『夢遥か』肆ノ章 恋煩い(承前)⑥
⑪ 歴木雅楽
草水の付与された火矢が放たれてから、廃社に火が回るのは早かった。右将監・藤原持福は四大老の二人が斃れ、神人団が壊滅に近くなると、そちらにもまた少なからぬ犠牲の出た味方に撤退命令を発した。
「潮時だ、退け! これ以上燃え広がると、大人数での退却は困難となる!」
「将監殿は──」
「私は最後まで残り、直々に残存戦力を叩いた後、神子様の救出を行う。諸君らは脱出の後、信号を上げて中将殿の本隊と合流せよ。……案ずるな、蛮人どもも残すところあと四、五人。最早形骸に過ぎぬ」
持福は言いざま、横から斬り掛かったまた一人を無造作に薙ぎ払った。その神人は腰の辺りを両断され、火の中にどさりと落下した。
雅楽は、霞──水の粒子と化した舌兪坊が、炎の中で何処を漂っているのかを目視出来ていた。混戦状態に在る者たちでは気付けないような、微かな半透明の靄。それは、怒り狂っているように感じられた。退却して行く朝廷軍の兵たちに蚊柱の如く蠢きながら近づいたそれは、矢庭に右腕だけを再び実体化させる。
虚空から、段平のような扁平な刃が抜かれた。獣の肉を叩き斬るような動作でそれが振り被られ、しんがりを走っていた侍が脳天から項、背の中央までを真っ二つに引き裂かれて血煙と化した。
持福が、さすがにぎょっとしたように振り返った。
その瞬間を鬼哭坊は逃さず、雅楽の喉笛に突き付けていた刀を振り抜いて彼に飛び掛かった。
「璧龍爪!」
「忌々しい蛮人どもめ……!」
舌兪坊の利き手が再び滅形するのを見て舌打ちすると、持福は振り向きざまの速度を自身の刀に載せた。地面から、今し方斬り倒した神人の体を薪に火勢を強めた燃池を跳ね上げるように下段斬りを放つ。
「下がれ、やられるぞ!」
雅楽はつい、鬼哭坊に向かって叫んでしまう。
声を上げながら、頭の片隅に「何故」という疑問が萌した。
(何故彼は『傀儡子』の法を使わない? 人を操る事が可能ならば、将監の動きを封じる事とて可能なはずだ)
果たして、衝突の結果は呆気ないものに終わった。
仲間の変じた燃え盛る炭を、顔面から浴びせられた鬼哭坊は大きく仰反った。流派を超越した基本型三連撃は中断され、大きく手ぶれを発生させた鬼哭坊に、持福の返す刀が襲い掛かる。
鬼哭坊の両手首が、いとも容易く切断された。血飛沫が新たな五指の如く噴き出て宙空に迸り、炎を反射して煌めく。
舌兪坊は長の危機を察知したらしく、持福の背後で再び右手首だけを実体化して剣技の型を繰り出そうとする。が、
「待っていたぞ、その瞬間を!」
「ま、まさか」
鬼哭坊が、止め処なく溢れ出す血液を押し留めようと両手首の断面を腹に押し当てながら声を出した。
「我を攻撃した事すら、これを狙って……!?」
「エエエエイッ!」
裂帛の気合いと共に、持福の剣風が唸る。先程の鬼哭坊と同様、実体化した手首が切断され、運動の勢いを残して床板の上で数度のたうつ。空中に浮かんだ前腕の半ば程──最早単なる肉塊に過ぎない──は再び水媒の法によりふっと消失したが、舌兪坊は尚も諦めようとはしなかった。
距離を取った雅楽にのみ見える霞が床へと滑り、左脚を実体化。床に落ちた刀の柄を踏み、空中に蹴り上げる。刀は宙に舞い──持福の型が素早く変化、地面を草刈り鎌の如く薙ぎ──舌兪坊の足首が切断、ごとりと横に倒れ──空中で彼の左手が実体化し──刀を握り、
「ふっ!」
体を前傾させた持福の背を斜めに貫いた。
角度からして心の臓や肺腑には当たっていないようだが、背骨に対してやや斜めに刀身が入っている。鑿で彫るように骨が削られたらしく、ゴキッという鈍い音が響いた。
切っ先はそのまま彼の脇腹から覗く。あの分では、恐らく肝は貫かれているに違いない、と雅楽は見た。
「ぐふっ……やりおったな!」
持福は吐血したが、それで終わりではなかった。
刀に貫かれた背をそのまま丸める事なく伸ばすと、鬼哭坊に対してそうしたように身を捻りながら掬い上げの要領で刀を振るう。思いがけぬ勢いについ刀の柄から離した舌兪坊の指がばらばらと散らばり、
「十文字!」
目にも留まらぬ速度の次の型が、宙に浮かんだ彼の掌に交差する刀軌の光を刻印した。
それは、内側から破裂するように四つの肉片となって散った。
左手首の残骸も、右手のそれと同様ふっと消える。持福は絶え間なく血を吐きながらも嘲笑うように唇を曲げた。
「形なき蛮人よ……これで貴様は、刀を握れまい……当然、最早私に攻撃する事も能わぬな……再び姿を現せば肉弾戦も出来るかもしれぬぞ。私も今は深手を負っている……ややもすれば、敗れるかもしれん……が」
再び、大きく咳き込む。彼は震える右手で床板に刀を刺し、毬杖の如く縋りながら左手を背に回す。湿った音を立て、肉からそろそろとゆっくり舌兪坊の刀が引き抜かれていく。
それが完全に抜けた時、持福の腹から第二の口が開いたように血が流れた。それは真っ直ぐに落ちて彼の足元に血溜まりを作ったが、彼が再び背筋を伸ばすと肉体を伝うように流れて下半身を深緋に染める。そのような状態にも拘わらず、彼は嗤い続けていた。
「四肢のうち三本まで断たれた貴様が再び実体化すれば、どうなるかな? 出血多量で、その瞬間に死ぬのではないか?」
「舌兪……坊……!」
鬼哭坊は、呪による気の玉を鳩尾の辺りに生成する。
持福は、引き攣った哄笑を上げた。
「それを恐るるならば、既に貴様は私に対し如何なる干渉もし得まい! 法も延々と発動し続けられる訳でもあるまい、姿を現した時は貴様の最期だ!」
「これでもか!」
舌兪坊の怒声が、それに被せるように響いた。
雅楽には一瞬、彼の姿が眼前の空間に点滅したように見えた。
次の瞬間起こった事は、持福の顔のすぐ前での、霞の凝集だった。彼の大きく開かれた口に、舌兪坊の変じた霞が侵入する。そして彼の口腔内で、手首を失った舌兪坊の腕が実体化した。
持福の声が、吐瀉めいた音と共に途絶した。抉じ開けられた彼の口の端が引き裂かれ、顎に大量の血液が伝い落ちる。呼吸すらも封じられ、その面皮が鬱血して赤黒くなり、眼球は眼窩から飛び出さんばかりに膨らんだ。
舌兪坊の腕の肉と、持福の歯の隙間から流れる血がぶくぶくと泡立つ。喉の奥に舌兪坊の血を注ぎ込まれ、持福は溺れかけているらしい。舌兪坊は残った右足で彼に組み付き、切断された動脈から血を絶え間なく噴き出しながら、鬼哭坊に向かって声を放つ。
「我が身はもう持たぬ! その気を放て!」
「……舌兪坊よ、我もすぐに参るぞ!」
鬼哭坊は臓物を吐くような声でそう言うと、力を溜めていた気の玉を一直線に撃ち出した。
網膜を焼き尽くさんばかりの光が、持福と舌兪坊の居る場所を包んだ。雅楽は光源を直視出来ず、目を瞑る。瞼の色を赤々と見せていた光が消え、再び開眼した時、そこには焼け焦げた血溜まりがあるだけで、京の武者も神人も、最早影も形も見えなくなっていた。
転瞬、鬼哭坊ががくりと頽れた。
血を失いすぎ、また生命の素である気すらも激しく消費した事で、その肉体に限界が訪れたようだった。
雅楽ははっとし、弾かれたように転びつつ鬼哭坊に駆け寄った。前傾していく上体を支えようとした途端、彼は床に突いた膝を血で滑らせ、顔から倒れ込む。雅楽は慌てて彼を仰向かせ、頭に近くの火が移らないよう持ち上げた。
その拍子に深編笠が落ち、白髪の老顔が露わになった。
「鬼哭坊、しっかりせい!」
「み……神子殿……」
彼は、焦点の定まらなくなりつつある目を雅楽の顔に向けた。
雅楽は必死で──自分が何故それ程必死になるのかも分からないまま──鬼哭坊に声を掛けた。
「何故、法を使わなかった? 其方は──」
「我は霊能者ではないのだ、神子殿……其方には、偽りを申したのだ」
鬼哭坊の言葉に、雅楽は目を見開く。
「何を……」
「『傀儡子』の法を、父母から受け継ぐ事が出来なかったのだよ……そして、子を成す事も能わなかった……我々呪者の子は──古の法を、変質させる事なく継承する真の呪者の子は、年々生まれにくくなっているのだ。恐らくそれは……理よりの罰なのだろう」
鬼哭坊は、深い悲しみを湛えた声で言った。
「古代戦国乱世より今に至るまで……理の下に存在する、人全てが負った業。我らはそれを甘んじて背負い、偽りの理を敷き神の御名の下に民を統べる朝廷に……敢えて服わぬ民として……」
「それが……それが、其方らの矜持だったというのか」
雅楽の目から、涙が零れ落ちた。
「これで、其方らは本当に良かったのか!? 今の朝廷が、民にとって相応しい形を失っている事ならば、私が知らないとでも思っていたか! 私が……その暗愚さ故に民を疲弊させ、尚権益に固執する上達部どもを恨んでいないとでも、本気で思っていたのか!」
「神子殿……己が霊統を信ずる者よ」
「そうだ。何故、私を他寄ろうなどと思ってくれなかった……」
言ってから、つい自虐的に口角が上がった。
「……ああ、そうだな。今の私では、無力だと思ったのだな」
「神子殿。いずれ近いうちに、再び大いなる”齣”の時が訪れる……! その時我らの裔なる者たちが、天津神の秩序とやらを新たな理の在り方として信ずる事が出来るように! 日出の先頭に立って、民を……どうか……」
「その意法り──」
雅楽は鬼哭坊の腕を、手を握るようにしかと握り締めた。
「確かに受け取った」
鬼哭坊はほっとしたように微かな笑みを浮かべ、やがてがくりと首を後ろに垂れて動かなくなった。
雅楽は彼の骸を横たえると、静かに合掌した。
立ち上がり、完全に火に包まれた廃社からの脱出を図る。
階段を駆け下りようとした時、祀られた天照とミコトの像にちらと目をやった。それらの目は、雅楽には自分のこれからの行動を黙って見届けようとしているかのように感じられた。胸の内で呟く。
(ご照覧あれ、遠き神々よ……私はその裔なる者。稲置の皇子雅楽なり)




