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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)⑫


          *   *   *


 辰彦に対して剣術の稽古がつけられるようになったのは琴が迎えられて間もない頃だったが、初めて真剣を握ったのは六つの時だった。それが早いのか遅いのか、日出全土の事情を知らぬ限り一概には言えないが、自分としては唐突であったという感が否めない。

 刀の稽古を担ったのは、(もっぱ)ら国家老の采女であった。彼は辰彦、琴の曾祖父を祖父に持ち、陸姫の当主就任と同時に三十二の若さで国家老に抜擢された。(まつりごと)は無論の事、元来が武官である故武道にも長じていた。

 何故か女の方が受け継ぐ事の多い天読みの家系で、陸姫までの三代に渡って国政の中枢は女の当主が担ってきた。辰彦の父である陸姫の正配・祐雄(マサカツ)も妻の補佐に徹しており、辰彦自身が彼から長男として”教育”を受けた印象もそれ程ない。

 その父が、その日は采女を伴い、直接辰彦を連れて人気(ひとけ)のない入江に出ると宣言した。琴は最初、自分たちが潮干狩りに行くのだと思ったらしく一緒に行きたいと言い張り、辰彦の訓練だと説明されても尚同行を願い出て聞かなかったので、成り行きで陸姫と共に立ち会いを許された。

「貴様もそろそろ、(まこと)の刀合わせというものを知らねばならん」

 年明けから間もない頃、寒風の吹く砂浜でいきなりそう言った父は、長持から真剣を取り出して辰彦に渡してきた。長持を運んで来た小姓たちも中身については知らされていなかったらしく、驚いたように何度も六つになったばかりの辰彦と祐雄の間で視線を往復させた。

「どうした、辰彦? 早く抜かんか。わしが直接、濤割流に於ける木刀との感覚の違いを教えようというのだぞ」

「恐れながら、一の夫(ぎみ)

 采女が、普段と左程変わらぬ声の調子で容喙した。

「若様は昨年末、濤割流七つの型の会得に取り掛かったばかり。木刀ですらまだ覚束ないところがおありです。もう真剣での立ち会い稽古と申されるのは、若様の鍛錬を預かるこの采女、(いささ)か時期尚早ではないかと愚考致しまする」

「わしも真剣を振り回すのだ、何の不足があろう」

 祐雄は横目でじろりと采女を睨む。

「いえ、あなた様が如何に手心を加えられたとしても、鎧装を断つという駿河の濤割流、それを相殺し得る(すべ)を、未だ若様は身に着けられてはいないと申し上げているのでございます」

「しかし、基本は出来ているのであろう? 真剣に持ち替え、それで(かえ)って心の方が砕けるのであれば、そのような者は駿河武士に相応しくはない。誤りあって斬ってしまったとて惜しくはなかろう。元々、この者は法の継承から脱落した時点で、不利を負って侍の生涯を始めたのだ」

 手にした真剣の鋼の如き冷たい声で言う父に対し、小姓たちは面皮を引き攣らせ、母は何も言わず、琴が抗議の声を上げかけた。采女は下唇を噛み、次の言葉を探っているようだったが、辰彦自身は彼らのやり取りを黙って聴いているうちに段々腹が立ってきた。

 日頃、母や家臣たちと共に自分を白眼視するだけで、何一つ親として教えようともしない父にも怒りが込み上げたし、自分を刀の師として教え導く立場でありながら畢竟未熟者として侮っている采女にも苛立ちが募った。

 辰彦は刀を抜き放つと、祐雄に向かって構えた。

 ──父自身がこれを振るって良いと言ったのだ、(はな)からこちらが本気を出しても敵わないと思っているのだろうし、斬って怪我をさせてしまっても全て彼の自業自得という事だ。

「采女殿、下がっていては下さらんか」

「若様……」

「辰彦、参る! いざ尋常に!」

「審判は不要じゃ、采女。来い、辰彦よ!」

 父は袖をばさりと振って彼を下がらせると、刀を中段に構えた。辰彦も同じ構えを取り、一の型を以て正面から懐に飛び込んで行く。

止水閃(シスイセン)!」

「怖気づいて出し惜しみするな! 青海波(セイガイハ)!」

 直前で父は構えを下段に変え──そちらの方が、自分より背の低い辰彦が正面で水平方向に放った斬撃は防ぎやすい──、掬い上げるように(やいば)を振るった。こちらの型は三連撃の最初の一撃で打ち消され、残り二連がぎりぎりの間合いで辰彦の帯を撫で斬った。

 帯がだらりと落ちた時、辰彦は前をはだけ、腰を抜かして砂の上に膝を突いてしまった。戦意は、それだけで喪失してしまっていた。

「向こう見ずに攻め入ろうとするから、こういう事になるのだ。今度はわしから参るぞ、立って構え直せ」

 祐雄は冷徹に言い、軽く素振りをする。

 胸の底で熱く、閊えるような塊が生じた時、辰彦は喉から涙が込み上げるような気がした。

 それは恐ろしさからではなく、慙恚(ざんい)の為だった。母と琴の見ている前で辱められたという思いが、今まで半ば不条理を諦容していると思っていたのが全くの的外れな幻想であったと感じる程の情動となって押し寄せた。

 自分でも理解出来ない程大きな、あたかも海嘯(かいしょう)のような思いだった。

「あんたたちは俺を何だと思ってんだよ!!」

 教わった覚えのない言葉遣いが、喉の奥から迸った。辰彦は刀を杖代わりにして立ち上がると、それを持ったまま(まろ)ぶような足取りで防風林の方へと駆け出し、一目散に逃げた。

 誰も何も言わず、追っても来なかった。それが、所詮は喚き散らすだけの子供だと侮られているようで余計に腹立たしかった。

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