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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)⑥


          *   *   *


 志摩軍、相良峯員の砦は、海を覆い隠すかのように海岸線に沿って脈々と築かれていた。海に面して防塁を築き、陸側からの防備(まもり)は柵や板塀で最低限敵の侵入を防ぐだけに留められているのは、水軍に多くの兵力が割かれた駿河の侵攻に対して、とにかく上陸だけは阻止するのだという意図の表れかもしれない。

 陸路(くがじ)を進む間、高見以東の志摩領内に大規模な陣は見られなかった。それにも拘わらず海岸の守りのみが堅牢で、短期間で築いたとは俄かに信じ難い程規模が大きいのは、恐らく彼らは駿河・遠江連合の出師(すいし)を知ってから彼らが出し得る力を全てこの建設に注ぎ込んだ為だろう。そして天照道は、海役(かいえき)に於ける両陣営の均衡を保つかの如く彼らに草水を与えた──。

「勝呂殿が累合(かさねあわ)せの法を行使された時、敵の船がたちどころに燃え上がった事からして、草水は何隻もの船に一杯に積載出来る程の量があの砦にはあるのだろう。あの凄まじい可燃性を考えれば、一度何処かしらに火を点ければたちまち貯蔵されている分全てに飛び火し、炎上するに相違ない」

 予定通り日没までに偵察を終えると、景吾さんがそう言った。

 作戦では、海戦は夜間でも継続される事になっていた。駿河軍、遠江軍が交互に波状攻撃を以て砦に接近し、船を沈める。砦の人員はそれが続く間臨戦態勢を続行、海上への警戒と増援派遣の用意を強いられる。

 それはまた、陸側への警戒が薄れるという事でもあった。峯員は背後を取っている敵が居ない──僕たちを除いて、という意味だが──事から、城からの補給だけは存分に受けられると考えている。海戦が終日(ひもすがら)終夜(よもすがら)継続されればそれだけ彼らには長引きそうだという印象を与える事が出来、内陸からの兵糧や武器の補給は強度を上げる事となる。

 まず僕が、補給の為に砦に戻る志摩兵の一人に心渡りを行い、その人物になり代わった。そのまま、物資の輸送に使われた荷車に俊輔、お胡尹を隠す。

 火点けと同時に、こちらで信号を上げる事になっていた。本来の作戦ではそれを合図に隠密行動班、別動隊約五十が内陸から攻め、陸海から峯員を挟撃する事になっていたが、こちらが総勢九名となった以上その策はもう採れない。

 景吾さんたちは、僕たち三人の侵入と同時に行動を開始する事になった。火点けの前に、僕が陸側を守る兵たちに心渡りし、彼らを砦に導き入れる。この際僕が心渡りした志摩兵の身柄をどうするのかは「委ねる」と言われた。

「守備位置から遠ざけるのでも、”自害”して抹殺するのでも。その時に応じて、鶴来殿の最良と思う方法をお採り頂ければ結構です」

 俊輔はこれに関して、僕にどのような口出しもしなかった。しかし僕は、僕がどのような選択をしても彼は咎める気を起こさないだろうと思った。

鳥羽(とば)の御城からの補給です」

「ご苦労」

 補給の為の人員はあらかじめ決まっているようで、心渡りをした僕が荷車と共に接近すると、顔をよく見せての短いやり取りの後、すぐに砦の中に招き入れられた。要請通りの品か再確認する、と言われ、担当の兵と共に荷置き場に移動する。

 草水は揮発する油らしく、兵糧や塩の樽が置かれたそこにそれらしい容れ物は見られなかった。口に入るものに臭いや毒性の成分が付着するといけない、という判断らしいが、僕は(いささ)か失望せざるを得なかった。

 荷台で覆いを縛っていた縄を短刀で切りながら、僕は内心で、自分が肉体を使っている志摩の侍に「ごめんなさい」と謝る。

 僕たちが相手にしているのは、幻月や天照道の呪者ではないのだ。国と、その領主に仕える職業としての侍。戦場に於ける役割として、今は駿河や遠江と敵対せねばならない者たち。

 そして僕たちは、成り行き上駿河軍と行動を共にしているのであり、殊更(ことさら)に彼らの戦勝の為に助力している訳ではない。

 ──それでも、否、だからこそ。

(許しを乞うつもりは、ありません)

 互いの職務を遂行する為、命のやり取りをする事を暗黙のうちに許可し合った者たち。それが、武士であるという事だ。

 僕はぎゅっと目を瞑ると、担当の兵を振り返った。目を合わせつつ、縄を切っていた短刀を逆手に振り被り、自らの首筋に突き刺す。痛みが襲って来る前に相手に向かって心渡りを発動、ぎょっとしたような表情になる兵の内側に精神を移動させる。その体を完全に掌握すると、今まで体を使っていた兵の頸動脈から迸った血液の打ちつけた荷台から覆いを取り除いた。

 荷台から俊輔とお胡尹が這い出す。お胡尹は倒れ伏す血塗れの補給兵を見て口元を押さえたが、結局その口を開く事はなかった。俊輔は素早く視線を彼から外し、何事もないかのように「で」と言葉を発する。

「次はどうする?」

「二人で草水の保管場所を探して、火点けを頼む。僕は景吾さんたちが入って来られるように、陸側で見張りをしている兵たちを……()()()する。大丈夫、心渡りがあればそう難しくはないから」

「確かに……そうだろうな」

 俊輔は呟いてから、「なあ」と言ってきたが、僕は手を挙げて制した。

「いい、俊輔。分かっているから何も言わないで」

 大丈夫か、と彼が聞いてこようとしている事はすぐに察したので、僕はそれを彼に言わせなかった。蔵人さんの一件を僕がどうしても引き摺らずにはいられないのは事実だが、それを殊更(ことさら)に、僕が以降自分の手で殺める全ての命に布衍して扱われるのはごめんだ。

 鬱陶しいのではない。これ以上の迷いを、自らの中に生じさせたくないのだ。

 彼は「分かった」と言い、それ以上を口にはしなかった。

「兵部殿らに矢文(やぶみ)を出す。予定がかなり前倒しになった事は事実だからな。信号を上げれば内陸の伊勢軍までを呼んでしまうかもしれない、(ここ)から火の手が上がったらすぐに強襲するよう伝達しよう」

「弥四郎君にも連絡(つなぎ)をつけなきゃ」お胡尹が付け加える。

 僕は肯くと、二人に「頼んだよ」と言って荷場から駆け出した。

 砦の中を歩く事は、そう難しそうではなかった。峯員を始め、ここに詰めている多くの志摩軍は海岸で待機しており、天幕のあるこちらには時折交替で兵が休みに来るだけで出歩いている者の姿は(ほとん)ど見られない。

 防塁で弓や補給用の草水と共に臨戦態勢を維持している兵たちは、相当に気を張り詰めているらしく静まり返っていた。時折ドロドロと(こだま)するのは伊勢ノ湾の遠鳴りか、或いは草水によって炎上する船の音か──。

「おい、そこ」

 丁度交替の時分となったらしく、装備を整えて天幕から出てきた侍が、僕が体を使っている者を認めるなり言ってきた。

「勝手に持ち場を離れるな」

「拙者は陸側の警護に当たっていた者だ」僕は緊張を呑み込み、声色を作る。「小用を足しに行っただけじゃ」

「……手前の身の管理くらい、手前でせぬか」

 侍は捨て台詞を残し、さっさと持ち場の方へ行く。僕はほっとし、先程荷車を牽いて進んだ経路を引き返す。

 最初にこの兵が立っていた位置まで戻ると、僕は等間隔に柵の後ろに並ぶ見張りたちに倣い、内陸に視線を向けたままじっと控えた。こちらからでは見えないが、荒磯に降りる斜面の岩陰で、景吾さんたちは志摩軍に動きが見られるのをじっと観察し続けているはずだ。

 僕は、俊輔たちが火の手を上げるのを待った。僕から先に動いては、待機中の志摩兵たちを呼び寄せ、二人の隠密行動を阻害する事になりかねない。(はや)る気持ちを宥めつつ、上手く行けと何度も心の中で念じた。

 体感では、一刻近くもそうしていたような気がする。

 ()れの汗が流れ始めた頃、俄かに背後が騒がしくなった。息を殺し、耳を(そばだ)てていると、

「火事だ! 各々(おのおの)、出会え! 出会えーっ!」

 番木を打ち鳴らす音と共に、その声がはっきりと耳に届いた。

 ──来た。

 後方で、徐々に大きくなる叫喚の中、微かに爆発音らしき音が轟いた。伊勢ノ湾で見た時と同様、草水は燃焼の速度が極めて速いらしい。これを少量ずつ炊事に使用すれば、(たきぎ)を使うより遥かに効率的なのに、という思いが()ぎったが、すぐに「余計な事を考えている場合ではない」と自らを戒める。

 炎の明かりがぼんやりとこちらを照らし始めた時、僕は隣で見張りをする侍の肩を軽く叩いた。

「何用だ?」

 その侍がこちらを向いた瞬間、

「……ふっ!」

 気合いを込め、居合抜きにその胸板を掻き斬る。とうに月の昇った夜闇の中、並んだ見張りたちは彼が何故急に倒れ伏したのか咄嗟に分からないようだったが、陣内の異変に気付いていた者たちはすぐに周囲を見回し、僕を──僕の引っ提げた血刀を捉えて絶叫した。

「うわああああっ!」「おのれ、乱心したか!」

 近くに居た数人が、抜刀しつつ僕へと殺到する。僕は刀を上段に構え、敢えて胴に隙を作って攻撃を(いざな)う。

 僕が使っている侍の体に、一斉に斬撃や突きが浴びせられた。しかしその時には既に、僕は眼前の侍の瞳を目捉している。

(来い、心象!)

 痛みは刹那だった。狙いを付けた相手に精神を移し、視界が安定するや否やとうに息絶えた侍から刀を抜き、体を捻るように四方を薙ぎ払う。

 得物(えもの)を握った志摩兵たちの指や腕が、掻き出された落ち葉の如く散った。血や肉片が闇に飛沫(しぶ)き、次第に明るくなる光焔にぎらぎらと反射する。僕は心を鬼にし、一人一人を斬り伏せ、自害しては変わり身──相手方から見れば──を繰り返した。志摩兵たちは、連鎖的に同士討ちを行っては自害する仲間に混乱を大きくするばかりだったが、やがて中の一人が堪えきれなくなったように意味不明な喚き声を上げ、隣に居た侍の延髄に牙突を繰り出した。

 その侍の頭が砕かれたのが濫觴(らんしょう)だった。見張りの兵たちは互いに疑心暗鬼に駆られたらしく、たちまち凄惨な斬り合いを始める。

 その様子を認めたのか、岩場の隠れ場所から景吾さんたちが姿を現した。

「突入せよ!」

「敵襲か、このような時に!?  ……いや」

 一人の侍がぎょっとしたように彼らを見、また背後の火事場を振り返る。僕はその背から刺突で心の臓を貫き、柵を押し倒して景吾さんたちの方に向かい始めた。

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