『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)⑳
* * *
天守閣、白花の間に入ると、僕は俊輔が斥邪結界を張り終えるのを待って先程見た兵部さんの過去について三人に語った。話すうちに涙声になる僕を、俊輔たちは誰も咎めなかった。
「……そうか」
語り終えると、俊輔が重々しく呟いた。
「彼が、処刑されたと思われていた榛名家先代当主の長男──いや、勿論天照道がそこまで一国一国の事情に通じている訳でもないし、俺もそのような事があったとは初めて知った。そもそも十五年前では、俺はまだ齢五つだった訳だしな」
「それにしても、琴姫が亡くなっていたとは」
弥四郎が、眉間を抓みつつ首を振った。
「どうりで俺たちが城を訪れた時、当主本人への目通りが叶わなかった訳だ。戦勝祝いが行われていたという事は、最終的に駿河は”同志”たちによって──といっても生き残っていたのは巍城殿と采女殿だけだが──琴姫の死を隠蔽されたまま戦い抜いた訳だな」
「琴姫様は出陣の前、采女殿に『死命』って言ってそう頼んだんだ。自分が陣没するような事があれば、皆にその死を伏せるようにって」
僕が言うと、お胡尹が「変なの」と呟いた。
「それじゃあ琴姫様、自分が戦で死ぬって分かっていたみたい」
「しかも、幻月に手に掛けられていたとは。やっぱり、彼女を天照寮関係者が訪っていたという事が関わっているのか?」
俊輔は言ってから、「いや」と自ら挟んだ。
「琴姫の死が観測された事も驚きだが、解せないのは幻月を遣わした天照寮の思惑だな。天読みの真実を知る堅塩が、彼女に対して奇襲などという策を採ろうとした事自体が意味不明だ。しかしこれで確信は持てた……堅塩は駿河と遠江に神託を下し、伊勢と志摩を攻めさせた。一方でそちらにも草水を与え、海戦に利のある駿河に対して戦力の調整を図った。それらはひとえに、戦の混乱に乗じて幻月を動かし、琴姫の命を奪う為だった……勝呂兵部のではなく」
皆、黙りこくった。海風が障子を震わせる微かな音だけが場に漂う。
何か話さなければと思い、僕は先程の心渡りで受けた印象を言葉にした。
「全てが、兵部さんの運命を悲劇にしようと徹底されているみたいに感じたんだ。彼が琴姫様に心を開いて、受け入れ始めた頃になって黒壁衆の一件があった。陸姫は理由も分からないまま琴姫様を『穢れた娘』呼ばわりして、彼女に自分を殺させた。最期の時だって、兵部さんは……あんなに憎んでいるみたいだった琴姫様が死んでしまう事を、悲しんでいた。
そうだよ、彼は──琴姫様を、昔みたいに『お琴』って呼べなくなっている事に気付いて、悲衝を受けていた。心の何処かでまだ、彼女を想っていたんじゃないのかなって、僕は思う。また昔みたいな仲に戻りたくて、でも自分じゃそう出来なくて、悲しくて、辛くて……」
何故皆、幸せになれないのだろう、と思った。
幼い頃あれ程兵部さんの心を開こうとし、彼が笑顔を見せた時にはそれが自分の事であるかのように喜んだ琴姫様は何故、突然彼を地獄に突き落とすような行動を取ったのだろう。そこに陸姫の意思が関わっているのなら、何故琴姫様は敢えてそれに抗わなかったのだろう。
何故、という思考ばかりが繰り返された。あたかも、あの思い出の世界に於ける兵部さんのように。彼はこのように、何も分からないまま宿命に振り回され、死んでいったのだろうか?
彼は律──陽の宿命にも、呂──陰の宿命にも、勝つ事は能わなかったのか?
「……認められないよ、こんな結末」
僕は、目を強く拭いながらきっぱりと言った。俊輔が「ああ」と肯く。
「これを”結末”なんかにしてはいけない。彼は確かに不幸だったが、夢を、希望を持っていたからこそこの『夢遥かの世界』に囚われた。そして俺たちが彼の夢惣備に成功すれば、彼は畢生の未来を自らの目で見る事になる」
だから、僕は考えねばならないのだ。兵部さんと琴姫様を翻弄した宿命の裏に、誰のどのような意思が働いていたのか。それは、本当に彼らを不幸にする為に仕組まれたものだったのか。
そして──兵部さんがこの「夢遥か」に託した願いとは、何だったのか。
分からない事一つ一つに、理由づけを行うのだ。事実、兵部さんにとって客観である僕は、彼の記憶の端々に引っ掛かりを感じる物事は見て取っていた。それは前回の夢惣備で千与さんの記憶を見た時にも同じで、そこから僕は本人に対して語られなかった出来事を見出したのだ。
最初の”引っ掛かり”は何だったか?
それは言うまでもなく、琴姫様が育ての母を刺殺した事だ。その際、黒壁衆が現れた為に兵部さんの立場は悪くなってしまった。これは偶然なのか。
或いは、襲撃して来た黒壁衆から理由を聞き出すまでもなく、巍城さんが皆殺しにするよう命令したという事。これが、兵部さんと彼らの繋がりをないものとして証明する事を困難にしたのだ。
何故か? 噂をしていた人々の言う通り、巍城さんが琴姫様の身を案じた為か。確かに彼は兵部さん本人に対し、自身の忠誠が現在の立場を継ぐ以前の主であった綾姫と琴姫様にある事を語っている。だが、それにしても彼ならば、襲って来た敵に対して他に採り得る手段もあったのではないか。
彼は、黒壁衆の襲来を知っていたのではないか? だから彼は、兵部さんが下手人ではない事、敵との繋がりがない事を確信出来、兵部さんを逃がすという行動が取れたのではないか。少なくとも彼が幼い兵部さんを人知れず逃がし、処刑の執行を偽装したのは、単に彼に対する依怙贔屓などではないような気がする。
では仮にそうだとすると、巍城さんは何故黒壁衆の襲来を知る事が出来たのか。彼に正確な未来を知る術はない。天読みの霊能者ではないのだから──。
「………!?」
その時、僕は眦が裂けそうな程に目を見開いた。
全く唐突な事だった。今までばらばらな断片であった物事が、一つのきっかけからある形に組み上がっていく。そこから更に疑問が生じては、今まで僕が考えもしなかったような事が脳内の奥深い場所から浮上して補完する。
(陸姫はあの時、天読みを発動していた……)
最早、僕自身が考える必要はなかった。一つの閃きが生じてから、元々そこにあった形が僕にも見えるようになった──そのような感覚だった。
但しそれを詳らかにする事は、それまで兵部さんを除く”同志”たち、正確には琴姫様ただ一人しか辿り着く事のなかった真実を以て、日出国の民皆が信じているであろう一つの”解釈”を根本から覆す事になる。
「どうした、鶴来?」
茫然自失となる僕の肩を、俊輔が揺さぶった。
こちらのただならぬ様子に気付いてか、口調からゆとりが消えている。僕は、自分の肩に置かれた彼の両手首を掴んでがばりと顔を上げた。
「俊輔!」
「な、何だよ……?」
「もう一度兵部さんの所へ行こう! 彼に伝えなきゃいけない!」
* * *
土蔵に引き返す途中で、僕たちが一時的に制圧した”同志”たちの魔の姿は消えていた。それでもまた何処から現れるか分からない為、十分に警戒しながら進むよう心掛けたが、それは不要な配慮だった事が判明した。
土蔵に戻った時、その入口に彼らの魔が居た。揺らめく黒い体を重ねるように一所に集まり、肉同士を食い込ませるように融合していく。
僕たちの目の前で、四人分の魔が巨大な肉塊と化して縦十尺程に膨れ上がった。複数のそれが絡まり合ったような四肢が生え、顔のあるべき場所に異様に膨張した楕円形の肉が生じる。その中から、四つの顔が突き出した。
それらはまさしく、采女殿、景吾さん、蔵人さん、巍城さんのものだった。
「琴姫様は……?」
呟くお胡尹に、
「あそこだ!」
弥四郎が土蔵の中を指差した。
琴姫様の魔が、兵部さんの首に手を掛けて吊し上げ、漆喰の壁にその体を磔にしていた。兵部さんはぐったりとなり、されるがまま、魔が自身の魂を食み尽くそうとするのに身を任せていた。
「マズいな」俊輔が呪符を取り出す。「鶴来、彼を頼めるか? この融合体は、俺と弥四郎とお胡尹で食い止める。二人とも、出来るよな?」
「ああ」「任せといて!」
弥四郎、お胡尹がそれぞれに刀を抜き、掌印を組んだ。
僕は迷いを振り捨て、顎を引く。現在の位置から蔵の中までの距離、そこから兵部さんまでの距離を目算する。
そして、刀を抜く事なく飛び出した。
融合体の魔が僕の接近を認識め、蘇古常百鬼の斬馬刀を思わせる手刀を振り抜いてこちらを両断しに掛かる。が、
「これでも喰らえ!」
俊輔が、夥しい呪符を振り下ろされたその腕に貼り付けた。お胡尹が幻炎で足元を掬い、弥四郎が隙を突いて袈裟斬りの一本を叩き込む。
僕はその横を駆け抜けると、壁際の彼へと駆け寄った。
「兵部さん!」
その声を聞いても、琴姫様の姿をした魔は振り返らない。ただ、彼に悪意をぶつけるかのように首を絞め続けている。
だが、兵部さん自身はぼんやりと目を開け、僕を見た。
「貴様か……もういい、俺にかかずらうな。殺されたい訳ではないだろう?」
「そんな事は僕がさせません! 僕たち自身も、琴姫様も、あなたも」
「黙れ!」
喉を潰されかけているとは思えないような声量で、彼が一喝する。
「貴様に、俺の憎しみが分かるか? 目の前で母を殺され、剰えその犯人に仕立て上げられ……その元凶となった女が、俺の居るべきだった場所でのうのうと生きている。その苦しみと憎しみを十五年に渡って背負い、流浪を続けてきた俺の気持ちを知った気になどさせない。
復讐の何が悪い? あの女が死に、俺はむしろ良かったと思っている。それなのに何故、俺は死なねばならなかった? 報いだというのか? それなら、非は俺にあるというのか。いつからだ? 彼女を狂わせた事も元を糺せば俺のせいなら、俺は生まれて来なければ良かったのか!」
「違います! あなたは、彼女を愛したいと願っていた!」
僕は叫んだ。
──それこそが、彼が「夢遥か」に託した願い。僕はそう確信していた。
「ここは、あなたと彼女の愛し愛される関係が公然と存在していていい世界。だから誰も、あなたの事を男妾などと蔑んだりしないのです。
けれどそう願っている時点で既に、あなたは琴姫様の事を愛しているはずだ。既に叶っている願いを無理矢理叶えるには、一度叶っていない状態を作り出さなければならない。『愛したい』が叶った結果、現の戦とその最中に於ける彼女の死までが再現され、この永劫回帰の世界が誕生したんです」
「出鱈目を吐かすな!」
兵部さんは激しく頭を振る。
「何故、俺があの女を愛さなければならない!? あの女は俺を貶め、踏み躙り、笑っていた。申し訳ないとすら思っていなかった。……別に謝罪を期待していた訳ではない。だが彼女は、俺の事など微塵も──」
「琴姫様は、ずっとあなたへの贖罪をしていたんです!」
僕の叫びが彼の言葉を遮った。彼はその瞬間、鋭く息を吸いつつ頭を引く。後頭部が、軋みを上げる程壁に押しつけられた。
「贖罪……だと?」
「ええ、そうです」
僕は咳払いをし、切り込んだ。
「琴姫様は、霊能者ではなかった」




