
慌てて手を放そうと腕を引いたけれど、鬼さんはより力を込めて強く引いてきた。
「放す事ないダロウ?」
「あ、その、ご、ごめんなさい。逃げようとしたわけじゃないです」
「お前から手を握ってくるだなんて珍しいナァ。どうした」
「その、昔を思い出して」
「昔ぃ?」
鬼さんの眉間に皺が寄った。少し怖いと思ったけれど、普段の鬼の顔に比べれば全然マシだわ。
「はい。小さい時に、お父さんと手を繋いでお祭りに行ったなって」
「…………親父と?」
「はい」
「親父と?」
「は、はい」
え? なんで二回聞いたの? しかも最初の一回目の時にあった長い沈黙は何?
訝しんでわたしも眉を寄せると、鬼さんが急に立ち止まった。
「鈴音何か買ってやろうか?」
「え? あぁいえ、大丈夫です」
突然どうしたんだろう。そんなに物欲しそうにしていたかな。
それにしても鬼さんさっきからどうしたんだろう。挙動不審というか。
これじゃあ普段のわたしと立場が逆ね。やっぱり神事に関わる人のお祭りは、鬼さんも緊張するのかしら。
「特別ダ。何か買ってヤル」
「いきなり言われましても……えーっと……」
本当にいま特に欲しい物なんて無いんだけれど。
友達や家族と行くと、あれ食べたいとかこれやりたいとか出てくるのに。やっぱり鬼さんと一緒だからか、いまいちそんな気分になれないのよね。
ただこの雰囲気だけで満足しちゃってるってこともあるけど。
でもこの場合何かしら言わないときっと鬼さん怒るだろうし……うーん……
その時ぱんぱんと軽快な音が鳴った。音が鳴った方へ目をやると、射的の出店だった。
大人から子供まで必死になって回転する的めがけて、コルクを詰めては飛ばしている。
「ナンだ? あれをやりたいのか?」
「そういうわけじゃないですけど、一度もやったことないなって」
「どれ、俺がやってみようか」
「へ!? 鬼さん出来るんですか!? やり方分かるんですか? 豆飛ばすんじゃないんですよ!?」
言った途端にギロッと睨まれて押し黙る。ごめんなさい。
……というか鬼さんお金持ってるのかな。まさか脅して遊ぶ気じゃないよね。
「おい一回だ」
そういって懐からお金を出して台の上に置く。覗き込んでみるとちゃんとしたお金だ。
「はい毎度」
お店のおじさんがお金を取ると、鉄砲とコルクをいくつか鬼さんの前に置いた。
「鬼さんお金持ってたんですか?」
「あぁ」
素っ気なく言ってコルクを筒の先に押し込める。……なんだか怪しい。
「鬼さんもしかして、あれ葉っぱとか小石じゃないですよね」
「そんなセコイことするか。ありゃキチンとした金カナ」
そうなんだ。鬼さんにしては真面目に払っているんだ。なんだか意外だわ。
わたしが感心して見守る中、鬼さんは銃を構えると慣れた感じで、これもまた意外なことにどんどん商品を倒していった。
変な言い方だけど鬼さんが銃構えている姿ってなかなか見れないからすごく新鮮っていうか、妙な感じ。
結果として、鬼さんは一つも外すことなく商品を落とした。
お店のおじさんが気を利かせてビニール袋に商品をまとめて鬼さんへ渡してくれた。
「お兄ちゃん上手いねぇ! 一度でここまで落とした人はなかなか居ないよぉ!」
「そいつぁどうも。貰ってくナ」
「はいよ!」
恰幅のいいおじさんに見送られながら射的のお店を後にすると、鬼さんがわたしの手を繋いできた。
「人間の店もやることは同じダナァ」
「何がですか?」
「的の中に幾つかどんなに当たっても倒れないよう細工しているのがあったカナ」
「え? そうなんですか?」
「他の奴が当てる様子を見てれば分かるさ。だったらソレを避けて的を当てれば良いだけカナ」
「鬼さん妖力は使わなかったんですね」
「わざわざガキの遊びに使うカ」
ふんと鼻を鳴らしてビニールをわたしに押し付けてきた。
受け取って中身を見ると、箱入りのお菓子が三個に小さな金魚の貯金箱、カエルの置物が入っていた。
「さて。それじゃあそろそろ、沼の主に会いに行くカナ」
そう言うと、鬼さんはまたわたしの手を強く引いて人混みの中を歩き始めた。




