十九ノ怪
「ここでも紐で繋ぐんですか」
屋形船の中で俯いて、首元から伸びる紅い紐を見た。
鬼さんは心の底ではわたしの事をまだ疑っている。もう逃げようがないというのに。
まるで他の妖怪に見せつけるかのように、存在感のある真紅の紐で繋がれると、どうしたって気持ちがさがってしまう。
「屋敷から出るなら必要不可欠カナ。嫌なら屋敷で大人しく籠の中で縫い物でもしているんダナ」
膝の上に座らせられ着物越しに腕や足を撫で上げられても、大人しくして我慢する。
直に肌に触ってこようとはしないけど、その体の弾力を確かめるような手触りに居心地が悪くなる。
「河童の里はどんなところですか?」
「川や沼地があってナ。普段は水中で暮らしているんだが、俺みたいな部外者用に陸の上でも屋敷を作って持て成してくれる」
鬼さんはともかく、わたしは歓迎されないだろうな。
川を汚したり地下に埋め込んだ人間が来るのだから、憎まれても仕方がないと言える。
前触れもなく首筋に鬼さんの吐息が掛かる。
びくりと体が跳ねて体が強ばった。
「お、鬼さん……」
「鈴音は最近俺に甘え寄ってくれるナァ。今なら手を繋ぐよりも、もっと深くお前を感じたいカナ」
「鬼さんはわたしの……ご主人様というか、今でも一応飼い主なんですよね」
「今は、ナ」
過ぎた媚びが裏目に出たかも。予想はしていたけれど、こんなに早く流れに持っていくとは思わなかった。
恋愛経験に詳しい美紀や春香ならなんて文句を言ったかしら。
とにかく、鬼さんの気を逸らさないと。
「それはその、光栄ですが、愛玩動物にそんなこと言うなんて、変じゃないですか?」
「んん? 俺はお前を愛玩雀だなんて思っていないゾ?」
「だったらどうして首輪なんですか? 首輪じゃなくても術を掛けるとか、紫さんを見張りにつければ良い話じゃないですか」
「お前が俺の物だと見せつける事も必要だろう? それに紐で繋いでいる方が他の奴らにもウケが良いしナ」
あぁなんだ。結局、そういうことになるのね。
口では否定してもやっていることは見栄を張るためのペットを、珍獣を見せびらかすのと同じなのか。
いや、それ以下なのかもしれない。
気が向いた時に可愛がり、自分の思った通りの懐き方でなければ許さない。媚び方も露骨なものは癪に障るということで却下される。
あくまで鬼さんの理想とする従順な雀でなければ許さないんだ。
「近頃は抵抗もせず口付けもしてくれるじゃないカ。俺に気を許し始めてくているのと違うカ?」
なるほど。鬼さんはそう思っているんだ。
良い事なのか悪い事なのか、自分の努力はそれなりに鬼さんに対して効果は出ているみたいね。
機嫌が良くなってくれるのは良いのだとして、それ以上の展開が進むのは頂けない。
嫌われて乱暴な扱いを受けるよりもある程度の好意を向けられた方が良いが、過剰な好意は危険でしかない。
「鬼さんが他の妖怪と比べて人としての扱いは良い物だとは分かっています。紫さんから常闇に来た人間がどうなったのか、ある程度話に聞いていましたから」
紫さんが教えてくれた常闇での人間の末路の話は残酷極まりなかった。
若い女性なら散々複数の妖怪から良いように嬲られ、売り飛ばされ、果ては食われて死んでしまとか。
若い男の人なら奴隷のような扱いをされ、精も根も尽きたらやはり最後には食われてしまう。
そして子供に至っては内蔵や肝が妙薬になるとかで……ここらから先はわたしが話を止めてしまったので最後まで聞いてはいないが、想像はつく。
とにかく禄でもないことは確かだ。
そして死んだ彼らの中に、深い怨念や強い思いを残したものがあの動く白い骨となってこの常闇を彷徨っているのそうだ。
月のない荒野で、虚ろな穴の空いた両目でわたしを追いかけてきた時は、本当に生きた心地はしなかった。
わたしがもし鬼さんに気に入られなければ、想像もつかない残酷な方法で早々に嬲られて殺されたのだろう。
今の居遇は運が良いどころではなく、運を使い果たしつつあるんじゃないかとさえ思えてくる。
だとしても有難いとは到底思えないけれど。
「俺はお前を大事にすると言ったロウ?」
「籠に入れられて機嫌を伺って首輪を付けられるのが鬼さんの大事なんですか?」
紫さんが特例として鬼さんに大事にされていると口酸っぱく言われているのは分かる。
でも、本来の生活に比べれば雲泥の差があるというものだわ。
望んだわけでもないのに、常闇の誰もが口を揃えて言う、『恵まれた立場』とやらにいても、いつも感じる閉塞感や無償に泣きたくなったりする虚しさ、自責の念に駆られるのは必然で、どんなに着飾ろうが、美味しいご飯を食べれても自由が無い。
籠の中に入れられて首輪をつけられて、鬼の機嫌を窺って自分で生きる力を身につける事も出来ない。
飼い殺し状態の日々が延々と続くのだ。
もちろん、元の世界でも辛いことや嫌なことはもちろんある。
それでも家族と和気あいあいに生活したり、友達とショッピングして遊びに行って恋バナして、いろいろな相談して。おしゃれだって雑誌やお姉ちゃんに相談したりして……。
奨学金で将来的に返さないといけないお金もあるけれど、バイトして気に入ったキャミやワンピ-スを買って大学生活を満喫したかった。
もちろん恋人だって……
なのに常闇では友達も家族もいないし、友達も出来ない。
いるのは紅い鬼と世話係 (最近では躾係)の紫さんだけ。
外に出れば好奇と侮蔑、嫌悪の目で見られて命の危険まであるときた。
これのどこか恵まれて幸せな生活なんだろう? 普通の生活よりよっぽど悪い環境じゃない!
拉致して監禁して洗脳しようとしているようにしか思えないわ!
いくら鬼さんの交渉としたうえでの生活だとしても、これのどこか恵まれて幸せな生活なんだろう。
鬼さんに好かれることのどこが幸福なんだろう。
これならアイスの当たりクジが当たったほうが何千倍も嬉しいわ!
「お前は活気が有り余って仕方ないカナ。落ち込んでそのまま闇に落ちればい良いのに、ちっとも堕ちそうに無いナァ」
「……闇に堕ちるのは勘弁して欲しいです。わたしは人でいたいんです。妖怪なんかになりたくないです」
頭に上っていた血が下がれば、はぁと深い溜息が出る。
わたしはこのまま恋愛も出来ず、日の目も見ることもなく、鬼さんに飼われて終わるんだろう。
その間に鬼さんの愛玩の一つに加えられる可能性があるのが、なんとも悲しくなってくる。
「どうしたら籠から出してくれますか?」
駄目もとで訊けばきょろりと紅がわたしへ向けられる。
「そうだナァ~……俺に体も心を差し出せば考えるカナ」
またその答えか。胃にギリリと痛みが走る。
媚を売ってはいるものの、心を売った覚えはない。体だって好き勝手される覚えはない。
「わたしは鬼さんにこれ以上ない程、尽くしている気がするんですけれど……まだ何かご不満なんですか」
直に触られていないとは言え、まさぐられたり一緒の布団で寝るのはわたしなりのギリギリの譲歩だ。
あの時襲われたのに比べれば可愛いものかもしれないが、嫌なものには変わりはない。
「お前は俺のものだ。この先あの籠から出すつもりもない。例えお前が俺の嫁のになったとしても籠に押し込み、今のままで暮らさせるつもりダ」
……なんなのそれ。頭がクラクラする。嫁にするだなんてどの口が言うのだろう。
だいたい鬼さんのこの執着ぶりは一体何なのだろうか。どうしてそこまでわたしを繋いでおきたいのかしら。
「鈴音。お前は俺の傍にいるんダ。お前の全て俺のものだ」
両腕を伸ばしきつく抱きしめられて、更にわたしの体が強ばれば、知らないうちに首筋に唇が這わされる。
こんなの嫌だ。こんなの望んでいない。気持ち悪い。
「……や、やめて下さい」
搾り出す声でようやく告げれば、鬼さんの顔が歪められた気がした。
「俺を拒むのカ?」
低い通る声が不機嫌に耳元で囁かれる。
怒気をを含んでいるような様子に息を飲んで喉がしまった。
「そ、その、た、体調が悪いんで。ここのところ、変な夢を見たり、出掛けたりするので疲れていて、本調子じゃなくて」
苦し紛れの言い訳をすれば、ふんと鼻を鳴らされる。
「なら尚のこと屋敷で大人しくしていれば良いじゃないカ。なにもかも俺に任せて、籠で大人しく羽を休めていれば良いカナ」
「それはそれで息が詰まるんです。運動不足にもなりますし、体がガチガチになるんです」
いくらストレッチや筋トレをしていても限度がある。
籠の中は狭いし、紫さんに見られた日は、『御姫さんともあろう者がなんとはしたない』と御叱りを受ける始末だ。
「お前を喰えるのはいつだろうナァ。お前の怖がりが早く治まると良いんダガ……」
「ずっと先になることを祈ります」
できたら知人・友人の域で止まれば一番いい。
つかず離れずの関係でいれば、狡いかも知れないけれど、常闇の妖怪だって襲って来ることは少ないだろうし。
「ただまぁこうしてお前の体の柔からさを堪能するくらいは、イイだろう?」
ぎゅっと背後から抱きすくめられ、眉を寄せる。
抱きしめていた腕はわたしの肩や二の腕に這わされ、首筋には変わらず鬼の吐息がかかっていて気色悪い。
「手を繋ぐだけで精一杯です。それにデートだってしたことないし、順序が色々飛ばしすぎて、急ぎすぎてます」
「ふ~む。そういうモノか」
鬼さんがどう納得したのか分からなかったけれど、鬼さんはわたしを抱締めるのを止めないとしても、首から顔を離してくれた。
そのことにホッとして肩の力を抜けば、またきつく抱きしめた。まるで離さないと言わんばかりの締め付け具合に、また胃が痛んだ。
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船の襖からそっと外を見ると、いくつかの蛍の光がふわふわと飛んでいた。
水面にはいくつもの蓮の花や葉っぱが浮いていて幻想的に見える。
そのもっと奥へ行くときには、河童たちの話し声があちらこちらから聞こえてきた。
やんやと騒ぐ声や、水しぶきの音、誰かが飛び込んだのか派手な水が鳴る音がした。
わたしは持ち前の笠と匂い袋を用意して装備する。
前みたいに好奇の目で晒されるだけではなく、ゾンビ並みに触ろうとしてくる無数の手が伸ばされるのを思い出すと、ブルリと身震いする。
「川男さんと例の河童の子はどこですかね」
「屋敷にいるらしいナ。お前も共に来い。話が聞きたいんだろう」
船から岸について降りると、岩と苔で出来た洞窟のうような作りをした建物があった。とても誰かが住んでいるように見えない。
「オイ来たカナ。河童の頭はいるかあ~?」
鬼さんが叫べばわんわんと洞窟の中で声が反響する。
大きな背中から洞窟の中を伺うと、奥の方からきょろりとした黄色い目が見えて、次第にこちらへ近寄ってきた。
「これは貪欲の鬼様。お待ちしておりました。ささ、どうぞこちらへ」
暗がりで姿は見えないが、鬼さんを促すようなう動きが伺えた。鬼さんは慣れた感じで洞窟の中へ歩み、わたしも鬼さんの紐に繋がれる形で先へと歩みを進めた。
中は鍾乳洞のようになっていて、ピチャンピチャンと雫が垂れる音が洞窟内に響く。
灰梅の瞳のおかげか明かりがなくても微かに洞窟の中が見えてなんとか歩ける。
これが普通の人なら真っ暗に見えるのかしら。
わたしはやっぱり人間ではなくなってしまったのかしら。
こういった場面に出くわす度に落ち込んだ。
なるべく前向きに、明るくと心掛けてはいるが、どういても疲れたりすると暗い考えが頭と心を占める。
そんなことを考えてひたすら歩くと、ひらけた場所に出た。
そこは大きな湖になっていて、無数の蛍の光や光る苔が水底やそこらの岩にびっしり生えていて、妖しい光を放っていた。
「ようこそおいでくださいました鬼様。ささ、こちらの席へお座り下さい」
声が聞こえた方を向けば、そこには一人の河童がいた。
明るい場所のおかげで、老いた河童の姿がよく見え、筆のような髭を鼻の下に二つと顎に生やし、茶色いシミを体や顔にいくつも浮かばせていた。
「新しい酒が入りましてね。既にご用意しております」
「おおそうカ。そりゃ楽しみだ。……あと川男はいるカ? ソイツと話をしたいんダガ」
「えぇ只今こちらに呼んで参ります。暫しお待ちを」
紅い鬼と老いた河童はわたしをそっちの気で話し、わたしは鬼さんに繋がれたままその様子を見ていた。
そしてこの不思議な空間を見渡し、なぜだか夢で見たような、どこか懐かしいなと感じるのだった。




