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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』肆ノ章 恋煩い③

  ⑤ お胡尹


 奥州を襲った大凶作が収まった後、お胡尹はもう身を売る必要がないのだという事を雪に伝えるべく改めて上洛を決意した。

 雪が(みやこ)の遊郭に行くと自分だけに書き置きを残し、村を出て行った時、既に猛は父の惣右衛門(ソウエモン)と共に京に居た。お胡尹は、雪は内心では猛に会いに行きたいのではないかと思い、すぐに彼女を追おうとしたが村外れで迷子になり連れ戻された。

 その後お胡尹は、雪の行く宛てについて村人たちから問われ、「分からない」と答えた。お胡尹としても、雪が村を出る事で飢えを免れるならその方がいいのではないか、と考え、村人たちが彼女を追うような事は望まなかった。この事について、俊輔はお胡尹の説明に対して推論を返した。

「村人たちが雪の行く宛てについて、知らなかったとは思えない。お胡尹が『分からない』と言いながらも考えている事についても、見当はついていたが敢えて黙っていたんじゃないか?」

 二度目に京を目指す事を決心した時、お胡尹は今度こそ迷子にならないよう細心の注意を払った。何度も人に道を尋ねながら結果として辿り着く事は出来たものの、案の定あちこちで道に迷い、到着までは一月近く掛かった。

 京に着いてからも、お胡尹は雪に会う方法を何も考えておらず、妓女に関する聞き込みだけを延々と続けた。妓女になった雪という少女について、人々にその名は通用せず、白雪太夫の事か、と何度も聞き返されたので、もしかしてその白雪太夫という芸名の妓女が雪なのではないか、という推測だけは立った。しかし、直接白雪太夫本人に会おうにも、大金を積まねば指名出来ないという事を聞いた彼女に、しかも妓楼の客にはなり得ない女である自分がどうすれば接触する事が出来るのか見通しは全く立たなかった。

 挙句、お胡尹は花魁(おいらん)道中に突進を掛けた。それは我ながら常識知らずも甚だしい行為で、当然すぐに取り押さえられ、用心棒に斬られそうになった。

「お願い! ゆっちゃんに、ゆっちゃんに一目会いたいだけだから!」

 怖いもの知らずだと言われる事もある──自分としてはそのような自覚はなく、怖いものはやはり怖い──お胡尹だが、その時はさすがに焦って必死に叫んだ。騒ぎが大きくなる中、

「おやめなさんし!」

 鶴の一声を放ったのは、行列の顔である妓女だった。

「その()(わっち)のお友達どす!」

「ゆっちゃん……!」

 お胡尹は、まさしく彼女に救われたのだった。

 しかし、無論その場で旧交を温めるという事は出来なかった。客が待っている中で花魁道中の到着時刻を遅らせる訳には行かず、お胡尹はこの場は一旦見逃され、雪から営業時間外に早蕨屋に来れば会うと告げられた。お胡尹はその通りにし、二人は時を改め晴れて久闊を叙し合った。

「ゆっちゃん、元気にしてた? ご飯、ちゃんと食べられてる?」

「私は大丈夫だったわ。痩せていたらお仕事も出来ないし、その点はお店がちゃんと保証してくれる」

 冬の事だった。獅噛(しかみ)火鉢を挟み、二人きりで自分と話す雪の口調は、花魁としての京言葉ではなく普通のものへと戻っていた。お胡尹もそれで、彼女に手ずから振舞われた宇治茶を苦く感じるような事はなかった。

 お胡尹は彼女の(いら)えを聞いた後で、元気な訳がないか、と思い直した。彼女は幼い頃から、猛と共に成長する事で徐々に克服に向かっていたとはいえ、見知らぬ男の人に対して怖がるような素振りを見せてきた。きっと、お胡尹には尋ねる事の出来ないようなきっかけがあるのだろうと思い、詳細な事情は聞かないで来たが、不特定多数の男に肌を許すような仕事をし、平気でやっていられるはずがない。

「お胡尹は?」

 雪は、今度は逆にお胡尹に尋ねてきた。

「村の皆は大丈夫? 私のお母様や、弟たちみたいに……あれから誰かが亡くなるような事は、なかった?」

「……まあ」

 お胡尹は曖昧に返事をしてから、その事で自分は来たのだ、という事を言おうとした。だが、その前にどうしても確認しておきたい事があり、また自分から彼女に質問した。

「猛君とは会ったの?」

「えっ?」彼女が答えるまで、やや不自然な間があった。「ええ、会ったわ。だけど彼が今、何処に住んでいるのかは分からない。胤重(タネシゲ)公の事で、やっぱり色々あったみたいで……それに私も、もう空いている時間に特定の男の所へ私的に会いに行ったり出来ない身だから」

 彼女は、猛は客として自分の所へ会いに来るのだ、と言った。彼が、年が変われば元服し、朝直の名を名乗る事になるのだと聞いたのもその時だった。

「そっか」

 お胡尹はそれで、彼女と猛が既に男女の契りを結んだ事を悟った。

 胸の奥がちくちくと疼いたが、敢えてそれに知らん顔をする事にした。

「ねえ、ゆっちゃん。今度猛君が来たらさ……一緒に村に帰ろう、って言ってくれない? 私とゆっちゃんと猛君、三人で。私、それが言いたくて来たの。村の皆、もうひもじい思い、してないよ」

「そう……なの?」

「ゆっちゃん、もう体売ったりしなくていいんだよ。私、知ってる。ゆっちゃんは可愛いから、色んな男の人が来るんでしょ。嫌らしい事されたりするの、私だって嫌だけど、ゆっちゃんが昔から男の人が怖かったの、私ちゃんと分かってたんだ。だからね、もういいの。帰ろうよ」

 何故か言っているうちに、段々感情的になってきた。声が震えそうになるのを、おかしいな、と思い、懸命に押し留めようとした。

 雪はそれに対して、何故か浮かない顔で黙り込んだ。お胡尹は、やはり自分は、友達とはいえ彼女の触れてはならないものに触れてしまったのではないか、と不安になったが、それが彼女の顔を曇らせた原因ではないようだった。

 しばらく渋るような態度を見せた後、雪は(おもむ)ろに顔を上げ、きっぱりと言った。

「ごめん、お胡尹。私、帰れない」

「えっ?」

 お胡尹は、彼女の青い瞳を見つめた。村に居た頃から綺麗で、いつまでも見ていたいと思う程にお胡尹はそれが好きだった。「どうして?」

「どうしてって、猛君を置いて行ける訳ないじゃない」

 雪の声音は硬く、怒っているようにも聞こえた。

「猛君と惣右衛門殿の事、村の皆は許したの?」

「それは──」

 お胡尹は言葉に詰まった。しどろもどろになりながらも、どうにか続けた。

「仕方ない事だったじゃない、猛君たちの京行きは、佐武(サタケ)家の家来だったなら。村の人たちだって今はちゃんと余裕が出来たし、話せば分かってくれる」

「それが出来たら」

 雪の(まなじり)に光るものを見、お胡尹ははっとする。

「私たち、とっくに戻ってるよ。だけど、凶作が終わったならもういいでしょ? あの人たちはまだ、猛君の悪口言っているんだ。それなのに、私が送っているお金は使う。それはいいんだよ、元々そのつもりだったんだから。だけど……だけどさ、私が猛君が好きで、彼を追い駆けて上洛した事、ちょっとくらい察してくれてもいいじゃない」

「ゆっちゃん──」

「私たち、帰らない。近いうちに(ここ)で家庭を持つ事にしたわ」

「そんな!」

 彼女の言葉に、お胡尹の中で押し留めようとしていたものが決壊した。

「見捨てるの!? 私とか、与兵衛おじちゃんたちの事」

「今の私に、猛君以上に優先されるものなんてないから」

 雪はこちらの態度に苛立ったのか、やや乱暴な調子で言った。言ってから、ふと気付いたように短く息を吸い、訝しげな目つきでお胡尹を見つめた。

「何なの、その言い方?」

「私……私だって!」

 お胡尹は、あまりにもきっぱりとした雪の言葉に感情が昂った。その台詞を現実にする事が許されなかったのが自分で、雪たちは畢竟自分とは違うのだという事を思うと、堪える事が出来なかった。

 そして、つい口にしてしまった。

「私だって猛君の事、好きだったのにな」

「………!」

 雪は目を見開いたが、すぐに手入れされた睫毛を伏せた。まさか、と頭を(もた)げたばかりの嫌な予感が、すぐさま的中してしまったといわんばかりだった。

 彼女は(しば)緘黙(かんもく)した後、

「帰って」

 と言った。

「ゆっちゃん……」

「帰って!」

 叩きつけるように言われ、お胡尹はびくりと体が震えた。

 それ以上何を言う事も出来ず、言われた通り早蕨屋を後にするしかなかった。


          *   *   *


 雪を探し出した時のように、人々に聞き込みをして猛の居所を突き止めるという事は難しかった。実際に難しかったが、お胡尹は探しながらも「本当に突き止めてしまったらどうしよう」という思いに囚われていた為、最終的に彼との再会を諦めたのは自分の意思だったと思っている。

 彼もまた雪と同じ気持ちでいるのだと思うと、それを確かめるのが怖かった。それは、自分が失恋しているのだと認める事であったからだ。単なる韜晦(とうかい)だと言ってしまえば、それまでではあるのだが──。

(それでも、私たちが友達だって事は変わらないんだよね?)

 お胡尹はその後何度も、同じく営業時間外雪の元を(おとな)った。連日、京に永住するという考えを改めてくれないか、猛と一緒に帰ってくれないかと頼み込んだが、雪はずっと黙って目を逸らすばかりだった。

 やがて彼女はお胡尹が訪ねても出てくる事自体少なくなり、ある日遂にお胡尹は店のやり手(ばばあ)に叱られた。

「白雪はあんたを出禁にしたよ。もう来ないでおくれ」

 そう言い放たれ、鼻先で扉がぴしゃりと閉まった。

 お胡尹は降り始めた粉雪の中、茫然自失となって立ち尽くした。

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