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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』肆ノ章 恋煩い(承前)①

  ⑨ 歴木雅楽


「風聞に、朝廷がいよいよ山城の叛徒を討つという報せを耳にした」

 山中を移動しながら、比叡(ひえい)神人(じにん)団を統べる鬼哭坊が言った。舌兪坊の常に冷たく湿った手に後ろ手を掴まれ、不快感を覚えながら雅楽は鼻を鳴らす。

「俗世との交じらいを断っていながら、報せが早いようだな」

「神子殿には言わずもがなの事であったか。では、経緯(いきさつ)などは省かせて頂こう。我々は要するに、(いにしえ)の共同体を守りたいだけなのだ」

「共同体?」

「地縁、血縁、民族。世の移ろい、人の営みと共に勃興したのではない(ことわり)(もと)、文化という慣習(ならわし)を共有する者たちの集いの事よ」

「また理か。万物運行の秩序という意味であれば──」

「世を住み分けるしかなかろう?」

戯言(ざれごと)()かすな。皆が皆、己の内に秩序を持てば世が成立せぬわ」

「ならば伺いたい、神子殿よ。其方(そなた)が意志を代弁するという天津神……人祖(たむおや)とされる邇芸鵜茅日(ニギウガヤヒ)が青人草を作る以前から、この日出の天地(あめつち)はあったか?」

 鬼哭坊は試すような問い方をしてくる。雅楽は黙り込むしかなかった。

「我ら古の呪者が『世』という語を用いる時、それは天照道の者どもが自凝(おのごろ)と言う天地そのものを差すのだ。その上に、後発的に生じた人が自分たちの手によって定めた秩序を理とし、規範とする場は『(あつまり)』と呼ぶ」

 雅楽が彼らに拘束されてから、既に七曜が巡っていた。

 予定では、朝廷を出発した(とうの)中将の軍団は今日、この山を越えて北から山城国に入る事になっている。雅楽はそれより先に国境(くにざかい)を越え、幻月に命令を下すつもりでいたが、神人団に捕まった事により計画は大いに乱れてしまった。

 雅楽を「人質」にすると言った鬼哭坊たちは、山中にある彼らの隠れ家に自分を拉致し、そのまま監禁した。

 それ以上の目的は一切明かされず、日の当たらない穴倉に閉じ込められた雅楽は日の巡りも覚束ないままただ眠っては起き、係の者が定期的に運んで来る食事を貪るだけの生活を続けた。何刻経過したかが分からないままの監禁がいつ果てるとも知らず続くのは、想像を絶する苦役だった。

 後で説明されて分かった事だが、比叡の山には総勢二十から三十人程の神人が集まっているようだった。(ほとん)ど皆が(のり)を持ち、戦闘向きの(まじない)も会得しているという事だったが、中には老人や女子供も含まれ、実際に戦えるのはその半分程の人数に過ぎないらしい。

 ……そう、彼らは戦う為に結集していたのだ。

万葉(まんよう)の頃──」

 今朝、穴倉から雅楽を連れ出し、何日間監禁を続けたと詰め寄る自分に七日という日数を告げた鬼哭坊は滔々(とうとう)と語った。彼らは意外にも(みやこ)人の慣習(ならわし)──文化には寛容で、皇家の霊統を継ぐ者として(みだ)りがわしい姿で出歩けないと抗議した自分に、伸び放題となった無精髭を剃り、空気の通らない場所で垢膩(こうじ)した身を清める時間を与えてくれた。

 雅楽の小川で水垢離(ごり)をする間、鬼哭坊は傍でそれを語っていた。

「其方ら朝廷の(まつろ)わぬ者どもと呼ぶ我らの仲間、古の呪者の在り方をそのまま継承する者たちの多くが征伐された。今や彼らの多くは世捨て人となり、法を隠して生きるか、禰宜(ねぎ)や諸国軍団の神人として天照道という体制の一部に同化されている。あの堅塩とて例外ではなかった」

「ぬしらは違うというのか?」

「我々は、古の信仰を防衛(まも)り、継承(うけつ)ぐ最後の呪者としてこの山に存在するのだ。我らが聖域は断固として、我らの手によって死守されねばならない」

「あたかも朝廷が、悪であるかのような言い草だな」

「元々そこに在る者に対し、善悪二元論で”敵”を定めたのは朝廷の方だ。だが、勘違いしないで頂きたい。我らは復古を謳っている訳ではない、その証拠に今まで日出の津々浦々に反天照道の教義(おしえ)を唱える者が現れた事はあったか? 民が、天照道以外の神の存在を信じた事は?」

 鬼哭坊は語る間、やはり最初に見た深編笠を外す事はなかった。だが、雅楽にはそれでも彼の見えない顔が、血を吐かんばかりの表情を浮かべているのであろう事に想像がついた。

「我々は、今までもただ自分たちの住処を侵す者たちに対し、専守防衛に徹してきたのだ。だがその結果、比叡は天照道の修行者たちにとって魔境呼ばわりされ、我々の(うから)は皆山賊と見做された。

 そして遂に今日、山城へ渡るべく過去にない近衛(このえ)府の軍団がこの山に活路を開く事となった。しかしこちらの採るべき措置に、例外はない」

「分かっているのか? 相手は玄人(くろうと)で、しかもその数一万だぞ?」

「さよう、正面切って戦えば勝ち目はなかろう。だが、こちらには地の利と……神子殿、其方(そなた)がある」

「なるほど、それ故の人質か」

 そして現在、雅楽は神人団の四大老──最初に自分を捕らえた鬼哭坊、彩鳥坊、忍冬坊、舌兪坊の四人──のうち二人に付き添われ、双耳峰の片方、大比叡(だいひえい)中腹に位置する廃社に移動している。そこは、かつて天照道修行者たちの比叡に於ける拠点であり、神人たちによって滅ぼされた施設だった。

 沢に差し掛かった時、先を行っていた鬼哭坊がはたと歩みを止めた。

 どうした、と尋ねようとし、すぐに気が付いて口を噤む。彼は、麓の方で迎撃準備を整えている彩鳥坊からの言葉を受け取っているのだ。

 彩鳥坊の「口発(くちば)し」の法は、遠隔地間で伝信を行う力。元々口の利けない彼はこれで他者の心を読み、また自身の心の声を送る事で仲間と連絡を取り合う。その有効範囲は最大で五里になるという。無論それ程の範囲に居る人間の思考が常に自身の頭に流れ込めば相当な負荷になるだろうが、彼は聴くべき声とそうでない声を(よな)げる事が可能だった。

 矢文(やぶみ)でも同じ事は可能だが、口発しには媒体となる呪符を伝信し合う二人が持っている必要はなく、また一方的に相手の心から報せを盗む事が出来るので、敵の位置を把握する事にも応用出来た。

「……分かった」

 鬼哭坊は微かに呟き、また黙り込む。こちらからの伝信が済むと、彼はこちらを振り返った。「舌兪坊」

「何と言っていた、彩鳥坊は?」

「峠の進路を封鎖する事は叶ったそうだ。朝廷軍は山道を外れ、戦略通りこちらを目指し散開しながら進み始めた。だが、それでも数の多さは補いきれん。むしろ、この一手でこちらの配置が悟られる事になった。老人や女子供の誘導にはもう(しば)らく時間を要する、その間に舌兪坊、ぬしが助太刀に行け」

「相分かった。丁度場所も良い──」

 舌兪坊は肯くと、拘束した雅楽の手を鬼哭坊の方に差し出す。雅楽は身を捩り、それを振り(ほど)く。「四六時中掴んでおらずとも、私に逃げ出すつもりはない。少し手を離したくらいで逃げられるなら、とうにやっておるわ」

「それもそうだな」

 鬼哭坊は、それ以上雅楽に触れようとはしなかった。

 舌兪坊は沢の流れの真ん中まで進み出ると、掌印を組む。途端に彼の足元から淡水色の魔方陣が生じ、じわじわと頭の方に抜け始めた。陣が通った部位は発光して微細な粒子となり、粉を振り掛けるように水の中へと溶けていく。

「『水媒(うたかた)』の法だ。彼は己が身を水滴と化さしめ、川に、或いは水蒸気(かすみ)として大気中に溶け込む事が出来る。この流れに従えば、須臾の間に麓まで辿り着き、朝廷軍に奇襲を掛ける事も叶おう」

「『口発し』に『花(もよ)い』、『水媒』か……聞いた事もない法ばかりだ」

 雅楽は微かに煌めきながら川の流れに乗って下って行った舌兪坊の残光を見送り、鬼哭坊に向き直った。

「ぬしは? ぬしの法は何なのだ?」

「我か? 良かろう、我が法は『傀儡子(くぐつまわし)』。人を操る力よ」

 本日より、『夢遥か』は単行本換算で三巻目に突入しました。肆ノ章「恋煩い」はまだ続きますが、一旦雅楽のパートを挟みます。彼のキャラは序盤から妙に安定してきませんでしたが、この辺りから段々と定まっていきます。

 雅楽も堅塩も構想段階では存在しなかった人物ですが、彼らが加わった事によって『夢遥か』の神話的な側面に厚みを持たせる事には成功したかな、と個人的には思っています。その分内容がややこしくなった感は否めないのですが……

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