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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み⑪


          *   *   *


 何処をどのように移動したのか、最早分からなかった。

 怒号や喚声、剣戟や跫音は遠ざかりながらも、迷宮の如く入り組んだ広大な地下空間に反響して何処までも追い縋って来る。敵味方の姿が皆見えなくなったが故に、その陰惨さは一層濃度を上げた。

 一定の速度を落とさずに離脱に徹していた俊輔の歩みが、徐々に減速した。普通に歩く速度とそこまで変わらなくなると、彼は振り返って僕の顔を真っ直ぐに見つめてくる。その頰に僕が誤って刻んでしまった横一文字の刀傷が痛々しく、僕はもう一度詫びを口にした。

「ごめん、俊輔……その傷」

「気にするな。血はもう止まっている」

「だけど、一歩間違えたら致命傷になっていたかもしれない。もう少し上だったら眼球を傷つけていたかも……一回(うつつ)に浮上したら無傷とか、そういう事は関係ないんだ。仲間の事を考えずに刀を振るうのが、癖になったりしたら」

「よせよせ。弥四郎じゃあるまいし、そう悲観的になるな」

 俊輔はわざと冗談めかすように言ってから、ふと真顔になって僕をまじまじと見つめてきた。

「ど、どうしたの?」

「いや……鶴来、やっぱりそうなんだよな。お前はやっぱり、自分以外の誰かの為に心を痛める。いや、さっき何だか、お前がいつものお前じゃなくなったような気がしたからさ」

「そうかな?」僕は、今一つぴんと来なかった。

「その、何だ。俺だけに限らず、初対面の相手に対しても同情すれば涙を流してしまうようなお前が、敵に対してはあまりにも情け容赦なく──平然と刀を振るっているように見えたんだ」

 気を悪くしたならすまない、と言われるが、僕は困惑するだけだった。

「そこは自分でも分からないんだよ。けど何処かで畢竟、武士であるって事はそういう事なんじゃないか、って割り切っているような自分も居る。というか、人の感情ってそういうものじゃないのかな?」

「そう──なんだろうか」

 俊輔は一度疑問形で言ってから、

「そうなんだろうな」

 一人合点するように肯いた。

「俺だってそうだ。偽神の思惑を挫く為ならば、たとえ誰かから糾弾される事になったとしても……いや、やめておこう。それよりも、今は状況を整理する事の方が大事だ」

「状況の整理っていっても」お胡尹が、お手上げだというように両手を広げた。「もう訳分からん、って感じじゃない? 幻月が──堕ち武者化された山城の侍たちがどうして、こんな離れた場所に居たんだろう?」

「幻月が各国で暗躍している事自体は不思議じゃない。元々、天照道が諜報を行う為に各地に放っているんだから。けど、よりにもよって俺たちの通ろうとしているこの地下道になんてな。俺たちが標的だというなら、あんな(ふう)に『夢遥か』の登場人物を殺戮するなんて──それは、兵部殿の主観の世界を偽神が手を下して壊す行為に他ならない。彼を夢に閉じ込めておきたい連中が敢えて行うような行為とは、考えられないように思うが」

 俊輔の口振りは、整理のつかない状況に無理矢理整理をつけようとするかのようだった。自らの思考をまとめ、分かりやすくするように声に出し続ける彼の言葉に対して、不意に容喙する声があった。

「その通りだ、俊輔殿よ」

「………!?」

 やや嗄れた、壮年から老年に至りつつあるような渋い男声。僕たちは、突然の事に警戒を跳ね上げて声の飛んで来た方向を見やる。

 いつの間にか、行く手の闇の中に二人分の影が立っていた。進み出て来た最初の一人が、洞窟の天井に生じた亀裂から射し込む月光の中に入り込み、その体に(わだかま)る影が徐々に剝ぎ取られる。

 その人物は、烏帽子(えぼし)と斎服を身に着けていた──朝廷に於ける物忌みの装い。

「かの者たちは、(うつつ)の存在ではない。かの殺戮は、勝呂兵部によって予定されし過去という夢の一幕。天津神の秩序に(まつろ)わぬ貴君らへの裁きは、これより我らが手によって執行される」

「道冥先生……?」

 僕が呟くと、俊輔は「いや、違う」と(かぶり)を振った。

「天照頭、物部堅塩だ。神託を司る、偽神の側面を成す呪者だよ」

 その名は、天読みと「占縁の宮」について語る際に琴姫様も口にしていた。僕はまじまじと現れた男を見つめる。

「それじゃあ……僕たちは足取りを掴まれたって事?」

「全ては(つい)なる調和の為。理化(あやな)す少女を得た今、再びの天孫降臨の為に成すべきは貴君らの(あしら)いのみとなった」

 堅塩と呼ばれた男は言うと、俊輔をちらりと一瞥した。

「俊輔殿──否、背理者・周防俊輔よ。こうして顔を合わせるのも、最後から早一年となろう。よくぞ韜晦(とうかい)を続けたと申したいところだが、其方(そなた)が如何に我らを妨げようと、畢竟このように天理には抗いきれなかった。最早無駄な足掻きはやめよ、其方の心渡りは歴代の神子の中で、最もその役に迎合するものであった。もしも其方が再び戻るというならば」

「そんな事を言う為に、わざわざ直接お出ましになったのか」

 俊輔が、遮るように言った。

「あらゆる点で間違っているな、堅塩。まだ希望は死んでいない」

 彼の目が、微かに動いて僕を捉えた気がした。堅塩は表情を変える事なく、彼と僕の間で視線を往復させる。

「我が(すえ)なるかの男が其方に真実を告げて尚、其方が神話を受け入れるのならば、天照道は其方を同志として迎えたであろうに。日出国を統べる意思の大きさに、敢えて背馳せし理由を問おうか」

「弟が可愛かったからというのは、その理由にならないか?」

(たわ)けた事を……」

「堅塩」

 不意に、堅塩の後方に立っていた人物が開口した。

「お喋りはそのくらいにしておけ。言った通りであろう、天理にて動かなくなった駒に再利用の価値はないと。周防俊輔の、天照への忠義心は既に死んでいる。最早亡骸に用はない」

 堅塩が、ちらりと頭を動かして後方を窺う。その人物は、堅塩と同じ光の中へと進み出て来た。

「我が欲するはただ一つ……形身のみ」

「だ、誰だ?」

 その者の姿が明らかになるに連れ、僕は自分の総身の皮膚が粟立っていくのが分かった。

 何故だろうか、現れた者の姿は人には違いなかったが、今まで相対してきたどのような者とも異なる気配を纏っていた。直感的に、畏怖の念を()()()()()()()()()()と思わせる空気感とでもいうのだろうか。それを表白すべき語彙が「神々しさ」であると気付くのに、(しば)しの時を要した。

 現れたのは男だった。長い髪を左右に分け、耳の辺りで美豆良(みずら)に結っている。それは教科書で、古代の朝廷に於ける上達部(かんだちめ)の挿し絵で目にした事があった。

 その上、その頭髪は金褐色だった。渡海の人々の中には毛色の異なる人種も存在するというが、日出の(うから)でこれ程見事な色は見た事がない。それは、同じく見た事のないような繋ぎの衣──足先まで股引の如く繋がっている事を除けば古代の貫頭衣のようというのが最も近い──の純白と相俟ち、その男自身が身上から光を放っているかの如く見えた。

「俊輔、この人……」

「俺も分からない。だが、まさかとは思うが──」

 俊輔が言いかけた時、堅塩が再度口を開いた。

「畏れを成したか」

 僕たち三人を順に視線でなぞり、「無理もなかろう」と肯く。

「このお方こそ天官。陰陽(おんみょう)背平(そびら)合わす朝廷の陰を(うしわ)く、天津国の(つかさ)。即ち、神の一柱である」

「神……?」

 堅塩の言葉に、僕たちは一様に息を呑んだ。俊輔までもが、男を見つめたままその光輝に()てられたかの如く無言で立ち尽くしている。やがてその唇が、戦慄(わなな)くように音を紡いだ。

「これが……『夢遥か』を司る偽神の本体……」

「偽神ではない、偽りの神子」

 男は、報いるかの如く彼をそのように呼んだ。

「私は高天原(タカノアマハラ)。天照道を統べる者だ」

「本物の、神様……」

 お胡尹の独白。高天原と名乗った男は、ゆっくりと右手を上げる。

「そしてこれこそが我が法、『御阿礼(みあれ)』──人心に根づきし共通的な観念を、(うつ)しのものとして顕現させる力。『夢遥かの世界』を……そして百鬼連を顕しめた(ことわり)の力である」

 彼が言った刹那、空中に複雑な紋章の如き陣が出現した。

 その中から、滲み出すように八尺近くの影のような巨躯が現れる。煙の如く靄の掛かる総身。色の褪せた、元は極彩色であった事の見て取れる甲冑。顔に当たる部分は見えず、闇の(わだかま)る場所に鬼火のような”目”が浮かんでいた。

「大妖魔──蘇古常百鬼」

 俊輔の呟きと共に、怪物は背から斬馬刀の如き巨大な刀を抜き放ち、洞窟を突き崩さんばかりの重低音で咆哮した。

 ご精読ありがとうございます。『夢遥か』はこれにて文庫本約一冊分となりました。二冊目は参ノ章「天読み」の後半部分から開始になりますが、ここで一旦お休みを頂きます。明日からは同時間帯に、ノンシリーズ長編『闇の涯』の連載を開始する予定です。『夢遥か』と同じく一ヶ月弱の投稿期間となりそうですが、その間にこちらも毎日投稿に耐え得るくらい書き進めたいところ。

 作者と鶴来たち一行に、引き続きの応援を宜しくお願いします!

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