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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』断章 葉月②


          *   *   *


「法とは元来『()り』、神々の秩序である律であり令を意味する(ことば)だ。同時にそれは『()ろい』の由来でもある。法ろいとは(さわり)であり、(ことわり)に背くものを意味する。これは理が陰陽(おんみょう)背平(そびら)合わすものであるという事だ。(あざな)える縄の如く、禍福は宿命という同一の根より生じる」

 堅塩は、いつか凪紗と奈美にそう語って聞かせた。凪紗は彼が祭祀の為の祝詞(のりと)でも唱えているのだろうか、という気分になりながら半ば眠りかけていたが、奈美は興味津々といった様子で聴き入っていた。

「一見理に背くものであったとしても、そこには確かな調和への意図、”糸”が通っている。そしてこの魔法(さわりののり)とも呼ぶべき力を縛める力、呪いを呪い、陰を(かげ)らし安らかなる陽の秩序を保つものをこそ呪縛と呼ぶ」

「それじゃあ、祭司様が呪縛を解かれるのは?」

「祭司は(かんなぎ)、即ち神奈備(かむなび)、神々の()ぶ宿り()。つまり、神々にその身を捧げる存在なのだ。祭司は呪縛を解く事によって法ろいを得、新たに神々の法に約される。通過儀礼のようなものだな」

「それって呪縛を解かれたら、もう人じゃないって事ですか?」

「そうではない。呪者は人の世に在りながら、人とは異なる理で生きるのだ。それもまた、大いなる理の内ではあるがな。

 奈美よ、息努先生の法は草木を育む力。用いれば季節外れの花が咲き、果実が(むす)ばれる。だがそれらの花や果実はこの事により、本来咲き、実ぶべき(とき)にそれが叶わなくなってしまう。分かるな?」

「はい」

「自然という理の運行を妨げてしまう力なのだ。故に呪縛を解かれし者は、(すべか)らくその身を神々に捧げ、人の欲の為に乱用してはならない。それで人が破滅に向かうとしても、それは理が定めた未来の一つだ。これを選ぶか否か、呪者が真に負うべきはその選択の責任よ」

「なるほど。分かりました、堅塩さん。ありがとうございます」

 奈美はぺこりとお辞儀をし、睡魔と必死に戦っていた凪紗を促して堅塩の元を後にした。

 その時凪紗は、彼女は呪縛の重要性を知ってみだりにはしゃぐような事はしなくなるものだと思った。だが実際には、堅塩から語られた事は奈美に自分たちの特別性を一層意識させ、呪者になりたいという夢を育むものだった。


          *   *   *


「そういえば、これも語り部の人が言っていたんだけどね」

 奈美は、墨の乾いた箇所をくるくると巻き、巻緒(まきお)を掛けてから声を低めた。内緒話をする時に彼女の言うこの台詞は、今や枕詞のようなものとなっている。

魄允子(ハクインシ)の話を聞いた事はある?」

「ああ……千年生きているっていう、山人の隠者だ」

「その人が、今孔舎衛(くさえ)山の辺りで(ぎょう)を行っているとか」

「孔舎衛って、逢瀬(おうせ)ノ坂の向こうの? 邑境(むらざかい)じゃないか」

 凪紗は、やや嫌な予感を覚えつつ言う。日頃から山に出入りしている身とはいえども、今までそれ程遠くまで行った事はなかった。

 予想に(たが)わず、彼女は「ねえ」と身を乗り出してきた。

「私たちで、魄允子に会いに行ってみない?」

「何の為に?」

「決まっているじゃない、私たちの呪縛を解いて貰う為よ。息努老師は絶対に法の解放を許してはくれないだろうし、堅塩さんだって」

「やっぱりか……」

 肩を落とすと、奈美は「何よ」と軽く睨んできた。

「あんまり乗り気じゃなさそうじゃない?」

「そりゃ、ね。そんな事したら先生、絶対かんかんになるよ」

「バレなきゃ大丈夫、大丈夫。私だって法が使えるようになっても、それを大っぴらに見せびらかしたりはしないよ。だけどいつか、呪者になるっていう夢を叶えるには絶対に必要な事」

「けど、そもそも俺たちが霊能者だって事も本当かどうか分からない」

「老師だったら見極められるのに、ほんとにけちなんだから……どうせ呪縛が掛かっていたら何も出来ないんだから、教えてくれるくらいいいのに」

 奈美は不満そうに唇を尖らせてから、我に返ったらしく素早く振り返った。老師が講堂に入って来ていない事を確かめると、咳払いをして続ける。

「呪縛の解放っていうところまで行かないにしても、それを魄允子に確かめて貰うくらいならいいでしょ? 実のところ、凪紗もちょっとくらいは気になったりしていないの?」

 ならない事はないが、ここで半端な返事をすると彼女の調子に振り回される事は目に見えている。凪紗はすぐに「いや別に」と言った。

「俺、そこまで呪者になりたい訳じゃないんだって」

「ふうん……残念。もしそうなら私、凪紗とお揃いになれるかもしれないって思ったのにな」

 さりげなく言われ、一瞬心の臓がどきりと高鳴った。

 凪紗の心を知ってか知らでか、彼女は露骨に気をなくしたように肩を落とした。

「あーあ。それならいいよ、私一人で行くから」

「……本当に行くの?」

「私は本気よ」

 奈美は前に向き直り、これから習う箇所の予習(さきどり)を始めた。凪紗は慌てて机の上に上体を乗り出し、彼女の肩を叩く。

「分かった、行くよ。俺も行く」

「えっ?」彼女は声を弾ませ、再び振り返る。「一緒に来てくれるの?」

「一人で行かせる訳には行かないだろう。邑境の山には毒蛇やら悪蝎(あっかつ)も多いっていうし、熊も、狼も、野盗だって……それに一人で居て遭難でもしたら大変だ。俺だったら親父の仕事の手伝いで山には入り慣れてるし……」

 どぎまぎしてつい早口になると、彼女はぱっと顔を輝かせた。

「ありがとう、凪紗! それじゃあ明日、巳二つに村の入口に集合! いい?」

「あ、ああ……って、そんな大きな声で言ったら皆に聞こえちゃうぞ」

 やや照れ臭さを感じながら視線を左右させると、奈美はぴょこんと背筋を伸ばしてきょろきょろと周囲を見回した。えへへ、と頭を掻く。

「私ってば、うっかりさん」

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