第四章 不安、疑惑
ザクロが告げた次の儀式はあたしにとって容易いものだった。
「必要な儀式はほとんど終盤だ。その葉を焼いて灰を作る」
「なんだ。燃やせばいいのね」
あたしがあっさり頷いたからだろう。ザクロはきょとんとした。
「燃やせばいいって簡単に言うが、今君は道具を持たない状態だと思うのだが。無論、俺も火打石などの道具は持っちゃいない。それでどうやって燃やすんだ?」
疑うような目を向けて声を掛けてくるザクロに、あたしは胸を張って返してやった。
「だーかーらっ! あたしは文化調査員なんだって言ってるでしょ? 魔法くらい使えるわよ。でもって、炎系が一番得意なの」
「よりにもよって炎系か」
何か嫌な思い出でもあるのだろうか。はぁっとため息をついて、ザクロはあからさまにげんなりとした態度を見せた。
「な、なによ。炎使いは便利なのよ?」
「火加減を調節できれば、だけどな」
彼が何を気にしているのかわかった。炎の魔法はその影響範囲が他の魔法と違って広い。それ故に扱いが難しいとされている。火打石で起こした炎でさえ扱いに注意が必要であるように、魔法も同じ程度、いやそれ以上に注意が必要だ。彼はそう言っているに違いない。
「任せなさいっ! そこはもう完璧なんだから」
「じゃあ、その木の葉を燃して灰を残すくらいの芸当はできるんだな?」
まだ疑っているらしい。あたしは大きく頷いた。
「できるわよ。その目でしっかり見てなさいな」
魔法を使うための意識集中。周囲の空気がピリピリとしてくる。
「ちょ、ちょっと待て。俺が避難するまで魔法は待った」
あたしが呪文を言おうと口を開いた瞬間、ザクロが待ったを掛けた。集中が途切れて、あたしは恨めしい気持ちのこもった視線を向ける。
「何で信用してくれないのよぉ。問題ないって言ってるのに」
むすっとしてあたしが言っているそばから、ザクロはさっさと遠ざかっていく。
(うっわー、本当に信用されてないんだ……)
かなりしょんぼりである。文化調査員として、一人の人間として認めてもらうために必死にここまで来たと言うのに、こんなふうに扱われるって――などと凹んでいると、角灯を持った手が揺れた。
「そうそう、灰は次の儀式で必要だからな! 必ず残しておくようにっ!」
霧の向こう、角灯の光でザクロの位置を確認する。充分すぎる距離だ。そこまではなれないと安心できないと言うことか。
(ったく、失礼しちゃうわね……)
「はーいっ! ちゃんと言われたとおりにしますって!」
波立つ気持ちを落ち着けて、意識を集中。
あたしは水滴を呑むのに使った若葉を片手に握り締め、そっと瞳を閉じて念じる。
周囲を包む気配が変わる。あたしが練った魔力が空間に充ちてきているのだ。肌を焼くようなピリピリとした気配。それを一つに束ねるように丁寧に思考を纏め上げる。
あたしは目を開き、目標を確認。呪文を唱えた。
「――草木よ、陽の関係に基づき爆ぜよっ!」
ぼふっと空気が膨張し、手の中で小さな炎が生じる。すると一瞬で灰に変わった。炎に焼かれたと言うより、置換されたかのような様子だ。葉の形を保ったまま灰になったのを見てほっとしていると、遠くから声が聞こえてきた。
「おぉっすげーな。本当に火力を制御できる腕があるとは思わなかった」
続いて拍手の音。霧でよく見えないはずだが、成功したかどうかはわかったようだ。
「だから言ったでしょ? 炎系は得意なんだって」
(――まぁ、他の魔法はあんまりうまく制御できないんだけどさ)
余計なことは言わないに限る。あたしは心の中で呟くにとどめておいた。
「で、この灰はどうすればいいの?」
「上に放り投げるんだ。その灰を浴びれば、次の儀式は完了する」
遠く離れたままザクロは戻ってこない。角灯の位置は変わらず、彼の姿はその光によって作られた影でしかわからない。
(見てくれたっていいのに……せっかくこうも綺麗に灰になったんだから)
不満ではあるが、いつまでも愚痴を言っていても仕方がない。あたしはしぶしぶ言われたとおりに次の儀式の準備に入る。
「了解。灰をかぶれば良いわけね」
あたしは握っていた木の葉の形をした灰をぎゅっと握って粉々にする。そしてそれを思いっきり頭上に放り投げた。手のひらからパラパラと細かくなった灰が霧の中に紛れて飛び散っていく。
「無事に終わったわよ。ザクロさん、そのあとは?」
手の中にあった灰が綺麗さっぱりなくなったのを確認すると、改めてザクロを見やる。
(あたしの考えが正しければ、これで炎系の魔法を使うための儀式が一巡したところ。赤の龍神様といえば炎使いのはず。それが関係するが故の儀式だったとするなら、今のでおしまいだと思うんだけど――)
角灯が映す影は、あたしに手を振っていた。
「よーし。ならば後は交渉するだけだ! 俺は遠くから応援してるぞ!」
「ちょっ!? それならそうと最初に説明してよっ! 結局心の準備、できてないんだけどっ!?」
文句を続ける間もなく、昇り始めていたはずの朝陽が翳った。それと同時に肌がピリピリと痛む。現れた巨大な存在に反応しているのだ。
「うそ……」
霧に映りこむとても大きな影。
振り返ったそこには、長い髭を蓄えた頭と鱗で覆った巨体を持つ赤い龍神がいた。どこから現れたのかはよくわからなかったが、圧倒的な存在感はあたしの目の前から伝わってくる。燃え盛る炎のような瞳があたしを捉えたまま、じっとにらみ合うような形で対峙することになってしまった。
(ってか、あたしはてっきりザクロが赤き龍本体だと思っていたのにっ!)
ちらりと背後に視線をやれば、ザクロの姿が角灯の光で影になっている。
(想定していた展開と違う……参ったわね)
呼び出す儀式をしていたはずなのだが、こうもあっさり登場されてはどう対処するのが適当なのかわからない。冷や汗がだらだら流れて、今すぐ逃げ出してしまいたい心持だ。
(いや、逃げ出したくても逃げ出せないから話し合いの場を設けたんだった……)
覚悟を決めねば。
あたしは深呼吸をすると、龍神に向かってまずは一礼した。
「ど、どうも初めまして。あたし、アンズって言います。まずは、えっと……その、あたしに『龍の繰り人』の資質を見出してくださいましてありがとうございました。――で、あのですね、このままあたし、閉じ込められているわけにもいかないわけでして……よろしければ、あちらにいるザクロさんとともに村に返していただければと思うのですが……」
龍神の炎の瞳は動かない。あたしは説明を続けることができずにただ固まる。
(ま、まずい。これ以上何も浮かばない……)
立っているだけでも結構つらい空気なのだ。喋ることができただけでも大したもんだと自分で自分を褒めてやりたくなるほどである。
(う……どうしよ。というか、あたし、赤の龍神様に会ったら、訊いておきたいことがあったのに……)
文化調査員試験の面接でのやり取りが過ぎる。何のためにあたしが文化調査員を目指したのか。それはこの国のためにできることがしたい、自分でも何かできるんだってことを証明したい、そんな気持ちや憧れは確かにあった。でも、文化調査員を目指そうと思ったきっかけはもっと別のところにあった。
(今が絶好の機会だって言うのに――)
あたしは龍神様に会ったら、自分の出生について訊くのだとずっと願って、それで今ここにいるのだった。
(もう、こんな機会は得られないかもしれないっていうのに……)
ぐっと握る拳に力が入る。
あたしの生まれた場所は定かではなく親を知らない。
わかっていることといえば、見つけて保護されたのがこの周辺だったことくらいだ。だから地域を支配している龍神様なら、とりわけ赤の龍神様であるならあたしの親がわかるんじゃないか、あたしがどこから来た存在なのか知っているんじゃないかと思ったのだ。
(もしも逢えるなら、お父さんとお母さんに逢いたい。大きくなったんだよって伝えたい。今まで捜索してもらっても見つからなかったけど、龍神様なら、目の前にいる赤の龍神様なら知っているかもしれないんだから)
そんな望みがあって、赤き龍神の祭りの調査の仕事が入ったと聞いてすぐに立候補し、勇んでここを訪ねたというわけだ。
だというのに、いざ対面してみればこの有様。情けないにもほどがある。
(うう……千載一遇の好機だっていうのに、んなこと訊けるかっていう空気をまずはどうにかしたい……)
赤き龍は何も喋らない。このまま動かないのかと不思議に感じ始めたときだった。
龍神はその大きなあごを開くと、あたしに向かってぱくっと動かした。
「はうっ!?」
咄嗟に身体が反応した。
あたしの身体は後方に跳躍し、水面に着地。くるぶしまで水に浸かり、湖の水がぴちゃんと撥ねる。
(こ、これはぱっくりもぐもぐってやつですかっ!!)
そういえば、と思い出す。
あたしは『龍の繰り人』の候補であり、その一方で龍の生け贄として捧げられてしまった身であることを。
「も……問答無用であたしをぱくっと食べないでちょうだいっ! ま、まだ話は終わってないでしょうがっ!」
心臓がバクバクと大きな音を立てている。胸元を押えると、その鼓動が伝わってくるほどだ。
怒鳴る声を無視し、龍神の頭はあたしを見るなり追ってきた。なかなか素早い動きだ。
「ちょっ……あたしの話を聞く気がないわけっ!?」
水に浸かった状態では動きにくい。あたしは陸地を目指して移動。そのあとを大きなあごが迫ってくる。正直、生きた心地がしない。
「そっちがその気なら、あたしだって攻撃させてもらうんだからね!」
精神統一を行いたいところだが、そんなに落ち着いて行動できるほどあたしは訓練されていない。それでも、自分がやろうとしていることを脳内で丁寧に作り上げる。
「我が周囲に満ちる大気よ、陽の関係に基づき爆ぜよっ!」
指先に炎を生む様を想像し、示すがごとくその手を龍神の口の中に向ける。
空気が膨張し、龍神の口元で爆ぜた。ごうっという大きな音が空間を振動し伝播していく。
あたしの身長と同じくらいの真っ赤な炎が生まれ、龍のあごを焼く――そう思われたが龍神ものんきに構えているわけではない。
ずいっと大きな図体にしては俊敏に後退。炎の直撃を免れていた。
(くっ、そう簡単にしとめられるわけがないか――って、うっかり怒らせちゃったりしてないかしら……?)
怯んでくれれば交渉の余地はあるかと考えたのだが、龍神はあたしから距離を置くと、その狙いを別に向けたらしい。頭を持ち上げると目をそらした。
(まさか)
龍神の視線の先にはザクロの姿。角灯を背にこちらを見守っている影が見える。
(まさか、やめてよ)
そしてその瞳に彼を映したかと思うと、ずるりと動き出す。
一気に、ザクロの元へと。
(やめてよ、止まってっ!)
背筋を悪寒が走った。
「やめてっ!」
迷っている場合ではない。自分が怪我をしようとも、何の関係もないザクロを巻き込むのだけは嫌だった。文化調査員の誇りとして、ここまで導いてくれた礼として、彼を絶対に救わなければいけない。
(間に合えっ!)
危険を承知で、あたしは自分の足元を爆発させる。ぬかるんでいる地面に含まれた水分を一気に水蒸気に変えたのだ。
空気が膨張し軽いあたしの身体は吹き飛ばされる。痛みが足元から上ってくるが気にしている場合ではない。どうせ熱風でちょっと火傷を負ってしまったくらいに違いない。
(っつ……でも我慢よ、アンズ)
続けて空中で爆破を起こし、方向変換。根性で龍神の前方に割り込んだ。それと同時に手足を目一杯伸ばし、あたしを一飲みできそうなくらいに大きい龍神の頭を抱えるつもりで立ちはだかる。
(行かせるもんかっ!)
龍神がこの勢いで突っ込んできたら、どううまくいったところでザクロとともに龍神の腹の中行きだ。それでも何もしないよりはマシ――あたしは自分の身体が龍神に飲み込まれていくのを想像しながらぎゅっと固く瞼を閉じた。
そして――。
(あれ……?)
痛みも何もなかった。噛まずにごっくりとされてしまったのだろうと思いながら目を開け……あたしは自分の目を疑った。
いつの間にあたしの前に移動したのだろうか。燃えるように煌めく赤い髪、炎が揺らめくように輝く赤い瞳――とても印象的な容姿の青年ザクロの心配げな顔が、状況を飲み込めずにぽかんとしていたあたしの瞳に映っていた。
「ったく、自分の周囲を爆破して移動するだなんて、どうかしてると思うぞ」
ぽんっと大きな手のひらがあたしの頭に載せられる。そしてぐりぐりと撫でられた。
「ちょっ……馴れ馴れしいっ!」
「それだけの元気があるなら大丈夫そうだな。無茶しやがって……焦ったじゃねぇか」
後半の台詞は呟くように。そして彼はあたしを引き寄せてぎゅっと抱き締めてきた。ザクロの胸にあたしの耳がくっついて、その早まっている心音が聞こえた。
(本当に焦っていたんだな……)
心配してくれたことがちょっとだけ嬉しい。
(だけど、これはこれ、それはそれ、よ)
あたしはこの状況に流されることなく、ザクロの手をのけて距離をとった。彼は一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべ、しかし次の瞬間には満面の笑みに切り替えていた。
「これは一体何の冗談なの?」
さっきまで戦っていたはずの龍神の姿はなく、代わりにザクロからその圧倒的な気配を感じ取れた。ばらばらだった気配が一つに融合したかのような自然さがそこにある。それまでのザクロにあった違和感は、今はきれいさっぱりなくなっているのだった。
「俺は冗談で命を懸けたりするような趣味は持っていない。ただ仕来りに倣って、君にどの程度『龍の繰り人』の才があるのか試したに過ぎない」
言って、ザクロは肩を竦めて見せる。
「試したって……」
「で、その結果、俺は君を合格とみなした。ちなみにあの儀式、試験であると同時に『龍の繰り人』と龍を結びつける契約の意味もこもっているんだ。それを抜けなくこなした君には充分に才能がある。よく頑張ったな。疲れただろ? 里に帰ってゆっくりしようじゃないか。準備もある程度整った頃だろう」
にかっと破顔したのを見て、あたしはやっと彼の言っている意味を理解した。つまり彼は、あたしが初めに想像したとおり赤き龍だったのだ。
「もうなんなのよーっ!?」
霧でぼんやりと霞む山中に、あたしの動揺する叫び声が響いていったのだった。




