『夢遥か』肆ノ章 恋煩い(承前)②
* * *
件の廃社は、酷く苔生し傾いではいるものの、さながら小規模な田舎領主の城の如き見てくれだった。というのも、比叡は今回の山城のように周辺諸国が朝廷に対して反旗を翻し、京への侵攻を試みた時──そのような事は滅多にないが、現在日出に蔓延している百鬼連は時に人心すら荒ませる──、東から来る敵に対して最大の要害としての性格が強い為だ。
一国一城の縛りは厳格だが、この社はその規定を逸脱せぬよう社という形を取っているだけで、実質的には修行者という名の神人が詰めた要塞に等しかった。それが現地の神人──服わぬ者どもに攻め滅ぼされ、占拠されてしまったのでは世話がないというものだ。
雅楽はそう思ったが、不思議と不愉快な気持ちは生じなかった。というのも、雅楽は自分が鬼哭坊たちに対し、何処か共感にも似た気持ちを抱き始めている事に気付いていた。
──自分は拉致・監禁されたのだ。にも拘わらず、この気持ちは一体何処から来るのだろう?
「こればかりか、ぬしらの戦力は?」
女神天照と勇者ミコトの像が祀られている三階の本殿から張り出した見晴らしのいい舞台に、鬼哭坊たちと同じく虚無僧姿の者たちが十人程集まっていた。皆顔を隠してはいるが、雅楽には彼らの刺すような視線がひしひしと感じられた。
(敵……なのだろうな。彼らからすれば、私とて例外はなく)
「太政官と天照寮の神祇官が権力闘争を繰り広げている事は、当然ぬしらも知っておろう? 私は神子ではあるが、神祇官の出だ。当然頭中将の率いる近衛府の者たちの中には、私をよく思わぬ連中も居る。私を盾に使ったとして、朝廷軍が戦わずして大人しく屈するとも限らぬぞ」
「それは、自分をいつまでも拘束していても意味がないという意味か?」
神人の一人が、荒々しく問うてきた。
「今更見苦しいぞ」
「そうではない。もし彼らが私の生命を顧みず、一挙にここに突入して来たら──或いは交渉に応じた振りをして、私が解放された瞬間を狙って押し寄せて来たりなどしたら、ぬしらに勝機があるのか?」
「其方の言わんとする事は分かる、神子殿」
鬼哭坊は、舞台の手摺りから紅葉の森を見下ろしながら答えた。
「彼我の戦力差、一万対十。これを無謀と言わずして、何と表白し得よう。だが、そのような事は我らには関係ないのだ」
「鬼哭坊……」
「撃ちてし止まん。たとえこれが、真の理にとって古き我らの掻爬を意味する出来事だったとしても──勝つにせよ負けるにせよ、全霊で当たらねば我らの存在の爪痕を後の世に遺す事は能わぬ。神子殿、其方も己が血筋を知る者ならば知っているはずだ。武政の内乱の記録を」
彼の言葉は熱を帯びていた。
「朝賊の烙印を押されたとはいえ、一切は記録化され、霊統は保存されたのだ。神子殿、其方という人の形を取って。たとえ我らが死すとも、事実は残る。誇りを動機にし得る戦いに於いて戦わず屈するのは、後世に対し徒々しき事とは思われぬか」
「ぬしら……それ程の矜持を持っていて、何故」
──何故、天津神を否定するのだ?
後半部分を胸裏で呟いた時、
「敵襲! 敵襲!」
階段から、銅鑼を忙しく鳴らしながら物見の神人が駆け上がって来た。
「鬼哭坊殿。四大老の残りのお三方が、麓の者たちと共に目下こちらに後退しています! それに追撃を掛け、朝廷軍が連絡路を登上中。その勢い、まさに破竹!」
「来たか。よし、彩鳥坊らを中に入れよ。皆の者、配置に就け!」
鬼哭坊が指示を出し、神人たちが動き始める。
雅楽は慌てて鬼哭坊に声を掛けた。
「待て、私は何をしていればいい?」
「神子殿は人質である。私が指揮を執りがてら、ここで其方の監視を行う。朝廷軍の矢に誤射されたくなくば、大人しく控えていて頂こう」
「ほらどいたどいた、作戦の邪魔だ」
床の羽目板の一部を剝がし、弓矢を取り出した神人たちが、どやどやと雅楽の横を通って舞台の縁に並ぶ。順に矢を番える彼らの口調は、鬼哭坊とは異なってそんざいで、雅楽に対しても容赦がない。
雅楽はやや居心地の悪さを感じながら身を引き、舞台の隅の方から山道を見る。
開かれた冠木門の中へと駆け込んで来る、彩鳥坊、忍冬坊、舌兪坊と他数人の男たち。そこから十間程離れ、土煙を上げながら彼らを追駆して登って来る朝廷軍の兵士たち。彼らは殆どが徒歩であったが、先頭に悪路にも拘わらず荒々しく軍馬を駆った騎馬武者の姿があった。
目を凝らし、それが右将監の一人である事に気付いた雅楽はあっと叫んだ。
「中将殿が居ないぞ!?」
「何?」
射撃準備を整えていた神人の一人が、笠を被った頭部をこちらに向ける。
「それは、どういう意味だ?」
「彩鳥坊らは、連中の隊を分散させる事に成功したと言っておったな? 中将殿はその後、集められる者だけを集めて山を越える道を選んだらしい。ぬしらも私がここに居る事を伝えはしたのだろうが、幾ら何でも一万全てを私の救出に向けるのは多すぎると判断されたのだろう」
「もう少し説明してくれ」
「彼らに掛かれば、ぬしらには悪いが私の救出などお茶の子さいさいという事だ。故にこれは、むしろ彼らにとっての好機になったのやもしれん。山城への道中で、近畿に於ける最後の悩みの種──服わぬ者どもを討滅する為の」
「それでは、山越えの連中は」
鬼哭坊が言いかけた時、向こうに居た神人が「来た!」と叫んだ。
朝廷軍が弓矢の射程距離に入ったらしい。鬼哭坊は中断した台詞をそのままに「撃て!」と合図を出す。
兵士たちの上に、矢が雨霰と射掛けられた。彼らは驚いたように蹈鞴を踏み、後ろに居た者は前方で転倒した者たちに躓いて将棋倒しのようになったが、立て直すのも早かった。将監──確か藤原持福といったはずだ──が軍配を振って何事か指示を出し、朝廷軍が反撃とばかりに矢で空を狙い始める。
この距離では当たらない。分かってはいるが、雅楽はつい「身を引け!」と神人たちに叫んだ。「鷹の目を持った者が居るぞ!」
「分かっている、あんたこそ引っ込んでいろ!」
先程の神人が叫び返す。
神人団と朝廷軍の撃ち合いはやや暫し続いたが、やがて向こうの方がこのままでは埒が明かないと判断したらしい、彩鳥坊たちが入った門──雅楽の位置からでは真下なのでよく見えない──に向かって先頭の兵たちが吶喊の構えを見せた。
来る、と思われた刹那、地響きと共に門の所で番を務めていた者たちの絶叫が上がった。階下で激しい足音が響き始めるや否や、弓を構えていた神人たちはすぐさまそれを放り捨て、一斉に抜刀した。
すぐ足元で人体が縺れ合うような音と、剣戟が谺した。
呻き声と共にどたどたという足音が上がって来、次の瞬間階段から満身創痍の四大老たちが姿を現した。上からでは通過が一瞬だったのでよく見えていなかったが、その姿に雅楽は絶句せざるを得ない。
彼らの鈴懸は、最早襤褸に近しかった。複雑にささくれ立ったその端々は血潮に縁取られ、深編笠にも大小の穴が空いている。彩鳥坊がその見えない視線を鬼哭坊に向け、鬼哭坊は彼からの伝信を受けると、
「……分かった」
重々しく肯いた。腰から、鍛え上げられた黒光りする刃がするりと抜かれる。
「総員構えい! 雷蔵、稲丸、『厳霊』で敵の出鼻を挫くのだ」
転瞬、四大老に続いて来た神人数人の背に刀軌が走った。
噴き出す血飛沫の後から、近衛府の侍たちが顔を覗かせた──途端、
「痺れよ!」
親子と思しき神人二人が前に出、掌から平型手裏剣のような電光を生じさせて投擲した。現れた先頭の兵たちがそれを胸元の辺りに喰らい、たちまち全身に青白い火花が散る。
絶叫と共に動きを止めた彼らに、他の神人たちが殺到した。
最早、雅楽にはそれが現の事とは信じられぬ戦いだった。
彩鳥坊は呪と思しき技を使い、地面や空中を滑るように移動しながら湧き出る朝廷軍の兵士たちを次々に斬り伏せていく。何処から敵が現れるか分かる上、階段の幅からして必然的に少人数ずつしか本殿に入って来られない事が、神人団にとっては有利に働いているようだった。
忍冬坊は「花催い」を使い、社の外壁に繁茂した蔦や木の根を寄り合わせ、投網と紛うばかりの広域攻撃を繰り出して敵を絡め捕る。舌兪坊はその身を霞へと変じて姿を消しては、敵の背後で実体化して斬りつける。
体幹構造を変化させて蛇の如く辺りを這い回る者、手の中で気の玉を生成し投げつける者、空間を跳躍しているのではないかという速度で移動を繰り返し、敵を攪乱する者──全てが、雅楽の常識を逸脱していた。
(これが、古の呪者たちの戦いだというのか……いや)
雅楽は浮かびかけた考えを、自ら打ち消す。
このような法を代々継承する家系などが公然と存在すれば、朝廷や天照道、各国の武家が放っておいたはずがない。手懐けて自分たちの戦力とするか、それが叶わなくば潜在的な脅威と判断して一刻も早く制圧しようとしただろう。そう思った時、今朝方の鬼哭坊の言葉が蘇った。
──我々は要するに、古の共同体を守りたいだけなのだ。
その時、いつの間にか本殿に現れていた持福が忍冬坊に突進した。忍冬坊は最初に遭遇した際雅楽に対して行ったように、侍一人の四肢を蔓で拘束して浮かせつつ、両手で構えた刀の切っ先をその鳩尾に突き刺そうとしていたが、
「震空破!」
持福の刺突が、それよりも早く彼の背骨の真ん中を貫いた。
忍冬坊の胸板から、小さく血煙を爆ぜさせながら刀身が生えた。
「忍冬坊!」
雅楽と鬼哭坊が、同時に叫んだ。持福は顔を上げ、その声で雅楽の位置を掴んだらしい。「おおっ」と声を上げ、息絶えた神人の心の臓から刃を抜いた。
「そこにいらっしゃいましたか、神子様! 今暫しお待ち下さい、必ずやこの手でお救い致します!」
「寄るでない、京の侍よ!」
鬼哭坊は跳び退ると、雅楽の喉元に刀を突き付ける。
持福はさっと血払いし、同時に忍冬坊の法で拘束されていた兵士の蔓を断つ。解放された兵士は「かたじけない」と言いかけたが、彼はそれを遮って言った。
「その意は、敵を一人討ち取る事で示せ。野鄙猙獰なる蛮徒ではあるが、手練れではあるぞ」
「やめよ、さもなくば神子殿の首は離れるぞ」
鬼哭坊は尚も警告する。
「我々は汝らの言う服わぬ者どもだ。天照道の神子の命がどうなろうと、与り知るところではないのだぞ」
「出来ぬよ、野人。ここに中将殿はいらっしゃらぬ、それが何を意味するかは分かっておろう?」持福はせせら笑う。「そのお方に万一の事あらば、信号が上がるよう手筈を整えている。それを中将殿がご覧になれば、先程山中で見た、ここを離れていた貴様の同族──」
「言うな。さりとて、”人”の力の差は歴然としている。今見た通りにな」
「ならば何故、あの者たちはここで戦わぬ? どれだけ個人としての貴様らが我らに勝っていようと、数では圧倒的に我らの方に分がある。……あの者たちは、戦闘能力を備えてはおらぬのだろう。
武士道に悖る行為などと誹るか? だが、我らは武士である以前に朝廷の秩序の為に存在する。貴様らの如き危険分子を除く為とあらば、如何な没義道でも歩み通そうぞ」
「だが、神子は死ぬ!」
「出来ぬはずだ。我が言がはったりでないと、証す術がないのならばな」
「彩鳥坊、口発しを──」
鬼哭坊が言いかけた時だった。
いつの間にか階段の口から、本殿には上って来ずに数人の兵が弓矢の弦を引き絞っていた。その先端には火縄が巻かれ、小さな土瓶がそのすぐ下、箆中節に巻き付けられている。それは一様に、地面を、宙を滑り続ける彩鳥坊を狙っていた。
それらが一斉に放たれた。
土瓶が割れた瞬間、目鼻を刺すような刺激臭が漂う。草水、と雅楽が気付いた時には、彩鳥坊は突如出現した紅蓮の炎に巻かれ、人型の炭と化していた。




