私は…天才???
フィオナが紅茶のカップを置き、琥珀色の瞳を細めてエリスを見た。
その動作一つ一つが、洗練された魔導師特有の優雅さと、隙のない鋭さを漂わせている。
銀色の髪は陽光を弾き、長い耳が微かに動いて周囲の音を拾っている。
エリスは直立不動で、引きつった笑みを浮かべていた。
背中に冷たい汗が伝う。
(き、来た……! 魔族絶対殺すウーマン!)
(前世の記憶だと、このエルフ、いつも氷みたいな顔して私のこと大嫌いだったようだ!)
(パパと違って魔法の専門家……。絶対に見抜かれる。「あ、こいつ中身魔王です」って!)
エリスの内心はパニック状態だったが、表面上は「人見知りな十歳の少女」を完璧に演じている。
スカートの裾を握りしめ、上目遣いで怯えるふりをする。
ゼノンが満面の笑みで、フィオナの肩をバンと叩いた。
「ようフィオナ! 遠いところをすまないな!」
「いやなに、今日はとっておきの『サプライズ』を見せたくてね!」
フィオナはため息をつき、カップを持ち直した。
「ゼノン。貴方の『サプライズ』は大抵、厄介事か自慢話よ」
「今回は……娘さんのこと?」
「ああ! 実は先日、エリスが魔法に覚醒してな!」
ゼノンは鼻高々に宣言した。
「これがまた凄いんだ! 黒くてトゲトゲしてて、実にパワフルな薔薇でな!」
(やめてパパ! 余計な形容詞をつけないで!)
エリスは心の中で悲鳴を上げた。
「黒くてトゲトゲ?」
フィオナの眉がピクリと動く。
「植物魔法……それも変異種かしら。珍しいわね」
「だろ!? だから専門家のお前に、是非とも鑑定してほしくてな!」
「エリス、ほら。フィオナおばちゃんに、あの『凄い魔法』を見せてあげなさい」
ゼノンが促す。
それは死刑台への招待状に等しい。
エリスは後ずさりした。
「あ、あの……パパ……」
「ん? どうした? 恥ずかしいのか?」
「う、うん……。それに、今日は調子が……」
「大丈夫だ! 失敗してもパパが受け止めてやるから!」
(違うの! 成功したら死ぬの! 貴方に殺されるの!)
エリスは涙目になった。
だが、フィオナの静かな視線が突き刺さる。
ここで拒否すれば、逆に怪しまれるかもしれない。
やるしかない。
ただし、「魔王の禍々しい茨」ではなく、「可愛らしいお花」として出力するのだ。
全力で偽装して!
エリスは震える手を前に突き出した。
深呼吸。
イメージしろ。
無害な花。
メルヘンな花。
決して人の生き血を吸ったり、絶望を撒き散らしたりしない、ファンシーな花!
(お願い、私の魔力! 空気読んで!)
彼女は口を開き、即興の詠唱を紡いだ。
震える声で、できるだけ可愛らしく。
「……さ、咲いて……お花さん……」
『深淵の底より……』
(違う! 脳内詠唱が勝手に!)
エリスは慌てて思考を修正する。
「き、キラキラの……光を浴びて……」
『鮮血の契約に基づき……』
(黙れ前世の本能! 引っ込んでろ!)
エリスは顔を真っ赤にして、必死に言葉を絞り出した。
「えっと……ポポポポーン! ……フラワー・ブルーム!」
苦し紛れの呪文と共に、魔力を解放する。
ドクン。
本能が歓喜し、黒い魔力が噴き出そうとするのを、理性で無理やりピンク色に塗りたくる。
ボシュッ!
間の抜けた音と共に、エリスの手のひらから一輪の花が咲いた。
それは確かに薔薇だった。
だが、色は毒々しい赤黒さではなく、薄いピンク色……を、少し濁らせたような微妙な色合い。
そして茎にはトゲがあるが、そのトゲの先端には、なぜか小さなハート型の葉っぱがついていた。
「……できた」
エリスはへたり込みそうになった。
見た目はギリギリセーフ(?)。
中身は……猛毒と麻痺成分たっぷりの殺人植物だが、触らなければバレないはず!
フィオナが立ち上がり、エリスの手元の花に近づいた。
その顔が無表情で怖い。
「……見せて」
彼女は長い指を伸ばし、花弁に触れようとする。
(ひぃぃッ! 触らないで! 解析されちゃう!)
エリスはビクッと体を硬くした。
フィオナの指先が、ピンク色の花弁に触れた。
一瞬、彼女の瞳孔が開いたように見えた。
(バレた!?)
沈黙。
永遠にも感じる数秒間。
フィオナは指先を離し、じっとその指を見つめ、それからエリスの顔を見た。
「……ゼノン」
「おお! どうだ? 才能あるだろう?」
「ええ」
フィオナは静かに頷いた。
「驚いたわ。……これは、ただの植物魔法じゃない」
(終わった。処刑だ)
エリスは目をギュッと閉じた。
「構造が……非常に『複雑』ね。外見は可愛らしいけれど、内部の魔力循環が異常に高密度だわ」
「まるで……強大な魔力を、無理やり小さな器に押し込めたような」
フィオナの視線が、エリスの瞳の奥を探るように深くなる。
「エリスちゃん」
「は、はいぃッ!」
「貴方……無意識に魔力を『圧縮』しているわね?」
「え?」
「普通、覚醒したての子供は魔力を垂れ流すものよ。でも貴方は、それを本能的に制御し、形に留めている」
フィオナは微かに口角を上げた。
「天才よ。……恐ろしいほどのね」
ゼノンが「ぶはは!」と豪快に笑った。
「そうだろうそうだろう! 俺の娘だからな!」
「天才か! いやぁ、参ったな! 将来は宮廷魔導師か?」
フィオナはゼノンの馬鹿騒ぎを無視して、エリスに顔を近づけた。
その瞳には、敵意ではなく、どこか懐かしむような色が浮かんでいた。
「……大切にしなさい、その力」
「綺麗な花よ。……少し、寂しそうな色だけれど」
フィオナはそう言い残し、席に戻った。
エリスは呆然と立ち尽くした。
バレてない?
いや、何か気づかれた気もするけど、とりあえず「敵」とは認定されなかった?
「……よ、よかったぁ……」
エリスはその場に崩れ落ちた。
全身の力が抜ける。
ゼノンが慌てて駆け寄ってくる。
「おいおい、大丈夫かエリス! 魔力使いすぎたか?」
「パパが無理させるからだぞ! 無茶しやがって!」
ゼノンはエリスを抱き上げ、よしよしと頭を撫でる。
フィオナは紅茶を啜りながら、その光景を静かに見つめていた。
(あの魔力の質……)
(リリス……?)
(まさか、ね。……でも、もしそうなら)
彼女はカップの中に映る自分の顔に、自嘲気味な笑みを浮かべた。
(ゼノン。……貴方の願いは、本当に叶ったのかもしれないわね)
その夜、ゼノン邸の食卓は祝宴となった。
「乾杯だ! 我が娘の天才的才能に!」
ゼノンがジョッキを掲げる。
料理長のマサが腕を振るった豪華なディナーが並ぶ。
「もう、あなたったら。エリスが困ってるじゃない」
セシリアが苦笑しながら、エリスの皿にサラダを取り分ける。
「でも凄いわね、エリス。お花を咲かせるなんて素敵」
「う、うん……ありがとう、ママ」
エリスはひきつった笑顔で答えた。
(素敵じゃないの。中身は殺人植物なの)
(パパもママもフィオナさんも、みんな騙されてる……!)
罪悪感と安堵感が入り混じり、エリスの胃はキリキリと痛んだ。
だが、ゼノンは止まらない。
「そうだフィオナ! 明日からエリスに魔法の特訓をつけてやってくれ!」
「俺じゃ槍の使い方は教えられても、魔法はさっぱりだからな!」
「ぶっ!?」
エリスはスープを吹き出した。
「特訓!? フィオナさんと!?」
「ああ! 天才を伸ばすには最高の師匠が必要だ!」
フィオナは優雅にナプキンで口を拭い、頷いた。
「いいわよ。……少し興味もあるし」
「みっちり、基礎から叩き込んであげる」
その目が、キラリと光った気がした。
(ひぃぃぃッ!!)
(マンツーマン指導とか絶対ボロが出る! 死ぬ! 尋問される!)
エリスの絶望をよそに、英雄ゼノンは上機嫌で肉にかぶりついた。
「ガハハ! 楽しみだなエリス! 立派な魔導師になるんだぞ!」
「……うん、パパ……」
エリスは遠い目をした。
彼女の「正体隠蔽・良い子生活」の難易度が、一気にルナティックモードに跳ね上がった瞬間だった。
窓の外では、彼女が昼間咲かせた「ピンクのバラ(殺人仕様)」が、月光を浴びて妖しく、しかし健気に揺れていた。




