第三章 龍神の儀式
ザクロいわく、世界を構成する要素にちなんだ儀式を順番に行うことで、龍神を呼び寄せることができるのだと言う。
ならばということで、あたしたちは儀式を行える場所を確保するため、ここまで歩いてきた道を戻ることにした。祭壇があった湖の畔、そこなら龍神様が現れても問題ないくらい広く、ゆえに逃げ場所もある。安全性を考えるなら、里に続く山道の途中なんかよりもずっと適当だと言う結論だ。
「――はぁ。儀式くらい調べて来いよ。仮にもここへ派遣された文化調査員なんだろ?」
角灯が照らす道を歩いて戻り始めたとたんにザクロがため息をついた。
「う、うるさいわねっ! まさか龍神様をお呼びしなければならない事態になるだなんて思っていなかったのよ」
そうは言ったものの、何の知識も無しにここへ来たわけではなかった。
ザクロが説明したことに似た話は聞いたことがある。ただしその知識は龍神を呼び出すための話ではなく、あたしが得意とする魔術に関した知識だ。ここにはないものを呼び出すと言う点では似通っているだろうか。
そんな繋がりがあるからか、魔術知識を深めるための文献調査の中で、これらの魔術が龍神様を呼び出す際に行われる儀式を元にしているという記述を見かけていたのだった。
それでもザクロに説明を願ったのは、この土地にはこの土地の仕来りなどがあるわけで、それに倣うのがその土地に住まう龍神に対しての接し方だと思ったからだ。決して、何も知らなかったから彼に聞いたと言うわけではない。
「ったく、想定しておけよ。何がどうなるか分からない危険な仕事なんだろ? 準備しておいてなんぼじゃないのか? いつか怪我するぞ」
心配しての台詞ではないらしく、からかいが滲んだ調子で言われてしまう。
「あたしが怪我する分には構わないわよ。準備不足が原因だったって素直に認めて、全部受けいれるわ」
きっぱりはっきり言ってやる。そのくらいの覚悟はできているつもりだ。今回みたいに、不意打ちされた上に生け贄にされたのは不本意ではあるが、戦って抗って、その結果であるなら受け入れる。自分の責任だからだ。
(……ん?)
すぐに反論してくるかと思ったのに、妙に静かになった。からかうようでもなく、だからといって非難するようでもなく。彼の横顔が少し変わった。
「――そうやって君は、自分を犠牲にして生きるつもりなのか?」
ぼそりと呟かれた台詞。それはとても真面目な声色で、あたしに問い掛けているのかどうか判断に困るようなものだった。
あたしは聞いていない振りをする。そんなあたしに、彼はまた小声で囁いた。
「――君を守ろうとしてきた人たちに対して、それはひどい仕打ちになるんじゃないか?」
「……え?」
さすがに無視できなかった。あたしが声を漏らすと、はっとしたような顔をしてこちらを見た。
「あ、いや。ちょっと別のことを考えていた。忘れてくれ」
そう言って苦笑すると、ザクロはあたしよりも少し前を歩いて足を速めた。
(な、何なのよ……)
意味深な発言に疑問を覚えながらも、あたしはそれ以上問わなかった。
そんなやり取りのあとは真夜中の山道をただ黙々と歩いた。
戻ってきてしまった祭壇のある湖の畔。水面は穏やかで、星影がくっきりと映る。周囲の森も静かで、あらゆる生物たちが眠ってしまっているかのようだ。
(さてと。これから龍神様をお迎えしなくっちゃ)
あたしは深呼吸をして気を引き締めた。
「ねぇ、ザクロさん? まずは何をしたらいいのかしら?」
適度な緊張感がこもった台詞。あたしの問いに、ザクロはにっこりと微笑んだ。
「最初の儀式は鉱石探しだ」
「鉱石探し?」
「あぁ、そうだ。この山の中のどこかにある鉱石を探すのさ」
「えっと……」
さらりと言ってくれたが、見渡す限りのそのすべてが対象の山だ。しかも、鉱石という指定はあれど、具体的な指定はない。どんな色で、どんな大きさで、どんな特性を持ったものだというのだろうか。
「範囲も大雑把だけど、鉱石って何よ? その辺の石でも構わないの?」
「金属が含まれているようなもんならいいんじゃないか?」
「質問を質問で返してくるし……」
むすっとして、あたしは辺りをきょろきょろと見てみる。
夜を映す暗い湖。星影に照らされる木々。地面は角灯の照らす狭い部分しか把握できない。
(そういう儀式ならもっと早く説明してくれたら良かったのに。ここで探すよりも、山道の途中の方が見つけやすかったんじゃないの?)
あたしの不満な気持ちを察したのだろうか。ザクロが腕を組んで、ふと口を開いた。
「――そうだなぁ。俺が聞いた話では、地面を掘ったら出てきたとかどうとかつー話だったか」
大きな独り言だ。ザクロの台詞にあたしは思わず目を向けた。
「掘った? この山の中を適当に掘ってそんなものが出てくるの?」
あたしはぽかんとした顔で訊ねる。当てもなくそんな方法で鉱石を見つけ出したと言うのか。いや、そんなはずがない。何らかの方法があるはずだ。魔法を使うのと同じで、何か引っかかりになるものがあるはずだ。
しかしザクロはあたしの期待をよそに、肩を竦めて続ける。
「伝説だよ、伝説。『龍の繰り人』なら、そのくらい簡単にやってのけるってことだろ?」
「ちょ……あたし、好きで『龍の繰り人』候補になったわけじゃないんだけど」
期待しすぎた。所詮彼は一般の村人だということだろう。ここの龍を呼び出す儀式についての知識は、あくまでも噂程度に知っているに過ぎないのだ。
そんな自分の感情に苛立ってむすっとすると、けしかけるようにザクロは続けた。
「じゃあ諦めて、ぱくっとされるのをおとなしく待っていたらどうだ? 俺で良ければ見届けてやるぜ?」
「――やる。やればいいんでしょ? 何もしないでいるよりは、意味がないかもしれなくてもやったほうがマシっ!」
文句を並べていたところで先に進まない。ザクロがニヤニヤしているのが気に喰わないが、言われた通りにやることにしよう。あれはあれで、あたしのために助言してくれているには違いないのだ。
あたしは落ちていた枝を拾うと、掘りやすそうな柔らかい地面を探して突いてみる。鉱石だなんて簡単に見つかるわけがない。土の中からそれっぽい石ころが出てくればそれでよしとするか、などと思いながら掘り進めていく。
すると――。
「ん……?」
がつんと何かに当たった。変な感触。
あたしはすぐにしゃがみこみ、土の中から小さく顔を出しているものの周囲を丁寧に掘る。
(まさか……)
優しく掻き分け、卵大の塊を掘り出した。手でこすってやると表面は滑らかで、天にかざせばかすかに光を反射した。
(どうしてこんなところにこんなふうに埋もれているわけ?)
かなり不自然だ。
珠のように磨かれた石は手のひらですっぽりと包めるくらいの、あたしには握りやすいものだ。試しにつま先でこの石が出てきた周囲を掘り返してみるが、他に似たような石も小石さえも出てはこなかった。
(本当にあたし、『龍の繰り人』になれるの……?)
候補に選ばれた――それが本当なのかどうか。ザクロがそう言っているだけであるので疑わしく思っていたが、こんな感じの奇跡がもしも続くようなら信じられなくもない。
(まさか、ね……あたしはただ、赤の龍神様と話をするためにこの儀式をやっているだけなんですもの。そんな『龍の繰り人』だなんて、ねぇ、関係ないでしょ、きっと)
胸の鼓動が早くなっている。それをごまかすために、あたしは水辺から離れた位置で様子を窺っているザクロに身体を向けた。
「ザクロさんっ! こんなんで良いのかしら?」
ほいと勢いよく光沢を持つ石を投げてやる。ザクロはあたしが放った石をしっかりと受け止めた。なかなか良い反射神経だ。
(さて、なんと言われるやら……)
彼がよしと言えばこの儀式を終えたことにしてしまおうと思った。こんな石がほかにもごろごろ出てくるとは想像しにくい。却下されたら、また別の方法を考えよう――そんなことを巡らせていると、ザクロの嘆息が耳に入った。
「へぇ……。驚いた。案外と出てくるもんなんだな」
まったく期待していなかったらしい。彼は心底驚いたような様子で感想を漏らし、まじまじと手の中の小石を見ている。
「そんなので良いなら、次の儀式に行くわよ」
あたしは手を軽く叩くと、ザクロの傍に戻ったのだった。
「次の儀式は、この鉱石に生じた水を集める作業だ」
あたしの目の高さに鉱石をかざしながら告げたのは、それはそれで厄介な内容だった。
「――ちょっ……この卵大の石に生じた水を集めろ、ですって?」
表面積を考えてもとても小さい。水を集めるとして、どうすればよいというのか。しかもよりにもよって、鉱石に生じた水、である。湖に沈めてその表面に残った水を集めたのでは意味がない。
あたしが笑みを引きつらせて聞き返すと、ザクロは肩を竦めて見せた。
「そう言われているんだから、やるしかないだろ。俺は俺が知っているとおりのことを告げているだけだ」
「む……」
今さら他の石を探すのも大変に思えた。
(どうせここでまた噛み付いても「だったら龍神に喰われるのをおとなしく待ってろ」と言われるのがオチよね。なら、仕方ない)
あたしは近くに石を置いて隣に腰を下ろす。諦めたわけではない。これも作戦の一部だ。あたしはただじっと待つ。
「ん? 降参か?」
あたしの行動の意図がわからなかったらしい。不思議そうな顔であたしに角灯を向ける。
「降参? 本気でそう思ってるの?」
置いた鉱石の表面を見て、そして空を見上げる。雲一つない空にはたくさんの星が輝いている。明け方も近いらしく、星の位置がだいぶ変わっていた。
気温が下がってきたからだろう、あたしの身体がわずかに震える。
「だが、そうやってじっとしていたら身体が冷えるだろ? 風がないとはいえ、この天候だとまだまだ寒くなる。諦めたなら、君が閉じ込められていた祭壇の中で暖をとったほうが良いんじゃないかと思って」
「あら、あたしの身を案じてくれてるの? 別に大丈夫よ。身体は丈夫な方だし。それに、交渉に失敗したら龍神様にゴックンの運命よ。気にすることじゃないわ」
あたしは外気に晒されている脚をさすりながら答える。ひんやりしており、身体が冷え始めているのがわかる。
「そうは言うが、寒いんだろ? 身体、震えてるのわかるんだが」
「う……た、確かに寒いけど、我慢できるし。――ザクロさんこそ、寒いなら祭壇で休んでいていいのよ? わざわざあたしと一緒に寒い思いをする必要なんてないんだから」
しつこく聞いてくるのは彼自身が寒いと思っている所為だ、そう理解したあたしはザクロに提案する。勝手に付き合ってくれているとはいえ、あたしがそう言い出さないと行くにも行けないだろう。
「ったく、強情なんだな……」
小さく舌打ち。そして彼は自分が羽織っていた上着を脱ぐと、あたしの肩にやや乱暴に掛けた。
(あったかい……)
ザクロがさっきまで着ていたために温もりが残っている。がたいのいい大きな身体を包んでいただけに、あたしの小さな身体はすっぽりと包まれた。なにより、彼にとっては肘くらいの長さまでしか袖がないのに、あたしからすると手首がもう少しで隠れそうになるくらいあってとても驚いた。
あたしはザクロを見上げる。彼はにこりと笑む。
「どんな狙いがあるのかは知らんが、それ着てろ」
「でも、あなたが寒いんじゃない? そんな薄着じゃ、風邪引くわ」
肌着しか身につけていない状態だ。そんな格好で付き合わされては体調を崩すに違いない。
「鍛えているから心配するな。この程度で病気になるほどやわじゃない」
「鍛えてどうにかなる問題? 霧が出るくらい寒暖の差がある状況なのに――」
「なるほど」
どこかで暖かくしているように告げようとしたところを遮られた。あたしは目をぱちくりさせてザクロを見つめる。
「なるほどって?」
「霧が出るのを待っていたんだなって。やっとわかってさ」
言ってザクロは空を見上げ、湖に目をやった。辺りが徐々に明るくなってきて、湖の表面がだんだんと霞んできていた。
「今夜の気象条件は悪くない。それなら確かに露を集められる」
ザクロの指摘してきたことは、まさにあたしが企んでいたことだった。小さく肩を竦め、おどけて返す。
「どれだけ集まるかはわからないけどね。賭けるなら悪くない賭けでしょ?」
雲のない空は冷え込みを促す。近くに湖もあり、外気と水温の寒暖の差を利用してうまいこと利用すれば、霧はより発生しやすいだろう。その霧と鉱石との間に温度差があれば効率的に水を集められるというものだ。
「悪くない賭け、か……」
あたしは自分が掘り出した鉱石に目を向ける。
これでうまく水を集められない場合は魔法でどうにかするくらいしか思いつかない。卑怯かもしれないが、それはそれであたしの実力だ。
(さぁ、来いっ……)
霧があたしのいる辺りまで到達して、地面に転がしていた鉱石の金属光沢が鈍り始めた。霧が濃くなっていくに連れて見えにくくなるのだが、どうやら作戦は成功したらしい。あたしは顔を近づけて、その表面に浮かぶ小さな水滴を確認すると、ザクロに顔を向けた。
「よし、やったわ! ――さぁ、ザクロさんっ! 次のお題はっ!」
あたしが威勢よく問うとザクロは一瞬だけぎょっとしたが、すぐに嬉しそうな顔をして答えた。
「あぁ。次はその鉱石に生じた水分を葉に乗せて飲むんだ。葉はできるだけ若い方がいい」
「……また面倒そうな課題をぶつけてくるもんね」
喜びも束の間。あたしはため息混じりに呟く。
「そういう言い伝えだからな。かつて誰かがやったことなんだろうよ」
「本当に誰かがやったことなのかしらね。こんな厄介なこと」
鉱石を動かさないように避け、あたしは目的の若葉を求めて木々の茂る方に歩き出す。明るくはなってきたが、今度は霧で見通しが悪い。足元に注意しながら慎重に歩む。
「さぁね。誰かがその課題をやってのけていたかどうかはわからんが、君はそれをするかしないかは自由だし、おとなしく喰われるか、交渉して自由の身を手に入れるか、力技で倒すかも自由だ」
ザクロはその場に留まり、あたしに言葉を返す。
「はいはい。確かに誰がこなしたものなのかってことは問題じゃないわ。あたしが、今、それを選んでやっているってことには変わりないんですもの」
不満がこもった声で返しながら茂みに到着。適当な葉を探し始める。
(しかし、不思議よね)
伸びる枝葉を分けてごそごそとしながらふと思う。
(ザクロさんって、本当にあの村の人なのかしら?)
そう。この儀式を始めたときはまだ気が動転していたから思い至らなかったのだが、村に伝わっている龍神の儀式についてはあたしもちゃんと調べてきている。
龍神に生け贄を捧げる儀式があるというのはもちろん調査済みで、ゆえにあたしがぐるぐる巻きにされて祭壇に転がされた理由もすぐ理解した。
だが、龍神を呼び出すための儀式についてはどうだろうか。
そういうものが存在することは知っていたはずだった。そのための文献だって調べた。そうであるはずなのにすぐに思い出せなかった理由――。
(村に伝わっていたのは『儀式が存在する』ということだけで、具体的な方法は伝わっていなかったのよ)
あたしはごくりと唾を飲み込む。
(でも……)
では、彼があたしをからかっている可能性はどうだろうか。あたしが無知であることを利用して、暇をつぶしている――。
あたしは首を小さく横に振る。
(いや、それはない)
わざわざ文化調査員を相手にからかうような暇人が存在するだろうか。
それはさておき、彼があたしをからかっているにしては、文化調査員としての知識から予想できる内容に限りなく似通っているのが妙だ。知りすぎると言っても言い過ぎにならないほどに。
(魔術に精通している人間であれば、これらの儀式の意味するところもわかると思うのよ。でも、彼から魔力は感じないものね……)
正確には彼にないのではなく、何かによって抑えられているような歪な感じがする。
奇妙な点といえば、炎が燃えているかのように輝く赤い髪、赤い瞳も特徴的だ。それはあたしが出会った誰とも違う特殊な色で、あたしの色と似た不思議な色――。
(実は赤き龍なんだよ、俺――とか、言い出したりしないわよね?)
「おーいっ! 何やってんだ? 若葉摘むのにそんなに時間いるか?」
びくっと身体が震えた。まさかこんなことを考えているちょうどその瞬間に声を掛けられるとは思っていなかった。びっくりしすぎて思わず自分の胸に手を当てる。心臓がドキドキいっているのがはっきりわかった。
(も、もうっおどかさないでよっ!)
小さく深呼吸。呼吸と心拍数を平常に戻すと、あたしは返事をする。
「心配いらないわよ! ちょっと選定に悩んじゃっただけだから」
あたしは大きな声で答えると近くに茂る低い木から瑞々しい若葉を一枚千切り取る。
「今から戻るっ!」
霧は依然深い。あたしは彼が持つ角灯の光を頼りに足場を確認しながら戻った。
「お待たせ」
あたしが戻るとザクロは不安げな顔をしていた。心配してくれていたのだろうか。そんなに長く離れていたつもりはなかったのだが。
「探していたと言うわりにはだいぶ静かだった気がするんだが」
「そんな大きな音を立ててやるものでもないでしょ? ほら、ちゃんと摘んできたわよ。これで水滴をすくって飲めばこの課題は突破したってことで」
咄嗟にあたしはごまかした。心配してくれている相手を疑っていただなんて言えやしない。あたしは摘んできた若い黄緑色の葉をザクロに見せる。
「む……そうだな。それでさっさと済ませてしまおう」
ザクロの同意を得られたところで、あたしは置いたままの鉱石に葉を近づける。表面にびっしりとたまった水滴を零してしまわぬように慎重になぞり葉に集め、ためらうことなくその一滴を口に含み飲み込んだ。
「これで完了っと。――ねぇ、ザクロさん、儀式ってあといくつあるの?」
「そろそろ終わるさ」
そう告げた横顔が、どこか遠くに感じられた。