月の巫女
セシリアの化粧品が『月のしずく』と呼ばれ不思議な効力を発揮するのには理由がある。
***
夜空には雲一つなく、くっきりと薄紫色の満月が浮いていた。
「今日は一段と美しい月ですわね。……少し怖いくらい」
マリアが小さな声で独り言ちる。
「お嬢さまの髪の色と同じ。とても神秘的です」
いつの間にか背後に立っていたオスカーがセシリアの髪を一房摘まむと拝むように顔に近づけた。
「し、しんぴてきなんて……そんないいものじゃないのよ!?」
思わず真っ赤になって動揺するセシリアに、オスカーは大人の余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「とてもお美しいですよ」
この従者は心臓に悪い。
(でも……本当に私の髪を綺麗だと思ってくれているのかしら?)
多様な髪色があるが、薄紫色の髪の毛はかなり珍しいほうだと思う。目立つのが苦手なセシリアは子供の頃から髪色のせいで居心地の悪い思いをしてきた。
(でも、まぁピンク色の髪の女の子もいるし……)
底抜けに明るいキャロルの顔を思い浮かべて思わず顔がほころんだ。彼女の髪と目の色はピンク色で他にそんな人間を見たことがない。一応恋敵であったキャロルだが不思議と憎めない人柄なのだ。
「お嬢さま、準備はよろしいですか?」
「ええ」
セシリアはまっすぐに満月を見上げて両手をあげた。手のひらを満月に向けると絹糸のような細い光が何本も空中に現れて、それらが彼女の手のひらに吸いこまれていく。
何百本、何千本もの光の糸が次々と現れ、美しい蝶のようにふわふわと浮遊する。浮いている光の糸が束になり手のひらに吸いこまれる度に光の粒子が花火のように弾けた。薄紫色の月と夜空を背景にして何とも幻想的な光景だ。
「綺麗……。何度見ても感動しますわ。さすが…月の巫女」
「……そうですね」
マリアとオスカーは静かに見守っている。
しばらく光を吸収した後、セシリアは並んだ大瓶の前に立ち意識を集中させて先ほど集めた光を少しずつ瓶の中の液体に注いでいく。
十個の大瓶に光を流しこむと、今度は皮と種をのぞいたへちまの繊維に向かって両方の手のひらから光を照射した。きらきらと輝く粒子に包まれたへちまがぱちぱちと光を放つ。
バルコニーにあった全てのへちまに光を注ぐとセシリアはふぅっと大きな息を吐いた。魔法を扱うと急激に体力が削られる。
(あれ、なんかちょっと……限界かも)
突然、視界がぐるぐる回って足元がおぼつかなくなった。
ぐらりと体が揺れて倒れそうになった時、焦った顔のオスカーが駆け寄って逞しい腕で抱きとめてくれた。
(ああ、この腕……。安心感があるな。子供の頃からずっと抱っこしてもらって……)
そのまま意識を失ったセシリアを抱き上げると「まったくいつも無茶ばかりして……」とオスカーは悲しそうに呟いた。
***
セシリアが目を覚ますとマリアとオスカーが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「まぁ、お嬢さま! 目を覚まされて良かったです。心配したのですよ。やっぱりお疲れだったのでしょう?」
マリアが安堵したように笑顔を見せた。
「旦那様と奥様にお知らせしてくる」
「ありがとう、オスカー。お願い」
マリアが急ぎ足で部屋を出ていくオスカーの背中を見送っている。
まだ頭が上手く働かない。セシリアは昨夜のことをぼんやりと思い出した。
「……ごめんなさい。なにがあったのかしら……?」
「月の加護を与えた後、お嬢さまは倒れてしまわれて……。やっぱりお疲れだったのですよ。ドナルド様はお嬢さまに無理をさせすぎです!」
怒るマリアの目には微かに涙が滲んでいる。
自分を思って怒ってくれているのだ。
「ありがとう……マリア。心配かけてごめんね。マリアはちゃんと休んだの? まさかずっと私に付き添って寝ていないとか?」
「いいえ、私はちゃんと休ませていただきましたわ。オスカーは一晩中起きていたみたいですけど……」
「オスカーが?」
「彼は体力オバケですからご心配の必要はありませんわ」
「それでも疲れるでしょう? 彼には今日は休みを取ってもらって……」
「必要ありません」
なじみのある声の方向に目を遣るとオスカーが眉間にしわを寄せながら立っている。
彼の背後に心配そうに覗きこむ両親の顔が見えた。
「セシリア! 無理は禁物だよ。ドナルドが無茶を言ったのかい?」
「自己管理をしっかりなさい! 気が進まない場合はちゃんとノーと言えるようにならないと駄目よ」
「はい。お父さま、お母さま、申し訳ありません」
セシリアは素直に頭を下げた。
「それよりオスカーには今日休みを取ってもらって……」
「いえ、私は問題ありません。……それよりお嬢さまのほうが本日は休養日ですよ」
「駄目よ。化粧水の瓶詰めの作業が……」
疲れているはずなのに休みたくない仕事中毒の二人に向かって母がパンパンと手を叩いた。
「あなたたちは二人とも今日はお休みね」
母親に断言されてセシリアは戸惑った。
「え? でも化粧水を小瓶に移したり……品質管理も……」
「大丈夫よ。マリアがちゃんと監督してくれるし、あなたがやっていることをもう何年も見てきたんだから、私とお父さまだって立派にできるはずよ!」
「お父さまとお母さまがされるのですか?」
「当たり前よ!」
「当然だ!」
力強く頷く二人にセシリアはかえって不安がつのるが、一度言い出したら何を言っても無駄なのが母親である。
小瓶の殺菌消毒や品質管理はマリアが熟知しているから大丈夫だろう。
「それからオスカーもお休み! あなたもたまには休日を持つべきよ! いいわね? はい! オスカーは今すぐ自分の部屋に戻りなさい」
「……はい、奥様」
オスカーも母の言うことは素直に聞くらしい。大人しく扉を開けて出ていった。
「私たちはセシリアのへちま事業にもっと関心を持つべきだったんだ。セシリアは優秀だから誰の助けも必要ないだろうなんて……。親失格じゃないか!?」
何故か父が急に頭を抱えた。
「ええ。でも、遅くはないわ。これからは私たちも積極的に関与していきます。ドナルドにもちゃんと話を聞かないとね!」
「お父さま、お母さま、突然どうなさったの?」
「へちまについてもっと知りたいんだ。教えてもらえるかい?」
これまでへちまなんてまったく興味のなかった両親の変わりように戸惑いつつも、セシリアは事業について丁寧に説明した。
「……『月のしずく』はご存じの通り、長年の主力商品ですわ。敏感肌や乾燥肌など肌が弱い人でも使うことができますし、ニキビや汗疹の予防にもなります。 肌荒れやあかぎれ、湿疹にも効果があります」
両親は感心したように「「ほぉ~」」と口を揃えた。
「そして新商品としてへちまの実を使ったスポンジを開発しました。体を洗うのに非常に適したスポンジになるのではないかと思います。どんな敏感肌でも皮膚が傷つかない仕様です。今回試作品を作りましたので、身近で興味のある方に使っていただいて感想を聞こうと思っています」
「あら、じゃあ、私も使わせてもらいたいわ。あなたの月の光も入っているんでしょう?」
「はい。ですから、体に害が出ることはないと思います」
「さすが我が娘だ! ものすごい能力を持っている! ヘイズ公爵家の宝だ!」
父親は完全な親ばかなので常にセシリアを手放しで褒める。さすがに照れくさい。
「ただし、何度も言いますけどこの力は秘密にしてくださいね。魔法使いはこの世界からいなくなったはずなのですから……」
「もちろんよ。安心して。ドナルドに知られてしまったのは心配だけど……」
「どうしてですか? 私の夫ですよ」
ムッとして言い返すと気の強い母が珍しく素直に「あら、ごめんなさいね」と謝った。