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自前彼女  作者: 門前清一
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第1章 自前彼女 ①

 リア充。


 リアルな生活が充実しているという意味の言葉だ。

 特に恋人との関係が順風で満たされている人に用いられることが多い。

 中三まで俺には縁もゆかりもない言葉だったが、ついに俺もその言葉で形容される人々の仲間入りを果たすときが到来した。


 ――と思っていた。その時までは。


   ◆◆◆◆◆◆◆


「キモーい」

 女子たちが口をそろえて言う声が聞こえ、俺はドアに手をかけたまま、動きをとめる。

 そっと扉上部の小窓から中をのぞくと、放課後の教室には、数人の女子がたむろしていた。

 女子集団の中には、昨日、俺と二人っきりで遊びにいったあの子の姿もあった。


「ねーえ野上(のがみ)さん、なんであんなヤツとデートしたのぉー?」


 質問されたのは、派手な女子たちに囲われるようにして座っている、おとなしそうな少女である。

 決してクラスで1番を争うような美人じゃないけど、物静かで優しそうなその雰囲気に、俺は、同じクラスになったときから好感を抱いていた。


「え……同じ図書委員をやってて、何度か誘われて……」


 彼女は席に腰掛けたまま、おずおずとそうこたえる。


「で、OKしちゃったの!? マジ、ありえナーイ」


 ギャハハハ、という品のない笑い声が響く。

 これまで、ちょっといいなと思っていた子がいても、指をくわえて見ているだけだった俺も、中学も最終学年になり、このままじゃいかんと一念発起。

 同じ委員をやっていた彼女に、緊張しつつも話しかけ続け、少しずつ会話ができるようになり、ついに先日、休日二人で遊びにいくという提案にOKの返事をもらったのだった。


 俺はすっかり有頂天になった。そして、気合いを入れてデートに挑んだ。


「でも、あいつ、オタクなんでしょ?」


 女子の一人が机に腰掛け、足をぶらぶらさせながら尋ねる。


「よくクラスのオタク集団と話してんじゃん。ギャルゲーがどうとか、あのキャラを嫁にしたいとか、キモい会話が聞こえてくんだよねぇ。マジうぜーしw」


 もちろん、その手の会話が一部の人たちから、かなり嫌悪されるということは、俺もわかっていた。

 けど、野上さんはそんなことで人を嫌いになったりしないはずだ。

 少なくとも俺はそう思っていた。

 だが、小窓からのぞく彼女の横顔には、困ったような笑みが浮かんでいる。

 俺には、その表情が、周りで騒ぐギャル集団の意見に、無言で同意しているように映った。


「ところでさ、あんたなんで、あいつと野上さんが、昨日デートしたってこと、知ってんの?」


 どこかパンダを彷彿とさせるメイクを施した女子が、足をぶらぶらさせてる方に尋ねる。


「ああ、彼氏がね、偶然、街で見たんだってさ。琴弾と野上さんが一緒に歩いてるとこ」

「へー」

「でねぇ」


 今まで甲高かった女子の声が、不意にひそまった。浅黒い顔には、底意地の悪そうな、歪んだ笑みが浮かんでいる。


 ――もうこれ以上、聞かないほうがいい。いますぐこの場を、そっと離れるんだ。


 頭でそう思っていても、俺の足はその場に根を生やしたように動かなかった。


「なんか、もめてたらしいんだよね、あいつ」

「なになに、どうゆーこと?」


 周りの女たちが身を乗り出して、話を促す。その瞳には例外なく、残酷な好奇の光が宿っていた。


 ――そこまでにしてくれ


 俺のそんな願いなど一顧だにせず、女子は会話を続ける。


「大学生くらい男の人が野上さんに話しかけようとしたんだって。そしたら、いきなりあいつがその人にしがみついて『俺がやられてる間に、逃げてくれ!』とか、超必死に叫び出したんだってさ」

「はぁ? なんで?」

「おんな盗られる~、とか思ったんじゃねーの? その人、ただ道が聞きたかっただけらしいけどぉ」


 大爆笑が、人気のない廊下まで響いてきた。

 俺の目は、吸い付けられるように、肩を縮じ込めて俯いている野上さんに、釘付けになった。

 野上さんの顔はちょうど手前の女子の背に隠れてしまっていて、この位置からは見ることができない。心臓の鼓動が次第に早くなっていく。

 彼女はいったい今、どんな表情をしているんだろう……。


「いるよね、そういう他の男に意識過剰なやつ」

「なんか、ねえちゃんにつきまとってたストーカーに似てる~」

「将来、絶対そっち系になりそうだよねぇ」


 女子たちが口々にはやし立てる。


 違う。俺は……ただ彼女を守りたかっただけなのだ。

 男にナンパされ、おとなしい彼女がおびえてしまう。楽しんでもらうはずの今日という日に、少しでも恐怖なんか感じて欲しくない。

 そのためなら、自分の身の安全なんかどうでもいい。

 

 そう思ったからこそ、喧嘩する度胸なんか一ミクロンもない俺が、すぐに動くことができたのだ。

 だが、それはすべて俺の自己満足だったのか。

 俺は自分の行為に酔っていただけなのだろうか。

 心臓が早鐘を打つ。ゆっくりと彼女の横顔が視界に入ってくる。

 

 彼女は、相変わらず困っているような表情を浮かべていた。

 そして、常に遠慮している印象を受けるその瞳には……うっすらと涙を浮かべていた。

 

 そこまでだった。


 俺はドアの前から勢いよく踵を返した。

 できるかぎり素早く、しかし足音は立てないようにその場から遠ざかってゆく。 少しでも早く、少しでも遠くに、逃げたかった。


 以後、卒業まで彼女とは一度も言葉を交わすことなかった。

 俺なんかが、リア充になろうとするんじゃなかった。その後悔だけを胸に抱きながら、俺は中学校の最後の一日までを過ごした。


   ◆◆◆◆◆◆◆


 ホームルームの終了を告げるベルが鳴った。


「気をつけて帰れよー」


 担任のそんな声を聞きながら、俺はいそいそと帰り支度を始める。


「まーくん、一緒に帰えろー」

「おう」


 ふと聞こえてきたやりとりに、俺はちらりと視線をあげた。まーくんこと、田中(たなか)雅之(まさゆき)に、広井(ひろい)恭子(きょうこ)が駆け寄るところだった。

 彼らは、我がクラス公認のカップルだ。高校一年のときから付き合ってるって話だから、もう一年以上になるのか。

 

 中学でのあの出来事から二年。

 最初は、仲睦まじいカップルを見るたびに、胸を締め付けられるような痛みと自分への激しい嫌悪を覚えたが、今ではそのようなこともなくなった。

 俺は連れだって教室を出て行く幸せそうな二人から、自分の鞄へと視線を戻す。


「ちょっとぉ、雄一。今日は、あんたが食材を買う日でしょ? まさか忘れてないわよね?」


 途端、そんな声を浴びせられた。

 嘆息を漏らしながら、顔をあげる。


「忘れてねーよ」

「ほんと?」


 一人の女子生徒が、腰に手を当てて、疑わしげな視線でこちらの顔を覗き込んでいた。

 控えめに言っても、相当な美人だ。

 くっきりとした目鼻立ち。色白の面貌。すらりとしているが、出るところははっきり出ている見事なプロポーション。


 椎津(しいづ)美羽(みう)


 それがこの美少女の名前だ。


「ほんとだって」


 俺はもう一度、そうこたえる。

 しかし、実は忘れてた。

 母親がおらず、父親が不在がちな我が家では、俺と妹の麻耶が交代で夕食を作る決まりになっている。

 で、今日は俺が食材をまとめ買いする日だったのだが、うっかり忘れていたのを見抜かれたというわけだ。

 ふいに、美羽が片手を突き出す。


「買い物リストみせて」


 俺は言われるまま、購入予定の食材が列記されたメモを渡した。


「こっちの綺麗な字は麻耶(まや)ちゃんね。で、こっちの汚い字が雄一……なになに、ジャガイモ、たまねぎ、豚ばら肉……って雄一」


 ぎろりとこちらを睨む美羽。

 やばい。この目は、説教モードに入る眼差しだ。


「あんた、まーたカレーを作るつもりね?」


 案の定、普段より一段高い声をあげる美羽。


「そうだよ。悪いか」

「悪いわよ! 馬鹿の一つ覚えみたいにカレーばっかり作って!」

「いいだろ。好物なんだよ。作るのも簡単だし」

「好物ってあんたねぇ……」


 呆れたとばかりに頭を振る美羽。


「もう子供じゃないのよ? 好きだからって、そればっかり食べてていいわけないでしょ? ちょっとは麻耶ちゃんの、このバラエティに富んだメニューを見習いなさいよ」


 だいたいカレーはカロリーが高いのよ、とか、豚バラ肉ばっかりだとコレステロールが増えるでしょ、などと、延々と説教を続ける彼女。

 俺は毎度のことながら、うんざりした気分で、聞き流す。

 別にお前が喰うんじゃないんだからいいだろうに。

 

 美羽がなぜ『今日は琴弾兄の方が食材を買う日』などという我が家のプライベート情報を知っているのか。

 それは、彼女が隣家の娘だからである。

 我が琴弾家と椎津家は、昔から家族ぐるみの交流があり、特に美羽は俺たちの母親と仲が良かった。彼女は毎日のように料理を教わりに我が家に出入りしていたが、それが母の他界した現在でも続いているというわけである。

 まあ立場が逆転し、料理を教わるのは、俺たち兄弟の方になったが。


「いい、雄一。わかった?」

「ああ」


 なにもわかってないが、そうこたえる俺。

 ふん、と鼻息荒く、幼馴染みは去って行く。

 わざわざ、よそのクラスから怒りにくることもないだろうに。

 俺はメモを再びポケットにしまおうとした。

 

 だが、ふと違和感を覚え、四つ折りにしかけた紙片を開く。

 俺の記した食材にばってん印がつけてあった。その隣には綺麗な字で別の食材の名が列記されていた。

 やれやれ……。


   ◆◆◆◆◆◆◆


 スーパーに行く前に、本屋に寄る。

 今日は、俺が集めている漫画の新刊が出る日なのだ。

 まあ、超人気作で初版が百万部以上も出るシリーズだから、まず売り切れることはないだろうが、自然と足が速くなってしまうのは、オタクの性ってやつだろう。

 

 そう。すでにもうお察しかもしれないが、はっきり言って、俺はオタクだ。

 中学のあの一件のとき、女子の誰かが言ってたことは、全部事実なのである。

 ただし、中学時代とは違う点が一つ。

 

 俺は、店内に入ると、まっすぐレジへと向かった。

 レジのすぐ手前に、目当ての漫画が平積みになっていることを知っているからだ。途中、ライトノベルの新刊コーナーも目に留まるが、スルー。まったく興味ないという姿勢を貫き、ずんずん進む。

 本当は見たい。

 じっくり手にとって、表紙とカラーイラストページを堪能し、それからおもむろに上から二冊目を手にとって(一番上はなんとなく汚れているような気がするから。オタクなら、この行為をわかってくれると思う)、レジ手前の新刊とともに購入したい。

 

 しかし、それはできない。

 なぜなら、ラノベはオタクが読む小説だからだ。

 いや、ラノベだからって、オタク専用ってわけじゃないし、中にはそこらの一般文芸にまけないような内容のものもある。

 でも、駄目なのだ。

 ライトノベルであるというだけで、もういけない。世間一般のラノベの認識は


『ああ、あのアニメみたいな女の子が表紙に書いてあるオタク向けの本でしょ?』


 なのだ。

 つまり、中身など一切関係なく、手に取った瞬間、こいつはオタクであるという判定をされてしまう。

 

 要するに、俺は、自分がオタクであるということを知られたくないのである。

 中学時代はオープンだったが、それがどういう印象を与えるかを文字通り痛感して、高校からは徹底的に他人に隠すと決意したってわけだ。

 だから、内心後ろ髪を引かれる思いで(まあ、あとで通販で買うけど)、ラノベコーナーを無視して、レジへと向かっているのである。


 声をかけられたのは、俺が目当ての新刊を手にとろうとしたときだった。


「おや? 琴弾君ではないですか?」


 顔を上げると、一人の少女が、こちらをじっと見つめていた。

 髪を額の中ほどで切り揃え、小さな顔にこれまた奥ゆかしいような小さなパーツの目鼻と口。

 あまり化粧っ気がなく一見地味に見えるが、よく見ると驚くほど整った容貌であるとわかる。


「小日向さん?」


 俺も、半ば反射的に彼女の名前を口にした。

 小日向(こひなた)やよい。俺と同じクラスの女子だ。

 しかも、席は俺の真後ろである。こんなところで奇遇だね、と言いたい所だが――


「本当によく会いますね」

「だね」


 静かに笑みを浮かべる彼女に、俺も苦笑しつつ、返す。

 この小日向さんとは、なぜかよく、こういう場所で出くわす。駅でばったりとか、レンタルDVD店でばったりとか、デパートの中でばったりとか。

 こういうのを縁があるというのだろうか。

 不思議な話だが、本当によく遭遇するのである。

 俺は、彼女の手が、俺の目当ての漫画と同じものに伸びていることに気付いた。


「小日向さんもワ○ピースを買いに来たの?」

「ええ、そうですよ。ということは、琴弾君も?」

「うん」


 再び微かな笑みを浮かべる小日向さん。

 なんとなく、引っ込み思案な感じのするその微笑みはいつ見てもかわいらしい。 これもまた偶然だが、こんな風に彼女とは買う物がしばしば被る。

 どうも彼女、趣味や嗜好が俺に似てるんじゃないかと睨んでいるんだが……。 


「まあ、私はち○やふるも買いますけど」


 彼女は、そう言って、やはりレジ前に積んである別の漫画を手に取った。


「ああ、それね。妹が買ってるよ」

「とっても面白いんですよ。琴弾君も妹さんに借りてみたらどうですか?」

「いやー、少女漫画とかは、ちょっとなぁ」


 頭をかきながら、苦笑いする俺。

 ほんとは自分で全巻揃えてる。しかも、DVDも初回限定版をコンプリートしてる。

 しかし、そんなことは口が裂けても言えない。

 男子が少女漫画を愛読してます、なんて言った日には、音速でオタク認定されてしまうからだ。


「まあ、女の子には、人気があるみたいだけどね」

「男の子が読んでも面白いと思いますよ」


 語りたい。彼女と漫画の内容についてじっくり語りたい。

 果たして、主人公がクイーンになれるのか、その予想を熱く論じ合いたい。

 しかし、俺はその衝動をぐっとこらえる。


「じゃあ、俺、ちょっとこのあとスーパーに寄るから」


 俺は、そう告げると、そそくさと会計を済ませて、その場を後にした。

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