尾行捜査
男と「俺」は男の妻を尾行する。
女の『人助け』の正体を暴くために。
現実世界パート
小学生くらいの女の子と、ヨチヨチ歩きの男の子を連れた紅い女が歩いていく。紅い女、という表現は彼女を表すのに最適だと思う。つばの広い帽子とサンダルと膝丈のワンピースだけでなく、腰まである女の髪も血塗られたように紅い。爽やかな初夏の町で、彼女はえげつなく目立っていた。路地を曲がって姿が見えなくなっても、網膜に残像が残ってしまっている。
「よし、行こう。」
俺と同じく、電柱の陰に隠れていた男が言った。そう、俺とこの男は今、紅い女を尾行している。もちろん俺たちは警察でも探偵でもストーカーでもない。ごく普通の大学院生とその指導教官だ。そしてあの紅い女は男の嫁。つまり、俺は准教授殿に夫人の尾行を手伝わされているわけだ。何だ、この状況。一人でやれよ…。
女が消えた路地へと足を進めようとして初めて、准教授が俺の足を踏んでいる事に気付いた。中々歩き始めない俺に頭を傾げる男に足元を指差して見せる。
「あぁ、ごめん!…言ってよ。」
「俺も今気付いたんですよ。」
痛くはない。気付かなかったくらいだから。ああ、訂正。俺はこの点では『ごく普通の大学院生』ではなかった。『ものすごく鈍い大学院生』だった。
そもそも何故、俺たちが女を尾行しているのか?それを説明するには1日ほど時間を巻き戻さなければならない。
世には怪しいアルバイトというものが色々蔓延っている、らしい。俺は普通のファミレスの店員しかしたことが無いからよくは知らない。ともかく、払いが良くてヤバい仕事というのがあるらしいのだ。それを女がやっているのではないか?とある月曜日、准教授殿は研究が手につかないほど悩んでいた。何でも、その前の金曜日に男が帰宅すると、女が金の入った封筒を渡してきたらしい。福沢諭吉が100名。女曰く、人助けをした謝礼としてもらったとか。問い詰めても何をしたのかは教えてくれない。そして女はその日も人助けに行く、と子ども三人を近くに住む両親に預けて早朝から出かけて行ったらしい。何をしているのか不安で不安で、何も手に着かないというわけだ。
「君、何か聞いてないかい?」
「なんで俺が先生の奥さんの動向を知ってると思うんです?」
確かに俺とあの女との間には異常な関係がある。だがそれは友達や恋人のように仲良く連絡を取り合ったりするようなものではない。半年前に三人目のお子さんを研究室に紹介しに来たとき以来、会ってもいない。藁にも縋る思いなのは分かるが、俺に聞くなよ。
「そうだよね…。アケミのことだからね、夜の仕事、なんてことは無いと思うんだよ。でも、絶対何か危ない事をしている。そんな気がするんだ。」
その夜。夕食を作っていると、リビングのテーブルに置いていた俺のケータイを妹が持ってきた。
「鳴ってますよ。」
「ああ、ありがとう。」
妹は決して敬語キャラというわけではない。数年前、両親を失ったショックから家族の記憶だけを失ってしまった。それゆえ、実の兄である俺のことも「親切にしてくれる知らない年上の男性」くらいにしか思っていないのだ。そんな赤の他人との奇妙な共同生活に嫌な顔もせずに堪えてくれている。きっと彼女が専門学校を卒業する来年の春になれば、俺の元を離れて一人立ちするだろう。そしてきっと戻ってこない。それでも来年の春までは、彼女が一生得ることができないであろう家族の温もりを伝えてあげたい。
さてさて、話は電話に戻る。ハンバーグを作っていた俺の両手は肉でベトベトだ。それを見て妹は再び鳴りだしたケータイを開き、耳に当ててくれた。声を出さずに『ありがとう』と口を動かし、応答する。
「はい、もしも―――」
『僕だ!今家かい!?』
「えーっと、先生?…はい、そうですけど…」
『テレビを見て!ニュース!4チャンネル!』
会話を聞いていた妹が走ってテレビをつけ、またケータイが耳に当たるように持ってくれた。実に気の利く妹だ。
<―――かけられ、証拠不十分で不起訴になった○○ ○○21歳が『人を殺した』と××署へ行方不明になっていた男児1人を連れて自首しました。繰り返しお伝えします。たった今入った情報によりますと、連続児童誘拐事件で容疑を―――>
「確か、この事件、同じ小学校の男の子が何人か行方不明になって近くに住んでた大学生が捕まったけど小学生も証拠も見つからなかった事件…ですよね?やっぱりあの大学生だったんだ。」
字幕と音声で伝えられる速報を聞きながら妹が呟く。釈放後、マスコミ各社で真犯人を野放しにし、無実の学生に違法な取り調べをする警察への批判をドヤ顔で声高らかに語っていたのを記憶している。いけ好かない野郎だったが、やはり犯人だったか。
「…えっと、犯人逮捕、がどうしたんですか?」
准教授殿がこの事件に強い関心を持っている、という印象は無い。なのに何故わざわざ電話までしてきたのか?
『アケミがあの大学生を『助けた人』だって言うんだ!』
「えぇっ!?」
思わず肉だらけの手でケータイを掴んでしまった。さらには妹の手も掴んでしまい、俺も妹も「あ゛っ!」という声を出した。俺の馬鹿!!電話が終わったら謝らなくては…。
『大丈夫?とにかく、明日朝、家へ来てくれ!』
何で俺が行くんだよ!?自分の嫁のことなんだから自分たちで何とかしてくれ。とは思ったものの、俺自身も女の『人助け』の正体が気になってしまっていた。
次の日、つまり今日の朝だが、男の家に行くと女がまた『人助け』へ出かけた直後だった。家から出て来た女と鉢合わせないように隣のブロックの角に隠れてやりすごし、男の家の玄関をノックする。すぐにドアが開いて、男が出てくる。
「今日は研究室を休んでアケミの後をつけよう。ついて来てくれ」
そして現在に至るわけだ。准教授自ら研究室をサボるよう要請していいのかよ、等々突っ込みどころは満載だが、俺は女の尾行に同行してしまっていた。女は商店街を通って、公園を抜け、住宅街の中のある建物に入って行った。『救いの白』―――なんとも怪しげな名前である。新興宗教か何かか?
「どうします?言っておきますけど、俺はあんな怪しい建物に入りたくないですよ。」
「う~ん…」
男も同感のようだ。白い二階建ての建物は教会のようで、とにかく色々と白い。塀も門も壁も窓枠もドアも屋根も、とにかく白くて何か怖い。こんな所に出入りしているとなると、女がかなり面倒なことに首を突っ込んでいることは明らかだ。これ以上関わりたくねー…
「てか、先生。奥さんが何しているのかは記憶を覗けば分かるんじゃないですか?」
こう見えてこの男、去年世界中を驚かせる技術を開発した超有名な科学者である。彼が作り出したのは人の記憶を見る技術。その技術欲しさに研究者、警察、防衛省、各国の軍、テロリスト、エトセトラエトセトラに追い回されているのに捕まらない神出鬼没の天才なのだ。
何もこうして女を尾行しなくても、男の家にある装置をちょちょいと使えば女の記憶をたどり、危ない仕事の内容がすっかり分かるだろう。
「その手があったか!」
この男、自分の発明を過小評価しすぎだ。というか、もはや彼にとってあれは過去の産物で、完成してしまったもので、研究対象としてそそられないのだろう。すごい物を作っても、それを有効に活用できない。そういう男だ。この准教授殿は。
「そうと決まれば、こんな場所に長居する必要もないですね。教団の人間に見つかる前にさっさと研究室へ行きましょう。」
が、しかし、オレの『さっさとヤバそうな場所から離れよう作戦』は失敗に終わる。男が教会の入り口を指さした。女が連れていた小学生くらいの女の子がそこに立っていて、おいでおいでをしていた。
「ベニボシ…」
それが女の子の名前だ。キラキラネームにも程がある。ちなみにもう一人、よちよち歩いていた男の子はベニクサという名だ。キラキラネームにも(以下略)。さらにちなむと、この二人は准教授と紅い女の子ではない。そもそも人間でもない、と俺と准教授は思っている。
そんなベニボシが俺たちを手招いている。女の身に何かあったのだろうか?
「まさか…!」
俺はすぐ力一杯手の甲をつねった。痛みは無く、ただ爪の跡が赤く残っただけ。
「大丈夫、命の危機では無いようです。」
先生を安心させ、車を回すようお願いした。俺が様子を見に行って、女を連れ出せたら車でとんずらしようという魂胆だ。
「気を付けてね!15分くらいで戻ってくる!」
さてはて、面倒な事になった。先生の姿が見えなくなってから溜め息を一つ。そしてベニボシに付いていく。ベニボシは俺の少し前をチョコチョコと走っては振り向き、協会の裏手、大きな窓の側まで導いた。窓は閉まっているが、カーテン(これまた白い)が少し開いている所から中の様子が伺えた。
壁も天井も床も、もう一々言う必要もないほど全てが白い部屋の中には頭からすっぽりと白い布を被った人が四人、それと紅い女とベニクサがいた。教団の方らしき四人のうち、二人は見るからに体格が良い。白い布の中にプロレスラー級の肉体が押し込められているのが容易に想像できる。残りの二人はやはり顔は見えないが恐らく女だ。
そんな四人に紅い女は取り囲まれている。女はベニクサを膝にのせて木の椅子に座っていて、余裕綽々といった態度で白い女たちと話をしている。もめているようだ。
『あそこまでして欲しいとは頼んでいない!』
『えー、彼が出頭したのは彼の意思だよ?私がさせた訳じゃないもーん。』
この子どものような喋り方は紅い女のものだ。これが3児の母だというのだから驚きだ。
『私は、彼に懺悔をするきっかけをあげただけ。実際、君たちも彼の改心を喜んでくれたじゃなーい!改心した真っ当な人間なら出頭しちゃうでしょー?あーんな事しちゃったらさー!』
どうやら出頭した大学生についての話らしい。あの大学生もこの宗教の信者だったのか。それにしても懺悔だの改心だの、何の事だ?
『ともかく!このままでは困ったことになります。彼にかけた魔術を解いてください!』
魔術って…。おいおい、これが現代日本で交わされる会話かよ。先生が心配していた『人助け』というのは、あの大学生に『魔術』なるものをかけた事だとでも言うのか?女の喋り方を真似すれば、「真っ当な人間なら信じないでしょー?魔術なんてさー!」である。
俺の心の中での渾身の突っ込みなど知る由もなく、紅い女は足を組み替えた。膝に乗っていたベニボシがストンと白い床に着地し、椅子の周りをうろうろしはじめる。
『どーやって?あのさ、例えばー、インフルエンザウィルスが体に入ったとしよう!そのインフルエンザウィルス略してフルフルをそのままにしといたらインフルエンザ略してフルーザになっちゃう訳だ!』
インフルエンザウィルスをどう略せばフルフルになるんだよ?インフルエンザをどう略せばドラ●ンボールに出てきそうな名前になるんだよ!?そこはフルフルに倣ってフルだろっ!!
あー、駄目だ。一々突っ込んだら負け(?)だ。
『それで病~院行ってお医者さんにこう言うの。「ウチの息子の体に入ったフルフルを取り出して下さい!全部!」
…無~理に決まってんじゃん!!めっちゃウケる!』
30過ぎたオバサンの「めっちゃウケる」の破壊力と言ったら無い。フルフルとフルーザのインパクトで本論が霞んでしまったが、つまるところ紅い女の言うところは大学生にかけた『魔術』はウィルスのようなもので、いちどかけてしまったら解くことは出来ない、という事だろう。この答えに白い一団は更に殺気立つ。
『それにさー、警察に拘束されてる彼にどう接触しろって言うのさ?
君たちに出来ることはただ一つ!彼がこの教会の事をゲロっちゃわないよう祈る!ほら、信じる者は救われるんでしょー?さっさと君たちのカミサマにお祈りしなよー!』
不気味な笑いで話を終えた紅い女を挟むように体格の良い二人が凄む。冷たい視線を紅い女に落としながら白い女が言い放った。
『我々はここを守るためなら何でもします。貴女が魔術を解くと誓うまで帰しませんよ?』
馬鹿笑いしていた女は不気味な笑みはそのままに嘲るような上目遣いをする。
『人生2回目の拉致監禁、ヤッホー!』
拉致監禁。その単語で遊んでいたベニクサとベニボシの動きがピタリと止まり、一斉に無表情な目を俺に寄越した。心臓を鷲掴まれたような感覚。冷たい汗が毛穴という毛穴から吹き出し、全筋肉が硬直する。
体が全く動かせない状態の俺の目に映るのは、紅い女が椅子に拘束されていく光景。止めろ。止めてくれ。よりによって何で椅子なんかに拘束するんだ?女の最初の拉致監禁と同じ格好じゃないか。止めろ。俺にその光景を見せるな!
『どんな責め苦を与えれば貴女は神の御意志に忠実になるかしら?殴る?水攻めにする?それとも』
止めろ。その先を言うな。お願いだ。
『性的な拷問にしようかしら?』
驚くほど速く、俺の体は動いていた。敷地いっぱいの距離から助走をつけ、左肩から窓ガラスに飛び込んだ。ガラスを突き破った肩に衝撃が加わる。飛び込んだ先は椅子に縛られた女で、押し倒す形で共に床に転がった。
その拍子で折れた椅子の脚を掴み、早くも俺を取り押さえようと突進してきた男の一人に殴りかかる。男の拳と椅子の脚とでクロスカウンターが決まった。男の拳は俺の左頬に、椅子の脚は男の脳天に。口の中に鉄の味が広がる。男の巨体がヨロリと傾く。
床に沈む姿を見届けもせず、殴られた反動を利用して体を反転させ、今度は椅子の折れ口でもう一人の男の喉を突く。こちらの男は気絶する寸前に右の脇腹に蹴りを喰らわせてくれた。鈍い音が胸の中に響く。
これで相手の戦力は削いだ。あとは楽しそうにケタケタ笑う狂った紅い女を先生の車に放り込むだけ。女を椅子に縛り付けているロープをほどきにかかる。しかし、どうにもほどけない。どんな結び方してるんだ?
「このォッ!」
背中に冷たい感覚が走る。振り向けば白い女が真っ赤な刃物を両手で握りしめたまま後ずさりしていく。そうそう、丁度ナイフが欲しいと思ってたんだ。俺はゆっくり立ち上がり、ガチガチと震えている女に歩み寄った。硬く握られた手から紅い液体だらけのナイフを奪い取る。
「ば…バケモノ…!…悪魔っ……!!」
そんなうわ言を言っていた気がするが、何のことだかさっぱりだ。俺が窓から飛び込んだ音に腰を抜かしていたもう一人の女の元までよろけながら下がり、同じく真っ青な顔で座り込んだ。訳の分からない女たちだ。
さて、そうこうしているうちにロープを切り終わった。女はワンピースに着いた砂ぼこりを払いのけ、スッと立ち上がる。
「お迎えご苦労☆さ、帰りますかー!」
何か、こう、教団関係者の立ち振る舞いがイマイチに思えてならない。。。




