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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
11/63

十ノ怪

 雷鳴が轟き、激しい雨音が遠くへ行く様子が壁の向こうから伺えた。

 次第に静かになり、いつもの静けさが訪れたあと、屋敷中がざわめいて慌ただしい音が聞こえ始めた。


「どうやらお帰りになったようですね」


 わたしの頭上に浮かんでいた煙の塊が呟いた。

 音も無く、俯くわたしの前に紫色の筋が流れると、螺旋を作ってまた人の姿に変わった。


「御姫さん。先程のことをよくお考えになって下さい。時間があれど、いつ迄もこのままで居てはいけません。直ぐにお心を入れ替えて下さい」


 わたしの返事を待たずに紫さんはその姿を霧散させると、わたしの前から消えてしまった。

 静けさが戻り呆然とその場で座りこむ。


「愚かで、驕りに満ちた?」

 

 紫さんの言葉が心に残る。ズキリと心に突き刺さる。

 籠の中に一人取り残されたわたしは、黙ってその場に座り続けた。



 程なくして部屋の襖が開かれた。

 目をそちらに向けなくても、乱暴な足音だけで誰だか分かる。


「ドウシタ? 鈴音」


 籠の鍵が外された音が聞こえ、下げた視界に鬼の爪先が見えた。

 わたしは首を横に振り、何でもないですと呟いた。


「顔色が悪いゾ? 具合でも悪いのカ?」


 わたしは降ってくる鬼さん声に、曖昧に頷く。

 先程からずっと紫さんの言葉が延々と反芻している。責める言葉がずっと頭の中をぐるぐると回っている。


 わたしは驕っている? 他人を見下している? 利用しようとしている?

 そんなつもりは無いのに。どうしてそんなふうに言われるんだろう。河童の子を助けてあげたいと思った気持ちは嘘なんかじゃない。

 ましてや自分の気持ちを保つ為に助けようだなんて、考えていないのに。


 でも、その可哀想だと思う心がすでに驕り高ぶっている。出来ることをしてあげたいと思う気持ちは慢心しているからだ、と紫さんは言った。


 分からない。自分の心に向き合っても、ただ助けたいと願っただけ、と言う声しか聞こえてこない。

 それなら誰に言われても堂々と胸を張っていれば良いのに。何故だか目が泳いでしまう。


 ……一体どうして。



「オイ、鈴音」


 むぎゅっと頬をつねられ、思考の海から強制的に引き上げられる。


「目を開けたまま寝るナ」


 ハッとしてつねられた頬を擦り、横で訝しんでいる鬼さんへ顔を向けた。


「あぁその、すいません」


「ナニかあったのカ? 暗い顔をしてどうしたんダ?」


 乱暴にわたしの横で胡座をかくと、鬼さんはわたしの頭を撫でた。

 一瞬ぞわりと背筋が震えたが、口を強く結んで耐えると顔を横に振った。


「何でもないです。あの、雷が凄かったので、びっくりしてしまって。放心しちゃって」


 無理に笑みを作って、誤魔化すように耳に髪をかける。

 鬼さんは腑に落ちないような顔を浮かべ、わたしをじっと見た。


「本当カ? 鈴音は嘘が下手だからナァ……違うと顔に書いてある気がするんダガ」


「そうですか? わたしには心当たり無いですけど」


 なんとかシラを切ろうととぼける。それでもじっと見続けられると、どうにも居心地が悪くなり顔を背けてしまう。


「そうか。ならどうやって口を割らせようカ」


「え?」


 ビクリと体が跳ねて怯えを含んだ目で鬼さんを見る。

 鬼さんはわたしの髪をひと房、手に取って指先で遊んでいた。


「突然飛び起きて暴れたことと関係があるのカ?」


 指に髪を絡ませてくるりと何度も巻いては解くを繰り返している。上目遣いでわたしを見て、片眉を吊り上げた。


「あれは……」


 わたしが鬼さんと添い寝した時に、鬼さんの心を見てしまったが為に、寝ていた鬼さんを強く拒絶してしまった昨夜のことなんだろう。

 

 思い出しただけで鳥肌も立ち、口の中がカラカラに乾く。

 きつく目を閉じようかとも思ったけれど、目蓋の裏にまたあの闇が見えたらと思うと閉じれなかった。


 妖しい紅が先を促すように動いたのを感じる。

 わたしは諦め、一度小さく息を吐いてからゆっくり口を開いた。


「怖い夢を見て、それで、飛び起きてしまって」


「夢?」


「はい。いつもの、妖怪に襲われて、家族に捨てられる、夢」

 

 悪夢を見ることは常闇に来てからは頻繁にあった。

 日頃のストレスからか、あるいは常闇に充満する妖気のせいかは定かではないけど。

 様々な悪夢は姿形を変えて、わたしを蝕んでいた。


「また悪い夢カ。随分多いナァ」


 本当に見た内容とは違うものの、実際に経験してきたものだから信憑性があったようで、鬼さんはわたしの答えに納得したようだ。

 鬼さんの力が抜けた様な気配に安心して、わたしも小さくさせていた体から少しだけ力を抜く。


 良かった。信じてもらえた。

 本当のことなんて言えないもの。鬼さんの心を見ただなんて、絶対に言えない。


 よく分からないけれど、見えたのは鬼さんの記憶みたいなもので、鬼さん自身あまり思い出したくないようだった。

 口に出して言ってしまえば、何をされるのか分かったものではない。


 ……そう。あのおぞましい闇に、アレに関わっては絶対にいけない。本能がわたしに強く訴え、わたしは素直にそれに従った。

 わたしは気を取り直して苦笑いを浮かべる。


「仕方ないです。ここでは朝も来ないし、誰もいませ――」


 ハッとして、しまった! と目を見開く。

 慌てて先を言おうとした言葉を飲み込んだけれどもう遅い。ここまで言ってしまったのなら、続くはずだったものは鬼さんなら容易に想像できる。


「誰もいない、カ」


 鼻で笑われて怖々と鬼さんへ目を向ければ、二つの紅が皮肉げに細められたところだった。


「ご、ごめんなさい! わたし鬼さんがいるのにっ……すいません! わたしっ」


 慌てて弁解すると、鋭い爪を持った長い指がわたしの唇に当てられた。

 静かにと宥めるような行動に、わたしの口も強制的に止まざるを得なかった。


「勇んだり怯えたり鈴音は忙しいナ。浮き沈みの激しい雀ダナ」


 鬼さんが笑えば顔半分を覆う朱の模様が、さざ波の模様へと変わっていく。鬼さんはわたしの下唇をなぞり、ゆっくり指を離すと頬を撫でた。


「珍しく素直に謝ったナ。良いカナ。無かったことにしてヤル」


 鬼さんの手が温かく感じるのは、わたしの頬が急速に冷たくなったからか。青褪めているであろう自分の頬を、鬼さんが優しく撫でてまたゆっくりと離した。


「今日は久し振りに水楼へ行こうと思ってナ。もうとっくに出るつもりだったんダガ、急な客が来ちまってナ」


「急なお客さんというのは、さっきの雷の?」


 明るく軽い感じで話し始めた鬼さんに、わたしも少しだけ気持ちが軽くなった気がして、思わず尋ねた。 


「あぁソイツは瞋恚のジジィや腹黒の奴の所へも行ったそうダガ、あいつら俺に押し付けて逃げやがったそうダ。ったく面倒事だと知って、雲隠れしやがって」


 あの鬼二人が逃げ出すって、よっぽど強い妖怪なのかしら。

 驚いた様子で鬼さんを見ると、わたしの考えを知ったのか眉間に皺を寄せた。


「言っとくガ、滝の主は俺ら鬼ほど強いわけではナイからナ。ジジィ共も面倒事だからと俺に押し付けただけカナ」


「そうなんですか。あの鬼二人が逃げ出すからてっきり強いのかと思ったんですけれど、違うんですね」


「滝といっても大きくも無く信仰も薄いからナ。その割にはよく吠えて煩くてかなわンから、ジジィ共も面倒になったんだろ。ま、主のあの煩さは元来短気な性格からなんだろうよ」


 あんな嵐を起こせるのに、鬼さん達より強くないだなんて。偏見かもしれないけれど、鬼より龍の方が強いイメージがあったからなんだか意外だわ。


「まぁお陰で現世の様子も聞くことが出来たから、全く無駄では無かったガナ。もっと細かいことは女郎蜘蛛にでも聞いてみるカナ」


 女郎蜘蛛って、あ! ……そうだ! 思い出した!

 水楼ってあの嫌味花魁の、蜘蛛の遊女たちが営む遊郭だ!

 

 鬼さんが言った女郎蜘蛛の名前に、やっとそこがどんな場所なのか思い出して顔が引きつった。


 蜘蛛といえばあまり良い思い出のないわたしからすると、女郎蜘蛛が営むその場所も、苦いものを感じずにはいられない。

 きっとまたネチネチ嫌味を言われるんだろうな。そしてまたジロジロ見られたり睨まれたりするんだろう。


 出来れば行きたくないけれど、自分から鬼さんに無理を言ってお願いしたのに、情報収集しに行かないわけにはいかない。

 胃がキリキリと痛むのを感じながら、わたしはなんとか頷いた。


「分かりました。では早速行きましょう」


「いや待て。お前飯食ってないだろ」


 言われて気づく。そう言えばそうだった。起きてから何も食べていないんだった。


 今にも鳴り出しそうなお腹の空き具合に手を当てる。

 空腹を感じても食欲は湧かないと分かったのは、つい最近のことだ。

 

 食べたいと思わなくても、体は栄養を欲している。

 これから出掛けるのだから無理してでも食べなくては。出先で動けなくなるのでは意味は無い。

 それにわたしからしたら敵陣に乗り込むようなものだ。

 気を引き締めていかなければ。


「食ってから行けば良いカナ。あの馬鹿が煩いもんで、そのせいで屋敷中の手が止まって遅れているようダ。もう暫く待ちナ」


「分かりました。ありがとうございます」


 頷いてからわたしは頭を下げた。

 その様子に満足したのか、鬼さんの大きな手がわたしの頭をポンポンと軽く叩いた。





 食事は大広間ではなく籠の中でとった。

 鬼さんに見つめられた状態で食べる食事はあまり美味しくない。それでも食べづらく感じながら、なんとか今日は完食した。

 鬼さんの機嫌を損ねるのは良くないし、体に不調が起きては動けないもの。


「それにしても鈴音にはやはり紅い紐が良いカ」


「何の話ですか?」


 なんの前触れもなく鬼さんが呟いたのを聞いて、首を傾げる。鬼さんがわたしの後ろ髪を上げたせいで、首筋が露わになり涼しくなる。


「外へ出るんダ。紐で繋げなけりゃ~いけないダロ?」


「……え?」


 自分の体が大きく身震いする。その途端、首に嵌められた忘れかけていた存在を思い出して、血の気が引いた。


 締め付けている感じもなく、あまりにも軽いせいで嵌められている自覚がなかったのだ。

 改めて気が付けば、急に拘束感を感じて息苦しく感じ始める。


「この首輪に繋げるのサ。きっと映えるカナ」


「紐で……繋ぐんですか? 動物みたいに」


 それで、その状態で外に出るというの? 何の意味があって?

 震える手で首輪に手をやって掴む。柔らかくて細いのに強く引いてみてもビクともしない。


「当たり前だろ。異論があるのカ?」


「わたしは、鬼さんから逃げたりしませんよ? なのにどうして、そんな事」


「今のお前は不安定過ぎる。錯乱して逃げでもしたら厄介カナ。それに他の奴が盗もうとしても防げるしナ」


 鬼さんから物を盗もうとする猛者は、そうそういないと思うのだけれど。

 でもわたしが錯乱するという事については否定できない。昨夜の事があったから、鬼さんからしたら尚の事なんだろうし。


「マダ何かあるカ?」


「いえ……無いです」


 反論のしようがない。諦めて口を噤む。

 鬼さんがわたしに協力してくれるだけでも、良しとしなければ。


 堪える様にぐっと目を閉じると、また見えてくる紫色の煙。聞こえてくる咎める声。


 『常闇で生きる為に何をすべきか。またどう身の振る舞いをしなければならないのか。よくお考えください』

 

 ……なんとなくは分かっている。

 わたしは常闇に生きているのではなく、常闇で鬼さんに生かされているんだと。

 そんなこと、言われなくても分かっている。


 けれども頭では分かっているのだけれど。

 いくら頭で分かっていても、心が追いつかないのだ。

 心が言うことを聞いてくれないのだ。どうしようもないじゃない。 



 目を開けて傍らを見れば、嬉しそうに朗々と首輪を褒める紅い鬼。

 指でなぞられて、舐めるように見つめられる。


 わたしは意識しないよう顔を逸らして、出掛ける時間が来るまでされるがまま、大人しくしていた。  


 きっとわたしは外に出た途端に、好奇の目に晒されるのだろう。それでも動かなければいけないのだ。

 

 紫さんの言葉は確かに心に引っ掛かりを覚えたけれども、今は自分が信じる道を進むしか、わたしには選択肢がないのだから。



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