表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢遥か  作者: 藍原センシ
49/168

『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)⑤

「景吾殿。蔵人殿をお下げ下さい! 彼は最早戦えません!」

「馬鹿者、余計な事を──」

 叫んだ兵に向かって、蔵人さんが慌てたように止めに入る。しかし、彼の言葉は途中で断絶した。

 彼と行動を共にしていた手負いの兵たちを屠り去ると、三人の幻月が一斉に刀を突き出して彼に突進を掛けたのだ。その先端は、血を排出し続ける彼の鎧の穴から正確に突き込まれ、その肉体を貫いた──ようだった。

「蔵人さんっ!」

 気が付いた時には、僕は抜刀して飛び出していた。先の百鬼との戦いで刀身が折れている事も失念しており、いざ抜いてもその速度によって生じた残像、銀光を見紛い咄嗟に気付く事が出来なかった。

 それ程に、僕は我を忘れていた。

 蔵人さんを刺し貫いた野侍たちが、手首を捻る。傷口を穿つように差し込まれた野太刀の刀身を伝い、闇紫色の流体が彼に注ぎ込まれる。それは彼の体の輪郭を(ふち)取るように流れ、蔵人さんは歪んだ絶叫を上げ始めた。

「やめろーっ!」

「鶴来!」「鶴来殿、危険です! お下がり下さい!」

 俊輔、景吾さんが同時に声を上げ、

「ウウウウアアアアアッ!!」

 こちらの声に反応したのか、近くの野侍たちが(けだもの)の声と共に僕に向かって迫って来る。僕は先手を取って彼らの刃渡りの内側まで入り込むと、

「どけえええっ!」

 折れた刀を、(あばら)の隙間を通すように振るった。敵の心の臓が押され、変形して破れ、刀身に絡み付いては断ち切られて血管の繊維諸共反対側に引き出される。噎せ返るような血臭を肺一杯に吸いながらも、僕は止まらない。

 視界の先で、蔵人さんが異形に変わりつつあった。(さわり)にも似た黒い気を纏い、双眸が幻月のそれの如く燐光を放ち始める。食い縛るように両の口角を歪め、歯息を漏らすと同時に、冬場の馬の(いなな)きのように白濁した気体が生じる。喉奥から絞り出された声が、猛獣の唸りを帯び始めていた。

 僕が彼の元へ到達し、群がっていた三人の敵の首筋を刎ね斬った時、入れ替わるように蔵人さん自身が前に出てきた。

「ウアッ!」

 振り被られる刀──零れ落ちる黒煙の粒子。重量──薙刀(なぎなた)以上。

 折れた刀では無理があった。元々根元まで血を吸って脆くなっていた僕の武器は鍔ごと砕け、痺れるような痛みが拳を襲う。指が切り落とされる前、極限状態に在って初めて叶うような反射が僕を動かした。

 僕は咄嗟に刀の残骸を捨て、右手を引くと、こちらの肩口から腕を切断せんばかりに迫った蔵人さんの刀身との間に──素早く次の刀を滑り込ませた。

 血刀、今し方倒した野侍の傍らに落ちていたもの。足先で柄を踏み、回転させながら跳ね上げて左手で掴み、防御に使用した。今、僕の左腕関節は全て「乙」の字を描くように曲げられ、非常に不安定な姿勢となっていた。

 僕は握り手に右手を添え、守りに徹しつつ蔵人さんに呼び掛けた。

「しっかりして下さい、蔵人さん! ……俊輔!」

 顔を振り向け、俊輔の方を見る。

「呪で祓う事は出来ないの!?」

「難しい……かな」彼は、呪符で幻月を封じながらこちらに追い着こうと奮闘を続けていた。「彼が何をされたのか、俺もよく分からない」

「鶴来殿、神子様! ……蔵人!」

 景吾さんが、俊輔が動きを止めていた野侍を斬り伏せて駆け寄って来た。

 蔵人さんは更に腕に力を込め、僕は限界が来て跳ね飛ばされる。景吾さんのすぐ後ろ、短い下草の地面に(したた)かに体側を打ちつけられて熱い呼気が零れた。受け身を取る事は間に合わなかった。

「景吾さん、危険で──」

「蔵人、しっかりせい! わしが分からんのか!?」

 僕を遮るように景吾さんが訴え掛けた時、蔵人さんの眼光が微かに揺らいだ。

「け、景吾……」

「ああ、まだ意識は消えてはいないか。蔵人、そのまま抑え込め! 堕ち武者の呪などに屈するぬしではなかろう!」

 懸命に呼び掛ける彼に、蔵人さんは口元を微かに戦慄(わなな)かせる。

「手遅れだ……景吾。わしを……斬れ……!」

「な……何を申すか!」

 景吾さんは声を上擦らせる。

「そのような事、わしに出来ると思うか!」

「早うせい! このままではわしは、ぬしらを皆殺しにしてしまう……わしに少しでも正気が残っているうちに、頼む!」

 蔵人さんは言ってから、(おもむ)ろに泣き笑いの表情を浮かべ、「なあ」と言った。

「景吾……ぬしとは、二十歳(はたとせ)に渡って友であった。琴姫様がわしらを二人の夫に……同志として迎え入れるよう、巍城殿に神託を仕組ませた理由(わけ)が分かるか。わしらであれば、互いを(よすが)に……たとえ昏き疑惑の念をどちらかが抱こうとも、その時は片方が同じ道へ正してくれるだろうと……そう、信じなされた為よ。景吾……これからはわしの分まで、姫様を補佐し……」

「蔵人……っ」

「早う! 介錯なら、ぬしの手に委ねたい!」

 血を吐くような彼の叫びに、景吾さんは愛刀の柄をぎゅっと握り締めた。

 肩を震わせ、覚悟を決めたように絞り出す。「……相分かった」

「─────!!」

 僕は、懸命に身を起こそうと試みる。

 景吾さんが介錯の作法のように、両手で顔の横に刀を振り被った時、俊輔が僕のすぐ横に滑り込んで来た。

「大丈夫か?」

「俊輔、景吾さんを止めてくれ!」

 彼に上体を支えられながら、僕は訴える。視界の片隅で、お胡尹と巍城さんが法を使って幻月と攻防を繰り広げる様がちらちらと()ぎる。

「駄目だ、鶴来」俊輔──毅然として。

「だって!」僕は叫んだ。「あのままじゃ蔵人さんが死んでしまうだろう!」

「冷静になれ! 彼自身、今言った通りだ。俺には彼の妖憑(あやがか)りを祓う事は出来ない、彼をこのまま放置すれば最悪俺たち全滅も免れん」

 俊輔は、厳しい声音で窘めてくる。僕は自分で景吾さんを止めるべく、(まろ)ぶように前に出ようとしたが、即座に俊輔に腰を抱えられた。「駄目だ!」

「放してよ!」

「考えろ!」彼は僕の頭を鷲掴みにし、声を小さくした。「忘れたのか? あの榛名蔵人は『夢遥かの世界』の産物、勝呂兵部の作り出した夢幻(ゆめまぼろし)だ。夢惣備(むすび)(つつが)なき完遂と、どちらを優先すべきだ?」

「……本気で言っているの、俊輔?」

「当たり前だ。嫌ならこう考えるんだ」

 彼の厳徹な声が、そこでやや感情を孕んだ。

「せめて彼を……友の手で逝かせてやれ」

「俊輔──」

 刹那、ザシュッ! という斬撃の音が鼓膜を打った。

 蔵人さんが倒れ伏す。その体から、立ち昇っていた闇の気がふっと立ち消えた。

 景吾さんは刀を地面に刺し、蔵人さんの傍らに跪くと、その体を仰向けて短く黙祷した。僕は胸が潰れたようになりながら、彼の唇が情動を堪えるかのように痙攣しているのを見た。

 彼は立ち上がると、一同に叫んだ。

「撤退する! 敵に背を向けず、緩らかに距離を取れ! 巍城殿、阿修羅を」

「承知!」

 すぐさま巍城さんが応じ、お胡尹を後ろ手に庇いつつ地面を指差した。

 その手が刹那、上体程の大きさに膨れ上がったのが見え、たちまち一切の景色が閃光と衝撃に上書きされた。爆発が起こり、引き捲られた土や砂利が舞い上がって濛々(もうもう)と一帯を覆い隠す。

 僕は俊輔の腕を胴に回され、支えられたまま、退()いて行く兵たちの中に加わる事となった。


          *   *   *


 樹海に身を隠す頃には、とうに(あけぼの)を過ぎていた。

 ようやく幻月の目を逃れて身を落ち着け、改めて傷の手当てを行う隠密行動班の生き残りたちを、僕は順に見回す。木に背中を凭せ掛け、下って来た山の方を油断なく見張る俊輔、お胡尹。地図を広げ、これからの道程(みちのり)を再確認している景吾さん、巍城さん。あとは兵が──四人。

 出発当初、五十人以上居た僕たちの現在の総数は、たった九人となっていた。それも、伊勢、志摩の侍と交戦したのではなく、堕ち武者の襲撃によって。

 僕は、駿河軍でない僕たち三人だけが(ほとん)ど無傷に近い状態を保っている事に、若干のいたたまれなさを感じていた。俊輔はそれを敏感に察してか、僕を支えて歩く間時折無言で(かぶり)を振った。

 彼は(たいら)からの撤退の後、一言も口を利かなかった。僕が、彼が蔵人さんの今際(いまわ)に際して口にした事で彼を見る目が変化したのではないか、と彼の方が気にしているようにも感じられた。彼のあの時の判断をもっともだと思う一方、彼の冷徹な一面をまざまざと見せつけられたという気持ちが拭えない僕に対して、彼の方で顔色を窺うような態度が僕は気に入らなかった。

 ──割り切れ。戦いとは畢竟、そのようなものだ。

 僕は堅塩たちと遭遇する直前に、俊輔から自分自身について指摘された事を思い出した。知らない相手であっても他者の悲哀や苦しみを感じやすすぎる繊細さと、敵と定めた相手を一切の躊躇なく斬り捨てる容赦のなさという二面の乖離。それに説明のつけられない僕が、極めて現実を見ようとするが故の俊輔の冷徹さに容喙する資格などないのかもしれない、とも思った。

「……このまま特段の異状が発生しなければ」

 巍城さんとの話を終えた景吾さんが、柏手を打って皆を注目させた。

「正午を回る頃には相良峯員の砦に辿り着く。周辺の哨戒と砦への潜入経路の確保に時間を割く事になり、奇襲の決行は今夜から明日にかけてとなるだろう。当初の予定よりも半日以上時間を短縮出来た事は喜ぶべきだ。無茶な行軍であったにも拘わらずここまで生き延びてくれた事に、まず感謝する」

 景吾さんの労いの言葉に、兵たちは無言で目を伏せる。景吾さん自身も、それが慰めにはならない事を自覚はしているらしく、すぐに言葉を続けた。

「同時に、命を散らせた同志たちに哀悼を捧げよう。彼らの働きなくして、我々はここまで辿り着く事は不可能だったのだから」

「黙祷」

 巍城さんが皆に言い、兵たちは目を閉じた。僕、俊輔、お胡尹も彼らに倣って瞑目する。

 ──僕がこの世界で”敵”を斬る事について、彼らが夢の産物だからといって命の重みを伴わない事が許されないのなら。

 ──この世界で死んでいった蔵人さんたちについても、それはまた悼むべき人の死であり、僕たちが感じるべき命の重みなのだ。

 心から彼らの冥福を祈りながら、僕は俊輔が同じように思っていてくれたらいいと考えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ