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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』断章 葉月④


          *   *   *


 用意周到な奈美は、松明(たいまつ)燧石(ひうちいし)を荷物の中に含めて来ていた。日帰りのつもりだったが、まさか遭難した時の事も考えていたのか、とやや焦りも覚えた凪紗だが、よく考えれば何の事はない。閉関という仙人の修行法の事を知っている彼女は、魄允子がこの山でそうしている可能性を検討していたのだ。

 凪紗と奈美は左手と右手を握り合い、凪紗は空いた右手を刀の柄に掛け、奈美は左手で松明を掲げて歩いた。

「獣の臭い──は、特にしないね」

 呟いた奈美の声が、思いがけなく大きく洞穴の中に響く。呟いた事は呟いたが、奥まで行けばまだ何が潜んでいるか分からない。彼女は慌てたように松明を持った手を口に近づけ、前髪を炙りかけて慌ててぶるぶると頭を振った。

 凪紗は思わずくすりと笑ってしまい、横目で睨まれる。

「ま、まあ」声量を小さくし、凪紗は返す。「けど、本当に暗いな。先がどうなっているのかまるで見当がつかない」

「枝分かれがないのが幸いね。いざとなったら道なりに逃げられる」

「とはいえ、光が届く範囲にも限りがあるぞ。一つか二つ程度なら見逃していないとも言い切れないんじゃないか」

「……そういう事、言う?」

 奈美がげんなりしたような顔になり、

「ごめん」

 凪紗は短く謝った。

 あれ程湿り気の多い森を抜けてきたにも拘わらず、洞穴の中は乾燥していた。先に進むに連れて積もった塵が歩風に舞い、松明の灯にちらちらと煌めく。鼻腔を刺激され、何度か噎せてしまった。

 幾ら仙人でも、このような場所で行が出来るものだろうか?

 いや、それを言ってしまえばこの山にある他の洞窟も、長い年月の間人が入っていないという点では同じような状態なのだろうが──。

 そろそろ引き返さないかと口にしようか、凪紗が迷い始めた頃、行く手の道が刺又の形に二本に分岐した。その片方からは、驚いた事にぼんやりと明かりすら漂って来ている。

 凪紗と奈美は、見えない壁に突き当たったかのように同時に足を止めた。顔を見合わせ、どちらからともなく身を屈めて声を籠らせる。

「こんな所に、人が居る……?」

「なあ、奈美……まさかとは思うけど」

「そのまさかかもよ、凪紗」

 奈美の顔色が、興奮で上気しているのが見て取れた。「魄允子かも」

「行ってみるか?」「ええ」

 二人で一層身を寄せ合い、足音を立てぬよう爪先立ちで道を曲がる。

 凪紗は奈美の顔に、期待と同じくらいに緊張が浮かんでいる事に気が付いた。伝説の仙人が、そこに居るかもしれない──語り部の言葉通りなら、千年以上生き続けており、とうに人の(ことわり)を外れてしまった存在だ。

 自分たちが霊能者か否かを知る為には、会わなければならない。しかし、やはり何となく恐ろしいものは恐ろしい。

 凪紗は小さく「大丈夫」と囁き掛け、彼女はこくりと肯いた。手を握るだけでは足りなくなったのか、汗ばんだ(てのひら)をそっと抜き、こちらの左腕を絡めるようにして密着してくる。このような状況だというのに、彼女の息遣いや体温を至近距離で感じた凪紗はどきどきと心の臓が高鳴った。

 否、その理由にはややもすると、自分も奈美と同じく人智を超えたものに対する恐れを感じていたのかもしれない。どちらの理由か判然とせぬまま足を進めて行くうちに、徐々に灯りは明度を上げ──微かに声が聞こえてきた。

 奈美は、最早それがなくても先が見えるようになった松明を壁に擦り付け、火を消した。

 声は段々とはっきり聞こえるようになる。

「──不景気なもんだぜ、全くよ」

 荒っぽい男の声。間違っても魄允子だとは思えなかった。

「いかんね、やっぱり猟場(やま)が悪りいんだな。こんな上洛道を外れたとこ、ろくに通る奴も居ねえよ。だから俺は、逢瀬ノ坂まで下るべきじゃねえかって言ったんだ」

「馬鹿()かしやがれ。あそこにゃ関所があるんだぞ」

河内(かわち)の守護が黙っちゃいねえよ」

「けどよ、あそこで赫猴(アカザル)の連中は一仕事成功したって言うじゃねえか」

「どうせ納税返りの年寄りから財布をかっぱらったぐれえの事を、大袈裟に吹聴して回ってるだけだろうよ」

「で、どうすんです、初鹿野(ハジカノ)の旦那? これっぽっちしか稼げねえ状況があと一、二ヶ月も続いたら、俺たちゃ日干しだぜ」

 ──初鹿野?

 凪紗はその名に聞き覚えがあるような気がし、その正体に思い至った瞬間、叫びそうになる喉を懸命に宥めねばならなかった。

 (みやこ)の周囲で跳梁するという、悪名高き偸盗の集まり。初鹿野盗賊団。

 首魁である初鹿野麁鹿火(アラカイ)は姓を持つ事からも分かる通り、元は地方豪族の出である武芸者だった。ある時村同士の戦に敗れ、一族郎党が皆殺しに遭う中で一人逃げ延び山に隠遁、その後野盗を束ねてその(かしら)となった。

 飢えている時以外は人を襲わない猛獣よりも恐ろしい()()武者。

 それが、この先に居る。

「奈美」

 凪紗は短く彼女を呼び、手近にあった岩の影に二人で身を隠した。

 口を押さえて戦慄する奈美に、凪紗は己の恐怖を押し殺して冷静に囁く。

「落ち着くんだ、奈美。この穴はどうやら、暫定的に初鹿野の根城になっているようだ。そこに、俺たちは入り込んでしまった」

「どうしよう、凪紗……?」

「大丈夫。距離は近いみたいだけど、こっちからも向こうからも、まだお互いの姿は見えていない。ゆっくり、足音を立てないように引き返せば気付かれずに脱出する事も出来るはずだ」

 大丈夫、という言葉を凪紗は繰り返した。

「俺がついてる。心配要らないさ」

「そう……だよね」

 奈美は幾分か安心したように、口元から手を離し、こちらの袖を掴んだ。

 凪紗は這うようにして岩陰から顔を覗かせ、野盗たちの動きの把握に努める。

「逢瀬ノ坂を南下し、茅渟(ちぬ)に入る」

 麁鹿火らしい低い声が、口々に言葉を発していた野盗たちを静まらせた。それにはっとしたのは、凪紗もまた同じだった。

「京による国栖(くず)の平定にも区切りがつき、税制が改められた事で上洛道が一定してきた。俺たちも膨れ上がりすぎた、最早今後増々減る一方の山の獲物だけでお前たち皆が食いはぐれる事のないようにするのは、はっきり言おう、不可能だ」

「旦那、ご冗談でしょう?」

「黙っていろ、(オフト)。これは何もこの場凌ぎの思いつきではないから誤解するな、俺たちはいつまでもその日暮らしの稼業を続ける訳には行かない。国とやり合うだけの力はまだないが、身の置き所を定め、足掛かりを得てそれだけの勢力を育てなければならない。周辺の村々の吸収だ。そして俺は、その最初の”足掛かり”に茅渟が最適だと見た」

 麁鹿火の台詞に、野盗たちが「おおっ」とどよめいた。

「それって、つまりは」

「俺たちは新たな豪族となる。その他に、京とやり合える道はなくなった」

 ──初鹿野盗賊団が、村に攻め入ろうとしている。

 凪紗は、袖を掴む奈美の手を再び掴む。それは今や、彼女を守ろうとしてというよりも、そうしていないと自分の精神が支えられないような気がした為だった。

「無論、俺たちは軍団ではない。村を興し国に成長させるまでになれば秩序の為に位やら決まりやらが要るようになるが、そういうものが煩わしくて自由な盗賊稼業に身を投じたという奴は居るか? 一旦この辺りで人事整理だ、俺のやり方に反対する奴は、遠慮なく団を抜けて構わない。赫猴でも何処でも、勝手に転身しな。俺は、それを裏切りだと思ったりはしない。だが、やむなく他所(よそ)とやり合うような事になった時には、そこにお前たちの誰かが居たところで容赦なく斬る」

 麁鹿火は、迫力のある声で言い放った。

「だがこれも脅しとは取るなよ。要するに、別れるならお互い自由にやろうという話だ。俺に従うも、従わないも自由。さあお前たち、どうする?」

「俺は着いて行くぜ、旦那」

 すぐさま、やや(かん)高い声が被せるように(いら)えた。

「よく言ってくれやしたぜ。大体俺、京ってのが気に食わねえ。最初に多少でけえ国になったからって、平気な(つら)して周りの事まで仕切りやがる。大きなお世話だ、ぶっ潰してやりてえよ」

「俺もそんな薄情じゃねえ、てめえの恩はてめえで返す」

「なあ野郎ども、そうだよなあ?」

 うおおっ! と、大勢の男たちの声が唱和した。

 驚く程の人数が集まっているようだった。初鹿野盗賊団の規模は以前から耳にしていたが、こうして実際に肌で感じる雰囲気というのは、五十、六十などと耳で数字を聞くよりも余程実感を伴っている。

 凪紗はその見えない圧力に、体が押され、静かに後退(ずさ)りでその場を離れようと思っていた足が縺れるのが分かった。奈美が小さく喉を鳴らし、しまった、と思った時には彼女諸共地面に尻餅を()いていた。

 密閉された洞穴の壁に、その音はやたら大きく反響した。

 野盗たちの騒ぎ声が、水を打ったように静まり返った。

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