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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
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九ノ怪

 目が覚めた時、わたしは籠の布団で寝かされていた。

 鬼さんが運んでくれたのだろうか。丁寧に敷かれた布団の上で体を起こし、ふらつく頭を軽く降った。


 あれからわたし、どうやって籠の中に戻ったんだろう。

 というより、いつの間に寝ていたんだろう。


 灯篭の明かりは充分なくらい明るい。完全に寝過ごしている。

 早く支度をしないといけないのに、何故だか焦りも感じず、呆然と布団の上に座り込んでいた。


 あの後どうなったんだっけ。

 鬼さんに抱えられて、部屋が明るくなるまで抱え込められていたような。ただその後の事はよく覚えていない。



 鬼さんに抱き枕にされていたあの時……眠る直前、いや、あれは眠ったと同時だったのか。

 見えた暗闇。深い闇を孕んだ心の中。あれはきっと鬼さんのもの。


 ただの闇とは比べ物にならない程の、深く濃い闇。ずっと底の方で、蠢いて触れる物全てに絡みつき、引き摺り降ろそうとする気配が澱んでいた。

 

 その深い闇はずっとわたしを放さないと唸っていた。

 血も肉も骨も、心や魂までも手放さないと、底なしの執着を垂れ流してわたしを丸呑みにしようと願っていた。


 思い出すだけで身震いする。

 気色が悪いなんて物では無い。おぞまし過ぎる。

 あの闇に関われば関わるほど、持っていた光が奪われ吸い込まれていく。

 実際に眠る前に抱いていた光は、あっという間に消え去ってしまったのだから。


 やっぱり駄目。無理だ。鬼さんの傍にずっといるだなんて。

 わたしに出来っこない!


 きつく目を閉じて、自分の腕で自分の体を掻き抱く。それから体を丸めて何度か大きく深呼吸を繰り返した。


 河童の子が可哀想だと、助けてあげたいと思った気持ちは嘘じゃない。だけど紅い鬼の恐怖が忘れられない。

 どうしても嫌で嫌で仕方が無い! 触られたくない!


 自分の不甲斐なさと、鬼に対する恐怖から涙が溢れてくる。

 静まり返る部屋の中、自分の鼓動と涙混じりの息使いだけが聞こえた。



 

 遠くの方からいつもの笑い声や、長唄の声が聞こえ始めてくる。

 どれくらい時間が経ったのか。荒かった息も落ち着き、いくらか冷静さが戻って来た。

 そっと顔を上げて目尻に乾いた涙の後を拭った。


 はぁ、ちょっとだけ落ち着いてきた。泣いたおかげもあって少しだけスッキリした。また取り乱してしまったけれど、なんとか立て直せそうだわ。

 

 こんなふうに精神的に不安定になる事はしょっちゅうあった。

 そういう時は溜め込まないで、その場その場で発散させたほうが良いのだ。うん、ガス抜きってやっぱり大事よね。

 

 気持ちを切り替えたところで、一度深く息を吐いて天井を見上げる。

 鬼さんには一応謝っておこう。パニックを起こして鬼さんを強く拒絶してしまったんだから。

 あれのせいで河童の子を助けることが出来なくなるのは困るもの。


 鬼さん達がどんなに馬鹿にしてきても、あんなふうに危険を冒してまで友達の仇をとろうと、わたしを頼ってきたあの河童の子を、見て見ぬ振りなんて出来ない。

 藁にも縋る思いでわたしを頼ってきてくれたのなら、やっぱり助けてあげたいわ。

 

 わたしは意を決して体に力を込めると立ち上がった。

 とにかく誰かが来る前に身支度しよう。まだ寝起きのままの格好だもの。何をするにしてもまず着替えないと。


 わたしは布団を畳み、朝の支度に取り掛かった。



 

 来ない。どうしたんだろう……


 そわそわとして何度も部屋の襖を見てみる。でも全く開く気配は無い。

 支度が終わって座布団の上でじっと待っているが、紫さんも来ないし、緑の子鬼も天井にはいないようで静かだ。

 気づけばいつも遠くの方で聞こえてくる、妖怪たちの笑い声も長唄も聞こえなくなっている。


 正直気まずいけど、鬼さんの姿もないとなると不安になってしまう。

 朝ごはんの時間になっても誰も来ないだなんて。何かあったのかしら。

 

 いつもなら勝手に開く壁の一面も、今日は動かず閉められたままだ。そのせいで紅い月も常闇の空も見えない。

 まるで一人この籠の世界に置いて行かれた気分だ。


 みんなどこに行ったんだろう。今までこんな事なかったのに。何が起きているって言うの?


 訳が分からず眉を顰めると、突然轟音が響いた。

 ビリビリと空気と部屋の壁が揺れて、わたしの肺も肌も震える。

 この地鳴りのような大きな音。これって……雷?   


 こんな大きな音、今まで経験したことが無い。かなり近くで落ちたのかしら。


 息を詰めて耳を澄ませていると、壁の方からパラパラ音が聞こえ始めた。

 いつもなら紅い月が見えるその壁の向こうに、強めの雨が壁を叩いているようで、次第に雨粒が叩きつけられる音が耳に届いてくる。


 常闇にも雨って降るんだ。

 今思えば、天気らしい天気なんて無かった。雪も降らないし雨も降らない。ずっと曇りか、月が見えるかのどちらかだった。


「……わっ!」


 爆発音のような雷鳴がまた響いた。思わず耳を塞いで体を小さくする。

 この屋敷って機雷針とかあるのかな? 火事になったりしなければ良いんだけれど。


 恐る恐る耳に当てていた両手を下ろす。

 それにしてもさっきから随分近くで雷が落ちているわね。それも相当大きい落雷ばかり。

 積乱雲でも上空にあるのかしら。



「失礼しますよ」


 声が聞こえたと思ったらすぐ目の前に煙が漂っている。驚いて目を見開けば、煙の妖怪である煙々羅の紫さんだった。


 いつもなら香炉と一緒に運ばれてくるのに、今日は煙の姿だけで襖の隙間から入ってきたようだった。

 ふわふわと形の定まらない姿で宙を泳いでわたしの周りを囲む。


「おはようございます紫さん。……それで、この雷は何です? 何がどうしたんです?」


 紫煙の塊が雲の様に固まると、もこもこと動いて人の姿へ変わっていく。


「只今かなり荒々しいお客様がいらっしゃいましてね。そのせいでいささか騒がしいのですよ」


 言い終えた紫さんは、いつもの神主のような姿へ形を作っていった。そして宙に浮いたまま、行儀よくその場で座り込んだ。


「お客さま?」


「えぇ。約束もなしに参るなど不躾ですねぇ。困ったお方で」


 約束もなしに来る妖怪がこんなに騒いでいるだなんて。きっとただ事ではないのだろう。 


 鬼さんにお客さんが来ること自体は珍しくない。

 会ったことは無いけど、毎日誰かしら来ては鬼さんと話しているみたいだったから。


 でも今みたいに妖怪たちの話し声や笑い声、長唄が聞こえなくなるなんて事は無かった。まるで皆黙り込んでいるのか、隠れているのか。屋敷中静まり返っている。

 ということは、今来ているお客さんとやらは、招かれざるお客っぽいわね。


「この雷もそのお客さんのせいなの?」


「はい。大層お怒りなようでして。大変騒がしい限りです」


 紫さんは至って平然としていて、まるで世間話でもしているみたいに話した。紫さんはお客さんが怖くないみたいね。


 でもやっぱりそうなんだ。鬼さんにわざわざ怒りに来るなんて、よっぽど肝が据わった妖怪なんだろうな。もしくは相当強い妖怪とか。


「えーっと。雷だと龍、とか。そんな妖怪ですか?」


「おや、お分かりになりますか。その通りです。現世から参られたようでして、名のある滝の主だそうですよ」


 分かるもなにも、思いついたのが龍ぐらいしか無かったんだけどね。意外そうに声を上げた紫さんに苦笑いする。

 あ、それにしても紫さん今、現世から来たって言ったよね。


「現世から常闇に来てまで……一体鬼さんにどんな用があって来たんでしょうか? もしかして、あの川の妖怪を助けたせいですか?」


 勝手な事して! なんて事してくれたんだ! ってクレームを言いに来たのかしら。

 そしたらわたしも他人事じゃないわ。助けてって言ったのは、誰でもないわたしなんだもの。


「助けたことは問題ないのですが、まぁ当たらずといえども遠からず、と言ったところでしょうか」


「どういう事ですか? どんな用件で来たか、紫さん知ってます?」


「……御姫さん」


 食いつき気味になったわたしに、紫さんは溜め息混じりに言うと、ゆらりと煙の姿を揺らめかす。


「いけませんよ、この様な事に首を突っ込んでは。御姫さんは鬼様のことだけお考えになっていらっしゃれば宜しいのです」


 ……出た。

 紫さんの口癖になりつつあるお決まりの言葉が。


 鬼さんと言い、紫さんと言い、鬼さんのことばかり考えろって言うけど、そんなことした日には頭がパンクしてしまう。

 ついでに胃痛と頭痛で苦しむ羽目になるわ。


「ほんの少しで良いんですけれど」


「なりません」


「なぜですか? ちょっとだけでも構わないんですけれど」


「御姫さんは少々落ち着きが無いようで。あまり動きまわられると困るのです。私が無に還っても宜しいので?」


「そ、そんなつもりじゃ……」


 険しい口調に尻込みする。

 別に紫さんがどうなっても良いという訳じゃないから、そんなふうに言われてしまうと流石さすがに食い下がれなくなる。


「では。大人しくこちらでお待ち下さい。食事は只今参りますので」


 わたしがもう何も言わなくなったのを見て、紫さんはやや厳しい口調ながらも丁寧にわたしへ告げた。


 でもどうにか知りたい。

 河童の子が気になるし、こんなに大騒ぎになっているのなら、尚の事知りたい。


 鬼さんに聞いても紫さん同様教えてくれないだろうし、最悪怒られるだけでは済まない。

 だとしたら、紫さんから何か情報を得られないかしら。


「御姫さん」


 いきなり声を掛けられ、考え耽っていた頭が中断される。

 顔を上げた先には端正な顔をキツくして、咎める視線をこちらへ寄越す神主の姿。


「また余計な事をお考えになっているようですねぇ」


「え?」


「大方お屋敷に忍び込んだ河童を助けようと、私から何かしら得ようと考えているんでしょう」


 馬鹿正直なことにギクリとわたしの顔が強張った。


「いけませんよ」


「わ、分かっています。何も、しません……」


「その様な台詞は私の目を逸らさずに申して下さい」


 更に強い口調で言われ、まるで大人に怒られた時のように肩を小さくさせ、紫さんに言われたとは逆に視線を下げた。 


「まったく、御姫さんには困ったものですねぇ。お勤めも果たさない、余計な詮索はする。そんな愚かなことはおやめなさい。それにどうして、そこまでしてあの河童を手助けしたいと思うのです?」


「それはだって……だって、可哀想じゃないですか」


「可哀想? 可哀想ですと?」


 責める紫さんの様子に、息が詰まる。

 紫さんが纏う雰囲気が剣呑なものへと一瞬にして変わっていく。


「なんとまぁ……憐れで、どこまでも愚かで……驕りに満ちた人の娘でしょう」


 淡々とした冷たい言葉が耳に届き、軽蔑する眼差しが体を射抜く。


「一人では何一つ出来ず、自らの身の回りの世話すらままならない、ひ弱で喰らい尽くされるしかない貴女が、妖を助ける? これが愚かと言わずなんと言うのでしょうか」


「愚か……」


 紫さんの重圧感のある気迫に押され、わたしは完全に尻込みしてしまい、その場で咎める声を聞くだけしか出来なかった。

 不安に手元を握り合わせて胸元に寄せるわたしに、なおも紫さんは言葉を続ける。


「御姫さん、貴女様はやはり分かっていらっしゃらないのです。自身の身の振り方を。この常闇で生きる為に、何をしなければならないのかを」


 人の姿をしていた煙は雲散として瞬く間にわたしを取り囲む。


「貪欲の紅い鬼様に仕え、気に入られ、そこで初めて御姫さんは常闇で生きられるのです。それもせずに自らの活気を保つ為、誰かを助けよう等とあってはならないのです」


「自らの活気を保つ為? そ、そんなつもりじゃ」


「他に何があるというのです? では何故助けるのです? また可哀想だから、とでも言うのですか? それが驕り高ぶったものだと言うのにですか?」  


「違います! 驕っているだなんてわたし」


「何が違うのです? 御姫さんはただ自分が良い人間で、悪である妖怪とは違うと証明したいだけではないのですか? もしくはまだ人間でいたいと望む気持ちを満たす為に、可哀想と他者を同情し救うことによって、己の人間としての存在を心の内に繋ぎとめておきたいだけなのでは?」


 早口に四方八方から声を浴びせられ、わたしはついに言葉が出てこなくなり、黙ってしまった。

 雷鳴と不確かな雨音が聞こえるだけで

 俯いた視線の先には、力を込め過ぎた為に真っ白になった自分の両手があるだけだった。



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