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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
16/63

十五ノ怪

 翌日大広間で鬼の横で座り、目の前に並ぶ朝食を見る。

 いつもと同じ至って普通の食事なのだが、あんな夢の後では食欲が出ない。


 嫌な夢だった。気味が悪というか、本当に悪い夢だった。本当にあの夢は何だったんだろう。

 人魚の肉を食べたとか言っていたけれど、わたし食べたのかな。


 あの人面魚に似た人魚にしろ、憧れていた人魚にしろ、ああいう生き物の肉を食べただなんて嫌すぎる。

 想像しただけで吐き気がしてくる。


 さっきからこんな調子で箸を持ち上げては下げてを繰り返して、一向に食事に箸を付けられない状態が続く。

 さすがの鬼さんもわたしの挙動不審を訝しんで、呑みかけの徳利を膝に置いた。


「ナニやってんダ? さっさと食え」


「あ……は、はい」


 とは言ったものの、どうしても人魚の話が頭から離れない。

 目の前の懸盤かけばんの上に置かれている白いご飯やお味噌汁。煮物や豆腐、漬物。


 これらも見た目は普通でも、本当は妖怪の肉から出来ているんじゃないかと思うと、どうしても箸が進まない。


「……痛い」


 キリキリと痛みだした胃に、お腹の上から手を当てて呟く。

 昨日あちこち出掛けた疲れと紫さんのお説教が常に耳に聞こえ、そのせいで苛々していたというのも原因の一つではあるが、なによりとどめとばかりに夢に出てきた人魚が言っていたあの妙なことが一番キツかった。


 暗い水底で銀色に輝く鱗を輝かせて、能面の様な無表情な顔をわたしへ向けた人魚の女性。


 あの人魚の肉を食べて、わたしが不老不寿とやらになったとその本人から言われたのだけれど……本当なのかしら。


 こうして実際目が覚めると、あれが疲労から来るいつもの悪い夢と片付けられなくもない。

 似たような内容だったり、前に見た事のある夢の続きなんていう事は別にこれが初めてでは無いし、水に関係する妖怪にばかり会っていたから、こんな夢を見続けているのかもしれないしね。


 なんでも良いけれど、夢くらい休ませて欲しい……。

 いや、何でも良くは無いんだけれど、せめて眠っている間くらいゆっくりさせて欲しいわ。疲れが取れない。


 思わず鬼さんが居るのも忘れて、両肩を落としてはぁ~と深く溜息を吐いた。


「ン? 具合が悪いのかカ?」


 さらりと前髪を掻き上げられ、鬼さんが覗きこんできた。

 突然触られて驚き怖じ気つつも、不興を買わないよう曖昧に頷いて箸を置いた。


「ちょっと調子が悪くて……食欲ないんです。悪いんですけど今日はもうご飯は食べれません」


 鬼さんの機嫌を気にしながらなんとか言った。

 だって鬼さんに『これ本当に普通のご飯ですか?』なんて聞けないし、聞いたところで嘘か本当かはともかく、結局疑って食べれないと思う。


 完全に食べる気をなくしたわたしに、鬼さんはやや眉を吊り上げて、厳しい眼差しを寄越した。

 

「お前が人間の食い物しか食えンと言うから、わざわざ現世から仕入れた物なんダ。一口でも良いから食いナ」


 うぅ……そう言われて睨まれると、もう食べるしかない。

 常闇の食べ物が嫌だと言って普通のご飯用意してくれている鬼さんの手前もあり、そこを突かれるとこれ以上は断りにくい。いや、断れない。


「……いただきます」


 本格的に怒られる前に、気が進まないけど食べるしかない。せめてご飯とお味噌汁だけでも食べよう。おかずは食べられたらで良いや。

 

 もそもそと食べ始めれば、鬼さんがその様子を横目で見て、お酒を飲み始める。


 毎日というか、常に暇さえあれば飲み続けている鬼さんの胃袋と肝臓はどうなっているんだろう。

 わたしのお父さんは一度お酒の飲み過ぎで、会社の健康診断に引っ掛かった事があった。その時はお母さんに物凄く怒られていたっけ。

 妖怪にも健康診断と言うものがるのなら、鬼さんにも是非受けてもらいたいわ。


 ようやくご飯を呑みこみ、それから煮物に目をやる。

 どうやらカジキだと思われる魚の煮物みたいで、お皿の上に汁が染み込んだ四角い切り身が品良く置かれている。

 

 魚、か……。


 胸の中で呟いてまたあの人魚を思い出す。

 あの人魚が言っているのが本当だとしたら、わたしが人魚の肉を食べたのっていつなんだろう。

 やっぱりこういった魚料理に混ざって出されていたのかしら。


 でも今さっき言っていた通り、鬼さんはわたしに普通の人間が食べる食事だと言って出してくれているのよね。


 不思議な事に鬼さんは食事に関してはわたしを騙そうとせず、今のところ嘘は吐いていないようにみえる。

 もしわたしを騙して常闇の物を食べさせているのなら、いちいち事ある毎に常闇の食事を勧めたりはしないだろうから。 


 ただし『そうは言っていない』とか意地悪な言い回しや屁理屈ならしょっちゅうあるから、油断ならないけど、食事に対してはその表現も使っている様子はない。

 だとしたら、わたしが人魚の肉を食べたのはその前っていう事になる。


 自分が妖怪に近くなった者と知らされてから、わたしは常闇の食事は一切口にしていない。なら、やっぱり鬼さんが普通の食事を出してくれるようになったその前だ。



 ……もしかして、あの、生肉?


 少し前の頃。鬼さんのところに戻ってきて少し経った頃。

 手足と首を紐で繋がれて籠の中で生活していたある日、鬼さんが四角い生肉を持って現れた。


 戸惑うわたしに『コレを食べれば紐を解いてやる』と言って差し出してきたのだ。


 その肉は不思議と甘い香りがして、とても見るからに美味しそうだった。

 一瞬惹かれたが、得体の知れない生肉と、鬼さんがわざわざ持ってきたというのがとても胡散臭かった。


 生肉というのもあり拒否したわたしだったが、脅されるように押し付けられて、結局わたしは折れてそれを食べてしまったのだ。


 どうしてあんなふうに脅してまで食べさせたかったのかずっと疑問だったのだが、夢の人魚の話を聞いたら今なら納得がいく。

 それはあまりにもえげつない物なのだが。


 急な現実味を帯び始めたその残酷さに、口と喉が渇いた。それから唇も。


 強張る両手でお椀を持ち、味噌汁をすすった。

 温かい香りの良い液体が喉を通るけれど、背筋は寒い。わたしは口からお椀を離すと、ぎこちなく横の鬼を見上げた。


 見たのはただの悪夢かも知れない。もしかしたら鬼さんは人魚の存在を知らない可能性だってある。

 もし鬼さんが人魚を知らないというのなら、あれはただの夢だったという事になる。

 それでも不安が残るのなら、あの肉は具体的に何の肉なのか、また聞けばいいだけの話だ。


 そう、まだ決まったわけではないのだ。

 鬼さんの返す答え次第で、夢か本当か決まるのだ。


「鬼さん」


 声をかければ、目でナンダと返す目を見て、わたしはお椀を台の上にそっと置いた。


「人魚って……知ってます?」


 怖々と言った途端、鬼さんの動きがぴたりと止まった。

 それからゆっくりわたしの方を見て、真っすぐ紅を向けてきた。


「……どこでソレを聞いタ?」


「え?」


「誰に聞いタ?」


 急激に周りの空気が氷点下まで下がるような雰囲気に息が詰まった。震えそうになる背筋や喉をなんとか押さえつけて、至って普通に振舞おうと、わたしは不思議そうな顔を浮かべて首を傾げた。


「誰に聞くも何も、誰でも知っていますよ? 西洋のお話に出てくる上半分が女性の人間で、下半身は魚の、海の妖精です」


「西洋の?」


「そうです。胸に貝殻をつけた美人の女の人で、下半身が魚なんです」


 声が震えないようにお腹に力を込めて、なんとか言い切る。

 鬼さんは何かを探るように妖しい紅を細めてわたしを見ていたけれど、ふいと目を逸らして。興味が無いと言いたげに鼻を鳴らした。


「あぁ……そうカ」


 どこかホッとしたように見える鬼さんの挙動。わたしが疑った目で見ているせいか、どうしてもそう見えてしまう。


 怒った気配は消えた。この調子でもう一度鬼さんに話しかけてみようかしら。


「もしかして妖怪にもそういう、半分魚で半分人間っているんですか?」


「さあナ」


 軽く問えばぶっきらぼうに返される。あまりこの話題に触れたくないのかしら。心なしか不機嫌そうにも見える。


 これ以上質問しないほうが良いのかな。

 いやでも、訊くのがダメならもう少しだけ粘って、せめて人魚の女性が話してくれた話をしてみようかな。


「あの……わたしこんな昔話聞いたんですよ。日本の人魚の話。鬼さんが知っているのか分かりませんけれど」


 上目遣いに鬼さんを見れば、わたしが話しても無視をしているのか、黙ってお酒を飲み続けている鬼さん。

 それだったら構わず話を続けてしまおう。わたしはあくまで何でも無い風を装って口を開いた。


「昔一人の女の人が居て、ある日ひょんなことから人魚の肉を食べてしまったそうなんです。そしたら何年経っても若いままで、しかも何百と年月が経っても寿命が来なかったそうです。でも最期はどうしてか分からないんですけれど、塵になって天国に行ったそうです」


 ちらりと盗み見る。話し終えても鬼さんは黙っていた。心なしか眉間に皺が寄っている。明らかにわたしの話に反応している。

 わたしの心臓がバクバク鳴り始めた。手も少しだけ震え始めてくる。


「……お話の最後、女の人はどうして塵になったんでしょうね。せっかく不老長寿になったのに、彼女に何かあったんで」


「知らン!」


 バンと勢いよく徳利が台の上に叩きつけられた。

 鬼さんの懸盤かけばんの上に乗っていた食器が全て倒れ、何本かの徳利や酒瓶が転がり落ちた。


 わたしも突然の怒声に驚いて飛び上がり、うっかり箸を落としそうになった。


「な、なんで怒るんですか……」


 白々しいと自分で思いながら、鬼さんに怯えつつ口にすれば、ぎろりと睨まれる。


「そんな下らない話なんぞにカマ掛ける暇があるなら、さっさと食い終わって按摩でもしろっ」


 早口に言って握ったままの徳利を、豪快に煽った。


 ……この反応はもう完全に当たりだ。鬼さんはわたしに人魚の肉を、食べさせたんだ。


 人魚の女性が話していた事が本当だとすると、わたしは正真正銘の不老不寿になったというの? 

 だとしても信じられないし、実感だって湧かない。鬼さんがそんなに怒るのも分からない。

 それに一体何の為にわたしに食べさせて……


 瞬間ハッとして、目を見開いた。


 過ぎった考えに胸が凍って、息を忘れた。

 そして今度は、わたしが体の全ての動きを止めたのだ。

 

 そうか。鬼さんや紫さんが言っていた時間があるというのは、そう言う事なのか。この事だったんだ。


 わたしが人間としての寿命が消えて老いも無くなれば、同時に鬼さんがわたしを飼っておける期限も消える。殺されない限り・・・・・・、ずっと。


 鬼さん達はそれを知っていたんだ。

 だからずっと余裕のある態度をとり続けていたんだ。わたしが半永久的に傍に置くことが出来ると、確信があったから。



 陽の光がない生活は、確実にわたしを蝕んでいた。

 ここまで日光を浴びないと、人間は精神的に弱っていくんだと、身を持ってわたしは知ることになった。


 それに加えて自由のない籠の中。

 保留になっているとは言え、いつ来るか分からない鬼の慰みものになるかもしれない恐怖。空虚な時間。親しい者も無く、相談相手もいない孤独感。


 常闇の、紅い鬼の下での生活は、じわりじわりと毒のようにわたしの心を、その深い闇で貪っていた。

 食べ物もあるのに、着るものもあるのに、寝る布団もあるのに。わたしはまったく生きる幸せを感じず、時折無性に泣きたくなる日々を過ごしていた。


 それでも闇に染まりたくなくて、妖怪になりたくなくて、息継ぎをするように光を作り出して心の拠り所にしていたのだ。

 

 でも……それが、半永久的に、続く?  

 これからずっと、ずっと、命が続く限り、続くの? 死ぬまで続くの?



 箸が手元から零れ落ちる。

 乾いた音が見えないところで鳴る。

 

 人魚の言っていた『哀れ』の意味がようやく理解出来た。

 わたしは文字通り死ぬまで鬼の所有物になり、生き続ける間永遠に飼われ続けるわけだ。

 

 人魚を食べた、あの日から。


 そしてそれから逃げられる方法は一つ、寿命以外で死ぬしかない。


 妖怪に殺されるのか、自害するのか、傷や病に倒れるか。

 わたしは天寿を全うすることが不可能となり、どうあっても苦痛を伴って死ぬしかないのだ。


 ……それしか人生の幕を終わらせる術は、ないのだ。





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