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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』肆ノ章 恋煩い⑦


          *   *   *


「あんさんも好き者やねえ、うちは初めてでっしゃろ」

 (うるみ)色の地に金朱の扇六花(りっか)の模様をあしらった襟元の寛ぎの激しい着物を着こなす雪さんは、柔らかな響きを帯びた京言葉で言った。それは、僕が知識として知っていた花魁(おいらん)の姿そのものだった。

 幸いにも男装したお胡尹(とその心の中に入り込んだ僕)は番台でやり手(ばばあ)に怪しまれる事もなく二階の座敷に通され、雪さんと対面する事が出来た。

 雪さんが一回目の俊輔たちの夢惣備で、深層意識下で呪者の接触を拒む気持ちが確立されていた場合、常連のお大尽などが先を越していて順番待ちが長引き、お金があっても彼女に会えない、という状況が作られる事も想定されたが、この時点でひとまず僕は安堵した。

 座敷は八畳程の広さだった。渡海の品と思しき天蓋付きの寝台が設えられ、家具や装飾品も綾錦の如く煌びやかで、日出で最高級のものを選りすぐって配置しているらしい事が窺える。床の間の水盤(すいば)には、大輪の夾竹桃(きょうちくとう)の花が活けられていた。

「何や可愛らしいお方。(わっち)の事指名してくれはる人、お金持ちやからいつも歳行った方ばっかりでしてなあ、嬉しいわ」

 優美に微笑む雪さんの瑠璃色の瞳を見つつ、僕はお胡尹に体の主導権を戻した。途端にどっと疲れが出、魂が抜けそうになる。

 野侍の肉体を操る時もだが、法を本来想定された使い方の範囲外で濫用すると消耗が激しい。そして今回のお胡尹への心渡りは、今まで僕が行ってきた事例の中で最長の時間だった。

 視点だけとなった僕は、お胡尹が自らの体を動かすのを感じた。

「ゆっちゃん」

 彼女は、髪を隠していた頭巾を外してばさばさと頭を振った。雪さんが「まあ」と驚いたような声を出す。

「私、お胡尹だよ。こんな所まで、ゆっちゃんに会いに来ちゃった」

「お胡尹……?」

「ごめん、びっくりさせちゃったよね。だけど私、どうしても我慢出来なくって。覚えてるかな? ……多分、覚えていないよね。でも思い出して欲しいの、私がゆっちゃんに会いに、京まで来た時の事。どうしてもゆっちゃんに聞きたかったの。何であの時、あんなにむきになったのか……猛君の事だって」

「待っておくんなまし、あんさん、何か誤解してはるんとちゃいますか」

 慌てたような──しかし口調の変わらない雪さんに、僕は訝しさを覚える。お胡尹もまた、戸惑ったように言葉を切った。

 雪さんは咳払いをしてから、やはり口調を変えずに続けた。

「お胡尹と言わはりましたな? 何で女子(おなご)の方がこないな(うち)にいやはるんか、そこは私も敢えて問いやしまへん。けれど私、この京であんさんにお会いした事、あらしまへんよ」

「そんな! どうして!」

 お胡尹にとって雪さんの言葉は、驚天動地に値するものだったに違いない。僕も驚いたが、それでもこれ程感情を強く露わにする彼女を僕は初めて見た。

「ゆっちゃん、名前は雪でしょ? 故郷(ふるさと)は羽後で」

「ええ、それはそうでありんす。けれど、何であんさんがそれを?」

「やめてよ、その喋り方。私に意地悪してるの? それとも……ほんとに私の事、忘れちゃったの?」

「忘れたと言われましてもなあ……」

 雪さんは本気で困ったように口元に手を当て、首を捻る。

 お胡尹は尚も言い募った。

「それじゃあ、猛君は? ゆっちゃん、猛君に会いたかったんでしょ?」

「猛……猛。誰でっしゃろ、あんさんのお知り合いでっか」

「嘘……でしょ」

 お胡尹は掠れ声で呟く。あたかも、認めたくないと言わんばかりだった。

「猛君と私とゆっちゃんは、三人で幼馴染だったんだよ。村で皆がひもじい思いをして、そんな中で猛君が、お家の──違うかな、佐武のお殿様の事情でじょーらくする事になっちゃって、彼が好きだったゆっちゃんは、村の為にお金稼ぐって言って後から追い駆けて……」

「いい加減にしてくれないかな」

 雪さんの口調が、そこで変わった。女郎としてのわざとらしい京言葉が消え、声調もかなり低く抑えられる。お胡尹がはたと口を噤んだ。

「確かに私は雪、羽後の(ひな)びた村の娘よ。だけどあんたの事も、そんな男の事も知らないわ。私は、村で凍えて、飢餓に苦しんでいる人たちの為にこうして体を売る事にした。こんな法なんてなければ良かった……そう思っていたのに、わざとそれで男たちに(おもね)るような事をして」

「ゆっちゃん──」

「それが、男の為? 一緒にしないでくれる、この芥捨場(あくたが)みたいな街で、男を漁る為だけに誇りも貞操も捨てた女たちと?」

「じゃあ……じゃあ!」

 お胡尹は切実な調子で反論する。

「私がどうして、あなたの名前を知っているの? あなたの出身地も、村の為にって言ったって事も」

「知らないわよ、そんな事!」

 聴きながら、段々僕は不安に駆られてきた。

 雪さんは、本当にお胡尹たちの事を知っている様子がない。だが、心渡りで今まで見てきた霊能者たちと同様、彼女の(うつつ)での記憶は消えた訳ではないはずだ。彼女が思い出せない事が、この「夢遥かの世界」に反映された彼女の願いにとって重要な意味を持つのだとしたら──強引にそれを引き出そうとするのは、この夢に計り知れない影響を及ぼす可能性もある。

 僕は、心の中で「お胡尹」と呼び掛けようとした。

 しかしそれよりも早く、お胡尹から激しい悲哀の感情が流れ込んで来た。あるはずのない体に針を刺されたような痛みが、全身の皮膚とも、鳩尾(みぞおち)ともつかない場所をじくじくと刺激する。

 視界が滲み、彼女が涙を浮かべている事が分かった。

「ゆっちゃん……ゆっちゃんの世界には、私は居ないって事なの? 猛君も、三人で過ごした思い出までも……」

 ──このままでは、誰の為にも良くない。

 僕はそう判断すると、胸裏でお胡尹に謝りつつ肉体の主導権を奪いに掛かった。

 身体感覚が戻り、痛みの根源が明確になる。胸の底──もしくは、涙の詰まったように熱く、息苦しい気管(きのみち)から喉にかけて。しかしそれは、刹那の事だった。

 僕は自らの意思で動くようになった頭を上げ、困惑よりも怒りの(まさ)り始めた雪さんの瞳を見据える。お胡尹の表層に浮上した自分自身をそのまま解き放つように、その瞳に向かって送念する。

(来い、心象!)

 彼女の中に滑り込みながら僕が感じていたものは、このままではお胡尹の精神の方が限界を迎えてしまうかもしれない、という危機感だった。

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