『夢遥か』参ノ章 天読み⑥
* * *
軍艦の内側には、細かく船室が造られていた。兵たちは少人数ずつに分割されて部屋をあてがわれ、僕が想像していたように広い空間に一切が詰め込まれて起臥するという風ではなかった。
琴姫様も、海路の移動中は他の兵たちと同じような部屋を割り振られるらしい。僕たちを先導しながら彼女が足を止めたのは、すぐ隣に傷病兵の治療を行う部屋のある一室だった。
「やや手狭ではありますが、どうぞお入りになって?」
「何も、姫様ご自身のお部屋に入れずとも……」
苦虫を噛み潰したような顔になる兵部さんに、彼女が「あなたのお部屋でもあるでしょう?」と言うので僕たちは面食らってしまった。複数人で共用であるところまで変わらないようだ。とはいえ、兵部さんは家臣であり男。琴姫様はそういった事には頓着しない方なのだろうか──。
「兵部、あなたもこの方たちを監視したいという心積もりなら、同じお部屋の方が都合が宜しいと思うのだけれど」
「……そう仰るのならば」
兵部さんは不承不承というように言うと、僕たちに向かって手を振った。早く入れという意味だと受け取り、僕たちはまだ戸惑いながらも琴姫様が手ずから開いて下さった引き戸の中に入る。
琴姫様は手狭だとは仰ったものの、船室は六畳程の広さがあった。隅の方に敷き布団が畳まれて積んであり、床には座布団が数個置かれているだけで極めて質素な雰囲気だ。個々の船室が目的地までの道中に於いて交替で眠る為だけのものである事を考えれば、究極的にはものは必要ないのかもしれない。
その殺風景な船室で、座布団の上に三人の男が腰を下ろしていた。彼らは琴姫様が入って行くと、それまで取っていた胡坐の姿勢を解いて正座をし、床板の上にハの字に手を突いて額づいた。
二人は若い青年──琴姫様や兵部さんと同年齢と思われる──で佩刀し、最後の一人は齢四十程で禰宜の装束に身を包んでいた。
「お辞儀は結構。私の事ならばお気になさらなくて宜しくってよ。この程度の時間少し出歩いたくらいで船酔いする程、私やわではございませんわ」
琴姫様は三人に言うと、一人ずつを僕たちに示した。
「こちらは宇角巍城、榛名の家に仕える呪者です。十七年前、私が当主に就任すると同時に現在の役職に就きました」
彼女の言葉に思いがけない一言が含まれたようだったが、僕は最早いちいち疑問を覚えたり驚いたりする事はなくなっていた。立て続けに訳の分からない事が起こりすぎて、その都度解消する事が出来なかったのだ。
琴姫様もいちいち注釈を加えたりはせず、残り二人の青年の方へと移った。
「彼らはそれぞれ榛名分家の侍で、景吾と蔵人。景吾が正配で、蔵人が側配です。つまりは」
彼女は悪戯っ子のように笑って言った。
「私の夫たちですよ」
* * *
「さて、それではお話を致しましょうか」
伊勢国、雲出川の河口に到達した駿河軍は、その夥しい軍艦を海岸に着けるとすぐに陣幕の設営を開始した。敵地であるにも拘わらず、その作業には淀みが全く見られない。あたかも、恐れるものなしと宣言しているかのようだ。
準備が整い、救助された時には応急手当てに留まっていた負傷者たちが救護用の天幕に運ばれ始めると、琴姫様は中心に机の据えられた参謀本部となるのであろう天幕の中で腰掛けに落ち着いた。
夫たちと紹介された景吾さん、蔵人さんは当然のように彼女に着いて同じ天幕に入って来たが、その様子は伴侶というよりも何処か従者めいていた。それは、彼らと共に常に呪者の巍城さんが一緒に行動する為故に受ける印象かもしれない。彼らは極めて寡黙で、僕たちが通された後部屋では一言も口を利かなかった。琴姫様だけが、格子窓の外を眺めては異国の海の景観に歓声を上げていた。
僕たちが天幕の中に入ると、兵部さんは
「遠江の呪者殿に矢文を届けて参ります」
と言って出て行ってしまった。
「橘公のご到着まで、私が臨時で指揮を執っていた事を伝えておかねば」
「兵部ったら、どうも虫の居所が悪いようですけれど、あまりお気になさらないで下さいね」
琴姫様は困ったように笑った。
「兵たちの前では厳しいながらも優しく、有り体に言えば誇り高く節度ある武士道の鑑、のような男児なのですけれども。けれど実際には冷酷にして苛烈、私と二人きりになると暴力的な本性を露わにしますのよ。まるで……そうですね、成長の止まってしまった子供のような性情です」
「………」
思いがけぬ評価に、僕たちは今度は意識せずに押し黙った。琴姫様は続ける。
「ですから、彼は思いがけず尋問の主導権を得たあなた方を苛めて愉しもうとしているところがあるかもしれません。実を言いますと私、あなた方をそこまで警戒している訳でもないのです。実際のところを正直にお話し下されば、別に罪に問おうなどとも考えておりませんよ」
「我々は、天照道関係者です」
俊輔は嘘を吐いた以上もう後には引けないと思ったらしく、尚もそう言った。
「誓約をすれば信じて頂けますか?」
これはさすがに博打が過ぎたが、琴姫様は笑って首を振った。
「いいでしょう、これ以上は問いますまい。けれど、そうなりますとあなた方は我々駿河領主榛名家の裏の貌を──『占縁の宮』の事をご存じないのですね?」
「船でも仰っていましたが、それは一体何なのでしょう?」
「それをお話しするとなりますと、私はある意味、神子様だと仰る俊輔殿の事を冒瀆する事になるかもしれません。あらかじめ述べておきますと、天照寮で行われている事は神聖とは程遠い、人の謀でございましてよ」
俊輔の片眉がぴくりと痙攣した。
僕は息を呑み、琴姫様を見つめ続ける。
彼女は──知っているという事だろうか、天照道が長きに渡って朝廷で行ってきた事を。神託が偽神によって下され、天照復活の為に日出国中で多くの犠牲が是とされている事を。
「……お聞かせ願いたい」
俊輔は、僕たち側の理由による緊張感を顔に湛えながら言った。
「私は神子だ。束ねるべき者たちが何か不穏な事をしているというのなら、それを知る権利はあるはずです」
「宜しい。けれど、これは私があなた方を個人的に信用して明かす事です。くれぐれもこの報せを基にあの男を──物部堅塩を問い質そうとしたり、私が秘密を軽々しく口にしたなどと言いふらしたりはなされませぬように」
琴姫様は唇をちらりと舐めて湿らせると、幾分か声の調子を低めた。
「物部堅塩はご存じでしょう」
「無論。私を除く天照寮の長官、天照頭です」
「その堅塩が、神託の主です。彼の法は、自他の魂を操る『魂鬻ぎ』。自身の魂を世界に飛ばして報せを集め、またそれを各地の社を運営する呪者に宿して意思を伝えます。彼らはこれを通して人々の行動を統制し、効果的な支配体制を構築しているのですよ」
彼女はそこまで言うと、先を続けて良いか、と確認するように俊輔を窺う。僕はその堅塩という名前には馴染みがなかったが、俊輔自身は分かりきっている報せらしく微かに顎を引くだけだった。
彼もまた知らないのは、この先だった。
「そしてこの神託を”補完”する為の組織こそが、我々『占縁の宮』です。私は天読みを用い、近未来を読む事によって人々の行動とその結果を──因果を知る事が出来る。その中から理想的な未来を発見し、堅塩に伝達する。いわば我々は、天照寮の下部組織なのですよ。
私はあなた方が『どちら側の天照道関係者なのか』を知らねばならないと言いました。多くの神祇官や呪祷官のように、事実を知らず自分たちが神に仕えていると思っている者たちなのか、或いは朝廷が行ってきた事について理解し、神託を操る側の人間なのかという事です。どうやら神子様も、堅塩から伝達されていた報せを神託と信じていらしたらしいですね」
「信じられません。堅塩が、裏でそんな事を……」
「そして私は、天読みの真実についてもあなた方にお話しせねばなりません。実際のところ、これに関しては知っているのは榛名の本家嫡流と私の腹心たちのみで、天照道の方々もご存じありません」
琴姫様は、僕たちの顔を順番に見た。
「あなた方は、天読みを先読みの法だと理解していらっしゃるでしょう?」
「違う……のですか?」
「ええ。天読みの法を持つ呪者が見るという星相、これは単なる星占いの類ではありません。占いとは『裏合い』、本来何の意味も持たないものから何かを読み、こじつけるものです。それが未来を正確に読み、理を揺るがしかねないとして呪縛されるような法であるはずがありません。
榛名の継承する天読みは、実際に未来を経験するものなのです。その記憶を得た後に精神を過去の自分に遡らせる事で、結果的に先読みを行っているように見えるというものなのですよ」
「過去に?」
「天読みを持つ呪者は、死の瞬間から一刻前まで精神が逆行します。結果的に呪者の観測する世界は巻き戻り、客観的に見れば呪者が未来を読み取ったように見えるのです」
彼女は言葉を失う僕たちを見、反応を楽しむかのように肩を竦めた。
つまり、榛名家当主は法を使用する度、一度死んでいるという事だろうか。常人と同じ一生涯の中に、”なかった事”にされた分も含めて遥かに長い時間が詰め込まれていると──。
「星相を告げる時など、かなり大変なものですよ。わざわざ一刻の後に至るのを待って、自害せねばならないのですから。死なないと分かっていながらも、刃を自らに向ける痛みと恐怖を味わわねばならないのです。過去にも、多くの当主がこの事で心を病まれたとか。先々代の石蕗の君も、『天読みの儀』が近づく度に憔悴し、また儀式後にも異常な消耗を見せ、生前交替の際には殆ど廃人のような状態に陥ってしまっていたそうです」
「……国政に容喙するつもりはありませんが」
弥四郎が、そう断った上で尋ねた。
「何故、そこまで榛名のご当主様が負担を強いられねばならないのでしょうか」
「あら、弥四郎殿。きっと他の国の領主の方々だって、多かれ少なかれ背負うべき責任はおありのはずですよ。我々榛名はこの法を得たが故に、天照道から権利と責任を与えられました。
権利とは、一国を預かり領民を従えるという事です。榛名の祖先は本来武家ではなく、呪者の一族でした。大昔、この地を治めていた榛名呰庸から統治を委ねられ、名だけを榛名に変えたのです。この事実は法の正体と同様、家の中でも限られた者しか知りません。
また責任とは、そうして委譲された領主家という権力を以て、一領国のみならず日出全土を治める朝廷を補佐するという事。故に榛名は当主の選出に当たって、血筋の嫡流、庶流よりも法が継承されているかという事を絶対視するのです。また法の継承に際してはその可能性をより高める為、一族の中で近親婚を行う事になっており、天照道もそのように神託を下すのですよ」
琴姫様は、巍城さんの方にちらりと視線をやった。
「巍城は私の腹心の一人ですから『占縁の宮』についても知っていますけれど。しかし彼の姓を見てもご存じの通り、榛名に仕える呪者は”家”に属する事がないよう計らわれているのです。何故なら、制約をご存じでない朝廷の方々にとっては天読みは先読みの法。これを以て、榛名家当主が朝廷の行く末を興味本位で覗く事は避けたいというのが彼らのご意向です。まあ、当然ですよね。そこで榛名と、帝の属する皇家、天照頭である物部家の間には僻呪の契りが結ばれており、堅塩は榛名家当主に対して魂鬻ぎを行えません」
彼女は言い終えると、蔵人さんが黙々と熱いものに交換したお茶を啜った。口元に人差し指を当て、「まあざっとこんなものでしょうか」と独りごつ。
「長くなりましたが、これでお分かりになったと思います。神託は偽神の一側面、物部堅塩が司っているもの。遠江はそれに基づいてこの師を出し、我々もまた同様の神託を元に彼らを支援する事とした。そしてその結果、開戦から間もなくして我々の中に悪心を抱くものありという新たな神託が下り、あなた方がこうしていらっしゃる事になった。……あなた方が本当に天照道関係者なのか、兵部が疑う理由も宜なるかなというものです」
お胡尹が、極まり悪そうに身を縮める。何も考えずにはったりをかまそうとした事について、俊輔に対して後ろめたい気持ちを感じているらしい。
しかし俊輔は、ここまで来ればもう嘘を押し通すしかない、という気で居るようだった。しかつめらしい顔で「なるほど」と言う。
「確かに奇怪な話ではあります。いえ、正直なところ、現在私は神子として少なからず衝撃を受けている。信じたくないという気持ちもあります。私自身、天津神によって選ばれ、その意思を伝媒していると矜持を持って信じていたのですから。堅塩に欺かれていたのだと考えると、とても忸怩たる念に駆られます」
「ごめんなさい。けれど、知る事をお選びになったのは俊輔殿ですよ」
「ええ、承知しております。とにかく今の私は、堅塩の思惑については与り知らぬという事です。悪心とは何なのか、東国といえば駿河と遠江となってしまうが本当に言葉の綾はなかったのか……」
俊輔は、琴姫様と彼女の夫二人、巍城さんを順に見た。
「彼が何を目論んでいるのか、見極めたい。あなた方が『占縁の宮』である以上彼が榛名を陥れようとしているなどとは考えにくいですが、一度他国との争いが始まってしまった以上、個人間の勝負の如く中止と言って簡単に収拾がつくものでない事も事実。どうか我々に、あなた方と共に行動する事を認めて頂きたい。無論、我々もこの戦が可及的速やかに──それもあなた方の勝利という形で収束出来るよう尽力致しますので」
「いいですとも」
琴姫様は、微塵も踟蹰する事なく肯いた。
「というよりも、あなた方は本来天照寮の決定によって遣わされた方々。私の一存で拒む事など出来ませんわ。ですから俊輔殿、わざわざ私に対して許しを得る必要などなくってよ」
「……ご協力、感謝申し上げます」
俊輔は深々と低頭した。僕と弥四郎、お胡尹もそれに倣って礼をする。
琴姫様は顎を引いてから、「それから」と付け加えた。
「俊輔殿は今、堅塩が榛名を陥れようとしているなどとは考えにくい、と仰いましたね?」
「ええ、それが何か──?」
「実際にはそのような事も、ないとは限らないのです。最近、駿河の国元を神祇官の方がよく訪ねて来られるのですよ。『占縁の宮』と天照寮の関係が、俄かに変質しつつある──私にはそんな印象が、どうにも拭い難いのです」




