十三ノ怪
「何グズグズしているんダ。さっさと次行くゾ」
「まだ行く所があるんですか?」
首を引かれたせいで咽せそうになるのを堪えながら鬼さんに目を向ける。
「後は濡女のとこダナ。あいつも水辺によくいるから何かしら知っているかも知れン」
濡女って、あの下半身が蛇のお姉さんか。確か鬼さんが唄の君って呼んでいた、いつも長唄を歌っている青い妖怪の女性だ。
彼女に関しては悪い印象は今のところ無い。
というより、わたしに眼中が無いようで、鬼さんにゾッコンだと誰の目で見ても明らかなほど、鬼さんにのめり込んでいるようだった。
ふとクスクスと笑う声が耳に入ってくる。
そっと笠の薄布越しにそちらを見れば、何人かの様々な妖怪たちがわたしを見てヒソヒソと囁き合い、笑っていたのだ。
「人間様が犬みたいに繋がれてらぁ」
「おーい見てみろよ、鬼様の人間がいるぞぉ」
「どんな気分かね。自分が家畜になった気分は」
「鬼様も飼い慣らすのが上手いですなぁ。ありゃまだ生きてるよな」
「ねー、あまり人間臭くないけど。匂い袋でも使っているのかしら。それとも、もう妖に近くなってるのかしらね」
「見てみて。貧弱そうな体。着物着てあれでしょ? あんなので鬼様のお相手なんて務まるのかしら」
聞きたくなくても聞こえてくる様々な声。
遊郭の客たちだけでなく、遊女たちまで格子越しに仕事も忘れてわたしを覗き見てくる。
「生意気に笠なんて被っちゃって。勿体ぶって嫌ね」
「どんな顔なのかしら? 私人間見た事ないのよ。どんなものか見てみたいわ」
「醜女なんじゃない? だから顔見せられないのよ」
容赦のない声に居た堪れなくて逃げるように牛車に乗り込む。
暖簾を勢いよく閉めれば好奇な目からも逃げられ、耳障りな声も少しは遠ざかる。
「ナンダ? 慌てて車に乗り込んで」
後からのそりと鬼さんが乗り込んできた。
鬼さんはどこか意地の悪そうな笑みを浮かべ、わたしを見やって目を細めた。
「……なんだか、騒がしくなってしまったみたいだから。早く見えないところに行ったほうが、良いかと思いまして」
途切れ途切れに胸の悪さを抑えて告げれば、大きな手が薄布の下から入りこんできて、そっと髪を撫でられた。
「帰りたいナラいつでも言えよ。直ぐ屋敷に返してやるサ。お前はやはり籠の中で大人しくしていれば良いだろうからナ」
笠を外して鬼さんを横目で見る。
やっぱり鬼さんはわたしを外に出すことを快くは思っていないんだ。
外に出れば好奇な目に晒されることも、悪く言われることも想定していた。
鬼さんはそれでわたしが心を折れることを期待しているんだと思う。そうすればわたしは籠の中で大人しく、もしくはお屋敷の中から出たいと言わなくなるのだから。
それでもわたしはまだ止めるとは言わない。
多少の辛さは覚悟の上だ。紫さんに言われた事も気にならないといえば嘘だけれど、立ち止まって考えてしまえば泥沼化する。
閉塞感と薄暗い空間しかない生活は苦痛だ。
鬱々とした空気が強くなりがちになるのは陽の光が無いせいか、親しい人がいないせいなのか、もしくはその両方か。
衣食住は保証されている環境の中で生活をしているといえば、わたしの望みは贅沢なのではあるのだけれど、それでも元の生活に比べればここが辛いことに変わりは無い。
鬼の顔色を伺って、用がなければ何もない狭い籠の中で過ごして鬼が来るのを待つ。
そんな単調な生活の中で、時折鬼さんの本性に怯えて緊張の糸を張らされることを強いられ、自由も権限も無いわたしは何だかんだで鬼さんに従うしかないのだ。
前と違って紫さんが話し相手としてついてくれるのは勿論嬉しい。
でも結局、友達でもなければ近しい間柄でもない。近づいたと思ったら離れていってしまう、不確かな距離感を紫さんは保っているのだ。
まるで親しくなるのを避けているようにも感じられるのだけれど、それは実際どうなのかはわたしには分からない。
牛車にまた乗ってゴトゴト揺らされながら沼へ移動する。
その間鬼さんは色々と饒舌に話して、いかに自分が異性からモテるのかを語っていた。
それに対してわたしが鬼さんに対して「凄いですね」「良かったですね」等の褒め言葉を送る。
けれど鬼さんは、それに対して何故だか嫌そうな顔をしたのだ。
「……あの、怒ってます?」
思わず疑問をぶつける。
だって褒めても怒るなんてどうしてか理解できない。正直に自惚れ過ぎているんじゃないですか? と言っても良いわけが無いし。
「鈴音は俺のものだという自覚はあるのカ?」
「はい。ちゃんと自覚しています」
「俺が他の女に好かれてどうとも思わないのカ?」
「そんなこと言う訳無いじゃないですか。わたしに鬼さんの女性関係をとやかく言う資格は無いんです。わたしは鬼さんに生かされている存在なんですから、偉そうなこと言えません」
それに少なくとも未だに人間扱いは無いように感じている。
相変わらず籠の中。首輪も嵌められ、今回だって外出するということで縄に繋がれている状態だ。
鬼さんはわたしが気に入っているようだけれど、結局はそいうことなのだ。
わたしはあくまで鬼さんの愛玩的存在。ペット兼お酌係、あと品の無い言い方をするなら愛人候補と言うわけだ。
そんなわたしが鬼さんの女性関係に口を出せるわけが無い。
鬼さんはわたしの発言にどう思ったのか、眉間に皺を寄せて軽く睨んでくるとそのまま黙り込んでしまった。
どうしたものかと考えても良い案が思いつくでもなく、わたしも何かを話す気になれず、ただ黙って牛車に揺られていた。
二人とも何も話さず、カラカラと車輪が回る音だけが響いた。
いくらかしたら車の動きが止まった。
鬼さんが先に牛車から降りて、わたしも後に続く。
薄暗い静かな沼地。沼を囲うように茂みが生い茂っていていかにも何か出そうな雰囲気をそこかしこに溢れさせている。
「ここって、枝垂れ梅が沈んでいる場所でしたっけ?」
「イヤ、似ているが違うカナ。ちょっとここで待て」
鬼さんが手のひらを上にして鬼火を出現させると、素早くぬ間に向かって投げた。
鬼火は火の玉となって沼の上を飛び、沼の中央まで行くとパッと弾けて辺りを一瞬紅く照らした。
「唄の君ぃ。居るカァ?」
鬼さんが吠えるように声を上げる。
しばらく静寂が続いた。それから程なくして沼の水面が揺らめくと、すっと女性の顔が水から浮かび上がった。
「まぁ……! 貪欲の鬼様! 会いに来て下さったのですね!」
感極まった声が上がり、女性がその姿を水面から徐々に現わして着物の裾が見えるまでに浮かび上がると、そのまま幽霊のように水の上を滑るようにこちらへ向かってきた。
「あぁお前に聞きたいことがあってナ」
「勿論ですとも。鬼様のお力になれるのならどんな事でも力を尽くしますわ」
こちらの岸に着くと、水の中に沈んでいた下半身が見えてくる。青緑の着物は水に濡れて体に張り付き、どこか妖艶に見え、青い鱗がまるで宝石のよに煌めいていた。
最初見たときは驚いたけれど、やっぱり綺麗だわ。動くたびに光が反射してガラスみたい。
「あぁ鬼様がいらしてくださったのに、このような姿で申し訳ございません。出来れば身支度してからお話をしたいものですが」
「今のままで構わン。そのままのお前でも充分カナ」
手をヒラリとさせて鬼さんらしくない優しい言葉を濡女さんに掛ける。
そうすれば、お姉さんがポッと頬を赤らめて恥ずかしそうに手で口を押さえた。
あの花魁と違ってこっちの濡女さんは純情なのね。なんだか可愛い。
「さて聞きたいことなんダガ、お前現世で水辺の妖やら主が次々と襲われているというのは知っているカ?」
「はい。存じております」
「そのことについて何か知っている事はないカ?」
「そうですわね……。あまりお役にたてるお話と言ったものは御座いませんが、噂程度の些細なことで宜しいのでしたら幾つか」
「構わないカナ。教えてくれ」
「ではまず小豆洗いの方達が話していたのですが、なんでも水中からは出て来ないだとか。ある程度陸まで逃げて水辺から離れると追いかけては来ないそうです」
なんだか怪談話みたいな内容ね。でもそうなると、陸に上がれない妖怪に限られてくるわね。だとしたら河童とか濡女さんみたいな水陸どっちも大丈夫な妖怪では無いということか。
昔アニメやおばあちゃんやおじいちゃんに妖怪の話を聞いたくらいで、妖怪の知識はあまり無い。
あったとしても常闇で暮らす妖怪に当て嵌まるのか微妙なぐらいだから、水にしか生きられない妖怪なんて思い浮かばない。
「水からは出ない、カ」
「あと嘘か真かは定かではないのですけれど、銀色の鱗やたてがみを見たとか」
「え!? それってとっても重要じゃないですか!」
思わず声を上がれば、濡れ女さんが驚いた顔をしてわたしを見た。
……なんだか今初めてわたしの存在に気付いたような反応だけれど、やっぱり鬼さんにしか基本的に眼中にないのね。
「オイ!」
ゴツンと鬼さんの拳の底がわたしの頭に落とされた。
力は加減してくれているんだろうけれど、衝撃が結構ある。笠を被っているおかげで直接痛いわけじゃないけど、やっぱり痛い。
「すまんナ。こいつの事は捨て置いてくれ。それで銀の鱗が見えたのカ?」
「え、えぇ。私が見たわけではなく聞いた話な物ですからハッキリしないのですが。言った本人も一瞬だった様で、それが鱗なのか別の物なのかは確証は無いようでしたから」
戸惑いがちに鬼さんへ告げると、何故だかちらちらとわたしを見て落ち着かない。薄い布越しにわたしも彼女に目をやると、細い指を組ませたり離したりしている。
わたしが一緒に着いて来ているのはやっぱり面白くないんだろうな。せっかく大好きな鬼さんが会いに来てくれたのに、余計なお荷物がくっついているんだから。
困惑しているように見えるけれど、二人きりになりたいと考えているんじゃないのかしら。
でもまた鬼さんから無断で離れると水楼の時みたいに怒られるからなぁ。しかもたった今、ゲンコツ落とされたばかりだし。
「ふむ。姿が見えないとなるとなかなか厄介カナ。イマイチ奴さんが何をしたいのかも分からンからナ」
腕を組んで片眉を吊り上げると鬼さんは首を傾げた。
「常闇では襲われた者はいないようです。その為か、現世から水辺の妖怪が常闇の海辺や水辺に所構わず入ってきて今少し揉めているようですわ」
「そうみたいダナ。その話なら俺も今し方耳にしたところカナ」
「では御存じの通り、鬼様達の鬼の国に行く者は聞きませんが、磯の国や大滝の谷には大勢来たようで。ただでさえ暮らせる場所に限りがある常闇ですもの。あちらこちらで諍いが起こっているのは何とも難儀なことでして」
「確かに騒がしいとは聞いていたが、それ程とはナァ。……お前の沼や川は平気カ?」
「何人かは受け入れましたが、鬼様のお住まいが近いお陰か、強引に押し入って来る者は今のところおりません」
あの蜘蛛の花魁も言っていたけれど、正体不明の妖怪だか怪物のせいで常闇も現世も混乱しているみたいね。
それにしても今回は濡女さんのほうが割としっかりとした情報を持っていたわね。
蜘蛛の花魁のほうが情報網が広い気がしたけれど、情報の種類が違ったりとか、独自の入手ルートが違うとか、その辺は色々あるのかしら。
何にしても重要な手掛かりが手に入ったのは良かったわ。
「よし分かったカナ。邪魔してすまなかったナ」
用は済んだと手を上げてさっさとその場を後にしようとする鬼さん。
あまりにも素っ気ない態度に自然と濡女さんへ目を向ける。またいつかみたいに寂しいって、縋られるんじゃないかしら。
……あれ?
濡女さんは鬼さんを見ているんだけれど、またチラリとわたしを見たのだ。鬼さんを引き留めようとしているのか、花魁にも負けない綺麗な手を宙に出そうか出さないかを繰り返している。
でもそうしている間にも、何度かわたしを盗み見るのだ。
なんというか、鬼さんが気になるけどわたしも気になる、みたいな。そんな感じだ。
「オイ、行くぞ」
鬼さんに声を掛けられると同時に紐をひかれて慌てて前に出る。強く引っ張られる間に歩かないと首筋を痛める事になるわ。
「分かりましたから引っ張らないで下さい!」
蜘蛛の花魁にしたのと同様に、濡女さんにも軽く頭を下げて背中を向ける。そしてまた気持ち少し振り返れば、暗闇の中青く浮かび上がる彼女は沼に浮かぶ幽霊そのものに見え、どこか虚ろな眼差しでこちらを見ていたのだった。