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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』肆ノ章 恋煩い(承前)⑨


          *   *   *


 場面が変わった。僕は、言葉を切って周囲を見回す。

 雪さんの心象風景のようだった。夕暮れの村、鉛丹(えんたん)色に輝く土手。当然そこに、あの幼いお胡尹と雪さん、猛さんの姿はなかったが、僕には今にも夕陽の中を彼らが駆けて来るのではないかという気がした。

 深呼吸し、再度開口した。

「雪さんが『夢遥かの世界』に預けた願いが分かったよ。お胡尹が幸せである事、そして君はそれを、彼女の願いであると思っていた猛さんとの婚姻が成就した状態だと解釈した」

 最初に僕が、千与さんの主観の世界で沙夜を捜索した時、俊輔に説明された事だった。主観の「夢遥かの世界」に本人の魂がある場合、夢の産物であるその人物の仮想体は辻褄合わせの為に消える。誰かの夢に潜行した僕が、そこで僕自身の仮想体と遭遇する事はない。

 今回の場合、夢惣備にお胡尹が参加していた事で、雪さんの主観の世界から彼女の仮想体が消えた。しかしこの世界に於いてお胡尹は雪さんの願いの核心として猛さんと夫婦(めおと)になっており、彼女が居なくなった瞬間猛さんも消えた。もしも猛さんだけが残ったとしたら、この世界に潜行中の本物のお胡尹との間で認識の齟齬が発生してしまう為だ。

 お胡尹の魂がこの世界にある間、雪さんから「お胡尹と猛さんが結ばれている」という状況は観測出来なくなる。結果、僕たちにも「猛さんが存在しない世界」が見えていたのだ。

「……そうなんだよね、雪さん?」

 僕が確認すると、彼女はぐっと唇を噛み締め、やや黙り込んだ後──こくりと肯いた。濡れた声が紡ぎ出される。

「私……私の方が、彼の心が自分から離れてしまったと思っていたから。お胡尹が彼を好きになっていて、そのせいで私との関係(なか)に亀裂が入ってしまったと思ったから……それが、(つら)くて……悲しくて……」

 僕は何度も肯く。

 お胡尹が、同性の雪さんに恋をしていた。それは最初、自分でもまさかと思うような仮説だった。しかし、考えれば考える程に今まで見聞きしてきた事柄からその裏づけと思われる点は見(いだ)された。

 例えば、お胡尹が度々雪さんから貰った櫛をお守りの如く握っていた事。

 或いは、お胡尹が何度も脳裏に明滅したという雪さんと猛さんの接吻(くちづけ)の映像で、雪さんの濡れた唇の方が際立って印象づけられていた事。

 僕が思った通り、それはお胡尹自身が自覚していない事だった。

 彼女は雪さんと猛さんが年頃の男女の関係である事を認識してから、ずっと心の中に(わだかま)っているものがある事を、自分が猛さんに想いを寄せている為だと思い込んでいた。それ故に、やはり無意識のうちでは──「夢遥かの世界」の大前提だけで解釈が可能な「自分と猛さんが居ない」という状況を、論理的に解する事が出来なかったのだ。

 たとえ雪さんが自分の幸せを願ってくれていたのだとしても、お胡尹にとってそれは、自らの本当の幸せとして認識する事が出来なかった──。

「あの子が猛君と一緒に幸せになれるなら……それが私の贖罪だとすら思っていた……だけど」

「お胡尹も、そうだったのかもしれないね。実際に彼女は、僕の心渡りを通じて君の記憶を見て──悲衝(おどろき)を味わっていた。君の事を何も知らずに独りよがりな事をしてしまったと自分を責めていた」

 僕は、それでも、と思った。

「皆、大切な人々の事を思って行動していたはずだった。だけど、気が付けば擦れ違ってしまっていた。それぞれが真に望んでいる事を見誤り、またそれぞれが自分の為を思って行われていた事の意味を誤解していた」

「悲しいね、そんなの」

 雪さんは、やや自嘲するように口角を上げながら言う。

「私たち、ずっと大親友だったのに」

「悲しい事なのかな、それは」

 僕は、少し前にお胡尹にも言った事を思い出す。

「究極的には、他者とはどうしても分かり合う事は出来ないんだよ。それは、自分と他人が違う人間である限り、当たり前の事だ。だけど、それでも雪さん、君は……ちゃんとお胡尹の事を、大事に思っていたんだろう? 想い人としてではなく、無二の友達として」

「……ええ」雪さん──目を擦りながら。

「君は、猛さんを愛していた。その気持ちは否定しちゃいけない。お胡尹もきっとそれで、遠慮していたんだと思う。分かり合えないからこそ、ちゃんと言わなきゃいけない事は言って、それで(わだかま)りが生じたのならきちんと仲直りをすればいい。それが出来るのが、友達だよ」

 僕は言いながら、徐々に藤紫色に変わりつつある空を仰いだ。

 突き付けられたのは、残酷な真相だった。だが、そこに関わった彼女たちの心のありようは、皆誰かに対する献身的な思いこそが真実だった。

 やや(しば)し、無言の時間が流れた。

 やがて雪さんは、指先で(まなじり)を拭いつつ「ねえ」と言ってきた。

「あなたも、あの子の友達だって言ったわね? 良かったら、名前を教えてくれないかな?」

「鶴来だよ。他に、俊輔と弥四郎っていう二人も居る」

 俊輔がいつもするように、役柄や家名を排し名だけを告げる。お胡尹の友達というなら、それで十分であるような気がした。

「それじゃあ、鶴来君」

 雪さんは袖口をぎゅっと握り、濡れた瞳でこちらを真っ直ぐに見た。

「私……お胡尹に会いたい」


          *   *   *


 景色が、炎上する早蕨屋のものに戻る。焚刑台の如く燃え上がる寝台の上に仰向けになった雪さん。その上に()し掛かろうとする、最早誰の顔ともつかなくなった漆黒の魔。だが、僕にはもうそれは黒い影にしか見えなかった。

 すぐ傍の光源が、あまりにも眩しすぎた為だ。僕と共に部屋に飛び込んだお胡尹の姿が、壁を這い上がる幻炎よりも目映(まばゆ)い金桃色に輝いている。あたかも、夜道の(しるべ)のように。

 そして光源はもう一つあった。先程変化した窓辺──雪さんが待ち人のあるかの如く佇んでいた場所に、同じく目映い光を放つ一人の若者の姿がある。

 猛さんだった。

「ゆっちゃん!」

 お胡尹は、掌印を組びながら叫んだ。

 猛さんは「お胡尹!」と叫びつつ、素早く雪さんに視線を移す。

「行こう、お雪を助けるぞ!」

 彼が刀を抜くのを見、お胡尹は強く肯く。

 彼女の掌印から迸った幻炎が、断空して猛さんの刀に絡みつこうとする。彼はその時には既に畳を蹴り、雪さんに襲い掛かる魔の真上に差し掛かっていた。

 刀は巨大な火柱となり、そこから花吹雪にも似た光果が飛び散った。

赩焉百華断キョクエンヒャッカダン!」

「ウウウウアアアアアアッ!!」

 魔は身を跳ね起こし、黒煙を上げる爪で猛さんを迎え撃とうとしたが、それよりも早く彼の刀身が魔の頭部に到達した。

 体幹を縦に斬り割られた魔の傷口から、炎と同色の萩色の光が零れる。それは魔の内側から生じ、全体を包み込むように広がって行き──やがて魔は、細かな粒子となってその光の中へと溶けて行った。

 寝台の上に着地した猛さんは、刀を納め、雪さんを抱き起こす。

 雪さんの目が輝くのを見、お胡尹はやや痛みを堪えるかのように自らの胸に拳を押し当てたが、やがて意を決したように足を踏み出した。

「ゆっちゃん、私ね──」

 言いかけた言葉が途絶する。僕は彼女が、体の奥底から込み上げようとするものを必死に呑み下している事を察した。

「お胡尹……ごめんね」

 雪さんが、代わりに言った。

「あなたが迎えに来てくれた時、私、本当に嬉しかった。だけど私、帰れなくて……その理由も言えなかった」

「言える訳ないもん……だいじょぶだよ、ちゃんと分かってる」

 お胡尹は、泣き笑いの表情を湛えながら(いら)える。

「それくらいずっと、ゆっちゃんは」

 その言葉が、途中で中断された。彼女は堪えられなくなったかのように嗚咽を漏らし、僕は恐る恐るその肩に手を伸ばす。やはり無理をさせるべきではないか、と思った時、彼女は「いい」と言った。

「ちゃんと言えるよ、私」

 僕が見守る中、彼女は二人の方へと進み出る。

「私、ゆっちゃんの事が好きだよ。世界でいちばん、誰よりも愛してる」

「お胡尹──」

 雪さんは、申し訳なさそうに微笑んだ。

「ありがとう。でも、ごめんなさい。私は……私の好きになった人は、やっぱり猛君なの」

 その腕が、猛さんの胴に優しく回される。お胡尹も微笑み返す。

「知ってた」

 だから、と彼女は続けた。

「だから今は──『友達』として、お別れしなきゃ」

「……ええ」

 お胡尹は二人に歩み寄り、ひしと抱き締める。雪さんと猛さんも、彼女に抱擁を返した。

「私たち、また会えるよね? 夢惣備が成就したんだもん」──お胡尹。

「私、お胡尹の事待っているから」──雪さん。

 二人の姿が光の靄に包まれ、ゆっくりと消えて行く。

「いつまでも、いつまでも──」

 希釈されていく二人を抱き締め続けたお胡尹の腕は、やがて自分の身をかき(いだ)くような形となった。膝を折り、微かな啜り泣きを零し続ける彼女に、僕はゆっくりと歩み寄った。

 お胡尹は僕を振り返り、微笑みながらも涙を流した。

「また、失恋しちゃったな」

『夢遥か』肆ノ章「恋煩い」は明日で終了します。内容が内容だけに毎回推理小説っぽくなっていますが、今回はややアンフェアでした。別に本当の推理小説のつもりで書いている訳ではないので、特に問題はないのですが──。

 というのは、鶴来の推理の場面で語られる飛脚の駅回りについてです。『夢遥か』の舞台である日出国が日本をモデルにしているのは誰の目にも明らかですが、あくまで日本風の異世界という事には変わりないので、地図が現実の日本と大きく異なる可能性は読者の方々にとっては否めないんですよね。現実の江戸時代に於ける五街道を使った飛脚の駅回りを基に、出発地点が江戸ではなく京都(日出国の京に相当)だとしたらどうなるか、と考えて作中の設定を行いましたが、地図がないのでは鶴来と同じ推理を読者が行う事は──大体そうだろうなと予想は出来ても──まず不可能です。この辺りの受け取り方は皆さんにお任せしますが、作者の気持ちとしては「そこは特に重要な事ではない」というのが本音です。

 明日で肆ノ章は終わりですが、以降の展開に関する大きなターニングポイントがありますので、是非お見逃しなく。ここまでお読み下さりありがとうございました。

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