『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)④
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地下道を歩いていたはずが、いつの間にか峡谷に出ていた。
進むに連れ、月光の差し込む天井の割れ目は次第に出現の間隔を狭め、その大きさも徐々に大きなものへと変化していった。しまいには、岩窟の両側壁だったものが幾重にも重なった屛風岩となり、その境目も溶け合って山肌を形成するようになる。気付いた頃には、僕たちは谷間の道に出、断崖絶壁の麓を列を成すようにして行進していた。
幻術に惑わされたような表情になる僕とお胡尹に、俊輔が囁いてきた。
「高見の峠は高低差が著しいからな。まあ、すぐ内陸にある紀伊の尾根と繋がっている事を考えれば、畿内、近畿に居たお前たちにも納得が行くと思う。何処かの山で地下に入っても、真っ直ぐ突っ切れば別の低山の上、そんな事もある」
「道が間違っていないならいいんだけど」
お胡尹は、顎を微かに上向ける。
「私たち、崖の上から丸見えだねー。志摩軍の目から隠れる為に、地下を歩く道を採ったのに」
「ここを通るには、地下を使わないなら山越えをするしかない。俺たちがわざわざ内陸の迂回路を、しかも夜の山なんていう危険の多い進路を選ぶとは、敵側も考えないんじゃないか? それにこの時間帯、疑いを持って確かめようとしたら彼らも夜間の山越えをする事になる」
「だからこそ、こっちは夜を徹して峠を抜けなきゃならないのか……」
「ほら、もうすぐだぞ」
僕の独白に対し、俊輔は前を行く景吾さんの横から前方を指差した。
道幅が広くなると同時に、右手側の山肌が途切れた。以降は切り立った崖で、眼下に針葉樹の樹海が広がっている。今まで見えていた山は、この位置からでは猿の如く壁を伝わないと移動出来ない斜面にぽつぽつと植物の群生を見せ、それが下るに連れて徐々に増え、山肌を覆い尽くす程になった辺りでその樹海と合流しているようだった。
「疲れているだろうが、足元を蹣跚とさせて滑らすなよ」
景吾さん──皆に注意喚起。四、五人並んでも通れる程の道幅となった為、余程浮足立っていなければ滑落の恐れはなさそうだ。
その道を抜けた先に、短い下草の生えた平があった。
「かなりの強行軍となるが、明日の日の出までにここを下り、森を抜ける。そうすれば、もう湾岸の峯員の砦は目と鼻の先だ。あそこの平で、四半刻程休息しよう。まだ眠る事は相ならんが、四肢を伸ばし、応急処置の傷口が膿んでおらぬかなどを各々で調べよ」
「蔵人殿らは、一体何処に行ってしまったのでしょうな?」
巍城さんが開口した。景吾さんと、すぐ後ろの僕たちにのみ聞こえるような声量で懸念を口にする。
「丹念に調べはしたものの、彼らの足跡は未だ定まりません」
「あの状況で、蔵人殿らが何処に彷徨い込んだにせよ、先に離脱した神子様方を追い越したとは思われませぬ。ややもすると、我々がこのように捜索している間に彼らの方が通り過ぎ、先に行ってしまったのでは?」
景吾さんが応答した時、矢庭に俊輔が足をぴたりと止めた。
彼の急な動きに、僕たちも躓きそうになりながら立ち止まる。
「如何なされましたか、神子様?」
「或いは……景吾殿、その通りかもしれませんよ」
彼は声を低めて言うと、そろそろとした足取りで景吾さんの前に出た。
「微かにですが、行く手から音が聞こえました」
「音? どのような」
「剣戟と……怒号のような。まさかとは思いますが──」
──最悪の予想が的中してしまったかもしれない。
彼がそう続けようとした事を、僕たちの誰もが即座に察した。
数瞬の間を置き、景吾さんが唐突に駆け出した。僕、俊輔、お胡尹は思わずあっと声を揃える。「迂闊です、景吾殿!」
「蔵人! 皆! 死ぬな!」
景吾さんは、僕たちの声など届いていないかの如く叫ぶ。昨日から通して、彼がこれ程感情を露わにして叫ぶのを僕たちは初めて聞いた。
「やむを得ません……!」
巍城さんが言い、僕たちは顔を見合わせ、肯き合った後彼に続く。巍城さんは「阿修羅」と唱え、その刹那袴から覗く彼の足首が肥大し、推進力を生む為蹴られた地面から円い空気の圧が飛ぶのがはっきり見えた。
一瞬のうちに、飛び出した彼が景吾さんに追い着いた。景吾さんは既に抜刀し、更に広さを増す道の向こうを睨み据えている。
僕も俊輔もお胡尹も、必死に彼らの後を追った。十数人の傷ついた兵たちも、負けじと僕たちに続く。
左の山肌も完全に遠ざかり、平に入った時、殺陣が見えた。
遥かな岩壁に黒々と口を開ける、鍾乳洞の入口。分断された蔵人さんたちが出たのであろうその前で、二十人程の影が刀を振るっている。数刻前に見た野侍たちと同じような風貌──やはり幻月の仲間だ。
最初に奇襲して来た時のように、彼らが呪を使っている様子はなかった。だがそれは、人数の圧倒的な差から彼らが優勢であり、少人数かつ皆が手負いの蔵人さんたちが全滅するのは時間の問題だという事を示していた。
「真退魔剣!」
景吾さんの刀が、まさに一人の兵の脛骨を断ち割ろうとしていた幻月の背筋、体幹を縦に斬り下ろした。半ば腰砕けになっていた兵は、倒れ伏す野侍を見、恐る恐るという風に景吾さんを見上げる。
「お……夫君様」
「たわけ、それでは蔵人殿と区別がつかぬではないか」
彼はごく真面目な顔で言うと、一同に向かって叱咤激励した。
「押されている場合か! 我々は如何にしても、一刻も早く姫様の元へ馳せ参じねばならぬのだぞ!」
「景吾!」
蔵人さんが、二人の幻月を相手取りながら叫んだ。景吾さんが「おおっ」と声を上げる。
「蔵人、無事だったか!? 手短に状況を報せい」
「ぬしや巍城殿らと離れ離れになった後、そちらを探そうとして断念した。兵たちは限界に近い、実際に深手が原因で事切れた者も居る。ひとまず洞窟を脱する事を最優先とし、この平で落ち合おうと図ったところでこの有様だ。我ながら不甲斐ないの一言に尽きる」
蔵人さんの声音は、慚愧に飽和していた。武士道とは死に急ぐ事ではないのに、と思いながら僕が口を挟みかけた時、視界を塞いでいた野侍が動いて彼の全身がよく見えるようになる。それで、台詞はたちどころに消えてしまった。
蔵人さんの鳩尾から腹部にかけては──爆ぜていた。鎧に大きな穴が開き、そこが口ででもあるかのように血が噴き出し、草摺の裾から伝い落ちている。滴っているのではなく、流れているのだ。
このような出血で、地下道を歩き通せたはずがない。僕たちと同様、しかしそれを上回る全身状態での強行軍を行った事で、ぎりぎり致命的なものに至る一歩手前で踏み止まっていた傷口たちが一斉に開いてしまったのだろう。僕は即座に、彼が今死の一歩手前で”限界”を先延ばしにしている事を悟った。




