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整体師レン

王太子ニコラスとの婚約解消が決まった時、侍女のマリアは号泣して怒り狂った。


オスカーは何ともいえない複雑な表情を浮かべていたのを覚えている。


なかなか泣きやまないマリアを休ませた後、オスカーは神妙な面持ちでセシリアに尋ねた。


『知り合いに腕の良い整体師の女性がいます。口が堅いのは保証しますし、愚痴でもこぼしながら体をほぐしてもらったらちょっとは気が楽になるかもしれません』


琥珀色の瞳は寄り添うような優しさに溢れていて、セシリアは素直に彼の言葉に甘えることにした。


整体やマッサージは未経験だったけれど、首、肩、背中が凝り固まっているのは自分でも分かる。凝りすぎて痛いくらいだった。少しでもほぐしてもらえたら有難い。


***


『はじめまして。レン、とお呼びください』


女性にしては低い声のレンは落ち着いていて中性的な魅力をまとった背の高い美女であった。


艶のある黒髪を一つにまとめて教会の神官のような喉元まで隠れる黒いフロックコートを着ている。細身で背が高いので一見すると男性神官のようにも見えた。


神官は医療行為を担うことが多く、整体もその一端と考えられているのでそのせいかもしれない。


『初めてだと緊張しますよね。無理しなくても大丈夫ですよ』


艶やかな大輪の薔薇のような微笑みに胸が高鳴ったが、穏やかな口調と控えめな物腰のおかげで内心緊張していたセシリアは安心した。


『ドレスを着たままでもマッサージはできますからそのままで』


(ドレスを脱ぐのはやっぱり恥ずかしいから……良かった)


そう思いながら寝台にうつぶせになる。


『では失礼しますね』

『はい。お願いします』

『背中から参ります』


レンの指は凝っている箇所を確実に探り当て、強すぎず弱すぎず絶妙な案配でもみほぐしてくれる。筋肉がほぐれ血流が良くなる感覚が信じられないくらい気持ちいい。


彼女はお喋りという印象ではないのに聞き上手で答えやすい質問をしてくれる。


気がついたらニコラスとの婚約解消の話を打ち明けて、涙ぐむセシリアをレンが慰める流れになっていた。


普段のセシリアは愚痴をこぼすタイプではない。自分の中にためこんでしまう癖があったが、レンは巧みにそれを吐き出させてくれた。


涙とともに悲しみも洗い流される気がしたし、レンの慰めも過剰ではなくセシリアの感情に寄り添うもので少しずつ気持ちが楽になっていく。


知らないうちにセシリアは寝台でマッサージされながら眠ってしまった。


目を覚ました時レンはとっくに帰ってしまっていたけれど、身も心も羽が生えたように軽くなっていた。


その後も定期的にレンにマッサージをお願いして一年以上経つ。


昨夜の舞踏会は気が張るものであったし、どうせ休むならレンに来てもらえたら有難いとオスカーに伝えると、彼は格好良くウィンクしながら「承知しました、お嬢さま」と頭を下げた。


***


「お久しぶりです。お嬢さま」


まっすぐな黒髪を一つに束ねて会釈するレンは相変わらずの美しさだ。黒曜石のように煌めく切れ長の瞳が柔らかく弧を描いた。


「急にお願いしてしまってごめんなさい。大丈夫でした?」

「はい! ちょうど時間が空いていたので呼んでいただいてありがたいです」


彼女の目に嘘は感じられない。セシリアは安堵して部屋着のまま寝台にうつぶせになった。


「昨日はとても疲れることがあって……。よろしくお願いします」

「はいはい」


すっかりくつろいだ姿を見せても抵抗がなくなったセシリアは完全にレンを信頼している。


「あ、本当に凝っていますね。首筋と肩ががちがちですよ」

「はい。昨夜は舞踏会があって……」

「お嬢さまが舞踏会なんて珍しい」

「ええ、本当に苦手。陰口を叩かれるし居心地が悪かったわ。それにドナルドが……」


言いかけて慌てて口を閉じる。夫のことを愚痴るなんて淑女のすることではない。


「……お嬢さま、私のことは壁のようなものだと考えてください。お嬢さまが独り言をおっしゃっても壁は何も思いませんし、人に言うこともありません」


レンの口の堅さは分かっている。彼女の優しさに目頭が熱くなった。


「……夕べはニック……ニコラス王子殿下が相談したいことがあるっていうから王宮まで行ったの。ちょうど舞踏会があるからドナルドにエスコートしてもらって楽しんでから執務室に来たらどうかって言ってくれて……」

「あら、素敵ですね」

「ええ。だから久しぶりの舞踏会でドナルドと一曲くらい踊れるかなって、ちょっと楽しみにしていたの……。頑張ってお洒落して行ったし」

「お嬢さまがお洒落したらさぞかし綺麗だったでしょうね」

「そんなことないけど……。それなのにドナルドは見つからなくて。そうしたら私を置いて一人でニックの執務室に行っていたのよ」

「……あら」

「うっかりしてたって本人は言っていたわ。でも、妻を忘れるかしら? それに自分が未来の公爵になる……みたいな言動をする時があって……」

「ヘイズ公爵家の跡取りはお嬢さまなのに?」

「うーん、それは私が考えすぎかもしれないけど……。それでね。舞踏会で偶然会ったご令嬢が『月のしずく』は物凄く売れているっていうの」

「それは驚きませんわ。私も『月のしずく』をいただいてずっと使っていますけど、肌荒れや吹き出物もすぐに治るし、つけていればずっとしっとりすべすべのお肌で…」

「でも、ドナルドは全然売れなくて利益がでないって。無料ただ同然で配っているっていうの」

「……それは変ですね。私も他のお客さんに勧めたことがあるんですが『高すぎて手が出ない』っておっしゃっていましたよ」

「え!? それは本当ですか?」


驚いて思わず顔を上げた。レンは「申し訳ありません。余計なことを申しました」と困惑している。


「いえ、いいの。こちらこそごめんなさい。続けてもらえる?」

「はい。でも、一度ドナルド様にきちんとお話しされたほうがよろしいかも。一人ではだめですよ。ご両親とマリアとオスカーにも立ち会ってもらって……」

「そうね……。考えてみるわ。ありがとう」


最高に気持ちの良い施術なのに、その後はなかなか身が入らなかった。


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