魔法の訓練は体育会系!?
フィオナはテーブルに置かれたカップの縁を指でなぞりながら、静かに口を開いた。
琥珀色の瞳がエリスを捉え、その唇が言葉を紡ぐ。
昼下がりの陽光が差し込む応接室だが、エリスにとっては極寒の尋問室に等しい空気が漂っている。
「さて、エリスちゃん。貴方の『才能』を伸ばす前に、まずは基礎知識を頭に入れてもらうわ」
「この世界における『強さ』の序列。魔力を持つ者が背負う階級について」
フィオナが指先を軽く振ると、空中に氷の粒子が舞い、光を反射してキラキラと輝く図形を描き出した。
美しい。
だが、エリスの背筋には氷柱を突っ込まれたような寒気が走っていた。
(来た……! 基礎講義という名の思想調査!)
(ボロを出したら即、「貴様、魔族だな?」って断罪されるやつだ!)
エリスは両手を膝の上で揃え、直立不動のままコクリと頷いた。
「は、はい! お願いします、フィオナ先生!」
フィオナは満足げに頷き、氷の図形を指し示した。
「魔力を持つ者の位階は、大きく分けて五つ」
「まずは『覚醒』。身体能力が強化される程度の、初歩の段階」
「次に『魔導』。明確な魔法を行使できる段階。貴方は今、ここに足をかけたところね」
エリスは愛想笑いを浮かべた。
(……ごめん先生。私、前世の記憶だと『禁忌』級の魔王だったんですけど)
(今も本気出せば『融合』くらいは軽く吹っ飛ばせる出力あるんですけど)
心の中で冷や汗を拭う。
実力を隠蔽し、「才能ある初心者」を演じきらなければならない。
ゼノンが横から口を挟んだ。
「ガハハ! 俺の娘だ、すぐに『融合』……いや、俺と同じ『超然』にまで至るさ!」
「なっ、パパ!?」
エリスが慌てて父の腕を引っ張る。
ハードルを上げないでほしい。
フィオナは冷ややかな視線をゼノンに向けた後、再びエリスに向き直った。
「……そうね。才能だけで言えば、貴方は将来『超然』に至る可能性を秘めている」
「国家戦力レベル。一人の力で戦況を覆す、英雄の領域よ」
フィオナの声が低くなる。
「けれど、力には代償が伴う。そして、その先にあるのが『禁忌』」
「人の理を外れ、世界を脅かす魔王の領域」
ピクリ。
エリスの肩が跳ねた。
フィオナの瞳が、エリスの心の奥底を見透かすように細められる。
「……かつて、この世界には一人の恐ろしい魔女がいたわ」
「最強の魔王と呼ばれる『終焉の魔王リリス』。彼女は禁忌の魔法を操り、世界中を恐怖と絶望に陥れた」
(ひぃぃぃッ!! 私の話はやめてぇぇぇ!!)
エリスは顔面蒼白になりながら、必死に首を振った。
「こ、怖い……です……」
「そう、怖いのよ。」
フィオナは氷の図形を握りつぶした。
パリン、という硬質な音が響き、エリスの心臓を縮み上がらせる。
「だからこそ、私が教えるの。……貴方が『魔女』にならないように」
「正しい力の使い方を。……徹底的にね」
フィオナは立ち上がり、窓の外の庭園へと視線を向けた。
「言葉だけでは伝わりにくいわね。……少し、実演しましょうか」
彼女は庭に出ると、優雅に片手を掲げた。
詠唱はない。
ただ、大気中のマナが彼女の意志に従い、急速に収束していくのが分かる。
エリスは肌で感じた。
これは「魔導」レベルではない。
もっと高度で、緻密に編み上げられた「融合」級の術式。
『氷結の檻よ、静寂を歌え』
フィオナが短く呟くと同時、庭の噴水が一瞬で凍りついた。
水しぶきの一粒一粒までもが、空中で氷の結晶へと変わり、芸術的なオブジェとなって静止する。
音のない世界。
圧倒的な制御力。
ゼノンが口笛を吹いた。
「相変わらず見事だな、フィオナ! 繊細すぎて俺には真似できん!」
「力任せの貴方とは違うのよ、筋肉ダルマ」
フィオナは振り返り、エリスに言った。
「これが『制御』よ、エリス」
「ただ力を放出するのではない。イメージを明確にし、世界に干渉する」
「貴方の花魔法……あれは素晴らしいけれど、まだ粗削りね。感情任せに咲かせているでしょう?」
ギクリ。
図星である。
あれは感情どころか、魔王の本能が勝手に「ヒャッハー!」と暴走した結果だ。
「は、はい……。なんか、ブワッてなっちゃって……」
エリスは小動物のように縮こまる。
「最初はそれでいいわ。でも、これからは意識しなさい」
「その花が、誰を傷つけ、誰を守るのか」
フィオナがエリスの前に屈み込み、その小さな手を両手で包み込んだ。
彼女の手は冷たいが、どこか優しい。
「……貴方の魔力は、とても温かいわ」
「リリスの魔力は……もっと冷たく、悲しい色をしていた」
(え?)
エリスは瞬きをした。
フィオナの言葉に、予想外の響きが含まれていたからだ。
憎しみだけではない。
どこか、懐かしむような、悼むような響き。
「だから、大丈夫よ」
「貴方はきっと、素敵な魔導師になれる」
フィオナはふわりと微笑んだ。
それは初めて見せる、「断罪者」ではない、ただの「師匠」としての顔だった。
(……あれ?)
(この人、魔王のこと嫌いなんじゃなかったの?)
(なんか今、すごい優しい顔した……?)
エリスの混乱をよそに、ゼノンが「おおお!」と感涙に咽んでいる。
「見たか! フィオナが笑ったぞ! 天変地異の前触れか!?」
「……うるさいわね、ゼノン。凍らせるわよ」
「冗談だ! だが、頼もしい限りだ。エリスを頼んだぞ!」
フィオナは立ち上がり、パンと手を叩いた。
その瞬間、優しい師匠の顔は消え失せ、再び鬼教官のマスクが装着された。
「さて、感動の時間は終わり」
「エリス、早速だけれど基礎訓練を始めるわよ」
「えっ、今からですか!?」
「善は急げと言うでしょう? まずは魔力操作の基本、マナの循環から」
「とりあえず……庭を十周走りながら、指先で小さな光を維持し続けなさい」
「走りながら!?」
魔法の訓練なのに、なぜか体育会系。
ゼノンがサムズアップを送る。
「いいぞ! 基礎体力は全ての源だ! 頑張れエリス!」
「パパの裏切り者ぉぉぉ!」
エリスは涙目で庭へと駆け出した。
指先に必死に微弱な光を灯し、噴水の周りを走り始める。
フィオナはテラスで紅茶を啜りながら、その様子を観察していた。
(……走りながらの魔力維持。普通の子供なら三歩で霧散するわ)
(でも、あの子は既に一周しているのに、光が揺らいでいない)
(無意識の並列処理。……やはり、異常ね)
彼女の目は、原石を見つけた宝石商のように鋭く光っていた。
エリスの「正体隠蔽・良い子生活」は、こうして波乱の幕開けを迎えたのである。
走るエリスの背後で、彼女の影から小さな黒い茨がひょっこりと顔を出し、すぐに引っ込んだのを、誰も見てはいなかった。




