二十ノ怪
紅い敷物の上は思ったより柔らかくて座り心地は良かった。
わたしと鬼さんが座ってややもすれば、川から岩陰から一つ、また一つと人影が出てきた。
「見ろよ、鬼様と人間だ」
囁き声と共に黄色い丸い目があちこちから覗き込んできて、わらわらと河童の子達が集まってきた。
いつも思うんだけれど、河童の子ばかりでその親は見たことがない。大人の河童はお頭と呼ばれる老いた河童くらいで、、他の河童は見たことがなかった。
「おい、お前達。鬼様の御前に出ろ。話をお聞きになりたいそうだ」
老いた河童の声に、河童の子達の群れから二つの影が遠慮がちに近寄ってきた。
一つはついこの間会ったばかりの河童の子。もう一人は色黒で背が高く、耳がピンと長く尖った見たことがない男の人だった。
この人が、川男っていう妖怪?
一見尖った耳以外は、背が高くて日焼けした普通の男の人にしか見えない。
腕に細い金色の腕輪をして、片耳にも同じようなイヤリングをしているのを見ると、人間との関わりが近いと伺える。
緊張しているのか、ややつり上がりがちな目を落ち着きなく動かして、肌蹴させた片腕で着ている水色の浴衣の腰部分を、ギュッとキツく握り締めていた。
「お久しぶりにございます、貪欲の鬼様」
「お久しぶりです鬼様」
背の高い男性が膝を折って頭を揃えた手の上に下げる。それに倣うように河童の子も頭を下げた。
「マァ良い頭を上げナ。今日はお前らに聞きたいことがあって来たカナ」
大勢の河童の子と、老いた河童の視線が集まる中、鬼さんは用意されたお酒を掴みながら話した。
二人が顔を鬼さんに言われるまま顔を上げる。
その時、川男の人がわたしを見るなり目を見開いて固まった。そして一瞬間があってから我に返ったようにハッとして、鬼さんへと顔を向けた。
「話とは、どのような?」
鬼さんへ遠慮がちに訊く彼にわたしは眉を寄せる。今の間は一体何なの?
彼とは初対面だけど、もしかして誰かに何かしら聞かされているのかな。
彼の心の声を拾ったのもわたしだし、助けてとお願いしたのもわたしだから、わたしの事を誰かに教わっていても不思議ではないものね。
……だとしても、そんなに驚くことかな。
わたしって妖怪から見たらとても変な人間に見えるのかしら。それはそれでショックだわ。
「川太だったカ? お前が現世で襲われた時の事を、なるべく詳しく話せ」
「は、はい。その、あの日も変わらず連れと話し込んでいたんです。川岸で他愛もない話をしていました。水面も穏やかで、川の流れも緩やかでして、特に変わったことはありませんでした」
「お前らがいた川は山奥にあるそうだったナ。川の主も気性が穏やかなヤツじゃなかったカ?」
「はいそうです。それに人間なんて滅多に来ない澄んだ川でした。流れも早く無く静かで。……それが突然、変な空気と言いますか、妙な感じがしたんです」
「妙?」
「えぇ……気味の悪いと言いますか、妖気とは違う、もっと辛気臭い感じの。そしたら川の様子がこう、変になって、気づいたら水面に大きな穴が空いたんです。それを見た瞬間、川助の奴がちょうど穴に落ちていくところで」
「落ちる?」
「いや、あれは落ちるっていうより吸い込まれるというか……」
呟いてからハッとして「失礼な物言いを」と頭を鬼さんへ下げる。
「辛気臭いとは?」
「あれは妖気じゃないです。それは確かです。……ただあれが何かと言われても、俺には分かりません。その後逃げるのに必死だったのもあったので」
「なぁ川太、あいつを見た時、助けられなかったのか?」
川男の、もとい川太さんの横に座っていた河童の子が泣き声混じりに尋ねた。
「正気に戻った時には丸呑みになった後だ。俺もどうする事も出来なかったさ……俺だって助けたかったんだ」
「そうだよな……ごめん」
ふたりの話が終わった直後、ざわざわと周りの河童たちが囁き合った。
みんな怖いだの不安だの、お互いに自分が抱く恐怖を吐き出している。
「逃げたと言ったガ、追ってきたのカ?」
「目なんてアレには無かったんですが、こちらを向いた気配があったので、俺はすぐに別の川へ向かって走って逃げて、それから我武者羅になって常闇に逃げ込みました。ただ常闇には来た事がなかったもので、散々迷いましたが」
川太さんは現世生まれの現世育ちということなのね。
紫さんは現世から来た妖怪は古株が多いというけれど、この川太さんはどうなんだろう。
見た目は若そうに見えるけれど、結構年はいっているのかもしれない。
「辛気臭い、カ」
匂わせるような物言いをする鬼さんを見やる。
鬼さんが言う辛気臭いというのは、人間の死を意味することが多い。特に自分から死を選ぶような、そんな暗い話の時に。
鬼さんは顎に手を当てて少し考え込むと、傍らに控えていた老いた河童を手招きして呼び寄せ、何かを耳打ちした。それから少し離れて座っていたわたしに振り向いた。
「鈴音、俺は少し河童の頭領と話がある。遠くに行かず、そこらで遊んでナ」
「あ、はい」
なにか大事な話でもするのかな。
お頭さんも周りの河童の子達にあっちに行ってろと言いつけている。
言われた通りに鬼さんから少し離れて近くの岩に腰掛ける。
河童の子供達はわたしが気になるようで、しきりにわたしの方へ好奇心旺盛な眼差しを隠しもせずに向けてくる。
今回はわたしに触れてこようとはしないみたいね。
前は籠に入ったままのわたしにも関わらず、河童の子達がゾンビのホラー映画さながら触ろうと手を伸ばしてきたんだった。
でも今日はあのお頭さんにきつく言われているのか、遠巻きに見てくるだけだ。
大勢の目に晒されるのは嫌だけど、触られるよりはずっと良い。見られているといっても、遊郭の場と違って軽蔑や見下したものではないし、純粋に珍獣に興奮する小さな子供そのものならまだ耐えられるわ。
それにしてもここの水、とっても綺麗ね。
夢で見たあの海みたいに澄んで、泳いだら気持ち良さそうだ。
くるりと振り返る。そこにも蛍の光を映し込んだ鏡のような水辺があった。
覗き込めば自分の顔が見えた。
こんなに暗いのに自分の瞳の灰梅はよく見える。
自分が不老不寿になった証拠も確証もない。鬼さん達に言われただけで、自分の体や精神に何らかの異変が起こった感じはやっぱり無い。
わたしはどうなってしまったんだろう……この先どうなってしまうんだろう。
お母さん達、今どうしているのかな……会いたいな。
指先で水に映った自分の顔を触る。指先に冷たい水が触れてヒヤリとする。
気持ちが良い。水の冷たさが心地良い。惹かれるように顔を水面に近づけると、水の香りと冷気が顔を撫でた。
「ここの川は綺麗なんだよな!」
唐突に子供の声が上がった。顔を上げて振り返ると、河童の子が数人、わたしの方を向いているのかいないかの微妙な角度で向き合っていた。
「おい話しかけんなって」
「人間じゃなくって、お前に言ったの!」
「お、おう、そ、そうか。おうそうそう、そうなんだよな! 綺麗だよな! 俺ら河童は綺麗な水じゃなきゃ住めないもんな!」
今のは遠まわしにわたしへ言ったのかな。
そっか。河童たちは綺麗な水じゃないと生きていけないのね。
「泳ぎなら俺らずっと人間より上手いもんな!」
「そうそう。その中で俺が一番上手いしな」
「はあ? んなわけないだろー」
「なんだと! 少なくともお前よりは速いぞ!」
「馬鹿じゃねーの! ありえねー!」
あっという間に似たような会話があちこちで繰り広げられ、掴み合いや相撲をとったり、競泳まで始め出す河童の子達。
まるで幼稚園児に囲まれた気分だわ。
苦笑いしながらまた水面を見た。
底が見えるくらい澄んでいる。自然と顔をグッと近づけたら水の香りがした。肺の奥まで吸い込んでみると、しっとりと体に染み渡っていく。
水の音や冷気が心地良い。わたしはまるでなにかに引き寄せられるかのようにゆっくりと、顔面を水の中へ沈ませた。
夢とは違い、息が出来る感覚はやはり無い。それでも水の冷たさや肌に吸い付く水気は心地よかった。
これは人魚を食べたかしら。それとも人魚の魂がまだわたしの中に残っているからそう感じるのか。
そっと目を見開くと、底にぼんやりとした光を発する苔が緑の絨毯のように生え広がって、小さな水泡を纏っていた。
綺麗な眺め。静かで落ち着く。
わたしはぼんやりと心の中で呟いて、緩やかに心を和ませる。
――――さま……
くぐもった声が聞こえて目を瞬かせる。今誰か、呼んだ?
顔を水の中から引き上げて周りを伺うが、誰もわたしを呼んでいないようだ。
空耳……かな。
また水の中に顔を入れて水中を見渡す。
ずっと遠くを見れば、そこでも河童の子達がじゃれ合い泳ぎ、縦横無尽に水の中を飛び回っていた。
今のは河童の子の誰かが言ったのかな。鬼さんもお頭さんもいるものね。
水の中だとどうしても音が不明瞭になるから、変なふうに聞こえても納得がいく。
きっと誰かが二人のどちらかを呼んだに違いない。
『様』という敬称を使う相手はその二人しかいないのだから。
じくり、と胸に痛いものが走った。
あまりにも突然のことに不思議に思ったが、すぐに思い至る。
あぁそうだ。これは悲しい、虚しい。そういった類の感情。
それらが今胸を占めて訴えるのだ。
辛くて苦しい、と。
別に誰かに敬って欲しいとは思ってはいない。優遇して欲しいわけでもなければ、特別扱いされたいわけでもない。
わたしが望んでいるのは軽蔑でもなく好奇でもなく、憎悪でも執着でもない、温かい眼差し。
友達や家族や仲間といった、かつての温かさ。
河童の子達が二人を見る目は畏怖があるものの、そこには尊敬や信頼があった。
女郎蜘蛛や濡女のお姉さんも同じで、紫さんだって例外じゃない。
鬼さんのお屋敷で働く子鬼も仲間同士では楽しそうにしているのを耳にしているし、付喪神の品々も仲間内で談笑している。
……でもわたしはその温かさの中にいない。
常闇ではわたしは独りきり。
紅い鬼がいても、紫の煙が相手をしてくれても、やはり違うのだ。
わたしが欲しいのはそれではないのだ。
両目から流れ出た熱いものが冷たい水に溶けていく。
顔を水につけておいて良かった。これなら目がそんなに腫れなくて済むかも知れないもの。
「お頭まだ鬼様と話してんのかな」
「何話してんだろうなー。俺たちに教えてくれないもんな」
「オラ達じゃ鬼様に声掛けることも出来ないもんね」
「僕この前お頭に教えてって言ったら叱られたよ」
水中で子河童達のぼやけた会話が微かに聞こえてくる。
言われてみれば、河童の子が老いた河童のことをお頭と呼んでいるから『様』はつけない。
鬼さんに至ってはそもそも声を掛けることなんてしないから、呼ぶだなんて有り得ないみたいね。
だとしたら、あの声は何だったんだろう。
会話の途中という感じではなく、あくまで呼びかけているように聞こえたんだけれど……。気のせいだったかな。
思い返してみれば子供の声ではなく、大人の、男性のような声に聞こえた。
水の中だったし、とても小さく微かだったから確かではないけど。
不思議に思って唸れば、突然首根っこを掴まれて水から引き上げられた。
驚く間もなく地面の上に投げ出され、目を白黒させてわたわたと体を起こす。
「お前は一体ナニをしているんダ!」
鬼さんに言われ、今の自分の姿を見返す。
思っていたより深く顔どころか頭まで沈み込ませていたみたいで、髪はずぶ濡れで顔から首元までびしょ濡れ。
着物も襟元は無残に水が染み込んで色が暗くなっていた。
「す、すいません……水が綺麗だったもので、つい……」
言い訳をしたものの、思い返してみればわたしがした事は傍から見たら奇行でしかない。
冷静になってみればいくら水が綺麗だからって、なんだって顔を水に埋め込んだりしたんだろう。本当に分からない。
やっぱりあの人魚の影響なのかな。
「まぁ良い。もう帰るゾ」
「お酒はもう良いんですか?」
いつもなら長時間居座って飲んだくれるのに。珍しい。
「幾つか寄越してくれるようだからナ。俺の屋敷で飲むことにするカナ」
「そうですか」
ここで飲まないにしても、しっかりお酒は頂いていくのね。
鬼さんらしいというか。抜け目ないというか。
わたしと鬼さんは河童たちに見送られながらその場を後にすることにした。
鬼さんは手に入ったお酒に上機嫌で牛車の中でも饒舌にお酒のことを話していて、わたしは疲れからか、ウトウトとしそうになるのを必死に我慢して、鬼さんの話に相槌をうったのだった。




