180年生きたねこ
音の坂を転がり続ける友人へ。
ある日いつもの帰り道、
僕の目の前で、一匹の白い猫が車にはねられた。
とても痛ましい話だ。
生き物が好きな人間ならば、動物に優しくないこの人間中心の社会環境を嘆きもするだろうし、母親ならば、血にまみれた凄惨な現場を自分の子供に見せようとは思わないだろう。
僕は、と言えばそんな事があるはずもないけれども、事故の瞬間、驚いたような、痛恨の表情を浮かべた、車の運転手と目があった気がしたし、耳に飛び込んできた猫とも車ともつかぬ悲鳴は、正直、現実感を伴ったものではなかった。
ただ、車に跳ねられ、足元に転がってきた、自分の血で朱に染めた真っ白な猫に対して思ったこと。
それは理不尽な事柄に対する『怒り』でも、同情からくる『かわいそう』でもなく、
不思議と、――お帰りなさい――という気持ちだった。
「――それで、なーんで『お帰りなさい』と思ったわしを、あんなところに埋めたりしたのかの?」
「いや、だって死んでたし。あの木の下は僕の一番のお気に入りの場所だし。」
どうしてこんなことになった。
季節は桜舞う春の日の午後、場所は居住まい慣れたアパートの自室にて。
なぜか僕のコーヒーカップ片手にベッドの上でくつろぐ、まったく美しいといって差支えないであろう女性に、かれこれ一時間は悪態をつかれ続けていた。
彼女の特徴を述べるならば、こちらを吸い込むように透きとおった銀髪と美しい碧眼で、先ほどから肉食の獣を思わせる眼差しは、こちらを半眼で睨んでおり、その白く長い手足を、品よく整った顔立ちとは裏腹に、シーツにくるまれ、柔らかなスプリングの上にだらしなく投げ出されていた。
「あのー……」
そろそろ僕は耐え切れなくなって切り出す。
「なんじゃ?」
話の腰を折られ、不機嫌そうに返事をしてくる目の前の女性。
「何でもいいのでそろそろ服を、着てもらえませんかね。正直目のやり場に困るんで……」
「着ておるではないか」
自分がまとったシーツをバサッと煽りこちらに示す。
こんな若い男の前で年頃の女性がする行動とはとても思えないが、それにめげずに重ねて伝える。
「広げないでください。それは『服』ではなく『布』です」
「なんでも自分の常識にあてこんで考えるのが、主ら人間の悪い癖じゃ」
あーいえばこーいう。先ほどから終始、この調子である。
どうしたものか。
そんなこんなでこちらが困り果てた顔を浮かべていると、
「どうした、そのような顔を浮かべて。何か言いたいことがあるなら言うてみよ。」
と、目の前の女性は気だるげな表情で促してくるので今まで触れかねていた、自分の一番気になること、恐る恐る聞いてみた。
「あの、大変失礼かと思いますが、その頭の上についてるのはなんでしょう?」
「耳、じゃ。主殿の頭の横にもついておろう? それともそれは飾りかの?」
彼女の頭の上に生えている真っ白い耳がぴここっと、まるで返事をするように動く。
「んじゃ、そのシーツから出てるそれはやっぱり……」
「うむ、わしの誇りじゃ」
これまた真っ白な毛足の長い、ふさふさのしっぽをばさりとふって、自慢げにこちらも返事を返してくる。
あまり手入れの行き届いてない、男の一人暮らしの部屋の埃取りにはさぞ活躍しそうだ。
「つまり、貴方様は、僕がこの間埋めてしまった白猫様だとおっしゃるわけで?」
「先ほどから言うておろう。当年とって百八十歳。わしは猫。世間では『猫神』、などと呼ばれておるかの」
「まじか……」
信じられない。
正直、こういうシチュエーションを暇つぶしがてらに妄想したことが無いといわない。
しかし、いざ実際起こってみると、はっきり言って気味が悪い。
こんなことは夢や小説の中だけのお話にしてほしいと、今ならば声を大にして言える。
夢がない、などと言うなかれ。
『未知の存在』が目の前にいて、次の展開が『予想できない』というのは、思った以上に恐怖なのだと、目下、自分の恐怖ハイスコアを更新中なのである。
「まー信じられんのも無理からぬこと。わしの姿を見た人間はさもあらん」
「ですよね」
「しかし、じゃ。これまでわしが出遭うてきた人間は、もうちっと畏怖というか、敬意を払っておったぞ。」
「そうなんです?」
「うむ。少なくともいきなり埋めたりはせなんだ。ま、主が初めてじゃな」
といってカラカラと嗤う。
目が笑ってない。根に持ってるなコイツ。
こちらは彼女の次の行動が読めずに、生きた心地もせず、とりあえず気の済むように好きにさせていたのだが……
「それで、いったい今後はどうなさるおつもりで?」
いやみっぽく言われたせいか、心持ちへりくだった気持ちで相手に合わせてこちらが問うと、
「うむ。主殿は少し万物に対して恐れと敬意が足らぬ。これも何かの縁。わしが先達として少々教育を施してやろうと思うておる。」
「へ?」
さも当たり前のように、彼女は唐突なことを言いだした。
「別に主殿に限ったことではない。気を悪くせんで聞いてほしいんじゃが、これは近頃の人間全般にも言えることじゃ」
そう彼女は前置きし、
「人間の進歩は目覚ましい。わし等のような邯鄲の夢の世界の住人からみても、現と夢の境界を越えんばかりの勢いじゃ」
美しいその瞳で、じっとこちらを見つめてそういう。
「知らぬ土地、解らぬ事象を踏破していく、これは人間という生き物の業そのものじゃろう。わしはそれを否定もせぬし悪いことなどとも言わぬ。――しかし、な?」
そこで一息おいて
「己が見聞きした景色が全て、それだけならまだしも他人が見聞きしたものまで最初っから信じてはおらんかの?」
目を鋭く、問いかけるようにこちらに語りかける。
「近頃は己の住まいに居ながらにしてあらゆる場所の事柄、そして知識を共有できると聞く。しかしそれは本当にお前さん方人間の『実』なのか?」
彼女はつづけて問うてくる。
「不知を悟り、歴史に倣い、経験に学び、そして未知に知る。わしが知っている人間とはそういうものじゃった」
そこまで言うと、少しなつかしそうな、少し疲れたような表情を浮かべ
「そしてそこに共に在らせてくれた人間を、わしは愛しておる。」
そして最後に――
「ま、平たく言うとちょっと色々納得いかんから人間代表としてしばらく主殿を祟ることにする。きっちり祟りきったら帰ってやるからそれまで宜しくの」
と、わざとらしい感じでこちらにウィンクをしながら彼女は僕にそう言った。
「理不尽だ!」
当然、僕は抗議した。
「あきらめよ。もう決定済じゃ」
手にしたコーヒーを一口啜り、素知らぬ顔でシーツに包まり眠ろうとする。
ここで引き下がるわけにはいかない。僕は断固とした口調で、
「却下だ!再考を要求する」
「それこそ却下じゃな。あきらめるにゃん♪」
「お前、いままでそんな語尾じゃなかったろ!」
「そんなことないにゃんよ。わたしは御主人様の下僕だにゃん?」
「そんな演技に騙されるもんか! さっき祟りきるって言いましたよね!?」
「肝の小さい男じゃのー、猫神とまで言われるわしをしばらく独占できるんじゃ。ここにいる間は主の力になってやろう。」
「生憎今の生活に満足してるんでね。埋めてやった恩も忘れたなら出てけ!」
少々強めな言い方だったがここは仕方ない。そう僕がいうと、
「恩は忘れておらぬよ。なんならわしの身体を好きにせい。宿代代わりに『使わせて』やろう。」
ほれ喜べと、少しだけ身にまとったシーツをはだけさせ、こちらを怪しい目つきで見つめてくる。
程よく膨らんだ柔らかそうな胸。
うっすらと肉のついた女性らしい腹部。
白い布地に吸い込まれるように消えていく太もも。
恥じらうように、こちらの視線から逃れた背中は、触れることを許されるのならば、さぞかしなめらかな触り心地であろう。
どれもこれもが艶めかしい蠱惑となって、こちらの目をいやがおうにも釘付けにし、女性の色香を部屋いっぱいに漂わせる。
おもわずゴクリと喉を鳴らし――
「まじか」
「嘘じゃ。お主はほんに扱いやすそうじゃ」
「ぐぬぬ」
完全にしてやられた僕は、この小癪な猫神と、その後夜半過ぎまで議論を交わし、結局は手も足も出せず。
こうして彼女は僕を祟ることになった。
そんなこんなで、僕はというと、彼女との議論に疲れ果てて床のクッションに頭からつっぷして転がっており、彼女は彼女で満足げにコーヒーのお替りなんぞを上機嫌で淹れながら、ぼそっと、
――まぁ誰でもよかったわけではないぞ、主殿は、その、いい匂いがするんじゃ――
身にまとっているシーツを頭からすっぽりとかぶり、こちらも見ずにそんなことを呟きながら僕のベッドを占拠した。
これは人間が大好きな、ある猫の神様のおはなし。
そして僕が神様を殺す物語だ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
なんだかプロローグ的な感じですが、続きません!(真顔
とある友人と話してる時に思ったことをそのまま書き起こしてみました。
とりあえず勢いだけですがリビドーはこめておきましt( ゜Д゜)
よろしければ感想をいただければうれしく思います。
それではまた、別のお話で
2015/01/09
ぽんじ・フレデリック・空太郎Jr
@ねむいでs