『夢遥か』肆ノ章 恋煩い⑤
⑥ 歴木雅楽
堅塩がまたも物忌みに入ったという事だった。彼からは、自分が居ない間、天照寮の神祇官たちには前回の神託の通りに祭祀を行わせ、雅楽は自ら成すべき事を成すように、と言われていた。
山城国は同盟を結んでいる大和国と共に、神託によって調和された近衛府との戦いをいつ果てるとも知らず続けている。雅楽は事前に示し合わせた通り、この戦に頭中将を派遣するよう天照の名の下に新たな神託を下した。
彼に、武官としての手柄を立てさせるつもりだった。現在、民衆の支持を失い天照道総本社の操り人形と化している太政官たちの中で、彼は確実に朝廷の制度の刷新を望んでいる。本来相応しい人格者が存在しない場合は置かないとされる”表”の最高職、太政大臣になるという夢を、自分であれば取り立ててくれた彼に叶えてやれるかもしれない、と雅楽は言った。
「山城の国替えを行う必要が出て参りました。父上、これは天照の思し召しでありながら、私からのお願いでもあるのです。どうか京に仇成す畠山を討ち、日出の英雄となって下さいませ」
可能であれば、中将を敵にするような事はあって欲しくなかった。雅楽は本気で彼を、同性愛の相手として愛している訳ではないが、恩義はあるし理想を同じくする事も確かだ。
彼が太政大臣となり、天照頭たる堅塩と会談し、雅楽こそ朝廷を表で領く者であるという神祇官側の大義を呑むよう事前に手が打てれば。陰陽の交換、堅塩の言う大いなる”齣”は成就する。
畠山の当主・憲光は、自らの手勢を幻月として教団から派遣された呪者に服わせる事も是とする程、天照道の理には柔軟さを示していた。
「天津神が戦の在り方をも予定し調和するというのなら、自らの世に仇成す百鬼連を地に放つという事についても肯ける。然り、余はそれも天照の思し召し、神託の結果とあらば、喜んで賊軍の旗印を翻そうぞ」
──燕雀堂に処り、大廈のまさに燃えんとするを知らず、か。
雅楽は自ら、京から見て艮の方角、比叡の山に登り、出て来たばかりの京を振り返った。
頭中将は既に軍団を率い、近日中に出兵すべく準備を整えている。自分はそれより一足先に山城に向かい、堅塩の計らいで自らの手駒となった幻月に命令を下しに行くつもりだった。その際雅楽は、雑色を連れて大仰に移動する事を好まず、敢えて目立たぬよう単身で移動する事を宣言した。出生を知らず歴木家で育った自分には、やはり出来る事は己一人でする方が性に合っていた。
(殺戮を行わねばならぬやもしれん。だが、たとえそうだとしても)
朝廷は──皇家は既に、代々に渡って多くの民の血が流れる事を良しとしてきたのだ。その責任を、今度は自分が負おうというのだ。
現在の帝のように、お飾りにだけはならない。それは自らの霊統の裏を頭中将に取って貰ってから、真に革命を実行するか否かが定まらない間にも育ち続ける意思だった。
たとえそこに、誰かの意思が介在しようとも。その”誰か”が神祇官たちであっても、堅塩であったとしても同じ事だ。しかし、それならば。
(稲置の裔ではない、歴木雅楽としての私が敢えて正統なる血を喧伝する事に、どのような動機を見出せば良いのだろう)
雅楽が思わず拳を握り締めた時、それが不意に脳裏に響いた。
──かつて、同じ業を背負った者が居た。
「………!?」雅楽はぎょっとし、周囲を見回した。「誰だ!?」
──名をば両界御大人、堅塩という。物部の氏を得る以前の彼は、かつて自ら大いなる”齣”の時代を経、新たなる理にその身を捧げた。そこで虚心を得、天照頭となる事でその制約からも逃れてしまった。
──傀儡の神子よ。其方がそれを、血という業を負う者の定めと取るならば我々の仲間となれ。或いは真に動機なき身空を知った場合は、朝廷の既存の装置としてその生を捧げ続けるがいい。
「何だと? 堅塩であるまいに、持って回った言い方をするな。言いたい事があるならば、私の前に姿を見せんか、無礼者!」
雅楽が叫んだ瞬間だった。
突如、足元の土が土竜に掘られたかの如く盛り上がった。その中から、豆の蔓にも似た渦を巻く植物が頭を覗かせる。
しまった、と思った時には既に遅かった。雅楽は足首に絡まったそれにより、袴の裾を踏んだように前へのめり込む。その瞬間、もう片方の足にもそれが巻き付き、また背後の木の上から伸びて来た二本の蔓が両手首をも縛った。
雅楽は、大文字を描いて空中に拘束された。
「誰だ! 私を日出の神子と知っての狼藉か!」
「如何にも」
空中に浮かんだ雅楽の足の下を潜り、背後から数人の男が姿を見せた。
男──体つきから見て、恐らく間違いないだろう。皆で四人、しかし頭には虚無僧の如き深編笠を被っており、顔が見えない。身に着けている者はこれまた修験者のような鈴懸だが、天照道の修行者とは異なる証に、袴の丈や帯の締め方、前の合わせ方などがかなり自由だ。恐らく、元々山に入って来た修行者たちから奪ったものを改造して着用しているのだろう。
そして、その腰に佩かれた刀を見た時、雅楽は彼らの正体に思い至った。
「貴様ら、神人だな?」
「人はそう呼ぶ」
神人。刀を使う武士でありながら、法を持ち、戦闘にそれを絡め込む魔戦士。しかしこうも装いに一定の規格を設け、徒党を組んでいるとなると、単なる野侍や堕ち武者の類ではなさそうだ。
「服わぬ者どもが……!」
「忍冬坊、少しこやつを黙らせろ」
深編笠の編み目に護符を結びつけた一人──直感的に、この男が頭領らしいと雅楽は思った──が、横で掌印を組む別の神人に言う。彼は微かに顎を引くと、笠の中で籠ったような声でぶつぶつと法唱を諳んじた。
刹那、また一本の蔓が伸びて雅楽の口元に接近して来た。「やめろ!」と声を上げようとすると、大きく開いたその口に猿轡を噛ませるようにそれが入り込む。
たかが植物だ。雅楽はそれを噛み切ろうと歯を立てた。
三人目、熊革らしい長靴を履いた者が進み出る。
──大人しくしていれば、こちらに其方を害そうというつもりはない。我々はただ其方に、目的遂行の為に力を貸して頂きたいだけなのだ。
最初に、頭の中に響いてきた声だった。頭蓋の中で谺するようなその響きに、雅楽は得も言われぬ気持ち悪さを覚える。呻き声を上げながら、必死に蔓の咬断を急いだ。
──其方の心の声に、和泉国の呪祖、堅塩の名を聞いた。我々は其方を見込む。かの者の虚心が真の安良を意味するものか、既に古の信仰は喪われたのか……彼は最後の遠つ神祖、その心を詳らかにするまで、我々は京に抗い続けねばならない。命尽きる事は許されぬのだ……
「やめろ!」
やっと蔓を噛み切った雅楽は、青臭い汁を吐きながら怒鳴った。
「頭の中で喚き立てるな。如何なる法かは知らぬが、口を使って喋らぬか!」
「それは出来ぬのだ、彩鳥坊は」
護符の男が言った。
「彼は唖者で、『口発し』の法なくば我らと伝心する事は能わぬ」
「そ、それは……」
雅楽は咄嗟に口を噤む。彩鳥坊と呼ばれた男は軽く会釈するように笠を傾け、数歩後退った。護符の男は「神子殿」と雅楽を呼んだ。
「我々は、この比叡の山に生きる呪者の末裔。さよう、先程其方は我々を服わぬ者どもと呼んだが、実際に天照道がそう呼称する者たちこそ我々よ。我は鬼哭坊、彼らは彩鳥坊、忍冬坊、舌兪坊という。神子殿、其方に一つ頼みがある──我々の人質となっては下さらぬか」




