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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み⑧


          *   *   *


「我々の内陸への進軍を阻んでいるのが、志摩国領主・相良(サガラ)家の長男峯員(ミネカズ)が指揮を行う軍です。彼らは我々連合軍の伊勢ノ湾への海進が始まると同時に、海岸線沿いに砦を築き、本日戦った船団を送り出しました」

 参謀本部の天幕にて、琴姫様は図面を示しながら淡々と解説を行った。

 駿河軍は戦略の(かなめ)が当主自身である為、軍師の役目も彼女が担うらしい。

「見ての通り、志摩の軍艦は駿河に比べてその規模は劣ります。しかし、それは敵も重々承知の事。向こうはこの差を、攻めでなく守りに特化した戦略を以て埋めようとしてきます。先の戦いで明らかになったのは、敵が火計を以て我々の軍艦を狙って来るという事でした」

「敵の使用した油は、船上で引火した様子から推察するに相当量が砦に貯蓄されているものと見ていいだろう。あの爆発的な燃焼力からしてただのものではない。恐らくは越後国(えちごのくに)より産出されるという草水(くそうず)ではないかと思われる」

 兵部さんが、琴姫様の後を引き取って言った。聞き慣れない語句に僕が首を傾げていると、俊輔が「燃料だよ」と囁いてきた。

「燃える水だ。正体は分からないながら、古代には調税として朝廷にも献上されていたらしい」

「何故そのようなものが、志摩の地に?」

 兵の中から、当然の疑問の声が上がった。

「分からぬ。諸国の風聞については常に報せを収集しているが、志摩や伊勢が独自に越後と交易を行っているというような話は聞かない。しかし、今は草水の出所について論じている場合ではない。それを使用させぬように、海戦の橋頭堡である峯員の砦に奇襲を掛ける」

「敵の飛び道具の使い方を鑑みるに、海上からの防衛に於いては兵部の累合せが有効となります。助太刀をして下さる天照道の方々も含めて、駿河の戦力となり得る法は六種。私の天読み、巍城の阿修羅、兵部の累合せ、そして鶴来殿の心渡り、弥四郎殿の時柵、お胡尹殿の夢患いです」

 この世界では法を使えない俊輔の心渡りについては、最初から琴姫様たちには説明していなかった。

「兵部、弥四郎殿の法であれば、海上から砦の目を引き付ける事が出来ます。駿河は軍の大部分を船に乗せ、峯員の注意を引く。私もこちらに同行します。その間、残りの呪者と少数の兵が内陸を進み、砦に蓄えられている草水を焼き尽くす。盤石なる敵の守りを崩すには、これしかありません」

「まあ、妥当な策だろうな」

 俊輔が、僕たちだけに聞こえるような声で小さく独りごつ。弥四郎は、また自分一人のみで重役を担う事になり──共に行動する事になる兵部さんにこちらの目的が露見したら、周囲の人間全てが(さわり)と化す恐れがあるのだ──、(おもて)に緊張感を漲らせていた。

「人員の割り振りについてはこの後指示を出します。遠江軍は、こちらの上陸に際し伊勢内陸から駆けつけて来る部隊の足止めを担う事になっています。その他の点について、何か疑問のある方は?」

「隠密行動班の移動経路について、あらかじめお教え頂けませんか?」

 俊輔が挙手をした。

「ここは伊勢領内、陸路(くがじ)を通って峯員の砦に向かうには従来だと関所を通らねばなりません。しかし、我々が上陸した事は既に報せが各地に伝わっているでしょう。国境の警備は少数で突破出来る程のものではなくなっていると思われますが」

「そちらにつきましては、行動班長の手前から述べさせて頂く」

 景吾さんが、図面の一点を指し示す。

「ここから一日程をかけ、高見(たかみ)の峠に入ります。この峠には地下道が多く、国境の平野を迂回する間、ここよりも海抜の低い場所を抜ける事が出来る」

「しかし、当然あなた方も他国の名もなき地下道など、かつて通った事はないのでしょう?」

「その通りではありますが、奇襲を成功させるには内陸に進んだ者が居る事を決して敵に気取られてはなりません。敵の密集する地上を短時間で抜ける事に伴う危険よりも、多少道順が複雑化しても向こうの目を忍ぶ事を最優先事項とする。我々はそのように判断致しました」

「なるほど。では、要する時間は?」

「高見の峠までは一日、そこから道慣れぬ地下道を東進する事から多めに見積もって一日。奇襲の実行も含めて、約二日半程になりましょう」

「我々の軍艦は、数日間の航海にも適するよう意図して設計されています。二日半程度の期間であれば、難なく海上での囮を担えます」

 兵部さんは、一同を勇気づけるように拳を握り締めて言った。

「我々は一時的とはいえ、伊勢ノ湾から敵船を敗走させしめたのです。平和な時代の続くうち、我々の誇る水軍は未だ形骸化した訳ではないという事を西方諸国にも知らしめるのだ。それこそが、天照の格別の寿(ことほ)ぎを受けし我ら濤割(とうかつ)の駿河武士の矜持というもの!」

 はっ! と、兵士たちが唱和した。

 僕は、改めて兵部さんの整った顔を見つめる。その表情は凛として、誰よりも彼自身が”誇り”というものを体現してそこに居るかのようだった。

 そこで僕は、ふと気付く事がある。

 事前に俊輔から聞いた、榛名家に仕える侍の多くはあまり兵部さんを好意的には見ていないようだ、というあの噂の事だ。この世界で彼の様子を見る限り、琴姫様との間に悪意のある噂が流されているような印象はなく、それどころか兵たちからかなりの人望を集めているように思う。

 ──状況からは読み取るのが難しい、彼が夢の世界に託した願い。

 そう思った時、僕は今が絶好の機会である事に気付き、彼の目を見つめた。

 瞳を通じ、彼の内側に這入り込むような気持ちで法を使用する。

(来い……心象)

 夢惣備を開始してから増える一方だった謎を、ここで解消する。

 そう思いながら心渡りを試みた僕だったが、その刹那、

「………!?」

 脳震盪が起こったのではないかと思った。悲鳴を上げそうになり、慌てて歯を食い縛りつつ目を逸らす。悪寒が一瞬にして爪先から体幹を駆け上がって来、思わず縋るように俊輔の袖を掴んでしまう。

「鶴来?」

 彼が、囁くように身を屈めてきた。「どうした?」

「俊輔──」

 僕は答えようとするが、上手く言葉が発せなかった。

 ──心渡りは相手の心を覗き見るのではなく、他者と心で会話する法。相手の精神があまりに強靭だと、こちらが心の中に入り込むのを受け入れてくれないという事もある。

 自らの使う法として、その事については理解していた。だが、今兵部さんに試みた瞬間に起こった事は、そのような単なる制約上の問題ではなかった。

 激しい、どす黒い奔流の如きものが僕の中に流れ込んで来た。感情──それもありとあらゆる負の。怨念、憎悪、悋気、瞋恚(しんい)──このようなものを抱え続けていたら心の病になるのではないか、と思う程のそれらは、あたかも皮膚一枚で彼の体内に押し留められているかのようだった。

 彼は、一体何を心に秘めているのだろう? 彼が「夢遥かの世界」に囚われる事となった願いの裏には、どのような事情があったのだろう?

 僕はそのような内情など感じさせない程に凛々しい彼の横顔をもう一度窺い、ぞっと身震いした。

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