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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み⑨


          *   *   *


 琴姫様、兵部さん、弥四郎と別れると、僕と俊輔、お胡尹は隠密行動班として琴姫様の夫二人と共に南西に向かって移動を始めた。同行した兵たちは五十人程で、この状態で敵に襲われれば潰走は免れないだろうと思われた。

 出発前、一度解散して天幕に戻ると、俊輔が僕に尋ねてきた。

「鶴来、兵部殿に心渡りを試したのか? 何が見えたんだ?」

「いや……出来なかったんだ」

 僕が正直に打ち明けると、俊輔は(しば)し黙り込んだ。彼も僕の様子から、兵部さんの内心がどうなっているのかに薄々察しがついていたようだった。

「心にゆとりがなく見える──とは、弥四郎が言った事だったな。俺たちも、どうもそんな印象は拭い難いと感じていたが……そうか。兵部殿はそれ程までに、闇を抱えていたのか」

「どうするの? 心渡りが出来なきゃ、夢惣備は難しいのに」

 お胡尹の言葉に、再びの沈黙が(とばり)を下ろした。

 俊輔はやや苦しそうながらも「根気強く行くしかないな」と言った。

「形はどうあれ、この世界で兵部殿が願いを叶えている事は事実なんだ。ここ一番という戦いで勝利を収めた時かもしれないが、彼の精神が緩む瞬間は何処かで必ず見つかる。俺たちに出来るのは、可能な限りこの夢に反映されている無意識を読み取りながら機会を待つ事だけだ」

「けど、最低二日半の間鶴来は彼と顔を合わせられないんだよな」

 弥四郎が呟くのを聞き、僕は改めて兵部さんに拒まれているような気がした。

「仕方がないものは仕方がない。焦りは禁物だ」

 俊輔が無理矢理話をまとめた時、天幕の外から出発が告げられた。

 高見の峠への移動は、粛々として行われた。景吾さんと蔵人さんも、巍城さんもずと緘黙(かんもく)したままで、最初に僕の抱いた寡黙な人たちだという印象は改めて裏づけられた。

 出発から二刻程が経過した時、僕はさすがに募る沈黙に耐えきれなくなって景吾さんに声を掛けた。

「良かったんですか、琴姫様と離れて動く事になってしまって?」

「それが策ですからね。それに向こうには、勝呂殿が付いているのですし」

 景吾さんの口振りに僕は首を捻る。

「けれど、あなたと蔵人さんは彼女の夫ですよね。戦場で二日以上も離れ離れになるなんて、僕だったら落ち着いていられませんよ」

「姫様は、そういった私的な感情を作戦に持ち込んだりはなされません。戦略に於いて最も効果的な策が採れるよう、我々が進んで桎梏となるような事はあってはならないのです」

「……何だか、夫としてというより琴姫様の部下としての自分たちを優先させているみたいですね」

 お胡尹が口を挟む。蔵人さんが後ろから「そうかもしれません」と応えた。

「というよりも、我々は彼女の同志ですから。彼女との関係性の中で、まずその事が私たちにとって最も重要なのですよ」

「同志?」

「誓い合ったのです。何があっても、私たちは彼女の意思を尊重して着いて行くのだと。夫というのは、その為の役柄に過ぎませんよ」

「私もまた、榛名に仕える呪者である以前に琴姫様に仕える身」

 巍城さんが呟くように言う。

「たとえ家中の者が敵になったとしても、勝呂殿と私、国元の采女殿、そして景吾殿と蔵人殿は姫様の味方で在り続ける。生くるにせよ死するにせよ、我らは姫様のお供をする。そう誓いを立てました」

 彼の言葉は静かでありながら、聴いているこちらがはっとする程底知れない力を孕んでいた。

 義理人情や、何処の国でも(まつりごと)の基盤となる忠君愛国の”義務”ではない。単なる主従関係を超越した絆──そこに何人(なんぴと)の介入をも許さないという意志を感じさせるものだった。

(兵部さんも、その一人なんだ……)

 僕は思うと共に、琴姫様はその上で彼に秘密を作っていたのだ、という事を思い出した。無論、如何に腹心であるからといってあらゆる事を打ち明ける訳ではないだろう。だが、それでも。

「琴姫様には、最近家の者たちには内密に朝廷と何らかの取り引きを行っている事があると伺いましたが──」

 口を開きかけた僕だったが、俊輔から

「その問いはあまり意味がないかもしれないぞ、鶴来」

 小声で窘められた。

「この人たちは、兵部殿と全く別人という訳でもない。彼の知らない報せを彼らから得ようとしても出来ない」

 果たして景吾さんは、

「それは、外部の方々には打ち明ける事は出来ません」

 何処か申し訳なさそうにそう言った。

「あなた方が、『占縁の宮』とかかずらわぬ天照道の呪者であるならば尚の事」


          *   *   *


 高見の峠の地下道入口に辿り着く頃には、既に日の入りを迎えていた。

 そこまでの移動には一日を要するという事だったが、伊勢ノ湾で相良峯員の船団と交戦していた時間帯が(ほとん)ど朝に近かったらしい。道中で夜を迎えずに済んだ事に安堵しながら、「夢遥かの世界」では当人以外が出来事と出来事の間を埋めるような作業──何も起こらない移動中など──をする際には経過時間が短縮されるのかもしれない、と僕は思った。

 それにしても、「夢遥かの世界」の時間は何処まで進むのだろう。少なくとも現実では、この戦が終わる時には兵部さんは死んでしまっている。「夢遥か」の主観となっている人物が居なくなる事などないだろうが、それではこの戦の結果が「兵部さんが死ななかった」という形に改変されるのか。そのような形で戦が終わった後、彼のこの世界での日常は続くのか。

 続くとするならば、何故そもそも彼の命を落とした戦がこの世界で「存在しなかった事」にされていないのか? 彼にとってこの戦は、一体どのような意味を持つ出来事だったのか?

「予定通り、洞窟の中で夜営を行います」

 景吾さんの言葉で、僕ははっと我に返った。

「本来人の立ち入る事のない場所です。特定の旗本家による妖狩りの対象からは外れていると思われ、強力な邪祟(じゃすい)が放置されている可能性もある。巍城殿、斥邪結界を広めの範囲で結んで下さい。他の者は、くれぐれも結界の外側に出ぬよう。小用に立つ場合であっても単独行動は禁ずる」

 暗窖の中は、元々水脈ででもあったのか水の流れたような窪みが地面を走り、空気に湿り気があった。天井からは、長い年月を掛けて形成されたらしい巨太な鍾乳石が氷柱(つらら)の如く垂れ下がっている。

 僕と同じものを見ていたのか、お胡尹が

「あんなの落ちてきたら死ぬよね」

 やや間延びした声で言った。

 その石の陰に、黒っぽく(わだかま)っているのは蝙蝠(こうもり)だろうか。天井は高かったが、その闇の中でも黒く大量の何かがざわざわと動く様子ははっきりと見え、僕は俄かにぞっとして視線を逸らした。

 今夜、眠れるだろうかという事がふと不安になった。

 夢惣備が始まってから、今のところ成果は皆無に等しい。その上で、謎と課題ばかりが嵩んでいく。兵部さんの心に接触を掛けようとした時に垣間見たあのどす黒いものを思い出し、僕は気持ちが沈んだ。

 しかし同時に、気を張り詰め続けているせいもあり、疲労は澱の如く体の内側に蓄積されていた。榛名の侍たちが三々五々集まって火を焚き始めると、俊輔が近くまで来て「俺たちも休もう」と言ってきた。

「俺たちのここでの肉体の疲れは、精神の疲れだ。体力の限界が来て気絶してしまった時、どんな危険性があるのかは前回説明した通りだから」

「弥四郎は大丈夫かな?」

「心配要らないさ。あいつ自身が心配性ではあるが、本人が思っている以上に俺はあいつを頼りにしている」

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