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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)⑱


          *   *   *


 その年の夏、巍城が神託──実際には天照頭である堅塩の法、「魂鬻(たまひさ)ぎ」で送信されてくる伝令──を受け取った。その内容は、隣国・遠江国の領主である橘が伊勢ノ湾の利権を獲得すべく志摩、伊勢に出兵する為、これを助けよというものだった。当然その後、同じ戦で駿河に助力を乞えという神託を受けた遠江が榛名家に援軍を要請した。

 それに対する琴の反応は、来るべきものが来た、といった様子だった。

 辰彦は何やら(きな)臭いものを感じたが、すぐに出師(すいし)の用意は整えられ、駿河軍は二万五千の兵と軍艦三十隻を調(ととの)えて出陣する事になった。

 出発前、琴は国元に残った采女に「このような事が起こった時の為にあなたを同志に加えたのですからね」と激励し、彼に”死命”を与えた。

「もしも私が陣中に没するような事があれば、真っ先にあなたに矢文が届くよう計らいます。その際、あなたはその報せを皆に伏せておくように。くれぐれも宜しくお願いしますわ」

「御意」

 不吉な事を仰られるな、などと言わず(ねんご)ろに頭を下げた彼に、辰彦は何故わざわざ、と疑問を感じた。天読みの真実を知った彼は、自分たちが琴の死を見る事がないと知っている。彼自身もそれを指摘せず、巍城も二人の夫もそれを口にしない事も不思議に思ったが、この疑問は出陣後すぐに忘れてしまった。


          *   *   *


「巍城殿に一任して、本当に宜しかったのですか?」

 伊勢領内、高見の峠の地下に広がる鍾乳洞を進みながら、辰彦は琴に問うた。後ろからは、景吾と蔵人が黙々と着いて来ていた。

「敵の戦法を(おもん)みるに、峯員の砦の目を引くには私の累合せの法の方が宜しかったのではないかと」

「あら兵部、あなたは私の用心棒なのですよ。あなたの居る所は常に私の居る所。あなた、私を矢面(やおもて)に立たせるおつもり?」

 隠密行動中であっても、毒のある冗句を忘れないのが琴だった。

 戦闘開始から、既に五日が経過していた。伊勢・志摩連合軍はこちらが海域に進軍する事を察していたかのように防備を整えていただけでなく、特に水軍の強さを誇る駿河に対抗し得る兵装を準備していた。主に、対艦用の投石台と「燃ゆる水」──越後で産出される草水だ。

 駿河の強みは水軍に加え、琴の持つ天読みの力だった。彼女が当主に就任してから国間での戦は初めてだったが、彼女は次々と星相を皆に告げ、緒戦は駿河・遠江の圧倒的優勢で運んだ。

 兵たちが歓喜に沸き、士気を高める中、辰彦や同志たちだけは分かっていた。彼女がその裏で、自分たちよりも遥かに長い時間戦い、見えない傷を負って苦しみ続けているのだという事を。

 やがて伊勢の半島沿岸に近づいた時、壁に突き当たった。

 志摩領主・相良家の長男である峯員。彼が海岸沿いに大規模な砦を築き、そこから草水を一杯に積んだ船団を送り出している事が分かった。これに対し、琴は決定的な有効策を未来から見つけ出す事がなかなか出来ず、味方の損耗も徐々に無視出来ないものとなっていった。

 大将であり軍師である琴が出した結論は、船団の大部分で砦の目を海上に引きつけている間に、少人数の隠密行動班が半島に上陸、背後から砦に奇襲を掛けるというものだった。

 彼女はその役を自ら引き受け、巍城に海上の指揮を任せた上で、残りの同志を含む数人の兵のみで伊勢ノ湾を北上した。小舟で伊勢との国境(くにざかい)を漕ぎ渡り、その領内へ上陸、伊勢と志摩に跨る高見の峠に入り、陸路(くがじ)で再び国境を越える。無論移動に時間は掛かるし、敵の懐に飛び込むようなものではあったが、恐らく小国志摩の戦力の大部分を()ぎ込んでいるであろう砦の正面突破を試み(いたずら)にこちらの兵力を減らすよりは急がば回れで行こう、という事になった訳だ。

 しかし、他国の未知の地理に対して挑むには、あまりに自分たちは少人数すぎるような気もした。

「これで巍城殿が没される事などがあれば、目も当てられませんね」

「こう見えても私、もう幾度も彼が死んだという矢文を受け取っていますのよ。その度自害して、戦略を伝えておりますの。こちらとしても、私が一刻前に通って一度間違えた枝道を覚えていれば次の選択では迷いませんし、利のある事だとは思わなくって?」

「しかし、姫様の体力は削られます」

「心配して下さるの? ありがとう、兵部」

「あなたにこのような場所で斃れられては困るのですよ、我々もね」

 まるで痴話喧嘩だ、と思い、辰彦は馬鹿馬鹿しさを覚えた。しかしそのような余裕があるのは、少なくともこの地下道に敵軍が現れない為だ。相手としても、駿河軍が勝手のない土地で無茶な進み方はしないだろう、と思っているはずなので裏を掻けた事にはなる。

 軍師には時に大胆な決断を下し、奇策を用いねばならない時もある。その機を無謀と履き違えず、冷静に見極め逃すべからざる事も、琴はよく熟知して実行出来ているようだ。

 思考を巡らせているうち、辰彦はいつしか戦場では懐刀であるという自らの役割を失念していた。あまりに彼女の采配が”完璧”であると思い、それが気の緩みに繋がっていたのだ。

 敵の動きに対しては完璧。しかし、戦場を動かす要因はそれだけではない。

 思ってもみなかった攻撃が前方から飛んで来たのは、洞窟を進み始めて半日あまりが経過した頃の事だった。

「姫様、危ない!」

 その時真っ先に動いたのは、辰彦でなく景吾だった。

 彼は辰彦を突き飛ばすように前に出ると、居合抜きに刀を一閃する。空中で、激しい金属音と共に桶を(かえ)したような火花が散った。

 斬撃を飛ばして来た相手が──否、相手()が闇の中から現れた時、琴が「あれは幻月」と呟いた。その声に、殊更(ことさら)に驚いた様子はない。

 それは野侍の一団だった。このような場所にも野侍は居るのか、と思った刹那、その着物に山城国領主畠山家の家紋を認めて辰彦は驚く。「幻月?」

「天照道の使役する堕ち武者ですわ。志摩や伊勢の手の者ではありませんが、戦場(いくさば)に居るのは当然敵軍(むこう)に属しその差配に従う者のみではありませんわね。私とした事が、ついうっかり、うっかり」

 その割には焦った様子がないではないか、と辰彦は言いかけた。が、

「来ますよ」

 琴は言い、後は任せたというように後方に下がった。

 天照道の呪者に使役される──という事は、この者たちは堅塩の命を受けて故意に自分たちを襲撃したという事だろうか。辰彦は、琴を神祇官が(おとな)っていた事を思い出して嫌な予感を覚えた。

(落ち着け、そもそも奇襲で俺たちが死ぬ事は有り得ないのだ)

 辰彦は刀を抜きながら、自らにそう言い聞かせた。

 敵方に奇襲の意図があったとしても、狙いが琴であれば彼女が死ぬ事になった時点でそれは失敗する。琴はそれを踏まえて、あらかじめ何処で”奇襲”が来るかを自分たちに伝え、策を打つ。現段階で奇襲が奇襲として成立している以上、この戦いで琴が死ぬ事はないという事だ。

 そして恐らく、自分や景吾たちが死ぬ事も。

「ウウウウウウ……ッ!」

 野侍たちは唸ると、ぞろぞろと進み出て横一列に並んだ。さながら獣や妖のような声で、陰鬱に法唱(のりと)を唱え始める。

「行け、相手に先制を許すな!」

 辰彦は景吾と蔵人の背後に控えた兵たちに叫んだが、それは半ば自らを鼓舞する為でもあった。それを示すかのように、真っ先に一足飛びで端の方に居る一人の敵に肉薄する。

滄桑変(ソウソウヘン)!」

 濤割流の二段突き。手首に回転を掛けつつまず一突き、反対方向に捻じるようにして素早くそれを下方に抜き、やや斜め上の軌道で二回目の突きを放つ。

 速度に重きを置きながら貫甲の威力を持つ技だった。鳩尾(みぞおち)、心の臓を順に狙い、確実に仕留める事を目指す。やや動きが複雑な為技法の会得は一筋縄では行かないものの、辰彦の長年の修行の成果は伊達(だて)ではない。

 跳躍からの着地と(ほとん)ど同時、須臾(しゅゆ)の間に攻撃を受けた野侍は仰向けに倒れ、絶命した。敵もほぼ何をされたか分からなかっただろう。

 続いて野侍の制空圏に飛び込んだ仲間たちを振り返りながら次の敵に取り掛かろうとした時、辰彦の目に法唱の発動が飛び込んだ。

 景吾たちの踏み込みつつあった地面が、突如液状化したのだ。兵たちは突然出現した泥濘に驚愕の声を上げ、蹈鞴(たたら)を踏んでは足を取られて転倒した。

 うつけ者ども、と叱責しようとし、辰彦は言葉を呑んだ。

 黒い油のような水坑(みずたまり)の深さは、ほぼ地面と変わらないはずだった。しかし、そこに転がった兵たちは悲鳴を上げ、蟻地獄に嵌まり込んだかの如くずぶずぶと沈み込んでいく。暗くてはっきりと見えない分、その様は魔液に溶かされてゆくようにも見えて身の毛が弥立(よだ)った。

「おのれら……!」

 (かろ)うじて脹脛(ふくらはぎ)までで持ち堪えている景吾が、上体を震わせながら牙突の構えを形成していた。振り抜こうとする足が、消えゆく味方の体を踏み当てたらしくぴくりと躊躇うように動く。

 その足を、泥濘の中から掴んで引き抜く腕があった。

「景吾、わしを踏め……踏みつけて沈めても構わん、ここを脱して堕ち武者どもを屠れ!」

 蔵人だった。景吾は蛭の如き黒い半固形の油を顔に這わせた側配の姿を認めるや否や、くしゃりと顔を歪めた。「出来ぬ……!」

「やれ! 姫様をお守り出来るのは、ぬしだけぞ!」

「蔵人──」

 刹那、法唱の詠唱を終えた野侍たちが動いた。横から辰彦が彼らの仲間を斬り伏せている事など意に介さないように、正面から駿河の武士たちに吶喊する。

 泥濘は野侍たちの足を掬う事はせず、辰彦にはあたかも彼らが水面の上を歩いているように見えた。

 その襤褸(らんる)の群れが兵たちに殺到し、野太刀が突き込まれ──血飛沫(しぶき)が舞い散った。

「景吾殿! 蔵人殿!」

 辰彦は叫んだが、彼らは既に乱れ合う血や肉の中に混ざり、見えなくなってしまっていた。彼らの亡骸を踏み砕きながら、さもそこに何もないかの如き足取りで進む野侍たちの行く手には琴の姿があった。

 動く事が出来なかった。

 起こるはずのない事が目の前で起こり、辰彦から思考能力を奪った。

天颯疾風鎩(テンソウシップウサツ)!」

 凶刃が振るわれる──琴が微かに身を引く──右の(あばら)の下に、刀身が触れる。

 着物が綻ぶ──血が滲む──じわじわと着物が(あけ)に染まっていく。

 横方向に、彼女の肉体が引き斬られる──。

「させるかっ!!」

 大音声(おんじょう)と共に、辰彦は地を蹴っていた。

 呪によって出現した沼に踏み込む前に、目茶苦茶に刀を振るって堕ち武者たちを背後から切り刻む。不細工な動きだが、(なり)振り構ってはいられなかった。

 (なます)の如く肉や(はらわた)を撒き散らした敵の残骸を踏みつけ、跳ぶ。自分の瞬発力であれば追い着けるはずだった。

崩瀑陣(ホウバクジン)!」

 頭頂から、琴を斬りつつある野侍を両断した。脳漿を飛沫(しぶ)かせ、傾倒する敵の向こうに、初めて驚いたような表情を見せる琴の顔があった。まだ、自らに起こっている事すら認識出来ていないかのように苦悶の顔ではなかった。

「お琴、生き──」

()()!!」

 彼女が、突如絶叫した。

 同時に辰彦は、視界の端の方から異質な影の闖入を捉える。

「なっ……!?」

 沼を渡る際、斬り捨てたつもりで居た野侍だった。ばっさりと左腕を落とされ、胴にも無数の深手を負っているが、眼光はまだ炯々として飢えた獣のような戦意を宿していた。

 防御の構えは間に合わなかった。体側の方から辰彦の上体が真っ二つにされようとした時、琴が体を前に倒した。

 あたかも、辰彦を抱擁するかのような動きだった。

 こちらを庇うように腕を、そして体を回した彼女を、野侍の刀が襲った。

 袈裟斬りの刀軌は先程の横一文字と交わり、「〆」の字を刻み込んだかのようなその傷口から血が噴き出した。滝の如く自らに浴びせられたその血の温かな味に、辰彦は再び動けなくなった。

 彼女に一太刀を浴びせた野侍は、そこで限界が訪れたようにどうと倒れ伏した。

 辰彦は我に返り、自らに凭れ掛かる琴を支えながら屈み込んだ。

「姫様……姫様! 何故前に出られたのです!?」

 何故、彼女は斬られたのか。

 何故、自分がその様を観測しているのか。

 当然の如く生じたそれらの疑問たちを差し置き、口を突いていた問いはそのような事だった。口に出してから、辰彦は自らが取り乱している事、意識する事もなく彼女を「姫様」と呼んでいる事に気付いた。

(先程俺は、彼女を『お琴』と呼んでいた……)

 その事に気付いた事が、最も驚天動地に値するものだった。

「ひ……兵部。大事はありませんか……?」

 琴が、ぐったりとしながらも薄目を開けて辰彦に問うた。彼女もまた、今し方こちらを幼名で呼んだ事など忘れたように、自分に「兵部」と呼び掛けた。

 辰彦は、無我夢中で彼女をかき(いだ)いた。

「姫様、あなたは何故私の事などを問うのです? 主君が臣下を庇い、このような傷を負うなど……私は認めません、全く馬鹿げている!」

「有り得ません……か、兵部?」

 琴は弱々しくも()まう。

「うふふ……っ、あなた、やはり……主従関係の在るべき姿について、分かって……いませんね? ねえ、兵部……あなたは畢竟、私の家来。可愛い(しもべ)……あなたをどうしようと、私の勝手ですのよ。ええ……嫌ですわね、私ったら。これじゃあ、まるで暴君じゃありませんか……私には、私の財産である家来を……守る、自由がある……」

「そのような屁理屈、聞きとうはありません!」

 辰彦は激しく(かぶり)を振った。

 自分がそこまで必死になる理由が分からなかった。今まで、殺すのですら生(ぬる)いと思う程に恨み、憎んでいた相手だ。自分が幼い頃、彼女のせいで死罪を宣告された時も、彼女がここまで取り乱したとは思えない。

 琴は顫動する指先で、辰彦の頰に触れた。

「それじゃあ……屁理屈に聞こえぬよう、言いますわね……兵部。私、あなたの事……好きなんですもの。愛しています……のよ。愛に理屈は……不要、そうは……思わなくって……?」

「それは──」

 何の冗談か。辰彦は絶句する。

「伴侶とすべき男児(おのこ)として、ですか? それとも……一時(ひととき)の愛人として?」

「うふふ……自信家ですのね、あなたは。私の夫は……夫たちは、ちゃんと決まっているではありませんか……」

「姫様!」

 言葉が徐々に小さくなり、消えると同時に彼女はがくりと後方に頭を落とした。辰彦は最早信じられないという感情も、その根拠も忘れ、不死鳥が墜ちた事を悟っていた。

 呼吸の間も置かず──。

 ぐさり、と湿った音が(うなじ)で鳴った。途端に、頭に霞が掛かり出す。

 暗転していく意識の中、琴の顔が浮かんできた。彼女は今と同じく大人になった姿で──しかし、子供の頃のように笑顔だった。

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