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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』肆ノ章 恋煩い①

  ① 物部堅塩


其方(そなた)にとって、己とは何だ? 堅塩よ」

 天照寮、(いみ)の間──「夢遥かの世界」。天官・高天原は高座に座ったまま、詰問すうような響きを帯びて堅塩にそう問うてきた。堅塩が畳の上で平伏(ひれふ)し、無言を貫いていると、彼は「ふむ」と一つ唸る。

「これより(しば)し『目暗(めくら)(てい)』を命ずる」

 決して大きくはない、だが部屋中に響くような声音で彼が言うと、暗い室内の影に溶け込むようにあちこちに立っている呪祷官──黒衣(くろご)を纏い、頭巾を被った者たちが一斉に俯き、掌印を組んだ。

 忌の間は高天原により、堅塩のみに立ち入りを許された部屋。そこに他者が居るのは、彼らが目暗の呪祷官だからであり、高天原の意思によってのみ外界との報せの授受を許された「居ない者」として扱われている為だ。

 居ないはずの者が居るのではない。彼らはそこに居ながら、居ない。

 堅塩にとっては、どちらも同じ事ではあるが──。

「今一度問う。堅塩、其方にとって己とは何だ? 我欲はあるか? 其方は何を動機(いわれ)として生きている?」

「……私は」堅塩は、長い沈黙の末に(いら)えた。「ただ(ことわり)(まつろ)い、生きるのみ」

「それが、呪者としての生き方か」

 高天原は、別段面白くもなさそうな声色で呟く。

「では其方のいう理とは? 誓約(うけい)は、何の理に従い(くだ)を返す?」

「『夢遥かの世界』に於いて、その事を陛下自身がお問いになる必要がありましょうか?」

(うつつ)の事を言っているのだ。現の理に対し、私が背理者であるとすれば?」

「ならば尚更、特段の意味はありません。()(おんな)の法、理化(あやなし)により新世開闢が成就すれば、陛下の理が即ち世の理となります」

()らば」

 高天原の口調は変わらないようでいて、徐々に叱責の調子を強めていた。

「何故其方は、勝呂兵部の夢惣備を成就させた? 何故周防一党の彼に、不要な報せを与えたのだ?」

「………」

 堅塩は答えなかった。これについては、彼の意にそぐわない事をしたとして、どれだけ自分が言葉を連ねようとも言い訳と切り捨てられるだろう。

 高天原は黙って堅塩の弁明を待っているようだったが、こちらに言い繕う気がないと分かるとふっと息を()いた。

「あくまで、そこに私情(おのれ)はなかったと言うか」

「私が見た限り、あの時点で既に勝呂兵部の夢惣備は了畢していました。その魂は既に、夢に欲されてはいなかったのです」

「それもまた、理の運行(はこび)の内か」

 御簾(みす)に隠れた彼の見えざる視線が、自分の頭から爪先までを這ったのを堅塩は知覚した。

 堅塩は今、いつもの物忌みの装いではなく呪祷官の黒衣と頭巾を着用していた。(ただ)し「目暗の体」は取っておらず、面布は上げられている。天官がその事についてどのように解釈しているのか、頭の片隅でちらりと考えた。

「其方には、周防俊輔に通ずるものを感じる」

 高天原の独りごつような台詞に、堅塩は顔を上げる。

「あの者が、我が(すえ)魂鬻(たまひさ)ぎを用いている点に於いて、ですか?」

()れるな、堅塩」

 高天原は言った。

「奴は武家に生まれ、また呪祷官として再誕した。それで居ながら、神子として、また背理者としていずれの(くびき)をも逃れ、今や私にとって最大の敵となっている。其方もまた、子孫(うまご)の身を渡る事によって呪祷官の任を逃れ、天照頭として自由意思の元に存在している」

「私が、背理者になり得ると言われる」

 堅塩は言ったが、すぐに「それもまた然り」と続けた。

「心渡りに理化(あやなし)、そして陛下の御阿礼(みあれ)。理は時に、それ自身の在り方をも覆してしまう程の法を下界の民に与えまする。陛下がそうだと仰るのなら、私の魂鬻ぎもまたそうなのでしょう。しかしそれは、理それ自体が一つの時代を閉じ、移ろいの時を迎えようとしているという事でもあります。結果として陛下の望んだ理通りの世が訪れるのであれば、背理もまた理の予定といえる」

「ふむ、それも理屈ではあるな。法と法ろい、共に根を一つとするように」

 或いは陰陽(おんみょう)が共に、天照らす光より生じるように。

 堅塩が心の中で付け加えた時、高天原が「よし」と肯いた。

「相分かった。今は、これ以上を其方に問う事はすまい。其方の(まつろ)うべき理とは即ち、私の敷く理。この解釈に、我々の間で齟齬はない」

「かたじけのうございます、陛下」

 堅塩は拝礼すると、声の調子を変えた。

理化(あやな)す少女は、三日のうちにここに辿り着きます。それで、舞台装置の方の準備は全て完了となるでしょう。つきましてはその際、私の(まこと)の肉体を(いまし)めより解き放って頂きたい」

「分かっている、そういう契りであったな」

 しかし、と、高天原は付け加えた。あたかも、特段の意味はない、ちょっと言ってみただけだ、というような調子で。

「共に見届けてはくれぬのか、新世開闢の時を?」

「存在の意義を全うしてしまえば、やむを得ません。陛下のその後の日出に於いては最早、両界御大人(もろさかのみうし)は必要ないのです」

「……そうか」

 彼は短く息を吐き出すと、「開眼せよ」と呼ばった。「目暗の体」終了の合図だ。

 掌印を解く呪祷官たちを見ながら、堅塩は立ち上がる。

「其方が、(まこと)布留(ふる)を得られん事を」

「ありがとうございます。では、私はこれにて」

 一礼し、忌の間を後にした。

 入口の扉に向かって下がりながら、自分は結局、これから訪れる時代の”(くぎり)”を見る事なく長い生涯を閉じるのだろうか、と堅塩はちらりと考えた。


  ② お胡尹


「俺たちは、君の魂を助ける為に来たんだ」

 鉛丹(えんたん)色に暮れ(なず)む土手の道で、お胡尹に声を掛けてきた男はそう言った。その面立ちはまだ少年の面影を色濃く残し、崩れかかった灰黒色の着流し姿も相俟って浪人のような印象を抱かせる。

 (ただ)し彼は、刀を帯びてはいなかった。それというならば、彼と共に現れたこれまた若い男──元服したばかりか、ややもすればまだ本当に少年かもしれない──の方が武士らしかった。煤竹色の着物、灰色の袴。元々が武家出身で最近浪人になってしまったというような()で立ちで、髪は月代(さかやき)を最近伸ばし始めたばかりなのか、後頭部の長い部分と一緒くたにしてふさふさした馬の尻尾のように結んでいる。

 相手の服装や髪型を瞬時に把握するのは、女の子の得意技だ。

「私……?」

 お胡尹は自分を指差し、念の為に一緒に居た二人を振り返る。少し先を並んで歩いていた幼馴染の二人はお喋りに夢中になっていて気付かないのか、ずっと先まで行ってしまっていた。

「あ、ちょっと! (タケル)君、ゆっちゃん──」

羽後国(うごのくに)由利(ゆり)(やしろ)預かり奉る安彦(アビコ)家長女、お胡尹殿」

 灰黒色の着物の青年は、改まった口調で言った。

「あなたは現在の暦について、ご存知か?」

「えっ?」

 ──もしかして、渡海の人?

 お胡尹はすぐにぴんと来、「ああ」と一人肯きながら答える。答えながら、どう見ても日出の人なのにな、と考えた。喋り方もたどたどしくないし、他の可能性があるとすれば旅客か、記憶喪失か、もしかして未来人という事も……?

(あれ? そういえばどうしてこの人たち、私の名前知ってるんだろ?)

「違うんだ、お胡尹殿。今は──」

 青年は(かぶり)を振り、お胡尹の口にしたのとは全く異なる日付を言った。

 お胡尹は面食らってしまう。「えーっ」

「落ち着いて聴いて欲しい。……お胡尹殿、あなたは今『夢遥かの世界』に居る。霊能者の魂だけが接触出来る現世(うつしよ)でも幽世(かくりよ)でもない夢の世界だ。(うつつ)では、あなたは既に死んでしまっているんだ」

「死んでる……?」

 きょとんと鸚鵡(おうむ)返ししてしまってから、不思議な気持ちになった。

 怖いのでも、絶望したのでもない。それは奇妙な──”納得”だった。

(そっかあ……私、死んじゃったんだ)

 けれど、何故そうなってしまったのだろう?

 心当たりは色々あるけれど、どれもさもありなんと思える。お胡尹は昔から少し変わった子だと言われて育ってきたし、皆とは何かが違うという自覚もある。最初は皆の方が何かおかしいのかな、と思っていたが、成長するに連れて自分が特殊なのだという事に段々気付いていった。

(なーんか私、駄目だなあ……やっぱり、馬鹿だからなのかな)

「お胡尹殿の他にも、俺たちが助けなければならない人が沢山居る。どうか、俺たちに力を貸してはくれないだろうか? 俺たちの持っている報せを共有する、何が起こっているのかを詳しく説明するから、お胡尹殿もどうか君自身にまつわる報せを教えて欲しい」

 青年は言い、「自己紹介がまだだったね」と背筋を伸ばした。

「俺は周防俊輔、呪者だ。こっちは鯨伏弥四郎、同じく呪者で、俺の仲間」

「初めまして、お胡尹です」

 お胡尹はぺこりとお辞儀をし、俊輔と名乗った青年に言った。

「教えて下さい。私に一体、何が起こったんですか?」


  ③ 周防俊輔


 (みやこ)の南端、羅生門を望む貸家。朝廷や天照道と袂を分かち、「夢遥かの世界」に囚われた霊能者たちを救出すべく各地を放浪するようになってからも、度々飛脚を使って大家に家賃を送付し、契約を続けてきた物件。

 自らが住む訳でも、活動拠点とする訳でもないにも拘わらず俊輔がこの家を借りっぱなしにしているのは、ここに匿わねばならない者が居た為だった。

 鯨伏家の息子である弥四郎、由比の娘千与、榛名の客将だった勝呂兵部。皆、不可思議に「時間が停止した遺体」となって発見され、解放の時を待つ為の家があった者たち。しかし、彼女ら二人は違った。

 焼け跡から神祇官によって発見され──その死自体が彼らに仕組まれたものだったのだから当然だ──、色町にある検非違使(けびいし)の張り込み宿に安置された二人の亡骸。その存在を神子時代の俊輔は把握しており、組織からの離反後、同時期に把握し最初に救出した弥四郎と共に襲撃、奪還した。

 弥四郎と鶴来が眠っている事を確かめると、俊輔はその部屋に足を運んだ。

 思った通り、二人の娘の片割れだったお胡尹はそこに居た。

「寝ないと明日の夢惣備に響くぞ」

 声を掛けると、敷き伸べられた布団の枕元に正座した彼女はこちらを向いた。うつらうつらしていたらしく、目は半開きだった。俊輔は、(かえ)ってここに居る事で心を安らげていた彼女を起こしてしまっただろうかと不安になる。

「ふわあ……っ。あれ、俊輔君……? もう朝?」

 むにゃむにゃと口を動かす彼女に、俊輔は微かに笑みが零れる。

「すまない、ここで寝ていたんだな」

「ごめん、心配掛けちゃった。けど何か、眠れなくって」

「無理もないさ。こんなに近くに彼女が居れば」

 言いながら、布団に横たわるもう一人の娘を見やる。

 かつて高級妓楼「早蕨(さわらび)屋」の花形妓女だった白雪(シラユキ)太夫──否、羽後国の村娘でありお胡尹の同郷の幼馴染、(ユキ)

 彼女は、お胡尹の夢惣備を終えた後即座に次の解放目標とし、そして遂に成し遂げる事の出来なかった霊能者だった。実際には弥四郎とお胡尹に関しても、未練を解消するという意味では俊輔は真に夢惣備を成功させられたとは言えない。弥四郎は現実を受け入れたが、お胡尹はまだそこまでには至れていないようだ。現に彼女はこうして、生前の親友との間に生じ、最後まで埋める事の出来なかった溝に未だに囚われている──。

(つら)いはずだよな……お前、結構無理しているだろ」

「だいじょぶだよ。そりゃあ、確かにゆっちゃんの事は私も色々考えて、悲しくなったりもするけどさあ。私、元々こういう性格だし、天然だって言われるし」

「性格の事はいいんだ。まあ、俺たちにはお胡尹のそういう部分も必要さ。いつも気を張りっぱなしじゃ疲れちまうし、鶴来に対してすまない気持ちを抱えているのは弥四郎もお前も同じだろうから」

「俊輔君、頑張り屋さんだもんねー」

 お胡尹は言ってから、不意に声を潜めた。

「だからさ、私もほんとはこんな事、言ったら一所懸命やってくれてる俊輔君に失礼かなー、なんて考えちゃうんだけどさ──だいじょぶだよね、ゆっちゃんの事? 鶴来君の法があれば、今度こそちゃんと助けられるんだよね?」

「ああ……だけどその結果」俊輔は口籠る。「夢の(すべ)てを(つまび)らかにした結果、真実はお胡尹を救うとは限らない。お胡尹が思った通り、この一件がお前や友人たちとの──絆の終わりを意味するものだったという可能性も、現時点で俺には否定しきれないんだ」

「いいよ、覚悟は出来てる」

 お胡尹は、素直に肯いた。俊輔は彼女の心遣いに感謝しながらも、それで申し訳なさが解消される訳ではなかった。

「どんな結果になっても、それは俊輔君のせいじゃないもん」

「ありがとう、お胡尹。また頼らせて貰う事になる」

「任せといて!」

 彼女は元気良く手を挙げようとしたが、そこで欠伸(あくび)が漏れた。

 俊輔はくすりと笑い、(きびす)を返した。

「それじゃあ、おやすみ」

「おやすみー」

 部屋を立ち去る時、お胡尹は既に寝()け声になっていた。再びのむにゃむにゃという形なき声の後、俊輔は最後にその独白を耳にした。

「会いたいな……猛君」

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