訣別
クリスはお茶の準備もそこそこに、自分の部屋へ向かった。ベッドの下から木箱を取り出し、本が一冊入る程度の大きさのリュックをクローゼットから引っ張り出す。アンを外に送りはじめた初期のころ、彼女に頼んで買ってきてもらったものだ。二つを持って早々に部屋を出て、図書室へ向かう。隠し部屋に着くと、本を一冊抜き出し鞄に詰めた。
荷物を持って玄関へ向かうと、階段の下にはアンが立っていた。
「・・・大荷物でどちらへ?」
「大荷物といっても、本一冊とこの木箱だけですけどね。」
一階まで下りると木箱を足元に下ろし、上着のポケットに手を入れ中からある物を取り出した。それを握ったまま腕ごとアンの方へ突き出す。
「手、出してください。」
言われたようにすると、その上に握られていた物が落とされた。それは金色がかったポイント型のトップが付いたペンダントだった。
「かわいい色じゃなくて申し訳ないんですけど、お守りです。差し上げます。」
「どこでこれを?」
「研究の合間に遊びで造ったんです。でも身につけている者を守るよう術をかけてありますし、実験でその機能は実証済みです。」
クリスは一旦そこで口を閉じ一瞬玄関の扉に目をやると、再度アンを見た。
「歩きながら、話しませんか?」
「はい。」
荷物を持とうとするアンをやんわりと断り、二人は玄関の扉に向かって並んで歩き出した。
「現国王であるバッカス・リックウッドは三十八歳の時に結婚。愛人を含めて三人の女性を抱えていますが十二年経った今も子供は一人もいません。彼自身は四人姉弟の末っ子長男で、上三人は早々に結婚して男子をそれぞれ二人以上産んでいます。女系継承は可能ですが、一部で己が種なしなどといわれていることに彼が耐えられる訳がありません。原因を外に作ろうとするでしょう。そこで登場するのが、私です。」
「しかし、クリス様の力は国家機密です。そうそう表に出せないのでは?」
「私のような力じゃなくとも呪術、まじないを使う人間は少なからず存在します。真偽は分かりませんが。私を表面上それらと同じ者として公表し王家に害をなしたとして処分するか、先に片づけて後付けするか。どうとでもなるでしょう。」
「それが行われるのが今日だと?」
「年末に正妻の浮気が発覚して離婚寸前まで行くも結局せずしかし別居状態。二人の愛人も既に王宮から出され、半年ほど前に使用人の一人に手を出すも妊娠はせず。そんな中で今月彼は五十を迎えました。相当焦っていると思うんです。」
片手が木箱で塞がっているクリスに代わってアンが玄関の扉を開け、外に出る。
並んで雨を見ながら、クリスが口を開いた。
「私はここでの生活が好きです。本を読んだり研究したり使っていない部屋の掃除をしたり食事を作ったり庭の手入れをしたり。外との接点はないがすることが有るここは、形だけだったとしても、アンさんの自由を代償にしているとしても、私にとって楽園だったんです。誰も侵すことのない広い遊び場だったんです。」
アンは一言も発することなくクリスの話を聞いていた。
「これは一種の卒業だと思っています。与えられた物だけを享受し惰性で生きることからの、安定を理由に正体を突き止めることを遠ざけ続けた自分からの卒業であると。傍から見ると、特にアンさんから見ると、私がしようとしていることはただの逃げなんでしょうね。」
「そのようなことはありません。なにをなさろうとしているのか私には全く分かりませんが、生きるためにすることはそれがなんであれ正しいことのはずです。得られるのはほんの一瞬の安堵だけかもしれませんが。ですが、死んでしまってはどうしようもありません。それに貴女が矮小な一人の男の心の平穏のためだけに死んでいいはずがありません。」
「殺しに来るって決まったわけじゃありませんけどね。」
そこで初めてクリスは顔を緩めた。すると木箱を地面に置き中の物を取り出すと、空になった箱をアンに差し出した。
「これは、どういう?」
アンは雨の中に一歩を踏み出したクリスの背に向かって問いかけた。
「差し上げます。今まで私に付き合ってくれたことに対するせめてものお礼です。その箱、実は初代国王のルドルフ・リックウッド作なんです。クッションで隠れて見えませんけど、底に歴史書なんかでよく見る彼のサインと全く同じものが彫られているので、確かですよ。あ、言っておきますけど、ここで見つけた物じゃありませんよ。私物です。」
そう言うとクリスは姿勢を正し、アンと正面から向き合った。
「全てが終わったらできるだけ遠くへ行ってください。この国ではもう、安全には暮らせないと思うので。今までありがとうございました。」
アンは、庭の中ほどに向かって走り去っていくクリスの背中をじっと見てことしかできなかった。
クリスは自らの目的地に向かいながら馬車が止まる音を聞いた。敷地内には馬車では入ることができない。彼女は庭のほぼ中心で立ち止まった。
『処分した証拠は残らないかもしれないが、目の上のたんこぶが自分でいなくなってくれるんだ。手間が省けたと思って感謝してほしいね。そうだ、アンさんが安全に逃げられるように足止めもしなければいけないな。手加減なんてできるほど、訓練してないんだけど。』
クリスは右手に持っていた棒を握りしめ、出入り口から姿を現した男へ向けるようにその先端を前に突き出した。




