表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自前彼女  作者: 門前清一
PR
13/16

第二章 自前弁当 ③

「雄一……なんて言ったらいいかわかんないけど」


 じゃあなにも言わないでくれよ、雄二。


「あんま気にしないほうがいいと思うよ。別に雄一が悪かったわけじゃないしさ」


 俺はのろのろと顔を上げた。

 今は放課後。清掃の時間である。

 今日は俺たちが教室の掃除をする係だった。

 

 俺は、レレレのお〇さんのような動きで、機械的にさっさっ、と箒を左右に振り動かし始めた。

 五限で三名、六限で二名。体調不良で保健室に行った生徒の数である。

 

 ――かあちゃん、今日の晩飯、唐揚げだけはやめてくれ

 

 泣きながら携帯で母親に懇願する生徒の声が、至る所で響いていた。

 惨敗という言葉は、今日の俺のためにあるのかもしれない。


「ほ、ほら、人の嗜好なんてそれぞれじゃん? 他の人には食欲をそそるようなものじゃなくても、うまい~、って食べ物は俺にだってあるし」


 痛弁(いたべん)

 誰かがそう言っていた。それがこのクラス全員の気持ちを代弁しているのだろう。

 俺の考案した理想の弁当シーンは、きゃっきゃっうふふどころか、ぎゃーとかうごぉーとか、当分うなされるような代物だったってわけだ。


「あ、あのさ、そういえば、昨日、やっちんと帰ったんだけど、雄一の話になったんだよ」


 死んだ魚のごとき俺の様子を見て、気を遣ったのだろう。親友はすぐに別の話題に切り替えてくれた。


「へえ……」

「でさ、雄一って、昔っからやっちんと知り合いだったんだって?」

「……え?」


 俺はようやく顔を上げて、まともに友人を見た。


「そりゃ、なんかの間違いだろ。俺が彼女と喋ったのは、この間が初めてだぞ?」


 それも雄二とくだらない雑談をしている最中に「ちょっといい? 雄二と話がしたいんだけど」と言われただけだ。

 これで喋ったといっていいのか、疑問があるくらいである。


 しかし、雄二は即座に首をふった。


「違う。そんなはずはない。中学のとき、一度会ってるだろ?」

「中学? ああ、木更津さんって、たしか同じ中学出身だったか? でも、一度も会話したことねーぞ?」


 というか、正直、当時の彼女のことをなんにも覚えてない。同じ中学だったのも言われてようやく思い出したくらいだ。


「違う! 話してる! 放課後、やっちんが犬に襲われそうになったのを、助けてあげたことがあるだろ!」


 雄二が声を張り上げて、言った。

 俺は そのときになってようやく彼の様子がおかしいことに気付いた。

 口調が妙にとがっているし、いらいらしてるのを隠そうともしない。普段の雄二らしからぬ態度だ。


「うーん、あったかなあ、そんなこと……」


 なぜ彼がいらついているのかわかりかねたものの、俺は懸命に思い出そうとした。


 犬……。

 ああ、そういえば一度だけ女の子が犬に襲われてるのを、助けてあげたことがあったな。

 といっても、俺がやったことといえば、吠えられているその子の前に立っただけだけど。

 幸いにも犬が飛びかかってくる寸前、飼い主が現れて、おとなしくさせてくれたんだが。


「心当たりがねえこともねえけど、あのときの子は木更津さんじゃなかったと思うぞ? 髪は三つ編みだったし、なんか分厚い黒縁眼鏡をかけてたし」

「それだよ! その子がやっちんだったんだよ!」


 人差し指をぴしりと突きつけ、断言する雄二。


 そうだったのか? いや、そういえば、顔立ちが木更津さんに似ていたような気がする。

 失礼ながら、今とは比べものにならないくらい野暮ったい外見だったけど。


「やっちんはね、それをよーく覚えてて、『彼にはすごく感謝している』って言ってたよ」

「へえ」


 雄二は、異様に目をぎらぎらさせて、さらに言いつのる。


「『彼って、地味な見た目をしてるけど、結構素敵よね』とまで、言ってたよ!」


 なんか、けなされてるのか、ほめられてるのか、よくわからん発言だ。

 しかし、にぶい俺にもようやく理解できた。要するに、彼の様子がさっきからおかしいのは、あれだ、ヤキモチってやつを焼いているからだろう。


 自分の彼女が、自分以外の男をほめている。これが、我慢ならなかったってわけだ。

 もちろん、麻耶がAKBのメンバーに選ばれるくらいの確率で、木更津さんが俺に浮気心を抱いてるなんてことがあるはずもないが、恋する乙女は盲目、ってやつなんだろう。

 彼女を溺愛する雄二的には、ジェラシーを感じざるを得なかったのだ。

 で、喋っているうちにそのいらだちが募ってきて、こうなっちゃったわけだ。


「なに? なんで笑ってんの、雄一」


 俺は慌てて、口元を隠すが、苦笑を納めることができなかった。

 これが、はいはいごちそうさま、ってやつか? ここまでストレートな想いを見せつけられると、微笑ましくなってくるな。

 

 しかし、ごちそうさま、という言葉が呼び水となり、俺はまたしても、昼休みの惨劇を思い出してしまった。

 再び気分が沈みそうになるが、ここでもんもん悩んだって考えてみりゃなんにもならない。

 せっかく気を利かせて話題を逸らしてくれた(まあちょい暴走したけど)雄二にも申し訳ないので、強いて明るい声でたずねてみる。


「そーいや雄二よ、おまえさん、よく木更津さんに文句を言うよな」

「ええ? なんのこと? それこそ、ぜんぜん心当たりがないけど」

「おいおい、そりゃーとぼけすぎってもんじゃね? だっておまえ、今日だって弁当の文句を彼女に言ってただろ? 嫌いなもんが入ってる~、とかなんとか」

「ああ、あれね。うん、まあ確かに言ったけど、文句ってわけじゃないよ」

「はあ? 文句じゃなきゃ、なんだよ?」

「遠回しにありがとう、かな」


 俺は首を傾げた。わけがわからん。


「なにがどうなって、ありがとうなんだ? わかるように説明してくれ」

「うーん、要するに、嫌いな物が入ってるってことが、やっちんの俺に対する愛情だな~、って思ったわけ、俺は」


 イケメンは照れながら、そう告げた。

 俺はますます首を捻る。


「なんでだよ? 普通は逆だろ」


 好きな人に、好きな物を食べさせてあげたいって思うのが、一般的な愛情表現なんじゃないのか? 

 マゾでもないかぎり、逆は愛にならんだろう。まさか雄二にそっちの趣味があるわけでもないだろうに。


「いや、だってさ、好きな物って自主的かつ積極的に摂取するわけじゃん? 当たり前だよね、好きなんだから」

「まあ、当たり前だな」

「で、嫌いな物は避けるよね。そうするとさ、栄養のバランスが非常に偏ると思わない?」

「…………」

「たとえば、雄一にいま、好きな人がいるとするよ? その人が偏食ばっかりしてたら、彼女の体を心配しない?」

「……するだろうな」

「もし彼女に料理を作ってあげる機会があったら、普段摂らないだろう、嫌いな物を食べさせてやりたいと思わない?」


 雄二は、箒の上に両手を組み、その上に顎をのせて、じっとこちらを見てくる。

 俺は彼と木更津さんの仲睦まじいランチの光景を思い出す。

 タケノコは嫌いだ、と言いつつも、最後まで箸を止めなかった雄二。あのタケノコご飯は、どうすれば少しでも抵抗なく苦手な物を食べてもらえるか、という木更津さんの工夫だったのではないだろうか。


「言いたいことはだいたいわかった。けど、あえて質問させてもらうぜ? それが相手に対する愛情から生まれた行為だってのは、理解できる。でも、相手がアホだったりしたら、その愛情が伝わらない可能性がなくね?」


 ――まずいもんばっか食わせやがって

 ――なんで、嫌がらせみてーに、嫌いな食材を買わせるんだよ

 

 今まで、幾度となく幼馴染みに言ってきた台詞が、ちくちくと俺を苛む。


「あるね。でも、たとえ相手に伝わらなくても、好きな人のためになるんなら、それでいいと思わない?」

「逆に嫌われる可能性まであってもか?」

「そのときは仕方ないんじゃない? 少なくとも、俺はやるけどね。それでも」


 きっぱりと、少しの迷いもなく、雄二は断言した。

 

 そうか。

 俺はふいに、理解する。

 今朝、乙子が料理しているとき、美羽の顔に浮かんでいた表情。それがなんなのかが、ようやくわかった。そして、俺がどんなにアホなのかも。


「雄二よぉ」

「なに?」

「おまえさんたちに、ベストカップルコンテストで勝つのは、無理かもしれんな」

「え、それってどういうこと」

「別に」


   ◆◆◆◆◆◆◆


 放課後。

 

 俺は昇降口で、ある人物を待っていた。

 彼女はクラス委員の集まりで、今日は少し遅くなる。

 

 だが、そろそろ来るはずだ。

 案の定、ポニーテールを揺らして、階段を降りてくる幼馴染みの姿が現れた。


「字円さん?」


 すぐに、こちらに気付いた美羽は、怪訝そうな声をあげる。。


「どうしたの、こんな時間まで。忘れ物したとか?」

「…………ごめんなさい」

「え?」

「お弁当作るときに、私、美羽さんの言うこと、ぜんぜんきかなかったでしょ? それを謝りたくて……」

「ああ、あれね――って、それを言うためだけに、わざわざ学校に残ってたの!?」


 無言でこくりと頷く俺。

 美羽は、まじまじと乙子を見つめた。


「なんていうか……あなたには色々驚かされるわ」


 彼女は軽く息をはくと、再び上履きを取り出した。

 そして、こちらを振り返って、言った。


「ちょっとジュースでも、飲んでいかない?」


   ◆◆◆◆◆◆◆


 当校の食堂は生徒の間で小洒落てると評判がいい。

 しかし、放課後のこの時間帯は当然ながら利用者の数が少なかった。

 

 美羽と俺の操る乙子はラウンジの一角に腰を据え、ジュースを啜っていた。

 しばし、無言のときが過ぎた後、美羽はぽつりと呟いた。


「あたし、昔ガキ大将だったんだよね」


 とん、と紙コップを置く彼女。


「喧嘩も強かったし、上級生とかにもわりとびびらず発言できたしさ。皆から頼られてちやほやされてたんだ」


 当時を思い出したのか、遠い目になる。トレードマークのポニーテールが微かに揺れた。


「そんなもんだから、あの頃はかなり調子にのってたなぁ……。で、あるとき、感染症に罹って、入院することになったの」


 それなら、俺も知っている。結局、たいしたことはなくて、点滴のみの治療で済んだはずだ。

 俺の記憶を裏付けるように、幼馴染みは言を続ける。


「まあ、一週間もしないで退院できたんだけどね。でも、クラスの子達は男子も女子もすごく心配してくれて、毎日お見舞いにきてくれたんだ」


 なんだって、美羽はこんな昔話をするんだ?

 そう思ったものの、俺は黙って、話を聞き続ける。


「『美羽ちゃん、なにかほしいものなーい?』って聞かれたから『おかし』ってこたえたわ。入院中は食事制限されてたから、おいしいものが欲しくてしょうがなかったのよね」


 彼女の目が微かに笑う。


「次の日には、皆いっぱいお菓子を持ってきてくれたわ。看護士にばれると没収されちゃうから、服の下に隠したりしてね。けっこう高級なチョコとかもあったなぁ。あたしのご機嫌を取ろうと、張り合ってるのが丸わかりだった」


 笑みが少しだけ自嘲を帯びた。


「そんで、あたし今言ったみたいにちょーしこいてたもんだから、なんか貢物を貰う女王様みたいな気分になっちゃったのよね。こんなに食べられないよ~、とか言いながら、一つまみずつ食べていった。平等に扱ってやろうみたいな上から目線でね」


 美羽はぷっと吹き出す。


「馬鹿でしょ? でも、そんなあたしを誰も諌めなかったわ。一人をのぞいてね。そいつは、病室に入ってくるなり、いきなりあたしの手から菓子箱をひったくったわ。それで言ったの『駄目だよ、美羽ちゃん。体が悪いんだから、こんなの食べたら、治らなくなっちゃうよ』」


 次第に俺も思い出してきた。そういや、あの頃はまだ、美羽のことを「ちゃん」付けで呼んでたっけ。


「それが雄一だった。みんなあたしのご機嫌取りに必死になってたのに、あいつだけがそういうのに無関心で、あたしの体のことだけを心配してたの。でも、その頃のあたしには、それがわからなくて、勝手なことすんな~、でてけー、みたいなこと、言っちゃった」


 肩を竦めて苦笑する美羽。

 

 うん、そうだったな。つーか、鼻にパンチを食らわせたことを、何気に省略したよね。

 もしかして忘れてんのかもしれんけど。


「あたしのためを思って言ってくれたんだってわかったのは、もう少し大人になってからだった。それからさらに何年か経って、雄一たちのお母さんが亡くなった。そのとき、わたし、考えたの。今後どうすれば雄一たちの力になれるか、どんな風に接すれば二人が幸せな人生を送る手助けをできるのか。後にも先にも、あんなに頭を使ったことはなかったってくらい、考えたわ」


 元々、あんまりいい頭じゃないしね、と苦笑しながら、美羽は付け足す。


「それで、結局いまみたいな付き合い方になったわけ。教えるべきことは教えてあげるけど、なるべく手は貸さない。あたしが料理も洗濯も掃除もやっちゃったら、雄一も麻耶ちゃんも家事がなんにもできないまま、将来、社会に放り出されることになっちゃうでしょ」

「だから、たとえ二人が手伝ってくれることを望んでても、手を貸さなかった?」


  俺は初めて口を挟む。


「そう」


 美羽は、コップを取り上げ、一口ジュースを飲んだ。


「相手が望んでいることを、そのまま満たしてあげるだけじゃ、必ずしも理想的な結果にはならない。もしあたしが望みのままにお菓子を食べてたら、決して退院できなかったみたいにね」


 彼女は再び紙コップを置くと、急に焦ったような口調になった。


「いや、まあ、以上はあたしの個人的な意見であって、もちろん、字円さんに押し付けるつもりなんかないけど……たださ、もーちょっとこう、お肉以外の料理もいれた方が、体にいいんじゃないかなー、とか」


 ぎこちない笑みを浮かべ、遠慮がちに助言する幼馴染みを、俺は乙子のアイレンズ越しにじっと見つめた。


「そっか……私の作ったお弁当には、愛情がこもってなかったんだ。だから、どん引きされたんだ…」

「い、いや、だから、愛情を込めてたのはわかるよ? けど、ちょっと方向性が、ね?」


 俺は彼女の発言に、首を振って、笑みを浮かべた。


「美羽さん、ありがとう。色々とためになる話だったわ。私、必ず雄一君とリア充になってみせるから、応援してね!」


 普段からこんなにも俺のことを考えてくれている幼馴染みがいるんだ。

 校内一のリア充くらい、軽くなって、『あいつも立派になったな』と安心させてやらろう。

 

 決意も新たに、俺は席を立ち上がろうとする。


「いや~、それはできないかなぁ」


 俺は中腰のまま、動きを止めた。美羽は、なにやら困ったような笑みを浮かべている。


「え……できないって? どういうこと?」


 当惑して、俺は尋ねる。


「んー、はっきり言って字円さんを応援できないってこと。あたしの計画とちみっとばかし、バッティングしちゃうから」

「?」

「ほら、さっき、どうすれば、雄一を幸せにできるか、考えたっていったでしょ? あたしね、実はもう一つシンプルな方法を思い付いたんだ」

「はあ」


  俺は曖昧な返事をする。

 いったい、どんな方法だろう。気持ちはありがたいが、俺がリア充になる計画とバッティングするようなら、ちょっとばかり困るのだが。


「それは、あたしと雄一が結婚すること」



 は?



「えーと、聞き間違いかな? いま、結婚とかいう四文字熟語が聞こえたような気がしたんだけど」

「聞き間違いじゃないよ。むしろ、結婚は四文字じゃないから。あと熟語でさえないから」


 俺は言葉を失ってまじまじと幼馴染みを見た。

 物心ついたときから、一緒の時間を過ごてきた相手。それこそポニーテールの結わえ方から、好みのパンツの柄まで、知らぬ事はないと思っていた女の子。

 

 しかし、今、その見慣れた顔が、俺にはまったく理解できないものに映った。


「……え、でも、それ、おかしいでしょ?」


 切れ切れな声が、乙子の喉から出る。


「だって、いくら面倒を見てやりたいって言っても、好きでもない相手と結婚なんて……」

「いや、好きだけど?」


 さらりとそう告げる美羽。

 

 俺は衝撃で、文字通り人形のように固まった。


「あたしは好きな相手と結婚できて、あいつも幸せにできて、しかも麻耶ちゃんとも家族になれる。うん。やっぱり何度考えても完璧なプランだわ」


 美羽は、にへら~、と俺が見たこともない、溶けたような笑みを浮かべた。


「ってことで、雄一とリア充になるのは、あたしだから。よろしく」


 すっと手を差し出す彼女。その瞳には、照れたような、それでいてどこか挑戦的な光が宿っていた。


 これは……こっちに宣戦布告してるってことか? 

 しかし、乙子を動かしてるのは、俺だ。

 この手を握っちまったら、俺は俺自身を奪い合う修羅場まで、自演しなきゃならんはめになる。

 とはいえ、幼馴染みのまっすぐな挑戦を無下にできるはずなどなかった。


 俺は、おずおずと彼女の手を握る。


「負けないからね!」

 そう告げると、美羽は席を立った。

 俺は、相変わらず固まったまま、ラウンジを後にする彼女の背中を見送ることしかできなかった。


   ◆◆◆◆◆◆◆


 四階の男子トイレ。

 その一番奥の個室で、俺はゆっくり目を開いた。

 目の焦点がすぐには合わない。いままで乙子の操縦に、完全に入り込んでいたため、幽体離脱した直後のような変な感じがする。

 

 俺は再び目を閉じると、考える人のようなポーズで俯いた。

 それから、勢いよく天を仰ぎ、力の限り叫んだ。


「な、なんだってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっーーー!!?」


 俺は乙子を帰宅させ、それからゆっくりトイレを後にした。

 すでにロボの操作にもかなり慣れつつあり、ヤツを遠隔操作しながら、自分が帰宅する程度のことならこなせるようになっていたが、しばらく便座の上から立ち上がれそうもなかったのだ。

 

 夢遊病者のような足取りで、昇降口を目指す。

 

 美羽が俺のことを好き…………しかも結婚するとまで…………

 

 さっきから同じことばかりを繰り返し考えている。

 いまだに信じられない。顔を見れば、罵詈雑言を浴びせ、駄目人間呼ばわりし、あんたのお嫁さんになる人は世界で一番不幸だ、とまで言っていたのに。

 

 茫然自失しながら、上履きを脱ぎ、革靴を履いて、外に出る。


「雄一」


 聞き慣れた声に俺は、びくんと足を止めた。

 ゼンマイ仕掛けのようにぎこちなく、首を回すと、ポニーテールの美少女が、昇降口の脇の壁に背を預けているのが見えた。

 とん、と壁から離れ、怪訝そうな面持ちで俺の顔を覗き込む。


「どうしたの?」

「は、はい!?」

「なんでそんなにびびった顔してんのよ?」


 そりゃあびびるに決まってるだろ。だってあれだけストレートに告白されて――

 俺はそこまで考えてようやく、はっと気付いた。


 そうだ。

 彼女が告白したのは、俺じゃない。乙子の方だ。

 いや、主観的には、俺がもろに告られた形になったが、客観的には、美羽は同性の友人に好きな人をカミングアウトしただけなのである。

 そして、俺はそのことを知らないはずである。ぼろを出さないようにしないと…。


「べ、別にびびってませんけど?」


 視線を激しく泳がせて、俺はもごもごと告げた。美羽の目がにわかに冷たくなる。


「明らかにびびってんでしょ。もしかしてあんた、またあたしに怒られるようなこと、しでかしたんじゃないでしょうね?」

「ち、違いますよ。信じて下さい」

「じゃあ、さっきからなんで敬語なのよ?」

「――はっ!?」


 いかんいかんぞ、俺。もろに童貞力が全開になっとる。

 落ち着け。たかが幼馴染みに告白されただけじゃないか。大したことはない。 これから告白なんてイベントは、人生で何度も経験するんだ。…………たぶん。


 俺は全筋力を顔面に集結して、きりりと引き締まった表情を作った。

 顔さえ引き締めれば、おのずと内面も引き締まるというのが、17年間、信望してきた定説なのだ。


「美羽、おまえ俺に惚れてるのか?」


 17年信望してきた定説は、あっさり俺を裏切った。


 ――をいいっ!? なに聞いちゃってるんだよ、俺は!?


 美羽は、一瞬きょとんとした顔になった。ついで、その顔がみるみる赤くなり、拳がわなわなと震え、怒りに口元がぴくぴくと引きつり始める。


「な、なななな、なに聞いとんじゃ、わりゃーぁっ!」

「ご、ごごご、ごめんなさあぃっっっ!」

「死にたいの? ねえ、死にたいの? いますぐ天国のお母さんに会いにいきたいの?」

「ち、違う。てことがあったらいいなー、とかちょっと思っちゃっただけなんだって!」

「へ?」


 美羽が再びきょとんとした顔になった。


「なーんだ。そういうことだったのーーー」


 幼馴染みの口から明るい声が響いた。顔が、怪しげな石仮面を被ったように輝いている。


「まったく、あんたもしょうがないわね。でも、いくらもてないからって、現実の妄想の区別くらいつけなさいよね。こんな超いい女が、あんたなんかに惚れるわけないでしょ?」

「…………ごめん」


 色々、突っ込みたいところはあったが、素直に謝っとく。


「でも、美羽、なんでこんな時間まで残ってたんだよ?」


 乙子で話をしたあと、ラウンジから出て行く姿は見届けていた。てっきりそのまま、下校したんだとばかり思っていたのだが。


「ん? ……別に。ただ委員会が長引いたから」


 嘘だ、とすぐにわかる。委員会なんかとっくに終わっているはずだ。なにしろ、それが終わって帰るところを、乙子で待ち構えていたんだから。


「……あんたこそ、なんでこんなに遅いのよ?」

「まあ、こっちにも色々あってな」

「なにそれ。まーどうでもいいけどね」


 美羽はうんざりした顔になって、頭の後ろで両手を組む。


「あーあ、おかげであんたと帰らなくちゃなんなくなったわ」


 状況を知ってるためか、彼女の様子はどこか白々しく見えた。

 こいつ、もしかして、俺を待っていたんじゃないか? 

 しかし、なんのためにだろう。

 もしかして、乙子に、ライバル宣言したことが関係しているんだろうか。積極的にアプローチする乙子に負けまいと(全部自演だけど)、ここで俺になにかをするつもりなのか。

 

 心臓が次第に早鐘を打ち始める。

 まずい。心の準備が……。それに、今の俺は自演ロボでリア充にならなきゃいけないのだ。

 できれば、色々なことはミッションが終了してからお願いしたい……。

 

 ふいに、美羽がこちらへと振り返った。


「目、瞑って」

「は?」

「いいから、早く」


 ぶっきらぼうに、だが、有無を言わせぬ口調で命令する幼馴染み。


 ま、マジですか!? いきなりそっからいっちゃうんですか!?

 俺はしばし逡巡した。

 駄目だ。これ以上迷っていては、美羽に恥をかかせてしまう。

 ええい、男子たるもの覚悟が肝心だ。

 

 俺は堅く目を瞑る。


「唇、開いて」


 どこか甘やか響きのある声が俺の耳をくすぐった。

 心臓が口から飛び出そうなほど、ばくんばくん、いっている。俺は震える唇を開いた。


「もっと大きく」


 いったい、なにをするつもりだ、美羽? お父さんはそんなこと教えたつもりはないぞ?


 俺は、操り人形と化したように、彼女の命ずるままに、口を開いた。

 唐突に、冷たい物が押し当てられる。

 それは、俺の唇の合間を縫って、口内へと押し入ってきた。


 さようなら、昨日までの俺。本日、琴弾雄一は、大人の階段を上ります。


 ついに、そのなにかは俺の舌に触れた。同時に、青臭い苦みが口の中一杯に広がる。

 んん!? これは? この味は――


 俺は目を見開いた。


「へへーん。どう? あんたの大好きなブロッコリーの味は?」


 片手に箸を持った美羽が、してやったりという笑みを浮かべていた。


 やっぱりか!


「まっずーういぃぃっっ!」


 思わず、うめく俺。

 口を動かすたびに、あの大嫌いなしゃりしゃりという歯ごたえがする。まずい。ひたすらまずい。


「いい歳してんだから、吐き出すんじゃないわよ。いやなら、さっさと飲み込んじゃいなさい」


 腰に手を当てて、言い放つ美羽。

 俺は、ごくんと嚥下した。なんとか嫌な味からは解放されたが、まだ口の中が青臭い。


「な、なにすんだよ?」

「あんた、今日ぜんぜん野菜摂ってないでしょ? だから、特別にあたしの食べ残しをあげたの。感謝しなさい」


 美羽は、ふん、とそっぽを向いた。手にした弁当箱にはまだ野菜がたくさん残っている。


 そのとき、蛍の光が学校の敷地内に鳴り響いた。最終下校時刻を告げる合図だ。


「あ、いけない。早く帰りましょ」

「ああ」


 美羽が弁当箱に蓋をしようとした。俺はそっと、それを取り上げる。


「なに?」

「悪りぃ。これ、全部食うからちょっとだけ待っててくれや」


 ぽかんとする彼女の前で、俺は大急ぎで野菜を掻き込む。

 美羽は食べ残しに厳しいやつだ。俺たち兄弟に指摘するくらいだから、自分は絶対食べ残さない。そんな彼女が、こんなに野菜だけ残すわけがない。

 明らかに俺に食べさせるために、残したのだ。こんな時間まで待っていたのも、そのためだろう。

 

 俺は弁当箱から特大のブロッコリーを摘むと、口に放り込んだ。

 相手が望んでいることを、そのまま満たしてあげるだけじゃ、必ずしも理想的な結果にはならない――か。


「まずい?」

「ああ、超まずい」


 美羽にそうこたえつつ、俺はしゃりしゃりと大嫌いな「飾り」を租借する。

 ほんとにくそまずい。けど、俺がこいつを残すことは、生涯ないだろうな。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ