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星がゆるやかに移動する。
暗い山道を角灯の光を頼りに進んできたわけだが、なんだか様子がおかしい。あまりにも景色が変わらないのだ。
「妙だな」
ようやくザクロは立ち止まった。周囲を見渡し、空を見上げる。
「どうかしたの?」
彼を信じきっていただけに、そんなことを言って場所を確認し始められると不安と苛立ちの気持ちが増えてくる。あたしの問い掛けの声にはそれがあからさまに出ていた。
「いや、な。この道をそのまま進んでいけばそろそろ里に着くはずなんだが、行けども行けども見えてこない。こんなことは初めてだ」
「って、道に迷ったってこと?! ちょっと、案内するって言ったのはそっちなんだからねっ! しっかりしてよっ!」
あまりにもザクロがあっさり言ってくれるので、あたしは自分の気持ちを抑えずに怒鳴った。
「あぁ、もううっさいな。生産的な意見が出せないなら黙っていてくれ。里が見えないのには何か理由があるはずなんだ」
「む……」
文句を言って怒りをぶつけてみたところで解決するわけがない。それはザクロの言うとおりだ。
あたしは疲れていたので道の端に腰を下ろす。村に着いてすぐに接待されて、気付けばぐるぐる巻きで放置されていたわけで、あたしはまだちゃんと休めていない。身体がだるいのも当然だ。
(しかし、あの場所から出してくれたとはいえ、彼を信じてついていっても良いものなのかしら?)
案内すると親切で言ってくれたとあたしは思っていたが、実は他の目的があってあの場所から連れ出しどこかに向かおうとしているのかもしれない。道に迷ったといってここで立ち止まったのも、他に仲間がいて合流するためなのかも――。
そこまで考えて、身体が小さく震えた。
(さ、山賊はこの周辺にいないって聞いていたけど、大丈夫よね?)
一応神聖な山である。そんな場所に不徳な輩はいないだろうし、実際に調査委員会からは安全であると言う報告は受けていた。多少の獣は出る可能性はあるとしても、治安は悪くない、と。
(うん、きっと大丈夫。もし何かあっても、逃げ切れるわよ)
自分を勇気付けて、ともにここまでやってきたザクロを見やる。
(ザクロさんって、何してる人なんだろ? この辺は農村だから、普段は畑でも耕してるのかな?)
ザクロのがっちりとした体格を見てそんなことを思う。鍛えているらしく、腕も太いし胸周りもある。同じ文化調査員の男たちのごつい感じに近い。獣が出てきてもある程度戦えそうだ。とはいえ、何の武器も携帯していないのは気になった。
「ねぇ、ザクロさん? もう無理して里に出なくても、明け方になるまで待機で構わないわよ? 明るくなってくれば、まわりもよく見えるだろうし。あなたの都合が悪いって言うなら、別にあたしを放置して里に帰ってもいいから」
出会ったばかりの赤の他人だ。付き合わせる義理もない。あたしはなかなか次の行動に出ないザクロに提案する。
彼はあたしに目を向けた。面白くなさそうな顔をして返す。
「見捨てて帰るわけにゃいかんだろ? 案内すると言ったのは俺だ。それに君は女の子だ。こんなところに放置して君にもしものことがあったらなんと思われるか」
思ったよりも責任感のある男のようだ。あたしは感心しながらも話を続ける。何も彼を試すつもりでそんな提案をしたわけではないのだ。
「でもこのままじゃ埒が明かないと思うのよ。案外とあたしをおいていったら、あなただけでも里に帰れるかもしれないし」
その意見に何か思うところがあったようだ。ザクロははっとした顔をして、あたしにずいっと近づいてきた。
「な、何?」
勢いよくあたしの前にやってきたので、思わず身体を引いてしまう。しゃがんでいるあたしの前に立つ大きな身体は威圧感があった。
「確認させてくれないか?」
「何を?」
見下ろされてると緊張でドキドキする。あたしは彼が何を確認しようとしているのかさっぱり見当がつかない。じっと見つめていると、ザクロもしゃがんであたしと目の高さを合わせてくれた。
どこかほっとしたのも束の間、彼の手があたしの襟元に伸びた。
「ほえあっ!?」
咄嗟のことで抵抗することができなかった。重なっていた襟元がずらされ、鎖骨が、そして胸の上の部分が角灯の光に晒される。
「もしかして君は――」
「なにすんじゃーっ!!!」
あたしはザクロの腕を掴むと、ていっと投げた。ちょっとした体術である。
投げられたザクロは受け身を取って軽く着地をした。大きな図体にしてはなかなか機敏な身のこなしである。
(――って、そうじゃない)
綺麗に着地したザクロに感心している場合ではない。あたしは胸元を押さえ、全身を真っ赤にしながら涙目で彼を睨んだ。
「い、いきなり服を脱がしに掛かるだなんてっ! 痴漢っ変態っ!」
「し、心配するな、肝心なところは見ちゃいねぇ」
「見たとか見ないとか関係ないわよっ! どさくさに紛れて何してくれんのっ! 信じられないっ!」
「悪かった。行為については謝る。もう君に触れるような真似はしないと誓う。――その上で聞いて欲しい」
両手を挙げて手を出さないことを宣言するザクロに、あたしは立ち上がって警戒しつつ睨む。
(くぅぅっ油断したっ。乙女の肌を見られるとはっ……)
あたしは非難する言葉が混乱して思い浮かばず、ただ黙ってザクロの言動を待った。
そんなあたしの様子を、彼の要求を飲んだのだと判断したのだろう。ザクロは話を続ける。
「その赤い髪、赤い瞳を見てもしかしてと思ったのだが、その胸の痣を見て確信した。君はおそらく『龍の繰り人』だ」
「胸の痣……?」
覚えのない指摘をされて、あたしはザクロに背を向けると自身の胸元を見る。薄暗くてよく見えないんじゃないかと思ったものの確認せずにはいられない。見れば左胸の上、鎖骨の下辺りがぼんやりと赤く光っている。炎の形に見えた。
(何、これ……)
今までそんなものがあるだなんて知らなかった。女の子らしく鏡を見ることもあるというのに、これほど目立つ痣に気付かないとは。
「なんだ、知らなかったのか?」
あたしの背中に問い掛けてくる意外そうなザクロの声。
「えぇ、まったく……。――って、さらりと流しそうになったけど、あたしが『龍の繰り人』ですって?」
本気でそんなことを考えているのか疑い、胸元を整えるとザクロと対峙して続ける。
「『龍の繰り人』って伝説上の存在じゃないの? 土地を支配する神獣たる龍神を従えることができる人間のことだったわよね。書物には記されているけど、はっきりとしないって習ったわ。なのに――それが、あたし、ですって?」
あたしは知っている限りの『龍の繰り人』についての情報を勢いに任せて早口で喋った。
文化調査員になるためには基本的な知識として『龍の繰り人』の話は押さえなくてはならない。試験範囲にも指定されているくらいには重要視されている事柄で、文化調査員たちの最終的な目的は各地に散らばり支配している龍の状態の把握ではなく、各地にいる龍を束ねる存在となりうる『龍の繰り人』を見つけることなのだ。
動揺するあたしに、ザクロは話を続ける。
「ま、可能性として、だがな。龍を従えて初めて『龍の繰り人』となるんだ。まだ君は従えるべき龍に会っていないんだから、その候補生と言ったほうが正確だろう」
「こ、候補生……あたしが……?」
言われても実感が湧かない。それがどういうことなのか想像できないのだ。
「この村の龍神はここらでは最も力を持つ赤き龍だ。君のその痣を見るに、その赤き龍に見初められたんじゃないか?」
「見初められた……ってか、どうしてそう思うわけ? あたしの赤毛と赤眼は結構珍しい部類だと思ってたけど、あなただって同じじゃない。この痣だってさっき転がされたときにできたものかもしれないし、証拠にならないと思うんだけど?」
あたしは『龍の繰り人』がどこからやってくるのか知らない。それについてのはっきりとした文献もなく、噂として各地に語り継がれているだけだ。
さらりと告げるザクロの話を疑いながら訊ねると、彼は答えた。
「この村の言い伝えに、『龍の繰り人』に選ばれた者は龍が許すまでは出られない、というのがあるんだ。まさにこの現象だろ?」
「な、なんつー迷惑なっ! 勝手に選んでおいて、しかもこの土地に縛り付けるとっ!?」
「そういうことだな。龍神に会って説得するか、選ばれた人間が死ぬかするまでは脱出不能なわけだ」
説明して、ザクロはやれやれと肩を竦めた。
「ああぁっ! なんてことっ」
あたしは頭を抱えてしゃがみこむ。面倒なことに巻き込まれたものだ。
(龍神様に会いたいと思ったのは事実だし、この場所が赤き龍の支配地域だってことをわかっていて立候補したのもあたしだし、これはかなり滅多にない機会だけど――だけど、今のあたしで交渉できるわけっ!?)
いきなりすぎて何の準備もできていない。正直、自信がなかったのだ。龍神という存在と対等に話ができるとは思えない。さっきザクロがあたしにしたように、馬鹿にするような態度をするに決まっている。どんなに見栄を張ったところで、軽くあしらわれるだけだろう。
「どうしたんだ? さっきまでの威勢は」
じっとしたまま唸っているあたしの正面にしゃがみこむと、ザクロが意外そうな感じに問う。
「だ、だって、相手は龍神様でしょ? あたし、説得だなんてとても……」
「んじゃ、ぱくっと喰われてその短い一生を終わらせるか?」
「はうっ!?」
あたしはがばっと顔を上げる。
(そうよ。このままでは結局龍神様にぱっくり美味しくいただかれてしまう流れなんだった。それはそれで困るわっ!)
心配とからかいの感情が半分ずつのザクロの顔が目に入った。あたしを心配する気持ちだけが窺えるなら良かったけど、そんな愉快そうな感情が滲む顔をされると腹が立つ。
「抵抗するなら抵抗しといた方が死んだとき後腐れなくていいだろ?」
「ま、まだ死ぬって決まったわけじゃないんだからねっ!」
「よし、その心意気だ」
言って、ザクロは大きな手のひらであたしの頭を撫でた。小さな子どもにするのと同じような仕草に最初は面白くなかったが、不思議とほっとするところがあった。こういうのも悪くない。
「となれば、龍神に会えるように儀式をするか」
「儀式?」
よいせと立ち上がるザクロに合わせて、あたしも立ち上がる。
「来るのを待つより、お迎えしたほうが対応しやすいだろ?」
当然のように言ってくるので、あたしは思わず首をかしげた。
「いや、まぁそうだけど……別にあなたがあたしに付き合う必要はないんじゃない? あたしが本当に『龍の繰り人』でそれによってここに捕らわれているなら、あなたはあたしから離れることで里に帰れるわけじゃない。龍神様が出てくるってことは多少は危険を伴うわけだし、わざわざ巻き込まれることないわよ?」
「つれないな」
言って、彼は寂しげな顔を見せた。それは今までのからかいとか心配のそれとかとも違うもので、心の底から落胆しているように感じられた。
「つ、つれないって……」
その表情に、あたしの脈が強く鳴る。
「あたしは、その、ただ、文化調査員として、他の一般人を危険に巻き込むようなことはしたくないのよ。文化調査員は普通の人たちよりも力を持っているわけで、有事には率先して周りの人を守る義務があるわけ。危険があると判断できるのにそんなこと――」
「ごちゃごちゃうっさいっ!」
あたしの襟元をぐっと掴んで引き寄せると、ザクロは怒鳴りつけて解放した。
(み、耳がぐわんぐわんする……)
「何度も言わせるなっ! か弱い女の子を守るのが男ってもんだろっ? 自分の身ぐらい自分で守るさ。だから付き合わせろ」
「わかった、わかったわよっ! もう言わないっ! とことん最後まで付き合ってもらうから、覚悟しなさいよねっ! そのかわり、あたしがあなたの事を守りきれなくても恨みっこ無しなんだからね!」
「ふんっ、誰が君に守られるか。村長に騙されて簀巻き状態になっていた間抜けな文化調査員サマを当てにはしてないさ」
「い、言ったわねっ! あたしがどれだけ強いか、ちゃんと証明してやるわよっ! 見てらっしゃい」
腕を組んであたしは言いきってやった。ザクロは返してこない。それでやっと気持ちがすっきりした。
「――で、儀式って何すりゃいいの?」