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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)⑦

「景吾さん、巍城さん!」

「貴様、さては呪者か!」

 ようやく真実を言い当てた侍が、背後から剣風を吹かせる。(うなじ)に冷たいものが走り、首筋を斬られたのが分かったが、その時には既に(たま)抜けした僕の体を背負った巍城さんが手前五(けん)程の場所まで迫って来ていた。

 首を斬られた侍が息絶えると共に、僕は元の体に戻った。背負った僕がぴくりと動いたのを素早く察したらしく、巍城さんが立ち止まる。地面に下ろして貰うと、僕は自らの感覚を取り戻しつつ「ありがとうございました」と言った。

「首尾は?」巍城さん──きびきびと。僕は短く(いら)える。「成功です」

「それは重畳」応じたのは景吾さんだった。「琴姫様や勝呂殿は、どれくらいで沖から到達出来そうですか? 連絡は?」

「しゅ……いえ、神子様とお胡尹が。こちらには報されていません」

「承知。では、我々でやれる限りの事は」

 景吾さんが肯くと、巍城さんが殺到しつつある敵兵たちに(てのひら)を向け、法を発動した。閃光と共に彼らが血煙となって()ぜ、玩具の如く蹴散らされる。

 陣に突入する頃には、火は砦全体に広がっていた。草水の燃えた火が更に草水に引火する事で、火勢は刻一刻と強まっていく。あちこちで消し炭となり原形を留めない志摩兵たちの亡骸が目に入り、僕は段々不安になった。

 火点け役となった俊輔とお胡尹は、無事だろうか?

 僕は大声で彼らの名を呼びたい衝動に駆られたが、それをぐっと堪えた。今の僕は自らの肉体、敵兵に取り囲まれてしまえば先程のような戦法は採れない。その上、もし声が届けば彼らを不必要に焦らせる事となり、燃料の撒き散らされた火事場で冷静さを失わせる事にも繋がりかねない。

 と、その時だった。

 炎の向こうにぼんやりと輪郭を浮かべる防塁の方から、ドボーンッ! という水音が響いてきた。水中に何か巨大なものが投げ込まれたらしい、と思うや否や、続いてもう一発。それと同時に、僕はその正体を見た。

 この「夢遥かの世界」に潜行してすぐに立ち会った海戦で、伊勢・志摩連合が使用していた投石台の石。それが、海の向こうからこの砦に向かって次々と投げ込まれている。僕はすぐに、その攻撃を仕掛けているのが兵部さんの法──運動の向きと力を反転させる「累合せ」だという事に思い至った。

 火点けから四半刻も経たないうちに、俊輔たちから矢文を受け取った彼らが沿岸に到達した。ここからでは炎の熱や煙で直視出来ないが、既に志摩の船団は壊滅状態に在るのだろう。

 押し潰される防塁や見張り(やぐら)の向こうで、侍たちの乱舞する様が見えた。彼らは海から迫り来る駿河軍、陸で燃え盛る炎から逃れようと、我先に砦を出んとこちらに走って来ている。無論ここに居る僕を特に狙っている訳ではないだろうが、僕が進んでいるのは炎が及んでいない──通路であり、燃えるものがないので延焼する事がない──数少ない道だ。

 まるで虐殺だ、という感想が浮かびかけ、僕は慌ててそれを振り払う。僕とてこの先に進まねばならないのだ、と思い直し、高見の峠で拾った野侍の刀を抜く。駆けて来る志摩兵たちを迎え撃とうとした時、

「怯むな、兵ども!」

 大音声(おんじょう)が、ぼうぼうという火風の音を縫って耳を打った。

 崩壊した防塁の上で、大袖の付いた黒韋威(くろかわおどし)の武者が喝声を放っていた。逃走しかけていた兵たちは一様に足を止め、そちらを振り返る。

「わ、若様……」

「死守せよ! 伊勢からの援軍も間もなく到着する、このような卑劣なる侵略者の奸計に屈するとは、武士としての恥だとは思わぬか!」

(相良家長男、峯員──臨海軍大将)

 僕が身構えると同時に、煙の壁の中に無数の人影が現れる。

「相良峯員、覚悟!」

「兵部さん!」

 僕は再び駆け出し、海の方を見ている兵たちを薙ぎ倒した。

 接近するに連れ、段々と影たちの姿がはっきりと見えるようになってくる。峯員に躍り掛かった人物は兵部さん本人、見覚えのある黒緋(くろあけ)色の陣羽織の下に、刺々しく鋲の打たれた鎧を着けている。

 彼に続き、上陸してきた駿河の兵たちが砦に雪崩(なだ)れ込んで来た。

猪口才(ちょこざい)な!」

濤割(トウカツ)流刀術……雫紋通鐵(ダモントウテツ)!」

 兵部さんの刀が、上段から月の弧を描くように筆立て日時計の向きに回った。淡水色を帯びた刀身の軌道が、時折減速したかの如く残像を現す。水面(みなも)に落ちた雨粒のような波紋の光果が散り、それが完全に円月を描き切ると共に峯員は背中から吹き飛ばされた。

 その口から、溺れてでもいるかのように泡が噴き出す。兵部さんはすぐさま新たな型を形成し、無防備な彼の喉元に(やいば)を振り下ろそうとしたが、

鬼神殿(キシンデン)!」

 峯員もさる者だった。倒れた状態のまま、「×」型と縦斬りの連撃を繰り出し、兵部さんの刀を弾く。生じた一瞬の隙に膝の撥条(ばね)だけを使って立ち上がり、具足を穿いているとは思えない程の柔軟さを発揮して地面と体を水平に──膝を直角近く折って空中に寝そべるような姿勢となる。

階落肆連剋(カイラクシレンコク)!」

青海波(セイガイハ)!」

 前者──峯員──上段四連撃。

 後者──兵部さん──下段から、波を描くような三連撃。

 掬い上げるような動きで三度剣戟を響かせると、兵部さんは素早く横方向に体を捌いた。峯員が最後の一撃を振り下ろしている隙を突き、彼の背と地面の間に低く下げた膝を滑り込ませる。

「そのような軽業(かるわざ)じみた仕草!」

 蹴り上げる。峯員の口から潰れたような音が零れ、背が決して自然には曲がらない方向にくの字に折れた。

 詰まったものを吐き出すように喘鳴を発しながら、横ざまに転がった峯員は怨嗟の滲む眼差しで兵部さんを見た。掠れ声で呪詛が紡ぎ出される。

「この……駿河の海坊主めが!」

()かせ」

 兵部さんは一言で切り捨てると、峯員の大袖の隙間から刀をずぶりと刺した。峯員が苦悶の喘ぎを上げると、反対側の腕、両足、胴と草摺(くさずり)の間など、穴という穴に目にも留まらぬ速度で同様の刺突を行う。

「惨めなものよのう。峯員殿、其方(そなた)は自らを戦の(かなめ)だなどと心得違いをしていたのではあるまいか?」

 ぎらぎらと照る炎に、浮かび上がる兵部さんの表情は獰猛だった。最初の海戦で味方の窮地に駆けつけた時のような厳かな様子はなく、微かに嗤笑を浮かべているようにすら見える。あたかも、峯員の命を手中に握っているという現在の状況を、愉しんでいるかのように。

 僕の胸裏に、複数の記憶が去来する。

 最初に琴姫様と話した時、彼女が兵部さんを評して言った言葉──この「夢遥かの世界」に反映された、彼自身が自らに無意識のうちに下している評価。

 ──兵たちの前では厳しいながらも優しく、有り(てい)に言えば誇り高く節度ある武士道の(かがみ)、のような男児(おのこ)なのですけれども。けれど実際には冷酷にして苛烈、私と二人きりになると暴力的な本性を露わにしますのよ。

 片や、僕が彼に心渡りを試みた際、触れたどす黒い心象。(うつつ)での(しがらみ)を忘却しても尚消えない、魂に刻み込まれた褥瘡(じょくそう)。ありとあらゆる負の感情を、皮一枚で体内に押し留めているかの如き状態──相応しい言葉があるとすれば、さしずめ「病棲(やす)み」とでも言うのだろうか。

 兵部さんは屈み込むと、峯員の体から鎧を剝ぎ取った。露わになった皮膚を、刀の先ですっと切る。峯員は歯をがちがちと震わせ、火影の中で透き通る程顔を青褪めさせているが、四肢をひくつかせるだけで動かない。兵部さんは最初に鎧の隙間を突いた際、腱を残さず切断したようだった。

「聞きたい事がある。鳥羽の城の、兵の総数と配置を」

 彼は傍の火溜まりで刀を熱すると、それを峯員の刺し傷の中へ突っ込んだ。人体の焼ける異臭が煙と共に立ち昇り、相良家御曹司は絶叫する。兵部さんは、今度はその開かれた口の中に焼けた炭の塊を押し込んだ。

「吐くならば肯け、これを抜いてやろう。吐かぬというならば、その喉がある意味は最早なかろう。焼き潰してくれる」

 ──やりすぎだ。

 僕は、得も言われぬ鈍痛を鳩尾(みぞおち)に生じた。それこそ焼け石でも呑まされたかのように、強烈な……錯誤感が襲い掛かるのを感じる。

 武士道が、理法を修める過程で叩き込まれる程綺麗なものでない事は、これまでの冒険で散々思い知ってきた。家の存続の為に、個人の心が(ないがし)ろにされる事。刀は人を殺める道具に他ならないという事。

 それでも、最低限武士として──否、人間として捨ててはならない矜持までも、彼はその行いによって自ら貶めようとしているように僕には思えた。

 嬲るように峯員の月代(さかやき)を剣先で叩く兵部さんに、僕は叫びながら駆け寄る。

「もうおやめ下さい、兵部さん!」

 が、転瞬、

「外道の海坊主!」

 防塁を圧し潰した巨石の影から、(かろ)うじて生き残った志摩兵たちが姿を現した。兵部さんはちっと鋭く舌打ちし、峯員の頭部に当てていた刀をそのまま押し込む。脳を貫かれた峯員は、たちまち全身の痙攣を止めた。

「志摩の者どもに告ぐ!」兵部さんは、襲い掛かって来た一兵の首を刎ね飛ばしながら叫ぶ。「我、駿河国客将勝呂兵部、相良峯員の首討ち取ったり! 其方(そなた)らの大将は没した! 勝敗は決した、潔く我らが軍門に下れ!」

「我ら志鳥の徒、未だ死せず!」

 志摩兵たちは止まる事がなかった。四方から一斉に兵部さんに襲い掛かり、次々と斬撃を浴びせ始める。兵部さんは毒()きながらもそれらを刀一振りで捌き、軽いものは鎧で受け、獅子奮迅の勢いで健闘する。

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