暗雲
男はギャラリーで、自らが集めた絵画を愛でていた。そこへ雑音が響く。
「失礼いたします。陛下、終わりましてございます。」
しかし男はその場から動く気配を見せない。
「もう終わったのか。なら明日の分も整理して来い。私はまだここにいる。出ていけ。」
「誠に勝手ながら、午後から例のもののもとへ行く予定が入っておりまして、他の者にお申し付け頂けますでしょうか。」
「今日は何日だ。」
「三月二十九日でございます。」
男は相手に嘲りの笑みを向けた。
「月一の定期面会か。アレをまだ生かしておいたとは、カルロス、お前も意外に小心だな。」
「は。私がどうなろうと気にはいたしませんが、陛下に万が一のことがございましたら、私一人の命では足りませんので。」
「ど、どういうことだ。私はアレに一度も会っておらんぞ。」
声色、顔、腕、すべてから男が動揺していることが分かる。
「陛下は有名なお方。あのもののことです、直接会わずとも術をかけることなど容易いかと。」
男は椅子から立ち上がり、窓側へ寄った。
「アレを捕えてから何年たつ。」
「来月で十年になります。」
「・・・トリスが妊娠しないのはアレのせいではないのか。」
「おお、なんということ! 配慮が足らず申し訳ございません。」
カルロスは恐ろしげに声を上げる。いつもならその芝居がかった態度に嫌味の一つも言われたかもしれないが、今日の男は平常ではなかった。
「すぐに調べてこい。少しでも怪しい点があったら、構わん、消せ。」
「仰せのままに。それでは、至急向かいます。」
カルロスは深々と礼をし、静かにギャラリーを出て行った。
外には部下が控えていた。
「よろしいのですか。あのようなことを安請け合いしても。」
「お前もこの国の財政は知っているだろう。陛下の浪費癖は生まれつきだが、あれは二代目から続く遺伝だ。どうしようもない。だが、金はいる。陛下は建物には興味がない。そこで出てくるのが、アレを置いている建物だ。あの宮殿は規模は小さいが建国時からある建物だ。売ればいくらか金になる。壁は壊さなければならんがな。化け者の檻にしておくにはもったいなくなった。簡単なことだ。」
「手段はなにかお考えで。噂では飛び道具でも刃物でも、傷一つ付けられないと。」
「ただの噂だ。誰も報復を恐れてしてこなかっただけだ。すぐに済む。」
二人が玄関に付くと、そこには既に連れの二人と馬車が来ていた。しかし、いつも連れていく二人ではなかった。
「その二人は・・・?」
「言っただろう、直ぐに終わると。」
部下にただ一言そう言うと、カルロスは馬車に乗り込み目的地に急いだ。
頭上で自分を呼ぶ声がするのに気がついたとき、クリスは三冊目に突入していた。今いる部屋には時計を置いていない。本を元の位置に戻すか悩んだが、本をそのままに二つのランプの灯を消して、急いで階段を上がった。図書館に戻り、右側の本棚を壁に強く押した。すると開いていた本棚がゆっくりと閉まり、もとに戻った。開けるために位置を変えた本を元に戻し、声のする方へ急いだ。
「すいません、部屋で調べ物をしていて気付くのが遅くなりました。」
入口から何度か呼びかけたが、返事がないので一階まで下りてきていたアンは、姿を見せたクリスに安堵の笑みを向けた。
「いえ、集中なさると周りの音がほとんど聞こえなくなることは存じておりますからお気になさらず。昼食はサンドイッチにいたしました。よろしかったですか?」
「ありがとうございます。行きましょうか。」
「準備は渡り廊下正面のお部屋にいたしました。」
「アンさんと暮らすようになって、時々自分がとても偉い人間になったように錯覚してしまいます。」
アンはクリスの皮肉に苦笑し、出口へ歩き出した彼女の後を追った。
朝食は直ぐに済んだ。食後のお茶を飲んでいたクリスは、三時間ほど前よりも庭に落ちる日の光が薄いことに気が付き、空を見上げた。前方は朝と同じく小さな雲が数個浮いているだけの晴れだが、壁の向こうからは灰色の雲が流れてくるのが見えた。よく耳を澄ませば風もすこし強くなっている気がする。
空になったカップをソーサーに戻し、アンに話を振った。
「今回の定期面会は何人でくる予定か言ってましたか?」
ティーポットを机の上に置いて、アンは答えた。
「いつも通り三人で行くと仰っていました。」
「じゃあ来るのはいつもの人たちですね。まだ二時間以上ありますが、準備を始めておいてください。私は庭からいくつか花を摘んでくることにします。」
庭を見たクリスに習ってアンも外に目を向け、灰色に染まり始めた空を見た。
「雨が降りそうです。あまり長居されませんようお気を付けください。」
「はい、適当に選んですぐ中に入ります。森では既に降っていそうですよね。彼ら、途中の道で事故にあっていなければいいですが。」
お茶の礼を述べた後、クリスは部屋を出て行った。
建物の正面にある庭は、週に一度業者によって手入れされている。そことは別に、建物の後ろに小さな庭がある。そこは、クリスがここに住み始めて自ら整備した庭である。彼女も常に建物の中にいる訳ではない。外に出ることは禁じられてはいなかった。
庭の一画に少ないながらも様々な花が咲いている。その中から適当な花を選び、切っていく。十数本切ったところで、アンが庭に入ってきた。
「お持ちします。」
もう一本切った後、花を彼女に渡す。
「ありがとうございます。悪いんですが、ついでに花瓶に入れてきてもらえますか。彼らが来るまで図書館で時間を潰すことにします。今度は地下には行きませんので。」
「かしこまりました。」
クリスは花を切るのに使った鋏を布で包み、ズボンの後ろのポケットに入れた。二人が玄関に向かって歩き出そうとしたとき、空からの水で顔が濡れた。同時に上を見ると、空は既に灰色一色になっていた。
「やはり降ってきましたね。」
「彼らが来るときはいつもこうだ。水やりをしなくてすむのはいいですけど。」
「中へ急ぎましょう。今はまだ粒が小さく、勢いもありませんが、強くなるかもしれません。」
クリスは小走りに、アンは持っている花が傷つかないようにゆっくりと走りだした。建物の横を通り過ぎたところで、クリスの耳に馬車を引く音が微かに聞こえた。彼女は心持ち足を早めた。
二人が玄関に着いた時、地面に落ちる雨の音が大きくなっていくのが分かった。
「タオルをお持ちしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。それと図書館での時間潰しはやめにします。その代わりに、お茶の準備をする事にします。もう、すぐそこまで来ている気がするので。」
「・・・かしこまりました。では、お茶の準備をお願い致します。」
アンは一礼したあと、花を持って一階奥の応接室へ向かった。クリスは少しの間扉を見つめ、先程よりも確実に強く近くなった馬車の音を聴いていた。




