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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み(承前)②

  ⑤ 日向鶴来


 来る、と分かっていて防げないものがある。

 眼前の怪物、大妖魔・蘇古常百鬼の放った斬撃がまさにそれだった。斬馬刀のような、柄の短く(やじり)を肥大化させて引き延ばしたかの如き形状の諸刃(もろは)が振り被られた瞬間、僕は真っ先に型を用いての防御を行おうとした。

円月幻輪(エンゲツゲンリン)!」

「よせっ、回避しろ!」

 俊輔が叫び、投げ上げるような軌道で呪符を放つ。しかし、百鬼の振り下ろした刀は気の込もったその札を容易(たやす)く両断し、そのまま勢いを殺す事なくこちらの刀身に叩きつけられた。

 型の効力で強化されていなければ、刀は折れていただろう。

 衝撃が襲う一瞬前、(こぼ)れた刃の飛散する光が、やけに鮮明に見えた。

 音は聞こえなかった。ただ、百頭の馬に正面から衝突されたかの如き凄まじい衝撃が僕を襲い、後方に吹き飛ばした。呼吸が出来なくなる程の長時間に渡り、それは続いたように思われた。

「鶴来!」「鶴来君!」

 俊輔、お胡尹が僕の名を呼んでいる。が、それがやたら遠くに聞こえる。

 起き上がろうとしながら、心の中で妙に冷静な自分が、刀を見て「幸運だった」と呟いていた。

 高天原と名乗った謎の男と天照頭・物部堅塩と鉢合わせる前、僕は急襲して来た幻月たちと交戦してかなり敵を斬っている。人間の脂は想像する以上に刃の切れ味を落とし、強度を脆くするという事は今まで実感してきた通りだった。下手をすれば、今の百鬼の一撃で叩き折られていてもおかしくはなかった。

「伝説の(あやかし)敗衄(はいじく)し、天寿であったと認める……それもまた、(ことわり)調(ととの)えし宿世であったと言う事も出来よう」

 独りごつように呟く堅塩に、俊輔は無理矢理笑ってみせていた。

虚仮(こけ)(おど)しはそこまでにして貰おうぜ、堅塩。何を、そこまで躍起になる? この世界で致命傷を負っても、(うつつ)の俺たちの体は死なない。どれだけ負荷を負おうが、俺たちが諦めたりしない事は分かっているだろうに」

「果たして、荒魂(あらみたま)たるこの者にもそれが言えるだろうか?」

 高天原は微かに目を細め、百鬼を見る。直ちに次の攻撃を繰り出し、僕たちを屠りたいと()れている事が伝わってくるこの妖を、自分一人の意思が抑え込んでいるのだと──自分が命じさえすればいつでも僕たちを葬る事が可能なのだと、あたかも生殺与奪の権は自らにのみあるのだと主張するかのようだった。

「霊能者の魂を欲する『夢遥かの世界』も、貪婪なる百鬼連(ひゃっきれん)の長たるこの蘇古常も原理は同じ。こやつは魂を喰らう。戻るべき魂のない空の肉体(うつわ)など、骸に等しいとは思わないか?」

「俊輔君、あいつって……」

 お胡尹が、掌印を組みながら俊輔に言った。彼は顎を引く。

「まさかとは思うが、奴らが〝外〟の存在だからそれが叶うのかもしれない。魂、精神を傷つけるのではなく、それそのものを消し去ってしまうという方法で、『夢遥かの世界』に潜行した呪者を殺す事が出来るんだとしたら」

「誤解するな、皆は殺さない」

 高天原が遮るように言った。

「裏切り者は殺す。本来この世界に魂を捧ぐはずだった霊能者、貴様も殺す。我々の求める者は日向鶴来、貴様だ」

 唐突に相手から名を呼ばれ、僕は刹那痛みを忘れる。「えっ?」

理化(あやな)す少女と(つが)う者……堅塩よ、其方(そなた)(すえ)なる男は良き働きをした。たとえ、その後背理者となったにせよ。始末に負えぬのは、日向の子の太刀筋を見ても(むべ)なるかなといえよう」

 彼は、僕の方を見て話してはいなかった。

「最早奴にはかかずらうな。あとは時間の問題だ、わざわざこの局面で手持ちの幻月を減らす必要はなかろう」

「待て、高天原……僕が何だっていうんだ? 僕が『新世開闢の計』に、一体どう関わるんだよ?」

 僕は堪えきれずに尋ねたが、高天原はこちらを一瞥しただけで鼻を鳴らした。

「貴様自身が知る必要もない」

「ふざけるな──」

「蘇古常。夢を用い、布留(ふる)をもたらすのは(うぬ)原理(ことわり)よ。私と堅塩の目通しはこれで済んだ、汝はこれよりその呪者どもを滅し、日向鶴来を連れ()て我が元に帰参せよ。丁重に扱え」

「はっ、()()

 百鬼が初めて、人の言葉を発した。酷く震えを帯び、腹の底に応えるような重低音ではあったが、確かに僕にはそう言ったように聞こえた。

 高天原と堅塩の姿が、現れた時と同様闇に溶けるように薄らぎ始める。僕はやっと身を起こし、「待て!」と叫んだが、彼らはそんな僕の必死さを嘲笑するかのように──無論、徹頭徹尾無表情ではあったが──止まらなかった。

 彼らの完全に姿を消した闇に、僕は駆け出そうとする。

 あの者たちが奸計を用いて、僕から沙夜を奪ったのだ。斬らずにいる事が出来ようか──たとえ片方が、天津神だとしても。

 しかし、その瞬間俊輔の叱咤が耳を打った。

「俺たちの相手はこっちだ、鶴来!」

 間髪を入れず、

「ヴヴヴアアアアアッ!!」

 百鬼が再び刀を振るった。軌道は横一文字、しかし僕が璧龍爪(ヘキリュウソウ)の型──三連撃技で防御を図った時、最後に刀軌が変化する。文字の「跳ね」を描くような、短い斬り上げの形に。

 こちらの首筋が掻き斬られなかったのは、百鬼が高天原から僕を殺さないよう命じられていたからだろう。間一髪のところで急所を避けた刀の先端は、僕の頰から左目のすぐ下までをすっぱりと斬り割った。僕が無理な動きをしていれば、眼球を抉り出されていたかもしれない。

「そういうの、駄目なんだからっ!」

 お胡尹が、「夢患い」の幻の炎を百鬼の顔周辺に発生させる。それは萩色の鬼火の如く漂い、百鬼の〝目〟を形成している蒼白い鬼火と対照色を成す。

 百鬼がそれを払おうとした一瞬、呼吸一回分にも満たない間に俊輔が三枚の呪符を投擲した。それらは百鬼の両の大袖と背中に貼り付き、邪悪な気を吸収するように黒煙を噴出したが、敵の動きが止まったのは一瞬だけだった。百鬼は悶え苦しむかのように咆哮し、両腕を振り上げると、周囲に向かって滅多矢鱈(めったやたら)に刀身を振り下ろし始める。

 地面に対して垂直な斬撃が、柱の如く乱立して俊輔とお胡尹に向かい始めた。僕は顔から血液が落ちるのを自覚しながら、まだ軋みを上げる体に鞭打ってそれらを巻き取りに掛かる。

 体の許す限り限界に近い動きで相殺を図っても、それは臘炎(ろうえん)(しもと)()べるが如きぎりぎりの作業だった。刃(こぼ)れは増々激しくなり、刀はみるみるうちに痩せ細っていくように思われる。一頻り暴れた後、百鬼が斬撃を停止すると同時に、呪符は限界が来たように黒変して散った。あたかも燃え尽きるように。

「鶴来君、だいじょぶ?」

 お胡尹が、恐る恐るというように問うてくる。僕は荒い息を()きながら、無言で肯く事で彼女に(いら)える。指先で、まだ目尻の辺りで玉を浮かべる血の雫を払う。

「見た事のない型だ……何の流派なんだろう?」

鵤羽原(イカバハラ)流だ」

 答えたのは、すかさず次の呪符を構えている俊輔だった。

「百鬼連が日出を跳梁していた時代、古代戦国乱世に編み出された刀術だよ。今の武士道、武の理法の修練による人間形成とは似ても似つかない、ただ戦の為にのみ存在する殺人剣だ。時が移ろうに連れ、複数の活人剣の流派に分岐して原型は既に失われたはずの流派だった」

「それも、やっぱりミコトの伝説に出てくるの?」

 お胡尹の問い。俊輔──重々しく首肯。

「例えば最初の型、色惨華(シキザンゲ)。上肢を狙えば両脇の下を、下肢を狙えば金的を、胴を狙えば心の臓を、顔を狙えば喉を、全身何処を狙っても急所を抉り、大量出血させるように意図されている。次の地維血泉(チイケッセン)は、四方八方全方位に居る敵を(あまね)く両断する為の型だ」

「いいよ、そこまで分かれば」

 畢竟刀を──刃物を振るう事とは、敵の肉体を切り裂く事だ。どれだけ崇高な理念を謳う活人剣であろうと、乱世に生み出された殺人剣であろうと、修羅場に於いて道義は罷り通らない。

 僕は、ぎざぎざにささくれ立った刀身を下段に構える。

 元々堕ち武者の粗雑な鋳鉄だ、手入れをせずにそこまで長持ちするとは(はな)から思っていない。労わりながら戦っている余裕もないのなら、砕け散るのを覚悟して、次の一撃で決めきるしかない。

(……って、まだ一撃もこっちから攻撃出来ていないのに)

 唯一の希望は、敵に僕を殺すという意図がない事だ。

 ならば、狙うであろう部位は自ずと絞れる。

「俊輔、お胡尹、下がっていて」

「鶴来──」

 言いかけた俊輔と、微かに目が合った。その瞬間、彼ははっとしたような顔で身を引き、自分の頰に触れる。そこには、幻月から逃れる際僕が誤って刻んでしまった傷跡があった。

 あの時の僕の殺気を、彼は思い出したようだった。

「ヴヴヴヴヴ……ッ!」

「薬師一刀流刀術──」

 僕と百鬼は、互いに構えに入る。

 距離──咫尺(しせき)の間。だが体躯と刀の大きさからして、制空圏は敵の方が僕の三倍以上を有していた。

 僕は自らを鼓舞すべく、声高に叫びながら地を蹴った。

春風電光斬シュンプウデンコウザン!」

「ヴアッ!」

 百鬼の剣技の軌道は──不自然だった。

 両腕を下方になるべく伸ばし、最小限の動きで──それこそ、手首だけで刀を振るっているのではないかと思われる動きで(やいば)を縦に振り下ろす。それは、こちらの技を無効化しながら致命傷にならない部位、右肩口を斬る為だった。俊輔の言葉通りであれば、必殺に特化した鵤羽原流刀術の使い方としては、(かえ)って()()()()()()()()()()()と思わせる動き。

 恐らく本来、顔を削ぐように頭蓋を抉る為の型だったのではないか。

 そのような考えをちらりと脳裏に()ぎらせながら、僕は先読みしていたその接身点で右斬り上げを繰り出した。利き手の関節を損傷させれば、僕が刀を振るう事は出来なくなり、それ以上の戦闘を避けて無力化出来る上死なない程度に傷を与える事が可能になる──僕の思った通りの方法が採られた。

 こちらの刀身が、側面から百鬼の刀身に叩きつけられた。僅かにでも逸れれば敵の思惑は成就していただろう、ぎりぎりの位置。

 刀は繊細である故、縦方向の力とは張り合えるが横方向の力に弱い。こちらと同種の刀であれば、恐らく一撃目で相手が折れていただろうが、如何(いかん)せん百鬼の刀身は分厚かった。

 限界が来て折れたのはこちらの刀だったが、それでも成果はあった。無理な軌道で繰り出されていた敵の斬撃は微妙に逸れ、僕の胸元の布地と皮膚を浅く切り裂くに留まり──僕の型はまだ終わらない。

 一撃目の後、素早く手首を返して二撃目。逆向きに斜め斬り上げ、長さは先程の半分。それは百鬼の極彩色の兜、忍緒(しのびお)を切断する。鍬形(くわがた)が後傾し、脱げかかった兜から黒灰色の頭部が露出する。

 再び手首を返し、三撃目。長さは一撃目と同じ。

 三連撃技、稲妻のような軌道を描く型。

 背丈の差から、従来よりやや上向きになってしまったが、技能が求められる瞬速技は中断される事なく成立してくれた。三撃目が妖魔の顔を深々と斬り割り、それが敵にとっての(とど)めになったらしい。

 蘇古常百鬼は鍾乳洞に響き渡るような咆哮を上げ、ゆっくりとその巨躯を傾倒させた。重量のある鎧が肉諸共地面に叩きつけられ、地響きが連々と轟いた。

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