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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み⑩


          *   *   *


 自分がいつ眠りに落ちたのか、分からなかった。

 決して寝心地の良いとは言えない湿った硬い地面の上で、朝からの凄まじい活動量の反動か泥の如く眠りこけていた僕の意識を引っ張り上げたのは、耳を付けた地面を伝わって響いて来る無数の足音だった。

 誰かの叫ぶ声が、まだ霞の掛かる頭の中で遠くから聞こえてきた。はっと気付いて跳び起きたのは、その声を交互に見張りを行っていた兵たちのものであると認識した時だった。

「野侍だ! 皆の者目を覚ませ! 敵襲、敵襲ーっ!!」

「の……野侍? どうしてこんな時に……」

 俊輔は、早くも立ち上がっていた。見張りの兵たちが囲んでいた、一箇所だけに残された焚き火のぼんやりとした光に照らし出され、洞窟の奥の暗がりから影法師のような集団が現れるのが見える。僕たち侍は傍に置いていた刀を取り、俊輔たち呪者は呪符を取り出し或いは掌印を結んだ。

 暗闇から滲み出すように現れる影たちの双眸は、夜行性の獣の如く爛々と燐光を放っていた。近づくに連れて低い唸り声のような音も聞こえ、本当に獣と相対しているかのような錯覚に陥る。

 尋常でない事に気付くと同時に、僕の目は思いがけないものを捉えた。

 野侍たちの、ぼろぼろになった陣羽織の襟に染め抜かれた紋──小紋村濃(こもんむらご)。山城国領主・畠山(ハタケヤマ)家の家紋だった。

「俊輔、まさかあいつら──」

 僕が言うか言わないかのうちに、

「呪・真眼(まなこ)!」

 俊輔が三角形に掌印を組み、それを通して現れた野侍たちを睇視した。

 一瞬の後、彼は低く絞り出すように言った。

「堕ち武者だ……奴ら、百鬼連に妖憑(あやがか)りされている。幻月じゃないのか」

「幻月? 何で、あいつらがここに……」

 脳裏に、その凶刃に斃れた沙夜や道冥先生の血塗れの姿が()ぎった。恐怖と憤ろしさが同時に込み上げ、体が炙られたかのように熱を帯びる。俊輔は僕の空気の変化を察してか、「落ち着け」と囁いてきた。

「奴らが偽神によって『夢遥かの世界』に魂を引き込まれたのか、それとも奴らもまた兵部殿の夢の産物なのかは今のところ判断がつかない。前者なら狙われているのは俺たちである可能性が高い、後者なら──兵部殿が(うつつ)でのこの戦に於いて、幻月を見ていたという事になる」

「幻月……とは? あなた方、何を仰っているのだ──」

 景吾さんが呟いたその時、

「ウォオオオオオッ!!」

 野侍たちが、豺狼の如く咆哮した。蔵人さんが「怯むな!」と叫ぶ。

「数の優位はこちらにある! たかが野生の堕ち武者風情(ふぜい)に我々の行く手を阻まれてなるものか!」

「よせっ、連中はただの堕ち武者じゃない!」

 俊輔の制止は間に合わなかった。

 敵の先陣が斥邪結界のすぐ手前にまで差し掛かった時、兵たちが一斉に抜刀しつつ飛び出した。海戦の際には見る事の(あた)わなかった、駿河軍が個々の兵に於いても錬成されている事を感じさせる刀捌きだ。

 しかし、それらの斬撃は野侍たちに届かなかった。いつの間にか、虫の羽音のような震えを帯びた低音で唱えらえていた敵の法唱(のりと)が、一斉に肉薄した榛名の侍たちを巻き込んで効力を顕した為だった。

 野侍たちの手前で、突如として岩石の地面が液状化した。踏み込んだ兵たちはたちまちに足を取られ、動きを止められて狼狽の声を上げる。彼らの刀はぎりぎりで敵に届く事はなく、両の(まなこ)を炯々と光らせた野侍たちは反撃とばかりに自分たちの野太刀を振るって飛び出した。

 闇の中に、血華が(ひら)いた。榛名の侍たちの雄叫(おたけ)びが、その瞬間完全に阿鼻叫喚によって上書きされる。ほぼ蹂躙に近しい勢いだった。

 既視感──あの隠れ家での事。

 あの時も、あばら()の入口を守る道冥先生に向かって幻月が怒涛の如く押し寄せ、先生がその中に見えなくなった。潮が引くように敵が退()いて行った時、彼は(なます)の如く滅多斬りにされ、血の池の中に沈んでいた。

 気付けば、僕の全身は硬直して動かなくなっていた。いつしか無意識にまで刻み込まれていた幻月への恐れが、肉体の自然な反射として自由を(いまし)めたのだ。

「鶴来!」

 俊輔が、気を込めた呪符を投擲しながら叫んだ。

 僕の目の前で、いつの間にか肉薄していた野侍の巨体がそれを受けて横ざまに薙ぎ倒される。僕の体を縛っていたものが、その瞬間立ち消えた。

「はああっ!」

 裂帛の気合いと共に、よろめいた野侍の首筋を薙いだ。頸動脈を刎ね斬られた敵は翻筋斗(もんどり)打ち、狂乱する他の野侍の流れに見えなくなる。

 危ないところだった──激しく脈打つ心の臓を宥めていると、傍にお胡尹が(まろ)び出て来た。追って来た二人の野侍を夢患いの炎で生ける薪と化さしめ、頻りに駿河の者たちの名を呼ぶ。

「景吾さーん! 蔵人さーん! 巍城さーん! 何処ですかーっ!?」

「神子様方っ!」

 (いら)える声──巍城さん。

 何処だ、と思って見回すと……居た。少し離れた場所で光が拡散した、と思った転瞬、血飛沫(しぶき)と肉片と化して()ぜる野侍の体。全身にその血を浴び、片手で複雑に掌印を──星のような形に見えた──組む呪者の姿。

 彼は酸鼻極まる姿となりながらも、一歩も退()く事なく僕たちに叫んできた。

「お逃げ下さい! 密集していたら、また先程の法唱(のりと)の的になります! 分散しつつ洞窟の奥へ、敵を各々(おのおの)で引きつけつつ振り切るのです! 後程、敵を撒いたら合流しましょう!」

 過去に彼から聞いた中で、最も長い台詞だった。それもそのはず、この駿河軍別動隊の指揮を執っていた景吾さんの姿が見えないのだ。幻月の出現させた泥沼の中に沈んでしまったのか、或いはまだ敵味方の入り乱れて刀を振るい合う最中に混ざっているのか。

 不意に、バッと腕を掴まれた。びくりとし、反射的に刀を振るうと

「うわっ! 鶴来、俺だよ!」

 俊輔が頰を押さえて仰反(のけぞ)っていた。その指の隙間から鮮血が零れ落ちる。

 僕が慌てて詫びると、彼は「いや、いいんだけど……」と呟く。

「鶴来、お胡尹、一旦ずらかるぞ。このままではこっちが不利になるばかりだ」

「駿河の人たちは?」

 咳き込むように尋ねると、俊輔は眉を潜めた。

「巍城殿の仰った通りだ。戦い慣れているはずの彼らに対して救おうなんて考えられる程、俺たちに余裕がある訳じゃない。それに──」

 彼の言葉が途絶する。僕は「何?」と先を促したが、

「いや……何でもない」

 俊輔が言葉を濁すので、僕は()れてつい声が大きくなった。

「何だよ、はっきり言ってくれ!」

「この世界の人々は、本当に生きている訳じゃない。兵部殿を助けなければならない俺たちが、魂に当分再起不能になる程の損傷を受ける危険を冒してまで救いに行こうとするのは、目的を見失った行為だ」

 僕が何かを言う前に、俊輔は「誤解するなよ」と言った。

「見殺しにする訳じゃないんだ、一度戦況を白紙に戻す。彼らが自分たちだけでここから離脱出来る可能性だって、十分に残されているんだ」

「……分かった」

「よし、こっちだ!」

 俊輔が身を屈め、小走りで駆け出した。僕とお胡尹もそれに続く。

 後方から、こちらの動きに気付いた野侍が数人追駆して来た。すかさず、

「阿修羅」

 巍城さんの声と共に、閃光──血風。

 半身を吹き飛ばされながらも、しんがりのお胡尹に組み付こうとした野侍の一人が居た。僕は振り返るや否や刀を突きの形に変え、

「……っ!」

 無言でその眉間を刺し貫き、傍の血溜まりにぽいと投げ捨てた。

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