美少女の吐息もお花!?
爽やかな朝の光が降り注ぐ中庭。
芝生の上には朝露が輝き、小鳥たちがさえずっている。
まさに魔法の特訓日和だ。
しかし、エリスの体調は最悪だった。
胃が重い。
体が熱い。
そして何より、ゲップが出そうだ。
昨夜、自室を埋め尽くした「魔界の森」をすべて自分の体内に取り込んだ代償である。
魔導杖イグニスが増幅させた膨大な魔力エネルギーが、未だ消化しきれずに腹の中でグルグルと渦を巻いているのだ。
目の前では、フィオナが教鞭(のような細い木の枝)を持ち、涼しい顔で講義を行っていた。
「いいこと、エリスちゃん」
「魔法の基本は『循環』よ」
「体内の魔力を血液のように巡らせ、練り上げ、指先から放出する。このプロセスが滞れば、魔法は暴発するか不発に終わるわ」
フィオナは枝先で空中に円を描く。
そこには美しい氷の結晶が浮かび上がった。
「まずは深呼吸をして。空気中のマナを取り込み、自分の魔力と混ぜ合わせるイメージよ」
「はい、吸ってー」
エリスは言われるがままに息を吸い込んだ。
肺いっぱいに空気が入る。
それと同時に、腹の中に溜まっていた高密度の魔力が刺激され、逆流してくる感覚があった。
「吐いてー」
「はぁー……っ!?」
ポッ。
エリスの口から、可愛らしい音がした。
同時に、ピンク色の一輪の小さなバラが飛び出した。
それは放物線を描き、フィオナの足元にポスンと落ちた。
沈黙。
フィオナが眉をひそめる。
「……エリスちゃん?」
「あ、あのねフィオナしゃん……」
エリスが弁解しようと口を開く。
ポポポッ。
言葉の代わりに、三輪のガーベラが連続発射された。
「ち、ちが……っ!」
ポポポポポッ!
喋れば喋るほど、口から色とりどりの花が機関銃のように噴出する。
赤、青、黄色。
バラ、チューリップ、ひまわり。
エリスの口は、さながら自動花束製造機と化していた。
(やばい! 魔力が漏れてる!)
(昨夜食べた分が、消化不良で逆流してる!)
(喋れない! 花で口の中がいっぱいになる!)
エリスは両手で口を押さえたが、指の隙間から花びらがヒラヒラと溢れ出してくる。
完全にホラーだ。
体の中から植物が生えてくる奇病か何かだ。
だが、この異常事態を「奇跡」と捉える男が一人。
テラスでコーヒーを飲んでいたゼノンである。
彼はカップを取り落とし、目をキラキラさせて駆け寄ってきた。
「おおおっ!!」
「素晴らしい! なんて愛らしいんだ!」
ゼノンは膝をつき、エリスの周りに散らばる花を拾い上げた。
「見ろフィオナ! 娘の吐息が花になったぞ!」
「おとぎ話の妖精か!? それとも花の女神の再来か!?」
「喋るたびに花が咲くなんて、なんと詩的でエレガントな魔法なんだ!」
ゼノンは感動のあまり涙ぐんでいる。
現実:魔力制御不全による嘔吐(植物)。
親バカフィルター:プリンセスの可憐な魔法。
この認識の落差は、マリアナ海溝よりも深い。
「エリス! パパにもっと罵倒……いや、お話をしてくれ!」
「お前の『おはよう』はバラの香り! 『おやすみ』はスミレの色!」
「画家に肖像画を描かせなければ! 今すぐ!」
ゼノンはポケットからスケッチブックを取り出し、猛烈な勢いで鉛筆を走らせ始めた。
エリスは涙目で首を振った。
(違うのパパ!)
(これ、ゲップ! ただの魔力ゲップなの!)
(苦しいの! 口の中が花屋さんの裏側のゴミ捨て場みたいな味がするの!)
彼女はフィオナに助けを求めた。
ポポッ(助けて)。
口からパンジーが飛び出し、フィオナの頬にペタリと張り付いた。
フィオナは無表情で、頬のパンジーを剥がした。
そして、冷徹な医師のような目でエリスを見下ろした。
「……ゼノン、静かになさい」
氷点下の声。
ゼノンのペンが止まる。
「これは詩的でも何でもないわ」
「ただの『魔力漏出過多』よ」
フィオナはエリスの前にしゃがみ込んだ。
その指先が、エリスのお腹をツンとつつく。
「昨夜、よほど『高カロリー』な魔力を使ったのかしら?」
「タンクが満杯で、蓋が閉まりきっていない状態ね」
「このままだと、魔力が枯渇するまで花を吐き続けることになるわよ」
エリスはブンブンと頷いた。
その通りです先生。
昨夜、パパの杖のせいで死にかけたんです。
フィオナは懐から何かを取り出した。
包み紙を開くと、そこには拳大の、どう見ても子供の口には大きすぎる「黒い飴玉」があった。
彼女はニッコリと笑った。
捕食者の笑みだ。
「漏れるなら、塞げばいいのよ」
「物理的にね」
エリスは恐怖に目を見開いた。
ポッ(えっ)。
「あーん」
有無を言わさぬ圧力。
エリスが口を開けた瞬間、フィオナはその巨大な飴玉をねじ込んだ。
グボッ。
飴玉はエリスの口内にジャストフィットし、空気の通り道さえもギリギリまで塞いだ。
「んぐぐぐぐ!?」
エリスがもがく。
フィオナは顎を指で持ち上げ、強制的に口を閉じさせた。
「はい、噛み砕かないでね」
「それは特製の『魔力封じの飴』……ではなく、ただの硬い黒砂糖の塊よ」
「それを舐め尽くすまで、口を開けるのは禁止」
「漏れ出そうとする魔力を、喉の奥で押し留めて、おなかに戻しなさい」
「それができなければ……窒息して死ぬだけよ?」
鬼だ。
ここに銀髪の鬼がいる。
エリスは白目を剥きそうになった。
口は塞がれた。
鼻呼吸しかできない。
だが、腹の底からは次々と「花になりたい魔力」がこみ上げてくる。
出口がない。
魔力は喉元で行き場を失い、食道を通って逆流しようとする。
オエッとなりそうになるのを、必死でこらえる。
吐けば飴が飛び出し、フィオナの氷魔法が飛んでくるだろう。
(戻れ! 戻れ私の魔力!)
(花になるな! エネルギーに戻れ!)
エリスは冷や汗を流しながら、体内循環を意識した。
喉まで上がってきた熱い塊を、意思の力で胃の腑へと押し返す。
グルルルル……。
お腹の中で、怪獣のような音が鳴る。
魔力が体内を駆け巡り、全身の血管が焼き切れるように熱い。
フィオナは満足げに頷き、立ち上がった。
「そう、その調子」
「出口を塞がれた魔力は、体内で循環するしかなくなる」
「それを繰り返せば、魔力回路が拡張され、より太く強靭な魔導師になれるわ」
彼女はゼノンに向かって言った。
「スパルタだけど、これが一番手っ取り早いのよ」
ゼノンはスケッチブックを抱え、感心したように頷いた。
「なるほど! さすがフィオナだ!」
「エリス! 頑張れ! 飴を舐める姿もリスみたいで可愛いぞ!」
「んぐー!!(殺す気かー!!)」
エリスの抗議は、甘ったるい黒砂糖の味とかき消された。
中庭に、エリスの苦悶の鼻息だけがフンスフンスと響き渡る。
こうして、エリスの初めての魔法特訓は、窒息と甘味との戦いとして幕を開けたのだった。




