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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
22/63

二十一ノ怪

 鬼さんに触られるのはなんとも慣れず苦痛だった。

 たとえ手を繋ぐだけの行為だとしても、やっぱり変な汗は出るし背中は凍る。


「鬼さん、手を離してくれませんと、お酌が出来ませんよ」


 怒らせないよう穏やかに言うが、鬼さんは繋ぐ手を更に力を込めて握ってきた。


「構わんさ。手酌酒でもたまには良いカナ」


 深い紫色に流れる白い水の線が、鬼さんの膝の上に広がる。そしてその膝の上にわたしの手が大きな手によって握り込められ、置かれていた。


 鬼さんはお屋敷に戻ってくるなり、大広間へ行ってお酒を飲み始めた。

 せっかく河童から貰ったばかりのお酒はみるみる空瓶へと変わっていき、あっという間に何本か畳の上に転がっていた。


 お酌をしている時のほうがまだ気が楽だ。こんなふうに何もすることがなく、ただ鬼さんの隣で手を繋がれていると、気まずいことこの上ない。

 だいたい手を握ってくるって、あまりわたしにとって喜ばしい状況ではない。それどころか、かなり危ない。


「鈴音の手は小さくて可愛らしいナァ」


「そうですか? 普通だと思いますよ。鬼さんの手が大きいんだと思いますけれど」


 鬼だからなんだろうけれど、長身で足も手も長く大きい。そして筋肉質だ。

 あ、でも子鬼はとても小さくてお腹が出てたりするけれど、筋肉質ではなかったな。鬼さんが特別そうなのかとも思ったけれど、青鬼や瞋恚の大きな蒼い鬼も筋肉質だったから、種類が違うのかしら。


 不意に握っていた手が解放され、唐突に肩を寄せられた。思わず体が強ばり顔も引き攣る。

 自分の顔と体が鬼さんの着物に埋もれて、ほのかに煙草の臭いが鼻を掠めた。


「鈴音はもっと食って肉をつけなければダメだな。痩せこけては美味くないだろうしナ」


 言われたセリフに全身鳥肌が立った。

 そんなこと言われたら、逆に何としてでもガリガリに痩せて美味しくないようにしなければいけなくなるわ。


 そもそも籠の中にいると運動量がそんなにないから食欲も出ないし、食べる量を考えないとあっという間に太ってしまう。ストレッチしていたって限度があるんだし。

 

「また骨みたいに痩せられては堪らんからナァ」


「だったらなるべく外に出して下さい。動かないとお腹も空きません」


「アレだけ晒し者にされているのにお前も懲りん奴ダナ」


 晒し者にしているのは鬼さんじゃない。しかもあんな紐まで付けて。

 笠被っててもあれだと目立つし好奇の目に晒されるのは必然じゃない。


 ブツブツと心の中でわたしは不満を呟くと、ふと過ぎった考えに動きを止めて、そして次に握られた手に目を留めた。


 ずっと今までこうして我慢してきたんだ。

 今だって大人しく手を繋いで体を触られて、さっきまで紐で繋がれても、それでも我慢してきた。

 現世に行って色々訊きに行くのだろうし、思い切って言ってみようか。


 ふっと息を吐いてお腹に力を込める。それから声が震えないようゆっくりと口を開けた。


「なら……元の所に、現世に連れて行って下さい」


 さりげなく言ったつもりだが、喉はからからで声は若干上擦っている。言った途端にドクドクとなり始めた胸に気持ちが悪くなりながら、それでもまた口を開く。


「あちらなら晒し者になっても、まだ我慢出来ますし」


「駄賃がマダだと言った筈ダガ?」


 言い終わらないうちに遮られ、ギロリと睨まれて息が詰まった。

 今まで自分が払える限界まで払い続けてきたつもりだ。それ以上の犠牲は自分が壊れてしまう。それでは元も子もないのだ。


「……鬼さんが一緒に歩いてくれれば……良いと思ったんですけれど。駄目、ですか?」


 鬼さんの顔を伺おうとそっと鬼さんの腕から抜け出し、体を離した。

 特に咎めもせずに解放してくれた鬼さんだが、腰に手をまわしてきて、触れるのをやめるつもりはないようだ。

 その事に居心地を悪く感じるが、なんとか今は鬼さんを説得しようと我慢する。


「一緒に公園に行ったり、お店に行ったりして散歩するだけで良いんです。ほんの数分でも良いから一度帰りたいんです」


 鬼さんはジッとわたしを見つめて、しばらく黙っていた。なにかを考えているのか、わたしの考えを読み透かそうとしているのか、随分長い間わたしを見ていた。


 やっぱり駄目かな。今まで出来る限りのことはしてきたとはいえ、鬼さんが簡単にあちらに連れて行ってくれるわけがないか。


「……夜なら」


「え?」


 諦めかけた時に、鬼さんから声が掛けられ顔を上げる。

 相変わらずぶすっとして不機嫌ではあるけれど、腕を組んでため息を吐きながら硬い黒髪をガシガシと掻いた。


「夜なら構わないカナ」


「夜なら?」


「陽は好かン。夜でも構わんのなら連れて行ってヤル。どうせあちらの奴に聞きたいこともあるしナ」


「本当ですか!? あ、ありがとうございます!」


 昼間じゃないのは残念ではあるけれど、あちらに帰れるんだ! 元の世界に戻れるんだ!


 思わず破顔して目尻に涙が浮かぶ。

 あちらに帰ったら家に一度寄ってみよう。きっとお母さん達はわたしの事が分からないかもしれないけれど、遠目から見る分には構わないよね。


「ただし交換条件ダ」


 肩を強く掴まれて引き寄せられる。すぐ上からまっすぐ降り注いでくる紅に体が萎縮する。


「お前の親共の記憶を抜き取る」


「……え? お母さん達の?」


「そうすりゃもう陽の下に行きたいとも思わないダロウ? お前がもう故郷に固執することもなくなるワケだ」


「そ、それは」


 家族の記憶がなくなるだなんて。そんなの嫌に決まってる。忘れられるのは辛いけれど、わたしまで皆を忘れてしまうなんて……そんなこと出来ない。


 わたしの顔が凍ったのを見て、鬼さんは口端を吊り上げて意地悪く笑った。

 そして黙り込んだわたしの頭にそっと手を添えて優しく撫でた。


「鈴音が故郷を忘れるのは俺は大賛成カナ。お前がいつも寂しそうに籠の外を見ているのは実に不愉快だからナ」


 鬼さんいつもそんなふうに思っていたんだ。

 いや、そもそも鬼さんがいる時には特に気をつけて余計な事を考えないようにしていたのに、どうしてそんな事知っているんだろう。

 まさか盗み見でもしているっていうの?


「お前が親兄弟を忘れて構わないのなら連れて行ってヤル。どうする鈴音ぇ」


 どうするも何も、頷ける訳がない。

 家族を忘れるなんて無理だ。皆を覚えているから、思い出があるから頑張ってこれたんだもの。

 それを忘れたら、わたしは急速に闇に呑み込まれていってしまう。


「……みんなの事は、忘れられません」


「それなら俺も無理ダナ」


 間髪入れずに言われてしまい、わたしは何も言えなくなり、再度黙り込んだ。


 鬼さんがそう簡単にあちらに連れて行ってくれるわけがない、か。

 そうよね。当然だわ。


 落胆して視線を下げると頭を抱えこまれる。

 頭に背に、鬼さんの大きな手が這って撫で上げてきた。


「鈴音は頑固ダナァ。常闇の者になって名も奪われ、人の寿命も消えたのに。マダ現世に帰りたいと言うのカ。どうしたら諦めがつくんだろうナァ」


 いっそのこと何もかも忘れて、鬼さんのペットに成り下がれば楽なのかもしれない。

 でもどうしても嫌だ。鬼さんの好きなようにされている自分を想像するだけで、背筋どころか心臓まで凍る。

 

 もう何日みんなと会っていないんだろう。どれくらい話をしていないんだろう。


 お姉ちゃんはもう家を出たのかな。それともまだ家にいてくれているのかな。お兄ちゃん達はそれぞれどうしているんだろう。

 拓お兄ちゃんは結婚したばかりでまだ忙しいだろうし、双子のお兄ちゃんはそれぞれ一人暮らしの準備をしていた頃だし。……お母さんもお父さんも元気しているかな。


 鬼さんや妖怪たちの数少ない情報から察するに、季節はもう夏に変わった頃だと思う。きっとみんな友達も出来たりして、夏休みを楽しんでいるのかもしれない。


 わたしには遠くなってしまった日常。

 届かない、毎日朝が来る、明るい世界。


 胸の内がぐっと締め上げられる。とても苦しくて、とても悲しい。何度も反芻してしまう感傷的なものが込み上げてくる。  

 いつになってもこの感情は消えない。どす黒いものは出てこないけれども、この胸を締めるような辛さはどうあっても消えないのだ。


「鈴音」


 鬼さんが指の腹でわたしの目尻をゆっくり拭った。それからわたしを抱き上げて、首筋に顔を埋めてきた。


「ドウセお前が俺と共にいる間に皆老いて死に絶える。なら良いじゃないカ。さっさと忘れちまえ。それより俺と常闇で楽しく毎日遊んで暮らそうじゃないカ」


 みんな死に絶える。就職して、結婚して、家庭を持って、生きて。そして老いて死んでいく。


 それで……わたしは? わたしはどうなの?

 ずっと常闇で生きながらえて、妖怪に囲まれて鬼の傍で生きて。そしてその果てに、わたしが知っている人たちはみんな老いて死んでいく? 最期にわたしは独りぼっちになる?

 

「い、いや……」

 

 ずっと考えないようにしていた。紫さんに零した時からずっと言わないでおいた。

 それでもいざ向き合ってしまうと脆くも崩れて、心の内に閉まっていたものが口から漏れてくる。

 そうすれば次第に震えてくる体。押さえ込もうと思っても治まってくれない。


 ガチガチと歯が鳴る。肩も竦んで血の気が引いていく。

 わたしは一生こんなことを繰り返すんだろうか。終わりのない鬼との生活を強いられ続けるしかないというのか。


「鈴音」

 

 ビクリと肩が跳ねる。暗い気持ちに潰されて鬼さんの存在を忘れいてた。

 鬼さんはきっと怒ったんだろう。わたしから顔を離し、俯くわたしの頭を見下ろしている気配がする。


「どうしても、何としてでも行きたいのカ? 常闇に居続けるのは辛いカ?」


 静かで低い声が上から掛けられる。わたしは動けず答える事も出来ず、縮こまることしか出来ないでいた。


 しばらく沈黙が続いた。鬼さんもわたしも何も話さない。

 たまに鬼さんがわたしの髪を梳いたり撫でたりするだけで、何も言葉を発さなかった。


「いやマッタク。諦めの悪い雀カナ」


 どれくらい経ったか、呆れた溜め息混じりの声が頭の上から降ってきた。

 怒ってはいないものの、心底呆れかえった様な声音で、鬼さんは大きくまた溜息を吐いた。


 ぐっと口を結んで俯いた。

 これでわたしが今日までしてきた小さな努力の積み重ねは、全てご破算になるだろう。後はいったい鬼さんからどんな仕打ちが待っているのか、怯えることしかわたしには出来ない。


「……山奥の人里の近くに沼の主がいてナ」


 黙っているわたしに構わず、いきなり鬼さんは話しだした。

 あまりにも唐突に話しだしたものだから、わたしは鬼さんが一瞬何を言っているのか分からなくて、何度か目をぱちぱちと瞬きをした。

 しかしその間にも鬼さんは話し続けた。


「現世では珍しく落ち着いている場所でナ。そいつに今回のことをちょいと聞き込もうと思っていたンだ。……で、その人里は小さいながらも祭りをやるらしい」


「お祭り……」


 無意識に呟くとグッと強く腰を掴む手がさらに力が込められた。反射的に怒鳴られると体をまた硬くさせると、痛いくらい抱きかかえられた。


「俺の傍を離れず想い人として振る舞えるのなら、と・く・べ・つ・に! 連れて行ってやっても良いカナ」


 やや怒りながらぶっきら棒に言われ、思わず鬼さんへと顔を見上げれば、鬼さんは眉間に何本も皺を寄せてわたしを睨んでいた。

 怒ってはいるけれど……今確かに連れて行ってくれるって……言ったよね。


「その、良いんですか? あっちに……連れて行ってくれるって事ですか?」


「お前が生まれ育った場所ではなナイが、それでも良いならナ」


 鼻を鳴らして不機嫌にそっぽを向いてお酒を煽る。

 わたしの地元ではないけれど、あっちに、人が居る場所に行けるんだ。しかもお祭りもやっているなんて。


「お、おにさ、ん……」


「ン?」


 まだ不機嫌さを露わにした声で、鬼さんはわたしに顔を向けた。


「あ……ありがとう、ございます……」


 また懲りずに泣いてしまった。それでもわたしは目いっぱい笑って必死に御礼を言った。

 鬼さんはそんなわたしを見てまた呆れるのかと思ったけれど、まるで驚いたかのように妖しい紅を見開いて、顔も体も固まらせていた。


 それからふいと先程と同じようにそっぽを向いて「あぁ」と素っ気ない返事を返したのだ。



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