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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』伍ノ章 新世開闢②

  ② 周防俊輔


「高天原!」

 叫ぶや否や、俊輔は両開きの扉を押し開いた。

 背後では、入口を守っていた黒衣(くろご)の呪者二人──目暗(めくら)の呪祷官が倒れている。その背には、俊輔の放った呪符が髪程の隙間もなくぴたりと貼られ、彼らの気を吸い尽くしていた。……即死だった。

「心渡る神子・周防俊輔、只今舞い戻って来た!」

 ──きっと、今の自分は恐ろしい顔をしているだろう。

 仲間たちには決して見せられないような、醜悪な顔。しかし、かつての自分はこの顔が素だったのだ。俊輔は思い、微かに鳩尾(みぞおち)に疼きを覚えた。

 薄闇の揺蕩(たゆた)う空間の奥、御簾(みす)の陰に高天原の姿が──顔は隠れ、結跏趺坐(けっかふざ)を組んだ下半身と腹の辺りしか見えないが──あった。だが俊輔は、その双眸(ひとみ)が現れた背理者を品定めするかの如く見据えているのがはっきりと分かった。

 呪祷官たちの姿は最初は見えなかったが、扉が開き切り、背後に俊輔の(たお)した者たちの姿が露わになるや否や何処からともなく湧き出した。

 皆、俊輔のこれからしようとしている事に察しがついているのか、手に手に強力な呪符を携え、或いは破壊の性質を持った呪の印を結び、じりじりとこちらに向かって近づいて来た。

「何故、迷宮結界をこれ程容易(たやす)く……」

 高天原の呟きが、微かに空気を震わせる。それは、今にも爆発してしまいそうな程昂った自分と、それに呼応したかの如く気を張り詰めさせる呪祷官たちの中では間延びしてすら聞こえた。

 俊輔は、奥歯を剝き出すように獰笑した。

「堅塩なら知っているだろう。俺も、かつては目暗の呪祷官だったからだよ。幾ら相伝の呪とはいえ、解き方が分かっていれば世話がねえ」

「なるほど。……で、何をしに来た?」

「こうするのさ」

 言いざま、呪符を放つ。即座に反応した前列の呪祷官が同じく呪符を投げ、呪を放ったが、俊輔の放ったものはそれらに当たるや否や相手を木っ端微塵に粉砕した。それで尚も止まらず、「虎喰(こばみ)(よそおい)」めいた銀朱の光芒を引きながら反撃者たちの額に貼り付き──爆散した。

 頭部を南瓜(かぼちゃ)の如く砕かれ、血液や脳漿を跳ね散らしながら彼らは倒れた。俊輔はその隙に更に踏み出し、新たな呪符を取り出す。

 燕頷虎頸(えんがんこけい)の札だった。自分が普段戦闘に使うような、相手の気を吸い取るものではない。家屋を破壊する為の符術であり、決して人間に対して使ってはならないとされる禁断の呪。当然使用者の気も激しく喰らい、夢惣備を行う時のように虎喰の装と多くの魂を自身に取り込んだ上での心渡りを併用していれば、もう使用する事は出来ない。

 敵を倒すだけであれば、普段の戦法で十分に事足りる。しかし今、俊輔は見せつけねばならなかった。かつての同僚たちに対して、背理者たる自分がどれ程冷徹になれるのかを。そして彼らと同じ末路を、たとえ天津神であろうと否応なく辿る事になるのだという事を。

「飼い犬に手を噛まれる気分はどうだ、高天原!?」

 一人、また一人と、呪祷官たちの肉体が爆散する。陰暗に血が飛沫(しぶ)き、肉片や臓物の花弁が舞い散る。鶴来には見せられないな、と思った時、場違いにも作り物ではない笑みが零れた。

 近づいて来た呪祷官の群れを駆逐すると、俊輔は次の相手に狙いを付ける。薄ぼんやりと灯る燭台の間に、火影の如く佇む新たな一団。彼らは俊輔の肉薄に伴い、第一陣と同じく呪の行使を始めたが、

「やっと分かったんだ。俺が神子となって、自由意志を許されるようになったのが何故だったのかと」

 俊輔の相手は、あくまで高天原ただ一人だった。呪祷官たちはそれを遮る障害物に過ぎず、治水工事に於ける泥土礫岩の如くただ押し退()けられ、砕かれていく。そちら側からの如何なる攻撃も、燕頷虎頸の札の前には意味を成さなかった。

「俺はずっと、現世(うつしよ)で生きていたんだよな。当たり前の事だけど」

 最早、蹂躙に等しかった。

「世界との羈綱(きづな)が、切れてはいなかった。それに気付かせてくれたのが、あの弟だったんだ。俺が背理者となったのも、あの堅塩の末裔たちと結んだのも、全部あいつの為だった」

 第二陣を蹴散らすと、反対側の壁際から第三陣が迫り来る。次第に大きくなっていく(しかばね)の山に、一体この部屋には何人の呪祷官が居るのだろう、と初めて恐れのような気持ちが萌した。

 だが、俊輔は止まらなかった。

「こんなに当たり前で、こんなに簡単な事だったんだ。心さえ、ちゃんと手放さないで居られたのなら。……なあ、高天原。道冥先生と晋冥先生、物部を捨てて薬師の名を選んだ彼らは、俺以前にとっくにあんたの(くびき)から心を解き放たれていたよ。俺は彼らを唆したんじゃない、少しきっかけを投げ掛けただけだ」

「………」

 高天原は沈黙を保ち続ける。俊輔も、別に返事を期待してはいない。

「俺、鶴来には助けられてばっかりだった。正直、悔しいよ。もっと早くに、あいつも沙夜も、一緒に救ってやりたかった。けど、今は俺に出来る事はこれくらいしかねえ。ならせめて」

 第三陣の右翼半分が、空間ごと抉られたかのように消える。

 続いて左翼に向かいかけた時、唐突に息が出来なくなる。強力な呪を乱発しすぎた体が、気を消耗しすぎたのだ。だが、俊輔はそれを意志の力で抑え込み、更に気を捻出した。

「俺はせめてそれをやる! あんたを脅迫する……あいつを、好いた女の夢から解き放て。俺はそれが出来るのなら、畢生の目標すら達成出来たって胸張って言えるんだぜ。後から死罪になろうが、構わねえ。(みかど)も朝廷も天照道総本社も、太政官も神祇官も、住良宮も、全部ぶっ壊す。そうすりゃ少なくとも、新世開闢の計は潰えるだろうからな」

 第三陣の残り半分が消し飛ぶ。四肢を捥がれながらもまだ動いている呪祷官に丁寧に(とど)めを刺して回ると、俊輔は高座につかつかと歩み寄った。御簾(みす)を両手で鷲掴みにし、煌びやかな天蓋から乱暴に毟り取った。

 繋ぎの貫頭衣を纏った高天原の全貌が、露わになった。

「蘇古常百鬼でも何でも、『御阿礼(みあれ)』とやらで顕現させてみたらどうだ? 幾らあんたでも、気が無尽蔵って訳じゃないんだろ? 根(くら)べだ──あんたが強い化け物を作って、俺がそれを壊す。先に気が尽きた方が負け……それで」

 言っている途中で、胃腑から激しく込み上げるものがあった。俊輔は体をくの字に折り、畳に激しくそれをぶち撒ける。

 胃酸混じりの血液だった。

「それで……白黒つけるってのは、どうだ……?」

 口元を拭い、激しく喘ぎながらも言うと、高天原は(しば)らく黙った後、

「……やめておこう」

 小馬鹿にするように鼻を鳴らし、吐き捨てた。

「逃げるのかよ?」俊輔は挑発的に言う。「神ともあろう者が」

「馬鹿者。今の貴様とそのような勝負をしたところで、結果は目に見えている。貴様は武士の如く死に急ぎ……私は身中の虫を排した事になる。あとは薬師の名を騙る裏切り者どもを始末し、心渡(うらな)う少年をここに連れて来れば良い」

 高天原は言うと、さっと手を振った。

「これより『目暗の(てい)』を命ずる」

「何を言っているんだ? もう目暗の呪祷官は全滅した。次は言祝(ほさき)の呪祷官だ。俺はあんたの計画に必要な全てを壊すまでやめないぜ」

 俊輔は、そう言いながら頭を背後に回す。

 その途端、体が硬直した。信じられないものを見た。

 自身が行った殺戮の跡──血と肉の海の中に倒れ伏す、原形を留めない呪祷官たちの亡骸がずぶずぶと地面に沈んでいた。あたかも現れた時と同様、影の中へ溶け込んで行くかのように。

 あれよあれよという間に、彼らの姿が消えた。体外に排出され、黒変しつつある血液も徐々に彩度を失い、垂れ込める影との境目が分からなくなっていく。やがて完全に区別がつかなくなった時、忌の間は俊輔が突入した時の状態に戻っていた。

「あんた、今……何をした?」

 俊輔は恐る恐る、高天原に視線を戻す。天官は平然としたまま、「背理者、周防俊輔」と呼ばった。それからわざとがましく(かぶり)を振り、

「いや……この呼び名も正確ではない」

 自ら否定した。

「和泉国守護・大内家先代当主以延の子、()()。あらゆる点で、貴様の言った事は間違っているぞ」

「何!?」

 自身でも既に忘れかけていた幼名で呼ばれ、俊輔はぎょっとする。

「愚か者には、一つ一つ教えてやらねばなるまい。良いだろう、今こそかつて神託を代弁せし貴様に、全てを語ってやる」

 高天原は表情を変えず、訥々と言葉を紡いだ。

「貴様は、現世に生きてはいない。自由意志を許されてもいない。心を手放さずにもいない。一度(ひとたび)夢に呑まれ、(たま)喰らいたるかの者によって同化された者は、永劫に渡って我が御阿礼の内を逃れ出る事は(あた)わぬ」

「何を……言っているんだ?」

 口から零れたのは、先程と同じ問いだった。しかしそれには、先程のように余裕を滲ませる事は出来なかった。

 高天原は、初心者に説明するような口調で抑揚なく言った。

「呪祷官は法を持つ神祇官の事。法を持つとは、天意による命令(みことのり)を受ける資格を有するという事だ。言祝の呪祷官は言霊(ことだま)を帯びた『千代永(ちよえ)(ほさ)き』を唱え、その効力によって(ちょう)──(まつりごと)(にわ)に観念を植えつける。即ち、この日出国が永久の安息を得る為に、『夢遥かの世界』と魂喰らい・蘇古常百鬼が不可欠の存在だと。私はその観念があって初めて、両者を御阿礼により顕現させられる」

「じゃ、じゃあ、目暗の呪祷官は?」

「虎松よ。貴様は母親を愛していたか?」

「何?」

 高天原は俊輔の問いに答える事なく、逆に尋ねてきた。俊輔は唐突なその反問に戸惑うが、探るように返事をした。

「あ、ああ……まだ(よわい)五つだったから記憶はないが、当然だろう」

「その愛心が、貴様を夢へと(いざな)った」

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