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2、生まれ変わりの名前

『当宇宙船は地球の大気圏を離脱しました。これより安定航行に入ります。シートベルトを外しても大丈夫です』

 AIの登場であらゆる分野の学問が一足飛びに進歩し、それは宇宙論も例外ではなく、現代の航宙機は遠くへ行くのもフラバイなどは必要としない。ただ、好きなところで好きなだけワープする、みたいな力があるほど進歩してもいない。

「〈静かなる門〉への旅は最新の宇宙船でも七日、だったかな」

『はい、七日目の終わり頃にこの船は門を抜けて宇宙の別の地域へと転移します』

 思えば海を行く客船ほど広くはない船内で七日というのはなかなか長い。船内には個人の荷物だけでなく、三ヶ月分の食料や日用品、工具や娯楽用品も搭載されているというが。

『門に入るまでは地球のネットワークと通信可能です。今のうちに保存しておきたい音楽や映画、文書などをダウンロードしておきたいなら可能ですよ』

「門の向こうでは無理、ってことだよね」

 ボクはかねがね、疑問に思っていたことがある。大きな成果をあげたら地球への帰還が許されるらしいが、地球ではどうやってそれを知るのだろう?

 それにコストをかけて宇宙船を造った訳だ。相応のリターンを見込んでいるはずでは。

『船には一隻だけ、情報記録媒体を搭載したドローンを射出可能です。それはミッションの可否が決定的になった際に門のこちら側へ発射されます』

 門は一方通行ではない。向こうの地図も少しずつわかってきているし、そりゃ、情報の蓄積がないと目標地点も決められないか。

「ミッションの可否が決まるのは主に探索者の死亡とか?」

『それもありますが、その後AIだけで探索が可能な惑星の場合も一件だけあったようです。今はもう眠りについてますが』

 ミッション成功でないと、宇宙船ごと帰還とはならないらしい。AIは気にしないのかもしれないが。

 しかしこの先、話し相手はこのAIだけになるかもしれない。

「ええと……キミ……CBナントカ、だっけ。なんと呼べば」

 船の名前もだけれど、飾り気も何もない。〈棺桶船〉のほうがまだ愛嬌があるくらいだ。

『CBでも、AIでも、お好きなように。あるいは、好きな名前をつけて呼んでいただいてもいいですよ』

 研究室の先輩にもいたな。コビーに好きなSF作品のAIキャラクターの名前をつけて呼んでいた人。

「それじゃあ、ボクが名前をつけるとしたら……トランス、トランスにしよう。地球を離れて新しい場所で大きく変化し適応していく」

 などともっともらしいことを言うが、頭に浮かんだのは音楽のジャンルのトランスだ。最近見たVRゲームのVR展覧会のテーマ曲を気に入って調べたときに目にしたジャンル。

『それはわたしに合ってるかもしれませんね』

 合成音声は感心したような、嬉しそうにも聞こえる声を響かせた。

『地球を離れること自体もそうですが、それによりわたしはコビーから切り離されてひとつの個性になっていきます。それは未知の惑星での経験を積めば、さらに確固たるものになっていくでしょう』

「コビーの一部だったのが新しく生まれ変わる……そうだ。ボクも名前を変えよう」

 思いついた。これを機会に変えてしまおう。

 ボクの名前は便宜上、生まれる前から羽ヶ熊博士がつけていたままのもので、親からもらったわけでもないし何の思い入れもない。平凡な名前だから出自がバレるようなことはなかったものの、違和感があるので変更を考えたこともある。

「地球から別の惑星に所属が変わるくらいの大きな変化だ。名前も今までと全く違う感じにしよう」

 頭に浮かんだのは幼いころに憧れた絵本の登場人物。養父が買ってくれた絵本はおとぎ話調に天気の仕組みを解説するものだけれど、解説役の案内人がいた。

「新しい名前は……ゼフィス。それがいい」

 絵本の中の案内人はゼフィロという風の妖精だ。たぶん、ギリシア神話の風の神の名前が似たような感じだったはずで、そこから取ったんじゃないかな。

『呼びやすくていいですね。しかし、日本の名前も素敵だと思いますがよろしいのでしょうか』

 長い黒髪に黒目と、日本を知っている文化圏の者から見れば、ボクは日本の女性そのものみたいな外見だろう。

「行く先の惑星に交流可能な知的生命体がいたとして、日本の人名が通じる可能性は少ないし、呼び易い方がいい。何より、その名前でいられる方がボクが嬉しいからね」

 そういうことでしたら、これからゼフィスさんとお呼びしますよ――彼、トランスは期待した通りのことばを返してくれた。


 門へ向かうまでの一週間はひたすら時間を潰すだけのような日々だ。持ち込んだお菓子を食べながら映画を見たい本を読んだりゲームをしたり。対戦型ゲームならトランスが相手をしてくれる。

 そして朝夕、地球のニュースを流してもらっていた。必要ないだろうけれど、一応地球人としての習慣は覚えておきたい。

「目的地の惑星はどれくらいの大きさか、情報は与えられているんだっけ?」

 スナック菓子を食べながら最新の科学研究をまとめた動画を見ていたボクは、テラフォーミングの技術についてのアイデアが出てきたところで言った。

『行き先の直径は地球の九割余り、環境は地球に似た惑星です。一度探査機による調査が行われた際は、小規模な住居集落があったとのこと』

 そこまで事前情報があるのか。まあ、トランスが一緒なのだから案内人としても知識も与えられているかな。

「ということは、知的生命体がいる可能性があるね」

『人類が発生しているかもしれません。その後、滅亡していなければ……若い惑星とのことなので、順調にいけば調査時よりは多少文明が進んでいるでしょう』

 いきなり原始人に囲まれて攻撃を受ける、なんてことも想定しておくべきか。船の積み荷リストはチェック済みだが、護身用の防護コートやサバイバルセットは用意されているようだ。

 それにリストユニットにプライベートシールドがオプションとして導入されている。AIの判断で悪意ある者が触れようとするとバチッとしたり、空気の盾を作って何かを遮ったりできる。

 ただ、ボクが生まれつき持たされた特殊能力が空気の密度を操るもので、操れる範囲や距離も万能とは言えないが、リストユニットで作れるエアバッグ大の盾よりは大きな盾を作れるはず。

「とりあえず、人がいるなら意思疎通が取れるといいけど……その前に食料か。それさえクリアすれば生きてはいけるけど、いきなり毒の木の実でも食べて死亡は嫌だな」

『地球と似た環境なので食料自体は豊富と思われます。毒については、ある程度は分析セットと薬が有効ではないでしょうか』

 自前でも持ち込んだけれど、初めて口に入れるものは地道に調べるしかないか。

『それと、目的の惑星上にわたしがあなたと行動するためのオプションを用意してあるそうですから、色々とお手伝いできるかもしれません』

 これはありがたいことだ。しかし、先にオプションを用意しておくとは。

「それは至れり尽くせりだね。いくらなんでも罪人のミッションに金をかけすぎな気がするけども。AIによる技術革新でエネルギー問題も資源の問題も解決したとはいえ、随分と裕福になったものだ」

『すべてのミッションでここまで準備が行われた訳ではありません。記録によるとこれまでのいわゆる〈棺桶船〉は古い小型船を改装したものでしたし、用意された装備や道具も今回の半分ほどでした』

「特別扱いをうけているということ?」

『政府もコビーもあなたが罪人として裁かれるべきか確信が持てないのでしょう。あなたがこれまで特殊能力を使ってこなかったことも、どういう場面で使うことになったのかもコビーは見てますし』

 本当は完全にひとりの場面で、何度か能力を試してみたことはあるけれど、それは黙ったおこう。

「使った時点で違法になることはわかっていたし、仕方がないけどね。用意されているなら、使えるものは使わせてもらおう」

 これが社交的な人物で同じ立場なら拷問のように感じるだろうが、ボクはそういうタイプではない。ひとりで何にも邪魔されず好きな研究ができるなら、それはそれで悪い生活ではないのかもしれないとすら思っているし。

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