パパは詐欺師?
翌日。
フィオナが鞄から取り出したのは、拳ほどの大きさがある透明な多面体だった。
魔導級まで測定可能の魔導水晶。
室内のランプの光を反射し、虹色の輝きを放っている。
フィオナはそれをテーブルの中央に置き、教師のような口調で説明を始めた。
「いい、エリスちゃん。これは貴方の魔力の『属性』を見極めるための道具よ」
「手をかざして魔力を流すと、最も適性のある属性の色に変わるわ」
「赤なら火、青なら水、緑なら風、黄色なら土。……ここまでは基本ね」
フィオナの視線が、スッと細められる。
「そして……もし『黒』が出たら、それは闇属性。魔族や、禁忌に触れた者が持つ色よ」
エリスの心臓が早鐘を打った。
黒。
それは今のエリスにとって、死刑宣告と同義の色だ。
前世の記憶が警鐘を鳴らす。
魔王リリスの属性は、当然ながら「深淵の闇」。
もしここで水晶が真っ黒に染まれば、その瞬間にフィオナの氷魔法が飛んできて、ゼノンの槍で串刺しにされる未来しか見えない。
(やばい。詰んだ)
(いや、待って。昨日の花魔法みたいに、気合いで偽装すれば……!)
ゼノンが背後からエリスの肩を叩いた。
「ほら、やってみろエリス! きっと鮮やかな赤が出るぞ!」
「パパの直感だとな、お前には情熱的な火の才能がある気がするんだ!」
根拠のない自信。
エリスは引きつった笑顔で頷いた。
「う、うん……頑張るね、パパ」
(赤。赤よ。燃え盛る炎をイメージして!)
(私は魔王じゃない。ただの可愛い村娘。マッチ売りの少女的な儚い炎!)
エリスは決死の覚悟で、水晶へと手を伸ばした。
指先が冷たい水晶の表面に触れる。
エリスは魔力回路を操作し、必死に「火属性」っぽい魔力を送り込もうとした。
だが、彼女の魂に刻まれた「器」は、そんな小手先の誤魔化しを許さなかった。
ドプン。
インク壺をひっくり返したような現象が起きた。
水晶の中心から、光を一切反射しない「虚無」が溢れ出したのだ。
赤でも青でもない。
視界にある光さえも吸い込む、絶対的な黒。
「あ」
エリスの声が漏れる。
黒い浸食は止まらない。
水晶全体が一瞬で塗りつぶされ、さらにその周囲の空間までもが薄暗く歪み始めた。
ピキッ。
不吉な音が響く。
水晶の表面に亀裂が走った。
「えっ」
フィオナが目を見開く。
ピキピキピキッ! パリーン!!
限界を超えた魔力密度に耐えきれず、魔導水晶が粉々に砕け散った。
黒い欠片がテーブルの上に散らばり、黒煙のような残滓がゆらりと立ち昇る。
完全なる闇。
言い逃れのできない、魔王の証明。
沈黙。
部屋の中の空気が凍りついた。
エリスは青ざめた顔で、砕けた水晶を見つめたまま固まっていた。
(終わった)
(さようなら、パパ。ママ。……美味しいシチュー)
(今度こそ地獄行きだわ)
フィオナがゆっくりと口を開く。
「……これは」
その目が険しい。
魔導師として、この現象の異常さを正確に理解している目だ。
「属性が……闇、それも極めて純度の高い……」
「がははははは!!」
突然の爆笑が、重苦しい空気を木っ端微塵に吹き飛ばした。
ゼノンだ。
彼はテーブルを叩き、涙が出るほど笑っていた。
「すげぇ! すげぇぞエリス! まさかここまでとは!」
フィオナが呆気に取られてゼノンを見る。
「……ゼノン? 目がついているの? これはどう見ても……」
「黒に見えるだろ? なあ、フィオナ」
ゼノンは真顔になり、人差し指を立てた。
「お前、絵の具を混ぜたことはあるか?」
「は?」
「赤、青、黄色、緑……全ての色を混ぜ合わせると、何色になる?」
フィオナは眉をひそめた。
「……黒に近づくわね。減法混色だもの」
「そうだ!!」
ゼノンが叫んだ。
「つまりだな! エリスの才能は、一つの属性に収まりきらなかったんだ!」
「火も水も風も土も! 全ての属性を極限レベルで併せ持っているからこそ! 結果として色が混ざりすぎて『黒』に見えたんだよ!」
フィオナが口を半開きにした。
「……あのね、ゼノン。これは光の屈折による発色だから、絵の具の理屈は……」
「さらにだ!」
ゼノンは止まらない。
「色が『濃すぎる』んだよ!」
「血だって、濃く固まれば黒く見えるだろう? それと同じだ!」
「エリスの魔力は、赤色が濃縮還元1000%ぐらいになってるから、俺たちの目には黒に見えちまうんだ!」
「これは闇じゃない! 超高密度の『全属性』だ!!」
あまりの暴論。
物理法則と魔法理論を正面から殴り倒すような力技の解釈。
エリスはポカンと口を開けて父を見上げた。
(……本気で言ってるの?)
(この人、英雄じゃなくて詐欺師の才能があるんじゃない?)
フィオナは額に手を当て、深い深いため息をついた。
彼女は知っている。
ゼノンが一度こうと言い出したら、テコでも動かないことを。
そして、この「水晶破壊」という現象自体が、単なる闇属性では説明がつかないほどの出力オーバーであることを。
「……はぁ」
「分かったわよ。……そういうことにしておきましょう」
フィオナは砕けた水晶の欠片を指先で弾いた。
「測定不能。……規格外の魔力保有者、ということね」
「エリスちゃん」
「は、はい!」
「貴方、とんでもない『爆弾』を抱えているわね。……制御を間違えれば、自分ごと吹き飛ぶわよ」
その言葉は警告であり、同時に「秘密を共有する」という合図でもあった。
ゼノンは満足げに頷き、エリスの頭をガシガシと撫でた。
「よかったなエリス! お前は融合級の『虹色(に見える黒)』の魔導師だ!」
「……うん。ありがとう、パパ」
エリスは引きつった笑顔で答えた。
(助かった……のか?)
(とりあえず、この家においては『黒=すごい色』という新ルールが制定されたみたい)
(でも……フィオナさんの目が、全然笑ってなかった)
エリスの冷や汗は止まらない。
彼女の前途には、依然として「正体バレ=死」の暗雲が垂れ込めていた。




