王宮からの帰り道
*本日二度目の投稿です(^^♪
ドナルドのエスコートは相変わらず完璧だ。流れるような動作で誘導されセシリアは気がついたら馬車の中にいた。
「さすがに殿下のお相手は疲れるな……」
ドナルドが呟きながらネクタイを少し緩める。
「お疲れさま」
「いや、君だって疲れただろう? 会場で待たせてしまって悪かった。うっかりしていたよ」
「お気になさらず」
「怒ってない、よね?」
「怒っていませんわ。怒っているように見えます?」
「ああ……君は基本が無表情だからね。嬉しいのか楽しいのか怒っているのか悲しいのか、感情が分からない時がある」
ドナルドが苦笑いしながらこめかみを掻いた。
「すみません。よく言われるのですが自分では……」
「いや、いいんだ! 気にしないで。僕は君のそういうミステリアスなところにも惹かれたんだから」
自分では欠点だと思っているところを褒めてもらえると嬉しい。でも、その喜びはあまり顔には表れないようだ。
ドナルドは気まずそうにこほんと咳払いした。
「……そういえば」
「はい?」
「今夜は満月だから、また例の化粧水を作ってもらえるかい?」
「……はい。分かりました」
「助かるよ。いや、儲けはないんだが、欲しいという人が沢山いてね。無償奉仕みたいなものだが、君も人の役に立てばいいと言ってくれただろう?」
セシリアは少し考えこんだ。
「あの……先ほど舞踏会で『月のしずく』が莫大な利益をあげていると仰っていた方がいて……」
ドナルドの顔が一瞬引きつった。しかし、すぐににこやかな笑みが浮かぶ。
「それは誰だい?」
「あの……伯爵家のご令嬢だったと思いますが名前まで把握していなくて…」
植物しか興味のないセシリアにとって人の顔と名前を覚えるのは苦痛でしかない。
「きっと勘違いだよ。利益は全然出ていない。僕のことが…信用できない?」
セシリアの手を取ってドナルドが微笑みかけた。
彼の大きな手が頬に添えられる。
そのまま顔を上向きにされると彼の顔が少しずつ近づいてきた。
(……く、くちづけ!? い、いよいよかしら?)
胸がどきどきして頬が熱くなる……。
しかし、タイミングが良いのか悪いのか、ぎしりと馬車が止まった。
ドナルドはパッと体を離す。
すぐに扉が開き、セシリアの従者であるオスカーが顔を覗かせた。薄暗い中でもその美貌が分かるっていうのがすごい。琥珀色の瞳がセシリアを視界に入れると優しく弧を描いた。
「お嬢さま、ご無事ですか?」
「は、はい……」
「どうかお気をつけて」
オスカーの手を取り、慎重に馬車を降りた。ドナルドはどことなく不機嫌そうにオスカーを睨みつけている。
「今夜中に大瓶に十本くらいは作れるかな?」
「多分……」
「じゃあ、頼むよ。おやすみ。僕はやらなければならないことがあるから今夜は仕事場で寝るよ」
(今夜『も』ね)
そう心の中で呟きながらも、できるだけ明るい笑みを浮かべるようにする。
「大変ね。お疲れ様」
「いいさ、君のためなら」
ドナルドはセシリアの額に軽く口づけると笑顔で再び馬車に乗りこんだ。
「おやすみなさい」
セシリアが手を振るとドナルドも馬車の小窓から爽やかに手を振った。
***
「お嬢さま。夜風はお体によくありません。中に入りましょう」
馬車を見送っていると侍女のマリアが迎えに出てきてくれた。
マリアはいかにも仕事ができそうな侍女で、きりっとした顔立ちの美人である。ひっつめにした黒髪はいつも後れ毛一本なく、深い湖のような青い瞳が印象的だ。
「ええ。ありがとう。今夜は満月だから忙しくなるわ。手伝ってくれる?」
「ええ!? 舞踏会で疲れているのにドナルド様は今夜も作れと!? お嬢さまをこき使って一体何様だと……」
マリアの言う通り、くたくたに疲れている。普段引きこもりの生活を送っているので出かけるだけで体力を異様に消耗するのだ。
でも、困った人のためにお金にならない事業を引き受けてくれるドナルドの頼みは断りたくない。肌荒れで苦しんでいる人のためにも頑張りたいというと、マリアは仕方がないというようにため息をついた。
「元々、化粧水を作ってくださったのも私のためでしたしね……」
以前のマリアは乾燥肌と湿疹が酷かった。肌が痒くて掻きむしったせいで侍女のお仕着せが血で汚れてしまうこともあり、見ているセシリアも辛かった。
いろいろな保湿剤や薬を試してみたが何の効果もないか、かえって悪化するかのどちらかで、こんな状態ではヘイズ公爵家の侍女に相応しくないから辞職すると申し出たこともある。
敏感な肌にも優しい保湿剤が作れないかと研究に研究を重ねてへちま化粧水『月のしずく』にたどり着いたのだ。
「もちろんお手伝いしますわ。ドナルド様のためでなくお嬢さまのために!」
「私も手伝います。お嬢さま」
オスカーもマリアの隣に並んだ。
二人とも幼い頃からずっとセシリア専属の侍女と従者として仕えてくれている。
一人っ子のセシリアにとってマリアは姉のような存在だし、オスカーも頼りになる憧れのお兄さんで子供の頃は『大きくなったらオスカーのお嫁さんになる!』と言っていたらしい。
動きやすい服装に着替えて軽く食事をとった後、セシリアは『月のしずく』を作る準備を始めた。
へちまの茎を切り、その切り口を熱湯消毒した大きな瓶の中に差しこんでおくと自然と樹液が流れこむ。
定期的に樹液を採取しているので既にいっぱいに満たされた大瓶は沢山保管されている。
オスカーに大瓶を十個バルコニーに持ってくるように頼んだ。
大瓶一つから五十程度の化粧水の小瓶が作れる。大瓶が十となると大体五百個くらいか……。
作るのに必要な費用は瓶代くらいで元手はほとんどかからない。小瓶を再利用してもらえるように詰め替えるだけの場合は割引価格にしていたはずだ。どれだけ安く売っても多少の利益はありそうなものだけど……?
(いやいや! きっと困った人たちのために無料同然でお渡ししているのに違いないわ。ドナルドを信じなくちゃ)
軽く首を振ってバルコニーに続く扉を開いた。
そこではオスカーが大瓶を一定の間隔で並べてくれていた。一つの大瓶でも二十キロくらいの重さがあるが、オスカーは軽々と片手で持ち上げている。
せっかくだから今夜は新商品も試してみよう。
へちまの可能性は無限である。
へちまの実の繊維は丈夫で弾力がある。それを利用して体を洗うスポンジを作れないかと考えたのだ。敏感肌には皮膚に優しいスポンジも必要だろう。
実を使いやすい大きさに切って三十分ほど煮る。水につけて冷ました後、綺麗に皮と種を取り除くと繊維だけが残る。
バルコニーに綺麗な布を敷いてその上にあらかじめ作っておいたへちまスポンジの試作品を並べた。
(さて! いよいよ準備ができたわ!)
両手を腰に当ててセシリアは薄紫色の満月を見上げた。
*『へちまスポンジ、懐かしい!』と思ってくださる方がいらしたら嬉しいです(#^^#)