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兄は私の隠れ眷属なの!?

 扉が勢いよく開かれ、リビングの空気が一気に攪拌された。


 フィオナとの「属性検査(という名の隠蔽工作)」を終え、ぐったりしていたエリスの視界に、金色の閃光が飛び込んでくる。


 長身の少年だ。


 父親譲りの整った顔立ちに、母親譲りの優しげな目元。


 ただし、右目は新緑のような碧色、左目は神秘的なアメジスト色というオッドアイが、彼をただの美少年以上の存在に見せている。


 エリスの兄、アレクサンドロス――通称アレクである。


 彼はエリスを見つけるなり、大型犬のように尻尾をブンブン振る幻覚が見えるほどの勢いで駆け寄ってきた。


「エリスーッ! 聞いたよ聞いたよ!」


「魔法が使えるようになったんだって!? すごいじゃないか!」


「お兄ちゃん、もう感動で夜しか眠れないよ!」


 アレクはエリスの両手を握りしめ、キラキラした瞳で見つめてくる。


 その距離、ゼロ距離。


 エリスは引きつった笑顔で後ずさりしようとしたが、ガッチリ掴まれた手はピクリとも動かない。


(ち、近い! そして圧がすごい!)


(この兄、無邪気に見えてフィジカルがゴリラなのよ!)


 エリスは内心で悲鳴を上げた。


 前世の記憶が戻ってから、家族を見る目が変わってしまった。


 パパは「私を殺した英雄」。


 そしてこの兄は……パパとママの息子ということは、「英雄の血を引くサラブレッド」だ。


 つまり、将来的に私(魔王)を討伐する可能性が極めて高い、潜在的な勇者候補ナンバーワンである。


「お、お兄ちゃん……痛い、手が痛いよ」


「あっと、ごめんごめん! 嬉しくてつい!」


 アレクはパッと手を離し、満面の笑みで言った。


「で、どんな魔法なの? パパの話だと『黒くてトゲトゲですごい』らしいけど」


「フィオナさんは『ピンクで可愛い』って言ってたし……どっちなの?」


「ねえ見せて! お兄ちゃんに見せてよエリス!」


 エリスの背中に冷たい汗が流れた。


 ゼノン(パパ)の表現は論外として、フィオナさんの「可愛い」も皮肉たっぷりだ。


 ここでボロを出せば、兄の中に眠る「勇者の血」が目覚めてしまうかもしれない。


 『あ、こいつ魔物だ。駆除しなきゃ』と本能レベルで認識されたら終わりだ。


(どうする? どうする私!?)


(黒い茨を出したらアウト。昨日の殺人ピンクフラワーも、兄の鋭い勘(野生)で見抜かれるかも……)


(ここは……徹底的に無害アピールよ!)


 エリスは深呼吸をした。


 フィオナが紅茶を啜りながら、ニヤニヤとこちらの様子を観察しているのが視界の端に見える。


(あのエルフ、絶対に楽しんでる! 助け舟を出す気ゼロだわ!)


 エリスは覚悟を決めた。


 攻撃性ゼロ。


 実用性ゼロ。


 ただの宴会芸レベルの、究極の手品魔法を披露するしかない。


 彼女は指先を立て、全神経を集中させて魔力を極限まで薄く引き伸ばした。


 イメージは紙吹雪。


 殺傷能力のない、ヒラヒラとした花弁のみを具現化する。


『深淵の……いや、違う』


『お花畑……ピクニック……サンドイッチ……』


 脳内で平和な単語を連呼し、魔王の本能をねじ伏せる。


「え、えいっ……! フラワー・シャワー!」


 ポンッ。


 気の抜けた音と共に、エリスの指先から数枚の赤い花弁が舞い落ちた。


 茨もなければ、毒もない。


 ただ重力に従ってヒラヒラと落ちるだけの、なんとも地味な現象。


 エリスは額の汗を拭った。


(……どうだ! これなら文句ないでしょ!)


(魔王の欠片も感じさせない、完全なる無駄遣い魔法!)


 沈黙。


 アレクは目を丸くして、床に落ちた花弁を見つめていた。


(あ、あれ? 微妙だった?)


(「なにこれショボッ」って思われた?)


 不安がよぎった瞬間、アレクが顔を上げた。


「すっっっごい!!!」


 大絶叫。


 アレクは感動に打ち震えていた。


「綺麗だ! まるで本物のバラみたいだ!」


「エリスは天才だよ! こんな繊細な魔法、お兄ちゃん初めて見た!」


 彼はエリスを抱き上げ、くるくると回った。


「うわぁぁん目が回るぅぅぅ!」


「すごいぞエリス! 将来は世界一の魔導師になれる!」


 単純すぎる。


 この家族、基本的にエリスに対して判定が甘すぎる。


 エリスは目を回しながらも、とりあえず殺意を持たれなかったことに安堵した。


 アレクはひとしきりエリスを褒め称えると、暑くなったのか前髪をかき上げた。


 その瞬間、エリスの視線が彼のおでこに釘付けになった。


 整った額の右側。


 そこに、赤紫色の痣があった。


 普段は前髪に隠れて見えないが、それはどう見ても「薔薇の蕾」の形をしていた。


 アレクはその痣を指で無意識にこすりながら、不思議そうに呟いた。


「変だなあ……」


「エリスの魔法を見てたら、なんかこの痣が熱くなった気がするんだ」


「それに……すごく『懐かしい』匂いがした」


 懐かしい。


 その言葉に、エリスの心臓がドクンと跳ねた。


 思考が高速回転する。


 薔薇の痣。


 懐かしい匂い。


 魔力への共鳴。


 魔王リリスの記憶データベース検索開始(てか記憶データほぼなし!)。


 検索結果:なし。


 だが、それは自身の魔力を分け与え、魂レベルで支配下に置いた眷属や契約者に刻むマーキングらしい。


 特に、寵愛した対象には、額に薔薇の刻印を施すかもしれない。


(……は?)


 エリスは口をパクパクさせた。


(嘘でしょ?)


(なんで兄の額に、私の「所有印」みたいなのがついてるの!?)


(パパとママの子供よね? 純粋な人間よね?)


(え、まさか……私(前世)、パパに殺される前に、息子の種に呪いでも仕込んでたの!?)


(どっちにしろ、この「薔薇の痣」……私の魔力に反応して、主従関係を求めてる!?)


 エリスは戦慄した。


 目の前でニコニコしている無邪気な兄が、実は「魔王の眷属候補(無自覚)」だったなんて。


「どうしたのエリス? 顔色が悪いよ?」


 アレクが心配そうに顔を覗き込んでくる。


 そのアメジスト色の瞳が、妖しく光ったように見えた。


「う、ううん! なんでもない!」


 エリスはブンブンと首を振った。


「お、お兄ちゃんの痣、かっこいいね! ……タトゥーシールみたいで!」


「え? そうかなあ?」


 アレクは嬉しそうに痣を撫でた。


「これ、生まれつきなんだ。母さんは『守護の印』だって言ってたけど」


(守護っていうか、隷属マーキングですけどね!!)


 エリスは内心で盛大にツッコミを入れた。


 やばい。


 この家、パパは魔王キラーの英雄、ママは天然、兄は隠れ眷属。


 地雷原どころか、地雷で家ができているレベルだ。


 エリスはフィオナの方を見た。


 彼女はカップを置き、静かにこちらを見ていた。


 その目は語っていた。


 『気づいた? 面白いでしょう?』と。


(助けて! この家、情報量が多すぎて十歳の脳みそじゃ処理しきれない!)


 エリスはその場に崩れ落ちそうになるのを、必死にこらえた。


 平和な家庭劇の裏で、魔王の因果は着実に絡み合っていたのである。

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